ベートーヴェン

交響曲第1番
 話は違うが、合唱曲があると歌詞を載せるからプログラムを書く人間にとっては大助かりである。解説文を大分少なくできる。ほら、もう最終ページのこんなところまできちゃった。
 この交響曲はベートーヴェンの最初の交響曲で、不滅の九曲の最初のものです。全体的には先輩であるモーツァルト、ハイドンの影響を多分に受けていて、今でいうベートーベンらしさは未だあまり出てきてはいません。今私が解説の種本として見ている音楽之友社の名曲解説全集には、第1楽章の主題がモーツァルトの最後の交響曲であるジュピターの冒頭の部分に似ていると、楽譜まで引用して解説しています。さらに第2楽章の旋律も、モーツァルトの40番の第2楽章と比較されています。なるほど確かに似ています。
 とは言っても、第1楽章冒頭の和音からして、当時のウィーンの聴衆を驚かせるには十分だったとは思います。また第3楽章はメヌエットと書かれてはいるものの、実際には第2交響曲以降のスケルツォ同様、急速なテンポで演奏されます。さらに、管楽器が大変に活躍もします。軍楽隊のようだとも言われたそうです。
 ベートーヴェンは、ハイドンの勧めによって、生地ボンからウィーンに進出します。当初は主にピアニストとして、貴族の庇護のもとでパトロンのために演奏をしていたのですが、次第に一般大衆のために自ら演奏し指揮をする演奏会を開いて収入を得ていこうと考えるようになりました。ウィーンに出てから8年目に、その最初の演奏会が開かれましたが、その最後に演奏された曲が、この交響曲第1番だったのです。
(479)


交響曲第2番 ニ長調 作品36
 泉管弦楽団では、前回の定期演奏会までにベートーヴェンの交響曲を既に6曲演奏して来ました。残っていたのは第2番、第4番、第9番の3曲。第9番は合唱付きなので除外して、今回は2番か4番のどちらかを取り上げようということになりましたが、4番はファゴットの大反対にあい、結局2番ということになりました。
 さて、ベートーヴェンが、偉大な先輩であるモーツァルトやハイドンの交響曲にまけないものを、と、満を持して交響曲第1番を発表したのが今からちょうど200年前の1800年のことでした。そして交響曲第2番の作曲がはじめられ、3年後の1803年に初演されています。先輩たちが貴族に雇われ、貴族のために作曲していたのと違って、ベートーヴェンは自分の作曲した曲を演奏する演奏会を開催していました。モーツァルト・ハイドンが宮廷で活躍していた18世紀から19世紀に変わるとともに、交響曲もベートーヴェンによって一般聴衆のために作曲されるようになったわけです。そして、その変化はベートーヴェンの最後の交響曲で、「すべての人はみな兄弟となる」と高らかに歌われることに結びついているのだなあ、と思いを馳せてしまう、20世紀もあとわずかとなった今日この頃なのでした。
 交響曲第1番では、第3楽章は優雅な踊りが踊れそうもない速いテンポではあるものの、一応「メヌエット」と書かれていました。しかし、第2番では初めて第3楽章が「スケルツォ」となっています。先輩たちが作り上げた交響曲という形式がすこしずつベートーヴェン流になっていく過程が見てとれます。なぜベートーヴェンはメヌエットをやめてスケルツォに換えたのでしょう。速い第1楽章、ゆっくりの第2楽章、優雅な舞曲メヌエットの第3楽章、そして最後に速い第4楽章という形が、先輩たちの作り上げた交響曲の形式でしたが、ベートーヴェンにとっては他の楽章に対してメヌエットでは曲の密度が足りなかった、というか、優雅に踊っているヒマはないぜ、といった気持ちがあったのでしょう。まあもっと言ってしまえば、かつらをつけたモーツァルトやハイドンがメヌエットを踊っている姿は想像できますが、あのベートーヴェン(肖像画を思い描いてください)に優雅な踊りは似合いませんよね。
 最後に忘れてならないことをもう一つ。ベートーヴェンが交響曲第2番を作曲していた時期は、耳の不調、家族の不和、失恋等が重なり、「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いた時期でもあります。
(泉12)


