ブラームス

交響曲第2番 ニ長調
 ブラームスは、偉大な先輩ベートーベンの9曲の交響曲のあとで交響曲を作曲することに慎重で、最初の交響曲は20年以上の期間を費やして作曲しましが、そのかいあって、ベトーベンの第10交響曲と評されるなど、好評な出来でした。第2交響曲は、その翌年一気に書き上げられました。第1交響曲の好評による自信や、長い間続いた第1の作曲過程で得た多くの着想がたまっていたこと、そしてブラームスが避暑地として赴いたペルチャッハやバーデンバーデンといった静かな田舎の雰囲気に囲まれていたことなどが作用して、ブラームスらしからぬといってはおかしいかも知れませんが、明るく喜ばしい曲となっています。
 ブラームスの「田園交響曲」とも見立てられ、明快で構成も比較的単純といわれるものの、中低音楽器の濃密で充実した響きと動き、緻密な対位法、練習中でも演奏していると曲に興奮させられてしまう筆力、そして聴くものには「あれ、今の所変拍子かな」と一瞬ドキッとさせ、演奏するものには非常な緊張が課せられ、指揮者は振り間違いにおののく、拍ずらしの展開(一見ごく普通の拍子で演奏しているように聞こえるが、実際に楽譜をみれは、1拍ずれたり2拍ずれたりしている)など、ブラームスの特長、すばらしさが溢れている名曲です。
 何年も前のことですが、NHK教育テレビで指揮者のヴォルクガング・サヴァリッシュ氏がこの曲を題材にして自らピアノを弾き歌を歌いながら曲の解説をし、さらにN響の練習風景と演奏会本番も放映したことがありました。交響曲演奏に関する中心である指揮者という立場の人、しかも世界でも一流の人の解説が聞け、さらにその解説に基づいた実際の演奏も聞けたのですから、非常に強い印象が今でも残っています。
 その時の楽曲解説の中心になっていたのはたぶん、この曲のいくつもの主題のもとになっている基本動機、第1楽章冒頭に低音弦楽器が奏するド−シ−ド−ソという動機がどのようにいろいろな形ででてくるかといったことだったと記憶しています。倍に引き伸ばされたり2倍の速さになったり、第1楽章の中間主題であるバイオリンの美しい旋律の最初にでてきたり、第3楽章のオーボエの主題が基本動機の転回であるといったことをピアノで弾きながら解説していました。また、N響との練習風景では、第4楽章最後の金管楽器への要求も印象に残っています。どんな要求だったかは本日の横響の演奏との兼ねあいもあり、書きませんが……。その箇所からしばらくしたところ、全曲終結の数小節前に、全オーケストラの強奏が突然止み、トロンボーン3本のみが単純な3和音を最強奏で延ばすところがあります。このような単純でしかも効果的なトロンボーンの使い方を私は他に知りません。背筋がぞくぞくっとなるんですよ。もし、この感じを体験してみたいと御思いの方がいて、その方に私の個人的趣味を押し付けてよいなら、オイゲン・ヨッフム指揮ロンドン・フィルのレコードを御聴きください。
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交響曲第3番
 ブラームスは、ベートーヴェンの9曲の交響曲に劣らないものをと考え、最初の交響曲に20年近くも時間をかけましたが、その後は、すぐ翌年に第2番を、6年たってからまた連続して第3番と第4番を作曲しています。
 第1交響曲が、特に第4楽章の主題からベートーヴェンの第10交響曲と呼ばれた以外にも、第2番は「ブラームスの田園交響曲」、本日演奏する第3番も「ブラームスの英雄交響曲」などと呼ばれていますが、このようなベートーヴェンとの比較も、ベートーヴェンの築いた交響曲を凌駕するものを書こうと考えていたブラームスならではのことでしょう。
 第1楽章の冒頭で出てくる、F−As−Fという音型は、「英雄動機」とも呼ばれていて、この交響曲全体にわたって使われ、曲の統一感に重要な役割を担っています。この音型は、ブラームスがよく口にしていた“Frei, aber froh!” (自由に、しかし、楽しく)という言葉の頭文字を取ったのだとも言われています。
 第3楽章の旋律は有名ですね。映画でも使われましたし、たしか最近もテレビのCMの音楽として使われていました。しかし、こういう美しい旋律も、そしてブラームス特有の拍子のずれやうごめく内声部等、演奏するのは非常に難しい。ブラームスの4曲の交響曲の中でも特に演奏が難しい曲なのです。
 ところで、この交響曲には大きな特徴があるのです。それは、全ての楽章がpで終わること。中間のゆっくりした楽章が、小さな音で終わることはよくありますし、第1楽章や第4楽章など、基本的に速い楽章でも最後がpで終わることもありますが、全ての楽章がpで終わるというのはなかなかありません。
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ドイツ・レクイエム
