山登り
  
 最近、友人に誘われてよく山に登る。まだ、初心者なのでハイキングに毛の生えたようなものだが、これがまた結構楽しい。山に登る前の日などは、リュックに食料などを詰めていると、小学校時代の遠足のことを思い出し、何やらウキウキとした気分になる。
 12月の初め、仲間7人と船形山に登った。自分にとっては4回目の登山である。6時半に仙台を出発し、8時に登山口の大滝キャンプ場に到着。さすがに平地とは違い、かなり寒い。寒さが身体の心まで染み込んでくるようだ。これから先のことを思うと、やや気後れするが、空気が澄んでおり船形山の稜線が、はっきりと見えた。頂上は晴れている。様々な思いが交錯するが、とにかく頂上を目指して歩き始める。
 登山道は積もっていた雪が溶けて、いたる所ぬかるみになっていた。足を取られないように注意しながら、歩を進める。足元ばかり注意していたので、何度か木の枝に頭をぶつけ、痛い思いをした。
 そして、最後のかなりきつい坂を登りきるといよいよ頂上だ。そこで生まれて初めて霧氷というものを見た。霧氷とは空気中の水分が寒さで、木の枝に凍りついたものだ。朝日に映え、きらきらと輝いていた。この光景を見ただけで、「今日来てよかった。」と思えた。しかし、頂上からの眺めはもっと素晴らしかった。運良く快晴で、360度の大パノラマ。南は蔵王、北は遥か彼方に秋田の鳥海山まで見渡せた。千メートルちょっと登っただけで、こんなに遠くまで見えるものなのか。正直言って驚きだった。
 ベテランの方には、こんなことは当たり前かも知れないが、山登りは初心者の自分にとって驚きと感動と新しい発見の連続だ。こんなに心を動かされることは日常生活ではあまりない。下界のこと、煩わしいことは一切忘れて、夢中になって一歩一歩を踏みしめ、前に進むことだけを考える。体力的には、かなり厳しい時もあるが、頂上にたどり着いたときの充実感がそれを帳消しにしてくれる。 思うに、人は非日常を経験することによって、これまでの自分の生活や人生観、価値観を見つめ直すことが出来るようになる。とかくストレスのたまりやすい現代社会。日常にうずもれ、溺れそうになった自分を別の視点から見つめることにより、解放することが必要に思える。それが、今の自分にとっては、山登りなのかもしれない。

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