交響曲第3番「英雄」
 ベートーベンは初めこの曲をナポレオンに捧げようとしていたが、ナポレオンが皇帝に即位したと知ったとき、ナポレオンの名を書いてあった表紙を破り捨てて単に「英雄」とした、という話は有名です。
 いじわるな考え方をすれば、貴族や宮廷の庇護のもとに活動していた音楽家にとっては、ナポレオンの皇帝即位は絶好の就職口といえるわけですが、民衆のための作曲家ベートーベンにとってはフランス大革命の英雄が一転して皇帝となったのは絶えがたい裏切りなのでした。
 後世の私達にとっては、ベートーベン作曲「ナポレオン交響曲」というどこかちぐはぐな名曲ができなかったことは幸運と言えるでしょう。
 また、当時の交響曲がおおむね30分くらいまでであった時代にこの曲は50分ですから、聴衆が悲鳴を上げたという逸話もよく知られています。ベートーベンの第1、第2交響曲は、先輩であるハイドンやモーツァルトの影響を受けたもので、ベートーベン独自の世界といったものではありませんでした。そこへ突然この曲だったのです。想像するに、当時の聴衆が抱いていた、四捨五入すれば「美しい」「気持がいい」ものであった交響曲のイメージに、この曲は程遠かったでしょう。しかし、理想に燃えるベートーベンの精神の発露としての音楽は、きれいごとであることはできなかったのでしょう。
(463)

交響曲第3番 変ホ長調 『英雄』 作品55
 この曲はフランス大革命の英雄ナポレオンに捧げるために作られたけれど、ナポレオンが皇帝の地位についたと聞いたベートーヴェンは、ナポレオンの名前の書かれた楽譜の表紙を破り捨て、単に『英雄交響曲』と名前を付け直したというのは有名な話です。ベートーヴェンはそれまでの作曲家のようにおかかえ作曲家として貴族のために作曲をするのではなく、一般民衆のために作曲し演奏会を開くという道を歩んでいたわけで、政治と音楽という分野は違うけれどナポレオンは自分と同じ理念をもつ人間として考えていたはずです。それなのに皇帝という貴族の頂点に自らついてしまったのですから、ベートーヴェンの怒りもわかろうというものです。
 さて、音楽の革命家ベートーヴェンは、この3曲目の交響曲でもいろいろな革命を起こしています。ホルンを3本使ったり、チェロとコントラバスに違うことをやらせたり、そもそも曲の長さが当時の一般的な交響曲の2倍近くもあったりするわけです。
 作曲の経緯ももちろんですが、曲自体にも巨大・雄壮といった形容詞がすでに付随していて、聴くにも演奏するにも、何か身構え、体を堅くし、それなりの心構えが必要な曲という印象があったのですが、曲の経緯や先入観を捨ててエレガントな演奏を、という指揮者の言葉に目から鱗を落とした私たち(その日、練習場の床は、練習中に落とした♯、♭、色々な記号に鱗も加わって、いつにもましてゴミが多かった模様)の英雄交響曲は、はたして皆様にエレガントに聴いていただけるでしょうか……。
(泉11)


