ドヴォルザーク

交響曲 第8番
 前回の「新世界より」に続いて、本日は同じドボルザークの第8交響曲です。
 普通、交響曲は単に番号で呼ばれたり、調性で呼ばれたりするのですが、名前が付いている曲も数多くあります。ハイドンの「驚愕」や「時計」を始め、「英雄」「運命」「田園」「未完成」「グレート」「幻想」「悲愴」「巨人」「復活」……と、枚挙にいとまがありません。しかし、作曲者自身がつけた由緒正しい名前もあれば、聴衆がつけたあだ名や普通名詞が名前となったものもあり、中にはレコード会社がつけてしまったのもありそうです。
 「新世界より」は由緒正しい名前で、内容にも即していますが、8番交響曲の「イギリス」というのはうさん臭いほうの代表格です。ドボルザークがいつも出版していた会社と喧嘩して、イギリスの出版社から楽譜が出たためについた名ですからね。それなら、ロンドンフィルハーモニー協会の名誉会員に選ばれたときに作曲を委嘱された第7番のほうが、よっぽどこの名にふさわしいとも言えます。また、最初はドイツ古典派、ロマン派の影響を受けていたものの、チェコ国民楽派の代表となったドボルザークが祖国で最後に作曲した交響曲なのですから、もっとも民族的な色彩の強い曲となっているのは当然のことでしょうから、その意味でもこの名が曲にふさわしくないと言えるでしょう。
 ドボルザークは、この曲を作曲したころにはプラハ郊外の田園地帯に別荘を作り、そこに落ち着いて創作していました。曲中随所に田園的な雰囲気があり、また鳥の鳴き声のようなのどかなあいの手もその感じをいっそう強めていますが、このような環境によるものが大きいのでしょう。本来、ドボルザークは、ベートーベンやブラームスのように展開技法や形式美・構成美を前面に押し出すよりも、シューベルトのように旋律的な美しさを得意とする作曲家でしたから、1楽章の最初のように速い楽章の主題といえども朗々と歌い上げていますし、変奏曲形式である4楽章の主題もゆったりとした美しい旋律になっています。そして、2楽章3楽章に至ってはその美しさにおいてこの上ないものです。
 その一方では、国民楽派の作曲家らしく(というと国民楽派に怒られるかもしれませんが)結構泥臭いところもあったりします。4楽章途中に出てくるおどけたような部分では、やぼったいと言ってもいいような伴奏にのって「黄金虫」のような旋律が出てきますし、曲の最後の部分にしてもにぎやかにというよりもやかましく終わっています。
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交響曲第9番「新世界より」
 ドボルザークは、スメタナの交響詩で有名なチェコスロバキアのモルダウ川の近くで生まれました。作曲や指揮、そしてプラハの音楽院の教授として活躍していましたが、51才のとき、アメリカのナショナル音楽院へ院長として招かれたので、3年間アメリカに滞在することになりました。
 アメリカへ渡る以前から、自分の国の民謡の精神を作曲に反映させようという民族主義的な考えを持っていたドボルザークは、その3年の間にアメリカの民謡を多く聞いたのでしょう。新世界アメリカの民謡の精神をとりいれ、故郷への便りといった意味をこめて、この交響曲を作曲したのでした。
 時代は19世紀の終りで、すでにロマン派音楽が大きな実を結んでいました。交響曲といっても形式美や構成美だけを追求する時代はすでに過ぎ去っていて、ロマン主義的な様々な手法、とくに、すべての楽章にわたって同じ主題を使用して全曲に統一感を与える手法がこの曲では積極的に取り入れられています。しかも、各楽章の主要な主題はそのあとの全ての楽章で登場しています。ですから、第4楽章では、1楽章から4楽章までのすべての楽章の主題があるときは独立して、あるときはつなげられ、またあるときは同時に出てきます。
 この曲で最も有名なのは、第2楽章でイングリッシュホルンで演奏されるメロディーでしょう。日本でも「家路」という名で歌詞もつけられて昔から親しまれています。親しみやすく美しいメロディーに加えて、イングリッシュホルン独特の哀愁を帯びた音色が印象をとても深いものにしています。
