マイセン幻想 

 監督:ジョルジュ・シュルイツアー/原作:ブルース・チャトウィン/
出演:アーミン・ミュラー・スタール/ブレンダ・フリッカー/
ピーター・リガート/  ’92.英・伊・独作品/

ヨーロッパの高級磁器=マイセン磁器の収集家、「フォン・ウッツ」男爵の
コレクター人生を描いた映画です。
 なんともいえない、不思議な魅力ある物静かな映画で、
ウッツにも その家政婦のマルタにも 孤高の人の厚みを感じました。

 子供のころ、家に一つあったマイセンの人形の置物を気に入ったウッツに、
祖母は「いつかはあなたのものになるから、待ちなさい」と。
 場所はプラハ。 1930年代はナチの手を逃れるユダヤ人から、
その前はロシア貴族から、時代の流れの中でドイツから あるいは
オーストリアから、集め続けたマイセン磁器は老いた今、
大きな照明付きガラスケース6つほどの中にぎっしり。圧巻だ。
 マイセン磁器研究家or収集家のフィッシャー氏に言わせれば磁器の百万長者だと。

 その一つ一つに息を吹き込むように愛でるウッツ。
 マイセンの置物をローソクをともしたテーブルの上で生きているかのように動かし、
しゃべり、芝居をする、幸せそうなウッツの顔。
 奇人といえなくもない彼を丸ごと認め、包み込むマルタの愛。

 情熱のすべてを、マイセン磁器と手にとらえられない女たちに注ぎ込んだウッツと、
とりたてて自己主張を何一つしないマルタの不思議な関係が
観るものにはタイトル通り幻想に感じられる。

 プラハの町と もの憂いコレクター男の不思議な風に
違和感も嫌悪感も感じない。
私にとっては夢の中で見たような、え・い・が。(自宅ビデオ鑑賞)

祝祭
 
監督:イム・グオンテク/出演:アン・ソンギ/オ・ジョンヘ/ハン・ウンジン/
    ’96韓国/

 日本の伊丹十三監督の「お葬式」の韓国版ですが、
「葬式」じゃなく「祝祭」ってかくところが、
なんだか映画の中身がまるで違うようでおもしろい。
 時代の急速な近代化、運命共同体的大家族から
核家族化、都市化しつつある背景をバックに、
苦労に苦労を重ねて今あの世に旅立つ母を送る「祝祭」
 儒教にのった葬式の儀式の流れに沿って間々に母や子供たちの過去の回想。
そして孫のナレーションが実は喪主である作家先生の
母に捧げる童話だったりして、けっこうアジア作品らしいあったかさ、せつなさ、
民族性を味わえる映画です。

 私たちにしても身につまされる思いがあるのではないでしょうか。
 やはり、母の苦労の上にあぐらをかいてっていうか、踏み台にして、
自分の人生を構築してきた、ありがたさとうしろめたさ。
 次代を担う子供たちにそんな私たちが残していってあげられるもの。
 先人たちの智恵を学び、受け継ぎ、何よりもその愛をつないであげること。
それを童話というクッションを入れて撮ったところもいいな。
 儀式としての「祝祭」の手順も興味をそそられました。
  ・遺体を整える(まるで着物を和紙でくるんでしまい込むようにそれはそれは丁寧に
   手、腕、各足等分けてしっかり包む)
   (死者に千石、万石いいながら3匙ほど食べさす)
  ・死を世間に告げる(風水師みたいな人も呼ぶ)
  ・祭壇の設置
  ・遺族を慰める儀式(歌や踊り、その町の一番の歌い手が呼ばれる)
  ・出棺の儀式(棺を喪興へ移す)
  ・葬儀後の儀式(親族全員での写真撮影)

