シックス・センス 

 脚本・監督:M.ナイト・シャマラン/出演:ブルース・ウイリス/
   ハーレイ・ジョエル・オスメント/
   トニ・コレット/オリビア・ウィリアムス/
 
 何の予備知識もなく、買い物ついでに何となくぶらっと・・・・
観てきたのですが、
なかなかよかった。お薦めでーーす!!
 少年も、児童精神科医のブルース・ウィリスもgoodでしたが、
なんといっても、少年のおかぁさん役の「トニ・コレット」が、
離婚して後、頑張って難しい情緒の息子と暮らし、疲れといらだちを見せながらも、
真摯に子どもと向き合い、ちゃぁんと、あんたを愛してるんだからね!!
ってリアリティーをよ〜〜く出していて、うまいなぁと、思いました。

 「新感覚スリラー」って感じで捕らえるのはもったいないな。
 たまたまそういう感知能力に優れていた子が、自分の内部を覗く精神状態から、
さらにその感覚が研ぎ澄まされていっただけで、極端に云えば
誰にでもおこりうる、視る、出会うことができるかもしれない。
 そういう目でじっくり見ると、とっても素直にストーリーに入っていける。
 (癒し)を全面に出した映画に感じました。
 この映画の舞台「フィラデルフィア」育ちだけれども、
インド生まれの監督ならではのモノがでていると思う。

 救えた子もいれば救えなかった子もいる・・・・そういう精神科医の
日々の仕事の積み重ねの中、
 かつて少年だったビンセントが、精神科医の家に押し入り、
「助けてくれなかった」と、
泣きながら彼を撃ち、自分もその場で自殺してしまう。
 そのことは彼にとっても、居合わせた妻にとっても大きな傷となり、
「何故彼を救えなかったか」いつまでも 心に シミのようについている。
そんな事件の一年後、
少年「コール」に接することとなる・・・・(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)
 「今度こそ何とか助けてあげたい」
 そうすることでしか、精神科医としての自分も癒されない。
 その一生懸命な真面目さが、少しづつ少年の信頼を得ていく・・・・・・・・・
 けなげに、母を心配させまいと、心の内でがんばり続ける少年の姿は、
胸を締め付ける。
 そして、親子でありながら、養う・養われるを越えて、
お互いの心を支え合う母子に、何だか胸がジーーンとしましたね。
 (できそうで、でも、、ここまで気持ち的になかなか濃密な関係、
やっぱり、できない・・・というより、表せないだけかもしれない・・・)
 
 あぁ、ブルース・ウイリスみたいな熱心で素敵な精神科医と、
ホントにゆっくり夢の中でいいから、お話ししてみたいわ。
 奥さん役のオリビア・ウィリアムス、とっても知的な雰囲気の美女でした。
 ちょっと神経が細いかなって、出だしだったので、
彼女も元は彼のクライアントの一人だったのかな??って思いながら観ていたけど、
どうなんだろう?・・・・・・・
 夫婦愛は、私には観ていて も1つピーーンと来るモノがなかった。
 でも最後!!・・・・・・・で、
ちょっと納得かな・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 これから観る人の為に、詳しくかけないけど、
            シャーマン映画&愛を求める映画としてご覧下さい。                      (11/21シネコンにて)

馬喰一代(ばくろういちだい)
 

監督・脚本:木村敬吾  出演:三船敏郎/京マチ子/志村喬/菅井一郎/
(1951年.大映東京)
 最近古〜い映画を続けてみています。日本のは使っているフイルムの質が悪くて?
喋っている音声がこもったり、映像が暗くて画面が
わかりにくかったりもありますが、その時代時代の意気込みや良心をかいま見るようで、
いやぁ、なかなかおもしろいです。
 若い三船さんがおもしろ〜〜い!!こういう配役をやらせたらピカイチ!!ってかんじ。
他の人では出せない味があって、最高に楽しめる。