 ポピュラーな点では運命・未完成・悲愴等と並んで最も有名な交響曲のひとつになっていますが、演奏するにはとてもむずかしい曲でもあります。
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交響曲第9番「新世界より」
 3曲目の新世界交響曲ですが、この曲も非常に有名な曲です。交響曲全体としても演奏回数がトップレベルにあることは間違いがないですし、第2楽章の「家路」として知られている旋律などは毎日聞いている人も多いに違いありません。横響の練習場のある関内の教育文化センターでも夕方になると毎日放送されています。
 ドボルザークはチェコスロバキア(当時はボヘミア)の国民楽派の作曲家ですが、ニューヨークのナショナル音楽院の院長としてアメリカに招かれました。アメリカという新世界からの便りともいう意味でこの交響曲を作曲したわけです。
 この曲はオーソドックスな交響曲の形式を持っていますし、国民楽派としてのドボルザークの作風も手伝って実際より昔に作られたように思われているのではないでしょうか。ドボルザークがアメリカに行ったのが1892年、新世界交響曲の初演が翌1893年の暮れです。同時期に作られた曲を探してみると、マーラーの第2交響曲「復活」、リヒャルト・シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」といったところが挙げられます。作曲家の年齢を考えれば、ドボルザークは今挙げた人たちより20歳ほど年上です。また新世界交響曲がドボルザークの最後の交響曲であるのに対して、今挙げた曲はそれぞれの作曲家にとって初期の作品なので、比較するのはいんちきかもしれません。
 なぜこんな話を持ち出したかというと、聞く方にとってみれば聞きやすい曲なのですが、演奏するとなると作曲された時代に見合った近代的な難しい曲なんだということを言いたかったからなのです。例えば、1楽章でフルートが2回吹くソロのメロディーが、1回目と2回目で調が半音違っていたり、2楽章の最後ではコントラバスだけで和音を弾いたり、3楽章の最後でビオラが刻む音符が1小節に6つ、5つ、4つ、3つと減っていったりと、結構アブノーマルなことをやっています。
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チェロ協奏曲
 ドヴォルザークは51歳のときに、ニューヨークの音楽学校の院長としてアメリカに招かれ、その間に交響曲「新世界より」や弦楽四重奏曲「アメリカ」などの名曲を作曲していますが、このチェロ協奏曲もその期間に作られた1曲です。
 ヴァイオリンやピアノに比べて数が少ないチェロ協奏曲ですが、ドヴォルザークのこの協奏曲はその中ではもちろん、全ての協奏曲のなかでも最も名曲な中の1曲に数えられるでしょう。生涯チェロ協奏曲を作曲しなかったブラームスが、晩年にこの曲を聞いて、「こんなチェロ協奏曲が人間の手で書けるということを、私はどうして気づかなかったのだろう。もし気がついていたら、とっくに私自身が書いていただろうに」と悔しがったとのことです。
 第1楽章は、ソナタ形式で、最初にオーケストラだけで主題を提示し、その後、独奏チェロが入ります。冒頭でクラリネットが吹くのが第1主題、ホルンが最初に吹く美しい旋律が第2主題です。
 第2楽章は3部形式で、前後の素朴な主題による主部と、短調の激しい中間部とでできています。
 第3楽章はロンド形式。最初にホルンにでてくる主題を中心にして、その間にいろいろな部分がでてきます。
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スラブ舞曲 第8番
 民族的な舞曲集としては、ブラームスの「ハンガリー舞曲集」が有名です。当時のヨーロッパでは家庭のピアノを連弾して音楽を楽しむことが多く、そのための楽譜の需要が多かったので、ハンガリー舞曲集は最初ピアノ連弾用曲集として出版されました。ただ、この曲集はブラームス作曲ではなく、ジプシーの音楽をピアノ連弾用に編曲したものでした。さらにそのうちの何曲かはオーケストラ用にも編曲され、現在に至るまで数多く演奏されて世界中の人々に人気を博しているわけです。
