公共デザイン?
公共デザインを行政組織がおこなうものということになっています。
公園も公共デザインでありますので、役所のもの(役所がつくり、維持管理する)ということになっているのですがこれがどうもうまくありません。
現実に利用者に公園への意見を聞くと「同じような公園ばかりでつまらない、汚い、子供が小さいとき遊ばせていたが今は行かないのでわからない」
といった否定的な、もしくは「公園へのゆめ」とはかけ離れた意見を聞くことは普通のことです。
たいていの識者の言葉も「利用者と作る側でのずれがあるのではないか」が常套句です。
これらの現実は「公園」という言葉自体のもつ豊で明るいイメージとおおきな落差をつくっています。
いったいどうしてなのでしょう。
限られた予算の事を考えると今は満足できなくとも仕方がない部分もあると思います。
なにより利用者の税金でつくられるのですから、待つのが必要なら、待つのは当たり前のことです。
模範とする西欧の都市計画は日本よりずっと長い時間をかけてできあがったものと聞いていますから待つのも一つの方法でしょうがそれ以外に方法が無いか考えてみたいと思います。
公園は大ざっぱには行政により様々な試みや、研究、調査の中で作られてきました。
そして見栄えのいい、叉は聞こえのいい企画が組織内部ではとおりがいいのでどんどん実行されてきました。
しかし、当然ながらどんな企画も実施の方法が適当でないと期待される効果が得られません。
ファッションやヘアデザインだとはっきりしていますね。
意図はどんなに新鮮でも本人にうまくあわせて実現しないと滑稽そのものです。
公共デザインが例外ということはあるはづがありません。
特に公園は個人として利用し、自分の居心地好さを求めるのが基本ですからその点では、ファッションやヘアデザインと区別はないと思います。
しかし、ここで現実的に大きな壁につきあたることになります。
見栄えのいい、叉は聞こえのいいというのはひとつの意思決定の際の評価のことですが、デザイン全体はとても量り難いものです。
ともすれば現実の業務の能率上、量りがたい部分は後回しに、評価のしやすい部分が重視され、独り歩きしてしまいます。
もう一度言いますが量ではかることのできないデザイン自体一般的に大変評価の難しいもであるのは常識と言い切っていいと思います。
先のファッションやヘアデザインに対しても、本人及び、付き合うグループの間での評価と、それ以外の人の評価が一致しないのはパンクや茶髪で経験済と思いますがいかがでしょう。
唯一の現実的に機能している評価手段は自由競走の中での利用者による取捨選択です。
ところが公共事業によるデザインの場合、この取捨選択がうまくはたらきません、もしくは取捨選択を読み取る方法がありません。
行政には詳しくありませんが、デザインのように費用効果の判定の難しい事業で税金をつかうのは珍しい部類にはいるのではないかと思います。
建築やファッション産業、自動車や家電製品等のプロダクツデザインにしろたいていのデザイン業務は民間消費が主となっています。
もちろん、行政のおこなう事業もすくなからづありますが、メインが民間ですからデザイン作業自体は経済的な競争のなかで強制的に切磋琢磨がおこなわれ、経済価値とのバランスの中で具体的な生活の中で必要な程度のデザインのレベルは保たれます。
保たれていないという人もいますが少なくともその時の文化レベルにつりあったデザインが保たれているとはいえると思います。
公園のような公共事業によるデザインの場合、利用者の評価が伝わるシステムはありません。
したがって当然ながら決定機関でもある行政内部でもデザインを評価し(経済的に!)反映するシステムもありません。
したがってデザインの良し悪しが将来の社会にフイードバックされることはなく、デザイン行為自体の存在が忘れ去られてしまいます。
もちろん、利用者の替りに行政組織が評価をおこなうしくみにはなってはいますが、その評価の難しさは現実に機能できる範囲を越えていると考えるのが関係者の正直な感想であると思います。
結果的にデザイン全体の評価ではなく評価のしやすい一面のみのの評価が独り歩きし、ほとんどデザインの検討抜きに遂行されてしまいます。
デザイン無き公共デザインでは始めから期待することもできません。
更に行政組織の認識と利用者の認識との間のずれも不可避です。
現実の様々な利用のパターンを行政組織が試してみることなど全く不可能のことです。
行政組織の認識が利用者の認識とずれているかもしれない条件で、しかも利用者の評価が伝わらず修正の機会もなく、どんなに情報がそろっていても難しい評価を行政でせざるを得なくなります。
もしくは量れる部分以外、全く評価を放棄してしまうかです。
どちらにしても公園が利用者に喜んで使われている風景とは縁遠い事業遂行でしかないのではないのでしょうか。
現実には、求める夢の強さと利用者の柔軟性から、偶然うまくつかわれることも結構あるのですが、一般論としては私たちが多く目にしてきた風景が答えであると思います。
公園の建設、管理の基本的な仕組みに問題があると思います。
現在のシステムは模範とした西洋の仕組みかもしれませんが、日本ではうまく機能していないように見えます。
公園が作られ、維持管理される仕組みがうまく機能しないと利用者が離れ、更に悪いほうへ加速していくのは御存知の通りです。
新しい公園作りのシステム、管理システムを作る必要があるのではないでしょうか。
公園が西洋からの輸入だからといって日本独自の方法でやることを遠慮する必要はないのです。
交番のように日本発の「市民生活利便施設」の例もあるのですから。
さて最後にもう一度まとめますと、ここでは
現実の公園は言葉の持つイメージに反しつまらないと思われるていることがすくなからずある。
その原因としてデザインの過程がうまく機能していないこと、管理者と利用者の認識のずれが生じやすいことが指摘でき、
行政が利用者に替りに評価、意思決定するシステムに基本的な問題があると考える。
後は次回以降に述べていく予定です。
●企画だけではなく、個々の現場に合わせてデザインを遂行できるシステムの模索。
●利用者が直接、維持管理し、評価を建設計画に反映できるシステムへの出発点。