交響曲第5番ハ短調「運命」
 この曲は説明するまでもなく、古今東西のあらゆる交響曲の中でも最も有名な曲のひとつですね。「運命はかく戸をたたく」と弟子に語ったという有名な逸話から「運命」交響曲と呼ばれていますが、この名前も作曲者自身の与り知らぬものです。この曲は純然たる絶対音楽の大傑作であり、「運命」などという表題音楽っぽい名前で呼ぶと格が下がってしまう、と「運命」という名を全く無視して、「第5交響曲」とか、「ハ短調交響曲」としか呼ばない人もいます。
 第1楽章はソナタ形式ですので、第1主題、第2主題があります。第1主題は言うまでもなく運命の動機です。第2主題は、第1主題の変形したホルンのファンファーレに続く美しい旋律ですが、これも第1主題の圧倒的な出現量にほとんど埋ってしまいそうです。第1楽章は、途中嵐の間の晴間のようなオーボエのカデンツァを除いて、全編運命の動機一色で構成されているといっていいでしょう。
 第2楽章は変奏曲です。ベートーベンは変奏曲が好きで、独立した曲だけでなく多楽章形式の曲のひとつの楽章を変奏曲形式で作曲したことが多いのです。交響曲に限っても第9番の3楽章に、「英雄」の終楽章、そしてこの第5の2楽章と、超有名な曲で使われています。
 第3楽章はスケルツォ。ここでも運命の動機の変形した主題が繰り返されます。また、この楽章ではチェロ・コントラバスが活躍しますが、とくにトリオの旋律はベルリオーズが象の踊りと評したそうです。サン・サーンスの動物の謝肉祭に象の踊りの曲がありますが、象に踊りを踊らせるという発想が案外ここから出ているということもあり得ない話ではありません。
 第3楽章から第4楽章へは、底のほうに運命の動機がなる暗い移行部でつながって演奏されます。暗いトンネルから急にまばゆい光の中へ踏み出したといった具合で、劇的な効果をあげています。徹底しているのは、再現部でもう一度冒頭と同じ所がでてくる前に、すでに4楽章の途中だというのに3楽章の最後からやり直すことです。ベートーベンにとって4楽章冒頭は、その前に3楽章最後の暗いトンネルがあってはじめて意味があったのでしょう。また、この楽章でも運命の動機はいたるところに出現しています。全曲の最後は29小節にも及ぶ主和音の連打で終わります。
 ベートーベンの交響曲というだけでなく、その緊密な構成から、この曲の第1楽章に対する楽曲分析は多くなされていますが、おもしろいのは冒頭の主題が最初と繰り返した後の2回目とでは違うという説です。最初にタタタターンとやる時にはタタタが1拍目の強拍、ターンが2拍目の弱拍に聞こえますが、もう一度最初に戻ってきたときには繰り返し記号の前との関係から、タタタがひとつ手前の2拍目、ターンが1拍目に聞こえる、つまり弱起(アウフタクト)の動機に変化するというのです。楽譜を見ても、演奏を聞いてもたしかにその通りですが、問題はベートーベンが意識してそうなるように作曲したかどうかです。みなさん、どう思われますか?
 この曲は演奏される回数も多いこともあり、数々の逸話が知られています。棒が見にくいことで有名なある指揮者が、出だしをあわせるために舞台上で小さく4拍振るから5拍目で出るよう打ち合せたが、4拍と5拍の間でわからなくなり、結局合わかったとか、「運命」と「田園」の演奏会で、1曲目は田園だったが、指揮者が勘違いして運命を振るつもりで登場してきたところ、一部の奏者は、指揮者の気魄で間違いに気付いた。等々……。また、初めての宝くじの当選番号抽選会で、抽選前の記念演奏として「運命」が演奏されたのだそうです。宝くじをにぎりしめて詰めかけた人々が運命を聞いている図を想像してみてください。
(455)

交響曲第5番
 もうこの曲の説明はいらないとも思えるほど有名な、「運命交響曲」です。最初の「ジャジャジャジャーン」をベートーヴェン自身が「運命はこのように扉を叩く」と言ったという話から、この曲は運命という名前で呼ばれ、深刻な曲という印象がありますが、本当は、そういう感情的なものとは関係なく、音を素材とした緻密な構成を目指した曲と考えた方がいいのです。
(497)


交響曲第7番
 この曲は、リズムに特徴があります。後にリストは「リズムの神化」、ワーグナーは「舞踏の神化」と評したそうですが、中にはこの曲はベートーヴェンが酔っぱらって作ったのだろうと言った人もいたようです。
 第1楽章は、ゆっくりとした序奏ではじまります。フルート・オーボエとヴァイオリンの掛け合いのあと、テンポが速くなってこの楽章のリズムである速い「ターンタタン・ターンタタン」が出て、主部が始まります。
 第2楽章は、ゆっくりとした「タン・タタ・タン・タン」というリズムが基本になっています。最初、ヴィオラ・チェロ・コントラバスで始まり、楽器が次々に参加していき、新しい楽器に旋律をバトンタッチした楽器は、代わりに美しい対旋律を演奏します。中間部で長調になったあと、再び短調に戻ると、今度は細かく刻まれた旋律と対になって主題があらわれ、盛り上がった後、静かに終わります。
 第3楽章は、本来は3拍子の舞曲のメヌエットの楽章でした。モーツァルトの「プラハ」では省略されていたやつです。しかし、ベートーヴェンは、第2交響曲からこのメヌエットの楽章を速い3拍子(とても速いので3泊を1つと考えて演奏します。普通は4小節単位でできているので、4拍子の曲のように聞こえます)のスケルツォという形式で作曲しています。間にすこしゆったりとした中間部をはさんで、前後に超スピードの主部がある3部形式の楽章です。
 第4楽章は、これでもかこれでもかというくらいに、とにかくエネルギッシュな楽章です。旋律を第1ヴァイオリンが弾くのですが、残りの楽器はすべて伴奏のリズム。それも金管と木管がずれて、アクセントのついた音を吹くだけ。旋律が聞こえないかも知れません。
 以前、晩年のカール・ベームが日本にやってきたとき、すでに立って指揮ができないので指揮台の上の椅子に座ってこの交響曲を指揮したのを、テレビで見たことがあります。もう足腰が弱って、歩くのもやっとだったのですが、この4楽章の途中で、名指揮者は目を爛々と輝かせ、一瞬、椅子から腰を上げて指揮をしました。感動しました。
(泉10)