 大正末期か昭和初め頃の北海道北見の厳寒の地で、
貧しい「ばくろう」たちが馬を育て、それを
仕事馬として、競走馬として売って生計を立てている。
 市みたいなのがあって、馬を売る時期というのは年一回のようだ。
 いっぺんに入る大金を しかし、借金や ばくち 気前の良さで 
み〜〜んな使っちゃう面々・・・・・・・・・・
 お人好しで、あけっぴろげで、飲んべえで、ばくち好きで、
だからいつまでも貧乏で、仲間意識が強くって・・・・・
 上手く生きることに四苦八苦している私たちには、不器用に これしかできなくって、
この生き方を貫き、豪放でかつ情の深い、
古い時代の歴史の一齣に生きた人々に 
生命の胎児の時代を見せられているような気がする。
 その「ばくろう」の中でもピカイチの乱暴者の三船が、妻に死なれ、
元々乱暴者の陰に隠れていたふかあい情の部分が前に出てくる。
 妻の遺言書「太平(幼い息子の名)をよろしくお願いします」となけなしのお金から
なお、彼の性格を見抜き、許し、愛しながら わずかずつためた
へそくりに添えてあった「太平の学校に行くお金に・・・」
その紙を握りしめて泣く三船。 
 病弱だった妻の死とその願いを前に、
素直にその願いをまっとうしていく姿が良心の押しつけじゃなくて、反省でもなくって、
ただ、情念そのままって感じが何とも云えず、胸をあつくする。
 京マチ子が、三船を慕う宿屋(ばくち場?)の女将の、気っ風がよくって、情があって、
けなげさもある、男を思う一途さをうまく出していて、
おもしろかった。
 ラストシーン、ばくろう仲間のさりげないしぐさ、馬で汽車を追いかける、
線路に耳を当てて見送る粗野な父の限りない情愛が
なかなかいいです・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(12/6 TV.衛星劇場より)

 フランス軍中尉の女  

監督:カレル・ライス/原作:ジョン・ファウルズ/
出演:メリル・ストリープ/ジェレミー・アイアンズ/
   リンジー・バクスター / 1981年イギリス
 「アナ、用意はいいかい」って、撮影開始の音と共にこの映画も始まる。
 撮影映画のラブストーリーと、その共演者2人の不倫関係の恋が、
芝居の中と外で一体化しているように進行していくという、
ちょっと おしゃれでおもしろい映画。
 19世紀のイギリスが舞台の、一人の人間=女の、情念を持て余しているエルネスティナという名の、
毎日、海の埠頭の先で、
遠くを見つめている女。
 彼女は、人付き合いを避け、「フランス軍中尉に棄てられた妾」という噂に甘んじている。
 知性も教養もありながら、情緒不安と、娼婦という噂のために、あるいは自尊心のため、
なかなか仕事がない。
 紳士淑女だけが理想の人間とされた時代の中、その窮屈な像を持たない、隠れた魅力を、
女優アナが演じ、その女優をさらにメリル・ストリープが演じてる・・・・・ってところがミソかな・・
 おとしこめられた自分の魅力を瞬時に見て取ってくれた化石学者チャールズ。
 悩みながらも(彼には裕福でかわいい婚約者がいた)正直さを取り、
婚約破棄までしたチャールズの気持ちを前に、己の不純に気づいて身を隠し、
そうすることで、さらに男の気持ちをかき立て振り回してしまうエルネスティナ・・・・・・・。
芝居の外のアナにも夫があり、チャールズ役で脚本にも参加しているマイクにも妻と子どもがいる。
ロケ地でしか、愛を交わせないアナとマイクの苦悩。
二人の関係を疑うそれぞれの夫と妻・・・・・・
 いいおんな、いいおとこが持ちうる愛の形の一面と思いやりをみせている。
ちょっと男と女の関係に風刺もあるかな?って感じる映画です。

    

 海の上のピアニスト 

監督・脚本:ジュゼッペ・トルナトーレ/原作:アレッサンドロ・バリッコ/
音楽:エンニオ・モリコーネ/
出演:ティム・ロス/プルート・テイラー・ヴィンス/メラニー・ティエリー/ビル・ナン
クラレンス・ウィリアムズ三世/ピーター・ヴォーン/