 ドボルザークの「スラブ舞曲集」も全く同じようにピアノ連弾用の曲集として出版され、またオーケストラ用にも編曲されました。なぜこんなにそっくりかというと、「ハンガリー舞曲集」を出した出版社が、ブラームスによって紹介された新進作曲家ドボルザークに「『ハンガリー舞曲集』のような作品を作曲してほしい」と依頼したからなのです。
 ドイツの正統派の作曲家ブラームスが異国情緒溢れる舞曲として書いたハンガリー舞曲に対して、スラブ舞曲は国民楽派の大家ドボルザークが祖国の音楽を作曲したのですから、もしも民族度という指標があったとしたら断然スラブ舞曲のほうに軍配があがることでしょう。
 スラブ舞曲集は第1集(作品46)と第2集(作品72)のそれぞれ8曲ずつの計16曲でできています。そのなかで最も有名なものは、おそらくロマンチックな第10番(作品72-2)でしょう。しかし今日演奏する第8番も、第1集の最後を飾るにふさわしく、華麗でしかも力強い名曲です。この曲は「フリアント」と呼ばれるボヘミアの舞曲のリズムで作られています。実は第1集の最初の曲も同じリズムの曲なのです。きっと、ドボルザークは最初と最後にこの華やかなフリアントの曲を配置して、曲集としての形を引き締めようと考えたに違いありません。
 速い3拍子ですが、4小節単位の前半2小節で2倍の長さの3拍子1回、後半2小節が本来の速い3拍子2回という変則的なリズムを持っています。
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スタバト・マーテル
 「スタバト・マーテル」とは、「悲しみの聖母」と訳されています。十字架上の我が子イエスを見上げる聖母マリアの悲しみを歌うものです。
 ドボルザークは、長女を亡くしたときにスタバト・マーテルの作曲を志しましたが、他の曲の作曲に忙しく、作曲を中断していました。2年後、今度は次女、長男が続けて死んでしまったのです。悲しみに沈んだドボルザークは、3人の子供の冥福を祈るためにこの曲を完成させました。
(以下に歌詞)
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ミサ曲 ニ長調
 ドヴォルザークといえば、アメリカの音楽学校の院長として招かれていた時期の、交響曲「新世界より」や弦楽四重奏曲「アメリカ」が思い出されますが、本来はチェコの国民楽派の作曲家で、晩年にはチェコのプラハ音楽院の院長でありました。さらにもう一つの側面として、敬虔なキリスト教徒であり、教会音楽のためのオルガン学校で音楽を学んだ音楽家でもありました。宗教曲では、「レクイエム」「スターバト・マーテル」が有名です。
 本日演奏するミサ曲は、友人の建築家が建てた礼拝堂の奉献式のために作曲されたものです。その礼拝堂は小さくて、オーケストラが入ることができなかったため、最初はオルガン伴奏の曲として作曲されましたが、後に2度改訂され、最後に今日演奏する形になりました。
 この曲は、たぶんオーケストラ伴奏での演奏は今日が日本では初めてではないかというくらい無名の曲です。また、この曲が作られたのは1887年。モーツァルト等の古典的なミサ曲とはひと味ちがった響きをもった曲です。
 第1曲 キリエは、キリエ エレイソン。クリステ エレイソン(主よ憐れみたまえ。キリストよ憐れみたまえ。)という2句を繰り返し歌います。
 第2曲 グローリアは、神の栄光を讃える曲。明るく輝かしい曲ですが、中間部では伴奏がオルガンだけになり静かな祈りの曲となります。
 第3曲 クレドは、優雅な三拍子で「我は唯一の神を信ずる」と始まり、イエスの生涯が語られます。
 第4曲 サンクトゥス は、「聖なるかな」と力強く歌う短い曲。
 第5曲 ベネディクトゥスは、オルガンのソロで始まり、「主の名によって来たる者は祝せられたまえ」と繰り返され、最後はテンポがあがって「いと高きところまでホザンナ」と終わります。
 第6曲 アニュス・デイとは、「神の小羊」という意味。美しい旋律で、我らを憐れみたまえ、我らに平安を与えたまえと祈ります。
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