交響曲第9番
 日本の年末の第九演奏ラッシュも、聴くことを通り越して歌うことがすっかり定着した感がありますから、東西ドイツ統一を祝って開かれた演奏会で演奏されたのがこの第九だということに今更ながらこの曲の存在位置というか価値というかを再認識したという、御当地ドイツ人から見れば主客転倒もはなはだしい変な感慨も、感じたのは私だけではないと思います。
 現在では、合唱が入っている交響曲はさほど珍しいとは言えませんし、また演奏時間が1時間を超える大曲という点でも珍しくなくなりました。とはいえ、ベートーベンの第九が何か特別な存在でなくなったというわけではありません。それはちょうど東京ドームや横浜アリーナが出来たことで東大寺の大仏殿の価値が下がらないのと(どうも挙げる例で筆者の品性が測られてしまいそうですが)同じことです。
 マーラーやリヒャルトシュトラウスなどの大曲は、演奏するオーケストラの巨大さ、つまり表現手段の大きさに即した大きさであると言えます。またブルックナーの交響曲(シューベルトの「グレイト」も)は、主題の大きさ(つまりは部品の大きさ)によって生じた大きさということができるでしょう。ところが、ベートーベンの第九はオーケストラの編成は決して大きくありません。実際に演奏するオーケストラの人数が多いとしても、それは音量の面と、体力的な面での補強であり、演奏パートの数は多くありません。さらに、構成部品は大きいどころかぎゅっとつまっていて複雑です。ベートーベンの交響曲の構成部品、すなわち動機ですが、その凝縮度で有名なのは第5交響曲でしょう。第九は「運命」の約2倍の演奏時間を要しますがその密度は優るとも劣りません。ここで密度といっているのは、時間あたりの変化の量とでもいいましょうか。例えば英雄の第1楽章の主題は結構のどかですし、同じパターンの繰り返しです。長い時間変化がないわけです。運命の第1楽章の主題は単純そのものですが何しろ短いので変化が激しい。第九の場合は主題は長いのですが大きな繰り返しがなく、どんどん変化していく。そして音符の数が多い。とにかく音符が多い。このような細かい部品で大きなものを組み立てるのですから、その構造は非常に複雑にならざるを得ません。
 この曲の初演の際、指揮をした作曲者が演奏終了後の聴衆の喝采に気付かなかったという逸話は有名です。つまり、ベートーベンは第九の実際の音を聞いたことがないわけです。このことは演奏効果の点で、旋律が伴奏に消される等の明白な欠点となっています。しかし、ちょうど日本の詩が五七調等のリズムを捨て、さらに朗読という表現手段さえも捨てて、目で読む詩へと変わっていった過程で、詩自体が異質なものへと変化したのと同じように、耳で聴くこと、つまり耳の快さを無視した音楽は、一種の「凄さ」を持っています。第4楽章冒頭の音形は、出てくるごとに最初の和音に音が加わり、最後には音階の全ての音が同時になるのですが、これなどは耳の快さの無視の表われではないかと思います。
 第九は、宗教音楽である「荘厳ミサ曲」に続いて作曲されました。初演も同じ演奏会においてなされました。ベートーベンの心の中でキリスト教がどのような位置を占めていたかはわかりません。また、キリスト教徒ではない私には、その教えがどの程度の喜びをもたらすのかもわかりません。果してベートーベン自身が作詞した最初のバリトン独唱の「おお、友よ、このような音ではなく、もっと快い、もっと喜びに満ちたものを歌おう」という言葉の中の「このような音」の中には「荘厳ミサ」が含まれていたのでしょうか。それとも逆に「もっと快い、もっと喜びに満ちたもの」が荘厳ミサの世界なのでしょうか。
(468)