 「航海する船から ただの一度も下船しなかったピアニストの人生」
こんな新聞広告文に惹かれ、
正月、観に行ってきました。
 いったい、どんな人生が想像できるだろう・・・・・・。
 舞台は20世紀初頭のアメリカへの移民時代。
 豪華客船「ヴァージニアン号」の三等船室には、移住に夢を託す
沢山の人々が乗っていた。
 この映画の隠れた主役は、この大勢の画面の一こまにしか出ない、
名もない移民たち一人一人です。
 監督自身、シチリアの出身で、その地方からも多くの移民が出ていった
歴史があるようですから、
思い入れが深いのかもしれえないが、その愛情を強く感じた。
 だからこそ、養父のボイラーマン、親友のトランペッターのマックス、
あこがれの移民少女、楽器屋のおやじ等・・・・・・
どの人もステキで味があって、
脇役たちの個性、キャラクターがよく計算され活かされた映画だと思う。

 ヴァージニアン号のみんなが下船し、一等客用ダンスホールで、
掘り出し物の落とし物はないかと探していた、黒人機関士((ボイラー炊き)は、
グランドピアノの上にレモンの木箱に入って棄てられていた
主人公、1900(ナインティーン・ハンドレッド)
*時は1900年だったから*を自ら育てることにする。
 天涯孤独の彼にとって、ナインティーン・ハンドレッドを育てることは、
見つけた、生きがいだった。
 こうして、無国籍のこの世に存在しない、ナインティーン・ハンドレッドは、
移民管理局に拘束されることをおそれた機関士ダニーによって、
一度も下船することなく、ボイラー室の競馬新聞で字を覚えながら、
またそこの窓から海や港を眺めながら8歳になる。
 ダニーが仕事上の事故で急死。ボイラー室をはじめて出た彼は、バンドの音に惹かれ、
一等客用のダンスホールの前まで来る。
誰もが寝静まった夜。可愛いピアノ曲が・・・・・・
即興で弾くナインティーン・ハンドレッドの船上ピアニスト人生の始まりだ。
 孤独なナインティーン・ハンドレッドにとって、ダンスホールで弾くピアノは、
特に客の容貌からその人生を想像し即興で作っていくそれぞれの曲は、
弾き終わったら忘れていく
(バンド仲間に「また暴走が始まったぞ!!」ってほほえまれながら)
彼自身の空想の旅であり、
そのまま彼の人生でもある。
 そんな彼が惹かれた言葉=末娘以外の子どもと妻を伝染病で亡くし、
土地も失ったある農夫の言葉=「ずっと村で育った自分は、
はじめて海を見た。世界は広いんだ。海から大きな声が聞こえる、
人生は無限だって!ね」
 人生は無限・・・・それは陸地から海を見ないと聞こえない??
聞いてみたい、その声・・・・・・
 でも彼はタラップを降りることができない。
 「鍵盤は端から端まで88鍵。限られたものだから、自由に音を操れる。
でもいっぱいの道のある街の、
どの道を通ればいいんだ?」
 何とか、自分が手に入れられなかった、妻と子のある安定した陸生活を
させたがるマックスに言う。
 
 陸地でジャズピアノマンとして、その才能を伸ばさせたいと思う
トランペッターのマックスは、
どこに視線があるか解らない、捕らえられそうで捕らえることができない
ナインティーン・ハンドレッドを、
誰よりも愛しんでいたが、
その彼もナインティーン・ハンドレッドを変える事はできなかった。
 そして、偶然にも例の農民の娘であった少女への思慕の強い感情も、
彼を陸地におろすことはできなかった・・・・・・・・・・
 最後(1946年)、解体される船と共に天国へ行く決意をした彼。
 波の揺れに体と心をまかせ、88鍵を自由に操ることでのみ、生きることができる男。
 苦悩の表情も殆ど見せず、その中で、ひょうひょうと生きた彼は、
マックスにとって、親愛なる異星人だったかもしれない。
 私たちにとっては???・・・・・・・・・・・・・
 心の尺度でものを捕らえ心の内で遊びきったことが、
船上天才ピアニストを産んだのかもしれない・・・・・
 もともと、この原作戯曲は一人芝居用に作られたもので、
それに惚れ込んだ監督が、
劇場用に脚本しなおしたのだが、
 イタリアあたりではかなりの数、この一人芝居がヒットしていたらしいので、
原作を読むと、ナインティーン・ハンドレッドをよりよく理解できるかもしれない。
 劇場映画として楽しめる作品ではあります。       (2000.1.5 映画館にて)


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