最後に

 今回の原稿で私の担当は最後となる。振り返ってみると書きたくて書けなかった話題も随分あった。ギタリストと言う肩書きがついているので、音楽やギターについてのお話を期待されていた方も多いと思うが、純粋に音楽やギターについて述べた回は少なかったのではないかと反省している。
 とにかく、今は何かしら書き始めると頭に浮かんでくるのは、政治のことや日本経済の先行きのことばかりで、話もついそちらの方向に進んでしまう。何しろ日本人には本当の意味での危機意識が欠如している。このまま、今までの延長で世の中が進んでいけば、社会はどん底まで落ちてしまうのは目に見えていると、つい焦ってしまうのだ。
 しかし、先日、作家の五木寛之氏がラジオの番組で昔ソ連に滞在したときの話を語っていたが、その話を聞いてちょっと考えが変わった。
 五木氏がソ連滞在中にモスクワでコンサートに行ったときの話だ。お国の作曲家チャイコフスキーが演奏されると、彼の席の近くに座っていた老人が、大泣きし始めたのだという。後でわかったことだが、その老人はロシア革命の最中に行われたコンサートで同じ曲を聴いたのを思い出したというのだ。そこで五木氏がショックを受けたのは、ロシア革命の最中、街のいたる所に死体がごろごろと転がっているという状況の中で、しばしばコンサートが開かれていたという事実だ。なんという価値観の違いだろう、日本人には考えられないことだ。
 ロシア人は日本人にはかなり理解し難い面を持っている。戦時中には不可侵条約を平気で破って満州に侵攻してきた。また、北方領土問題にしても日本人には納得のいかないものである。しかし、一方で超一流の音楽家を何人も輩出している。
 ロシア人にとって芸術は単なる心の慰めではない。真実を感じさせてくれるものなのだ。だから世の中が荒れると、より真実を求める心が強くなり同時に芸術を求める心も強くなる。我々日本人もロシア人を見習い、周りの状況をただ嘆くのではなく、芸術に心を通わせたいと思う。そうすれば、芸術は何かしらの力を我々に与えてくれるに違いない。
 最後になるが、このコラムが掲載されてから、たくさんの方々から連絡をいただき励ましていただいた。皆さんに感謝申し上げたい。また、ラフォーレギターシンフォニアに対するご質問も多く頂いた。こちらの方はラフォーレのホームページをご覧になって欲しい。



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