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プルラリズムについて

ノーザンディクテイターの会の支援馬の1頭であるプルラリズムが2003年8月31日に亡くなりました。
会の会計であり、静内在住の幌村さんから会員宛に送られたお手紙を紹介します。



皆様、お変わりなくお過ごしでしょうか。
いつもノーザン会へのご協力本当にありがとうございます。
今回は会員の皆様に悲しいお知らせをしなければなりません。
プルですが、8月2日に渡辺牧場に移動してから、時々いれ込む事はあっても少しずつ新しい環境にも慣れて来たようで安心していたのですが、突然容体が急変し31日午後3時に安楽死をさせました。本当に突然の事で会員の皆様も驚かれた事と思います。

27日に渡辺牧場からプルが腹痛を起こしたとの連絡が入りました。すぐに共済の獣医さんを呼んでくれて治療をしてもらったのですが、その後も何度か人間でいうてんかんの発作のような感じで立ち上がっては倒れるという状態で、その度に壁とかアミにぶつかるので眼の上のふくらんだ部分が切れてしまい、ホチキス(今の獣医さんは糸の代わりに使うようです)で止めたのですが、発作の度に同じ所をぶつけてしまうのですっかり顔も傷だらけになって変わってしまいました。

その後も度々発作が起きるので、渡辺さんも色々考えて内科で有名な獣医さんを呼んでくれました。診察してもらったところ、お腹ではなく尿毒症かも知れないという事で、すぐその治療を始めてくれたのですが、やはり発作は治まりませんでした。血液検査もしてくれたのですが、土・日曜日が間に入り、結果は月曜日になるということでしたが、あまりにも発作の状態がひどいということで、30日に会長の牛尾さん、副会長の山田さんと渡辺牧場で待ち合わせて話し合いました。私は29日にもプルの発作を見ていましたので、このような状態が続くのであれば安楽死の事も考えなければいけないのかと感じていました。

尿毒症の治療をしているのに効果が見えず、こんなに苦しむなんて何か他の病気なのではと思っていましたが、渡辺さんに馬の医学書を見せてもらったのですが、プルの状態が脳腫瘍の状態と似ているのです。解剖して見ないとわからない事ですが、プルの頭の中で何かが起きているようでした。

渡辺さんもプルの馬房にカメラを付けて夜も寝ないで見ていてくれていたのですが、30日の午後6時30分から31日の昼過ぎにかけて13回もの発作がありました。獣医さんのお話でも治る見込みはないとの事です。治る可能性があるのであれば出来る限りの事をしようと思っていましたが、発作の苦しみに暴れ回るプルを見ていて、31日も来てくれていた山田さんとプルのためにはどうすればいいのか話し合いました。

そして、苦渋の決断ですが、これ以上生かしておくのはプルのためにはならないのではという事になりました。会長も助からないのなら少しでも早く楽にしてあげてほしいと言っていましたので、渡辺さんにお願いして獣医さんを呼んでもらいました。獣医さんが来た時も発作が起きた後で、疲れきって横になっていました。鎮痛剤を打たれ、落ち着いてから麻酔を打たれて眠るように日高スタリオンの場長さん夫婦、山田さん夫婦、山田さんの息子さんの家族と、たくさんの人達に見送られて天国へと旅立って行きました。

山田さんと、プルの傷だらけの顔とか身体を拭いてあげながら今までの事を色々と思い出しました。このてんかんのような症状は日高スタリオンにいた時からたまに出ていたようです。移動によって環境が変わったストレスもあって発作の回数が増えたのか、徐々に病気が進行していたものが急激に変わったのかわかりませんが、頭に病気を持っていたのであればいずれはこういう状態になっていたのだろうと思います。

プルが死ぬ時は腹痛のためだろうと思っていましたが、まったく考えていなかった違う病気で安楽死をさせる事になるなんて思ってもいませんでした。本当に残念です。

プルを引き取ってから5年9ヶ月。ノーザン会の会員の皆様の愛情に支えられて、プルは幸せだったと思います。渡辺牧場には1ヶ月足らずしかお世話になれませんでしたが、ご主人様、奥様には本当に良くして頂いて感謝しています。子供さん達もプルを可愛がってくれました。ヤンチャ坊主だけど甘えん坊のプルでしたから、人の愛情が一番うれしかったと思います。

会員の皆様も長い間プルに余生を送らせて下さいまして本当にありがとうございました。

でも、ノーザン会にはもう1頭、サクラロータリーがいます。今は天羽禮治牧場の分場で広い放牧地に放してもらい、幸せいっぱいに毎日を過ごしています。これからもロータリーのためにご支援をお願いしたいと思います。

プルは渡辺牧場の馬の墓地に9月1日に埋葬してもらいました。寝藁をひいて、馬服と寂しくないように馬の人形も入れてあげました。たてがみは静内スタリオンとレックスの前の馬魂碑にも入れてもらえるようにお願いしました。プルの墓石も作ってくれるとのことです。会員の皆様もこちらに来ることがありましたらお参りしてあげて下さい。

それでは、お身体に気をつけてお過ごしください。

平成15年9月2日



・・・このお手紙を読んで、私は涙が止まりませんでした。
プルラリズムの死は悲しいことで、高齢の部類に入る23歳とはいえどまだ死ぬには早い年齢なのでとてもとても残念に思います。
しかし、プルラリズムは今までたくさんの人々に愛され、見守られ、他の多くの馬達よりも長生きしました。プルの馬生は、きっと幸せだったと私は信じています。
ちなみに彼の死に際し、駆け付けてくださった日高スタリオンの場長ご夫妻とは、以前のプルの預託先の場長ご夫妻です。前の預託先の方にまでこんなに愛していただいて、本当に素晴らしいことだと思います。
自分自身にとって馬を引き取るということが身近になった今、私にはプルを看取るということを決断した牛尾会長はじめノーザン会役員の方々の、その時の辛さが身に染みてわかるような気がします。
愛する馬を看取るのはどんなにか辛いことだろうと思います。どれだけ涙が流れることでしょう。
同じように高齢の馬を看取られた方のこんな言葉を見かけたことがあります。「どれだけ尽くしても、やっぱり後悔は残ります」。これは、本当に、本音だと思います。でも、尽くしても尽くしても尽くしきれないかもしれないけれど、どんなに長生きしてくれても別れは辛いと思うけれども、愛する馬とともに生きた時間が長ければ長いほど、その馬に関わる人は幸せでいられると思うんです。
稼ぐことのない馬を養うことはお金がかかります。はっきり言って人間には大きな負担がかかります。でも、馬は、生きることによって関わる人々に喜びを与えてくれます。ただそれだけのことですが、万難を排してでもその馬のために頑張ろう、と思うことが出来るほどの大きな喜びだと思います。
プルラリズムは、その馬生においても、その死によっても、いろいろな人にいろいろなことを教えてくれたと思います。心から、ありがとうと言いたいです。

プル、どうか安らかに。ロータリーを護ってね。すべての馬を、護ってね。...from erika.

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