 葬式とは 孝行と信仰の交差するところって言うセリフ、
やはり儒教の国でないとわからない言葉かなって思った。
 でも、痴呆症になったおばあちゃんの説明を子供に
「あなたはおばあちゃんから、年を、背を、智恵をもらって大きくなってるんよ。
悪いと思うんじゃなく、感謝して立派な大人になればいいんよ」
 「おばあちゃんは年とって智恵がいっぱいになったからそれがあふれて
愛情になるんよ」
 好奇心旺盛な年少期に小さくなった祖母をあったかく見ながら、
こんな本を読んであげられたら、よかったな。
 この童話世界のフィルターの奧の現実は、ねたみ、そしり、揚げ足取り、
罵倒、逃避なんかもあるけど、この絡みの人間愛を感じる映画でした。                                             (TV・アジア劇場より) 

 クワイエット・ルーム 

監督:ロルフ・デ・ヘール/出演:クロエ・ファーガソン/ポール・ブラックウェル/
セリーヌ・オラーリ/
1996:オーストラリア/イタリア作品

 両親の不仲、言葉の罵りあいに深く傷つき、失語症になった、
多感な少女(小学2年生?くらい)のこころの悩み、葛藤を少女の
ナレーションを多用して描いた映画。
 クラスの半数近くの子が週末を別居中の両親のどちらかと過ごす
(これは現実?ストーリー上の設定?)背景は、
『子供だって悩み、つかれちゃうのよ!!』という強烈メッセージかもしれない。
 なかなか女の子を上手く使って、おもしろい個性的映画になっている。
 家族って大好き、家族の輪のぬくもり、愛情の中に帰ってぬくぬくしていたいという、
楽しかった幼児のころへの強烈回帰願望が、うまくでている。
 今、コソボ紛争の中、
家族を亡くし、深く傷ついたこどもたちがどれだけいるだろう....

 別れる両親のもと、私の気持ちもわかって!!!という、こどもの強烈パンチ、
そして、不仲時の大人のいかに心の余裕をなくしているかが、よく眺められる映画。
自分はそんな風に子供を傷つけないよって言い切れませんものね。
 一度ご覧になっても良いかも^^;;*   (wowow鑑賞)

 ライフ・イズ・ビューティフル  

監督:ロベルト・ベニーニ/出演:ロベルト・ベニーニ/ニコレッタ・ブラスキ/
   ホルスト・ブッフホルツ/ ジュスティーノ・ドゥラーノ/ジョルジオ・カンタリーニ/  
  イタリア作品
’98/カンヌ国際映画祭審査員グランプリ受賞・第71回アカデミー賞主演男優賞/他

 この3月21日のアカデミー賞の模様をTVの前でだらだら眺めていたのですが、
主演男優賞をとったときのベニーニの全身で飛び上がって喜んで
いる姿は、応援に駆けつけたソフィア・ローレンの笑顔と共にとっても印象的でした。
 それと、なんといっても、この明快なタイトル「ライフ・イズ・ビューティフル」
生きることは美しい(人生は美しい)...に惹かれ、
映画館まで一人で行って来ました。
 祭日の朝、開始20分前に行ったのに、61席のミニシアターは満席。
しかたなく、立ち見で我慢です。(;^.^;A)

 1939年、イタリアのトスカーナ地方。本屋を開くつもりでグイド青年は
ホテルマネージャーをしている叔父を頼ってアレッツオの町へ来た...
 見終わっての感想?!?!
 人は、大切なもの、大事なものを追い求めて、懸命になる。
そして、それは 眺めるものたちを 改めて感動させ昂揚させてくれる。
 これをベニーニが見事に演出&演技していると思う。
 なんといっても、息子「ジョズエ」役の子供がかわいくって おまけにうまい。
妻役のニコレッタも、ユダヤ人強制収容所へ送られる夫と息子を
追いかけ、列車に乗せてもらうところからすごみが出てよかったし、
ユダヤ系のおじさんも上品で凛として、ドイツ人医師役のキャラクターも最高で、
上手く練った作品だと思う。

 これからご覧になる人も多いと思うので、内容は今あまり書かないでおこうと思うけど、
単なるヒューマニズムでも、啓蒙でもなく、「映画ってイイナ」って思わせながら
こんな風に「強制収容所」送りの重い時代の重いテーマを
重いままちょっとファンタジーに、
でも嘘っぽくなく、きっとこんな風に家族を思いながら、
みんな懸命だったって感じが切ないほどいっぱい伝わる、お薦めの映画です。        
只今あちこちで上映中。              ***5/9朝日シネマで鑑賞:
  