交響曲第9番ニ短調
 ベートーベンは、 第5交響曲ではあのたった4つの音からなる主題で第1楽章を作曲していますが、 第9の第1楽章の主題は、 なんと19小節にもわたっています。冒頭、 もやの中から垣間見える稲妻のような音型がだんだん大きくなっていった後、 突然全オーケストラによって始まり、 またもやの中に消えるように終るまでがそれです。この長大で複雑な主題を用いた楽章は、 必然的に巨大なものにならざるを得ません。第1楽章は交響曲にとっては顔であり、 第4楽章にひけをとってはならないものですが、 この楽章は、 あの第4楽章と較べても決してひけを取らない大きさと密度を持っています。
 第2楽章はスケルツォです。全体はスケルツォ−トリオ−スケルツォの大きな三部形式ですが、 前後のスケルツォ自体はさらにソナタ形式になって、さらにその主題はフーガで呈示されるという、 何重にも重なった形式を持っています。オクターブの跳躍をするターンタタンという音型がほとんど常にどこかの楽器に現れていて、 ティンパニでさえこの音型のためにオクターブに調律され、 ソロをも受け持ちます。また、 速度が非常に速く、 1小節を1拍に数えるので、 3小節単位の部分は3拍子、 4小節単位なら4拍子というように拍子が自由に変っていきます。トリオの部分は、 レガートの主旋律とスタカートの対旋律によってできています。
 第3楽章は、 4拍子と3拍子の2つの旋律がロンドのように交代で現れます。旋律は現れるたびに変奏されていきます。天上の音楽とでもいうべき美しさと清らかさを持った楽章です。
 第4楽章は最初に1楽章から3楽章までの主題がすこしずつ出てきては低弦に否定されていき、 最後に 「歓びの歌」 が出てきても、 すぐ低弦に否定されてしまいます。しかし、 否定した低弦自身がおずおずとこの主題を演奏しはじめます。一旦管弦楽だけでクライマックスに達すると、 独唱バリトンが 「おお、 友よ、 このような音ではなく、 我々はもっと快い、 もっと歓びに満ちた調べを歌おう。」 と呼びかけ、 それに応えて独唱・合唱・オーケストラが歓喜の歌を謳います。
 独唱・合唱の歌うテキストはシラーの 「歓喜に寄す」 の一部ですが、最初の呼びかけはベートーベンのものです。また、順序も入れ違っています。ですから、 シラーの詩に作曲したというよりも、シラーの詩を使って作曲したといえるでしょう。
(以下に歌詞)
(476)


交響曲第9番
 もう、この曲に関しては解説の余地がないほど有名な曲です。とは言え、何も書かないわけにはいきません。
 第1楽章は、巨大なソナタ形式の楽章です。演奏時間は飛び抜けて長いという訳ではありませんが、音符の密度がすごく高いのです。細かい音符がずっと続いてこの長さなのですから、たぶん音符の数を数えれば、優に他の交響曲全体分くらいはあるでしょう。つまり、音楽がぎっしりと凝縮されていて、しかもこの長さなのですから、巨大という以外にないのです。
 第2楽章はスケルツォです。全体はスケルツォ・トリオ・スケルツォの大きな三部形式ですが、前後のスケルツォ自体はさらにソナタ形式になっていて、その主題はフーガになっていると、何重にも重なった形式を持っています。スケルツォの部分は速い3拍子で、オクターブの跳躍をするターンタタンという音型がほとんど常にどこかの楽器に現れていています。トリオの部分は、レガートの主旋律とスタカートの対旋律によってできている2拍子です。
 第3楽章は、4拍子と3拍子の2つの旋律が交代で現れ、4拍子の旋律は現れるたびに変奏されていく、大変美しい楽章です。
 第4楽章は最初に1楽章から3楽章までの主題がすこしずつ出てきては否定され、最後に「歓びの歌」が出てきても、否定されてしまいます。しかし、否定した低弦自身がこの主題を演奏しはじめるのです。そして独唱バリトンの「おお、友よ、このような音ではなく、我々はもっと快い、もっと歓びに満ちた調べを歌おう。」という呼びかけに応えて、独唱・合唱・オーケストラが歓喜の歌を謳います。
 シラーの「歓喜に寄す」の一部分を取ったこの歌詞は、題名の通り人間の歓びを謳ったもので、信ずる宗教にかかわらず感動できるものです。そんなところが日本でも大きな人気を得ている原因の一つでしょうね。
(492)


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