 レクイエムは、カトリックの教会で死者のためのミサ曲としてラテン語の歌詞で歌われるものですが、この曲はドイツ語で歌われます。歌詞がドイツ語というだけでなく、その内容もラテン語のレクイエムの定まった歌詞とは違っていて、マルティン・ルターがドイツ語に訳した新・旧約聖書の中からブラームス自身が選び出しました。マルティン・ルターと言えば、宗教改革です。つまり、プロテスタントであったブラームスは、カトリックの儀式で使われるミサ曲とは別のものとして作曲したのです。そのため、この曲をブレーメンの大寺院で演奏しようとしたところ、これでは信仰が足りない(?)ということで、ヘンデルの「メサイア」のアリアを間に入れてやっとお許しが出たのだそうです。その時点では作曲されていなかった第5曲が後にソプラノ独唱入りで作曲されたのですから、もしかしたらブラームス自身もヘンデルのアリアの挿入を気に入ったのかも知れません。
 多くの作曲家がレクイエムを作曲していますが、普通はある特定の人の死を悼むために作曲されています。ブラームスのこのレクイエムも、シューマンやブラームスの母親の死が、その作曲に影響を与えたようですが、そのために書かれたというわけではなく、約10年にわたって少しずつ作曲されました。
(以下に歌詞)
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大学祝典序曲
 ブラームスはブレスラウの大学から名誉博士号を授けられたお礼として、この曲を作曲しました。それ以前にも、イギリスのケンブリッジ大学からも同様の申し出があったのですが、イギリスまで行って儀式に参列しなければならなかったので辞退していました。ブレスラウの方は、面倒なことはせずに済み、ただ何か作曲してもらえれば良いと言うので、称号を受けたのでした。ブラームス名誉博士は、この序曲のすぐあとに「悲劇的序曲」を作曲していますが、出版者のジムロックへの手紙で、非常に楽しい大学祝典序曲を作曲した後、「悲劇的序曲」を書いて私の悲しい気分を満足させずにはいられなかった、と書いているそうです。まさにこの2つの序曲は正反対の性格をもっているのです。
 曲の中には、4つの学生歌が取り入れられています。1曲目は、曲の前半でトランペットで荘厳に始まる「我らは立派な校舎を建てた」。2曲目が流麗な旋律が様々な楽器で演奏される「国の父」。3曲目は、ファゴット2重奏で軽快に演奏される「新入生の歌」。4曲目が、序曲の最後を飾る大合奏で演奏される「ガウデアームス(喜びの歌)」です。この4つの旋律と、ブラームス自身の主題が次々に現われては喜びの気分を盛り上げます。
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ハンガリー舞曲 第1番,第5番
 ブラームスの作品のうちで最も有名なのが、このハンガリー舞曲です。もともと、ジプシーの音楽に興味をもったブラームスが、ピアノ連弾用に編曲して出版した曲集でした。しかし、大人気となって、オーケストラをはじめとしていろいろな編曲されてきました。本日演奏するのもハーモニカ独奏とオーケストラのための編曲で、独奏者竹内直子さんの先生である岩崎重昭さんの編曲によるものです。
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ハイドンの主題による変奏曲
 ハイドンは、管楽器のためのディヴェルティメントという曲の中に、「聖アントーニのコラール」という楽章を作りました。ブラームスはその楽譜をハイドン研究家の家で見たのです。2小節・4小節を基本とした普通の曲と違い、この曲は5+5+8+8+3という変な小節数でできていました。
 ブラームスはその曲を主題にした変奏曲を作りました。
 最初に主題をハイドンの原曲に沿った楽器編成で演奏した後、第1変奏から第8変奏まで、8つの変奏曲が続きます。
第1変奏は主題の最後の部分をファンファーレ風にして始まる、まずは小手調べ的な変奏。
第2変奏は速度は少し速くなり短調に。強弱の対比のついた変奏。
第3変奏は速度がぐっと遅くなり、のどかな感じの変奏。
第4変奏はゆっくりとした短調の3拍子。
第5変奏は速い8分の6拍子。速い8分の6拍子は3+3の実質2拍子なのですが、2+2+2に分けた3拍子の音型も同時に演奏されます。
第6変奏は2拍子の勇壮な行進曲風の変奏。
第7変奏は比較的ゆっくりとした美しい変奏。しかし後半はリズムが複雑にからみあって幻想的な雰囲気になります。
第8変奏は急速な3拍子。とっても難しい変奏。(泣)
 最後は終曲。低音楽器が5小節の主題を延々と繰り返す上に、さまざまな短い変奏が繰り返され次第に盛り上がった後、ハイドンの主題を高らかに演奏し、華々しく終わります。
(泉10)


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