 BARに灯ともる頃  

監督:エットーレ・スコラ/出演:マルチェロ・マストロヤンニ/
   マッシモ・トロイージ/アンヌ・パリロー
’89/イタリア/ヴェネツィア映画祭(’89)主演男優賞W受賞作品

 ぴあで、マストロヤンニとトロイージが
テーブルで向かい合っている広告の写真を見たとき、
あっ、何となくみたい!!!!!思った。
 ”マッシモ・トロイージといえばあの
「イル・ポスティーノ」・・・ゆうびんやさん・・・で、
強烈なイメージがありましたし、あの撮影の後(’95・6)心臓病で
急死されたことも知っていたし、
その一年半後、マストラヤンニも72才で逝ったので、
是非と云う気持ちでシネマアルゴ梅田まで、足を運びました。

 ちっこい映画館やし、ライフ・イズ・ビューティフルみたいにずっと立って観るも
しんどいと、
早めに行ったら、だ、誰もいない!!空いてる ..;^_^;A
1時間33分の上映中、殆ど二人が喋っている映画で、地味だけど、
親子の気持ちのすれ違いや思いやり、言葉の掛け合いのテンポがおもしろかった。
 
 久しぶりに兵舎に息子(兵役中)を訪ねる父。
 
 タクシーを兵舎の門の前で降り、そわそわと落ち着かないそぶりがせっかちだけど、
何となくかわいいと思える。
 たった一人で来たのは、兵役終了の将来を、息子と話し合いたいのだろう。
 兵舎から出てきた息子と声を掛け合って、抱き合う、じゃれる二人は、
仲が悪い親子でもなさそうだ。
 父がローマからタクシーで来たと知っておどろく息子。
ここはローマから100キロほど離れた田舎の港町です。
その港の荷物の上に座って喋る二人。
 風が吹いて乱れる父の白い頭と、アップで写る息子の顔の若々しくハンサムな対比が、
なんだか胸に浸みる。
 ところが、会話はだんだん、見かけと変わってくる。

 父は60過ぎてもバリバリの弁護士で、だから、将来がハッキリしない息子を、
なんとか立派な社会人に導きたくて、うずうずドキドキしてる。
方や息子は、昔から、物事を先に先に決めつけたがる父が煙たくてしかたがない。
それでも、きれることのない家族としての愛情が、表情にしぐさに、
あるいは、声のトーン(親しげで甘えがあって..)にあらわれていて、
観てるものも ほんわかする。
たぶん、イタリア語がわかったらもっと心にしみるだろう。

 いつまでも、自分の息子として、
彼を掌握していたい、立派な道に導きたいと思う父の思い入れが、
息子の住む町の、息子のよく行く港やBAR、図書館、
はたまた彼女の部屋まで行くことによって、さびしくも、はらだたしくも、
少しずつ、そぎ落とされていく様がせつなく、それでいて、コケティッシュだ。
 それはどうかすると、そのまま、みているわたし自身に跳ね返ってきて、
ふん、ふん うなずいちゃうもんがある。

 息子役のトロイージが若くて、想像以上にいかにもイタリアっぽい
正当美男(こんな言葉ある?)俳優なんです!!!
 この彼が一見優柔不断に見え、
実は人を思いやり動かせる、立派な青年で、
幾つになってもかわいい、甘い目のマストラヤンニが
強い弁護士だが父としては何一つ出番がない。
 いつもつっぱって、走ってきて、仕事でも家庭でも、指図し仕切ってきたが、
実は、心の中は、心底のコミュニケートがとれなかった(いやむしろ、精神的成長は
息子の方が上だった!)一人の初老の男の哀愁が
あまり、シリアスにならずに表現できているのが、
この映画のすごい、そしておもしろいところかもしれません。
   ★ポーッとなるほど素敵なお二人のご冥福をお祈りします。

       


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