世界がもし100人の村だったら

 最近はクラシック音楽ブームなのだそうだ。癒し系音楽がもてはやされる中、クラシック音楽のCDも売り上げを伸ばしているという。そこで、最近売れているというCDを何枚か聴いてみた。共通しているのは、演奏者はそろって美男美女だ、ということである。ポピュラー音楽で、ビジュアル系などと言われる人達が脚光を浴びたが、それがクラシック界にも伝染したのだろうか。しかし、残念ながら僕が聴いた中には、深みのある、心に訴えかける、本当の意味でのクラシック音楽は一つもなかった。
 もちろん、CDは売れなければ何にもならないので、レコード会社とすれば、大衆が求める売れる音楽を出し続けるということは仕方のないことなのかもしれない。しかし、そんな中で本当の意味でのよい音楽、素晴らしい音楽が、忘れ去られてしまうのではないか、と懸念する。
 政治の世界にも同様のことが言えそうである。
 先日の田中外相の更迭劇には、少なからず驚かされた。ここは政治を批判する場ではないので、それは避けたいと思うが、それにしても納得のいかない結末であった。真実はいったいどこにあるのか、と言いたくなる。「長いものには巻かれろ」と言う諺がある。よい意味に解釈することも出来るが、日和見的な日本人の体質を如実に表した言葉ではないかと思う。国会の審議をストップさせたという責任はあるとしても、長いものに巻かれず、自分の真実を押し通した田中前外相には、心からエールを送りたい。
 また、フランスに滞在したとき、日本人として何か役に立つことは出来ないかと、あるNGO組織のメンバーとなり働いたことがある。NGOのメンバーはほとんどがボランティアであって、自分の時間とお金を使って働いている。みんなが、何か世界の役に立ちたいと願って働いている。そんな純粋な人達の思いが最後まで踏みにじられなかったことも、本当によかったと思っている。
 老子の言葉に「小国寡民」というのがある。国は小さく、国民は少ないほうがよい、という意味である。国が大きくなると、不正がはびこり、政治に腐敗が生じ、真実がないがしろにされる世の中になるというのである。一見消極的な言葉と思えるが、最近の世界情勢を見ると納得せざるを得ないところがある。
 世界がもし100人の村だったら、本当に良いもの、そして真実が、尊重される世の中になるのかも知れない。



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