夏に抱かれて 

 監督:ロベール・アンリコ/原作:フランソワーズ・サガン/
出演:ナタリー・バイ/クリストフ・マラボワ/
ピエール・アルディティ他/
                                                               1987年フランス作品/
 1942年6月。フランスにおいても、だんだんナチス締め付けが強くなり、
ユダヤ人に対する弾圧がきびしくなる頃の時代の中で、
大人の女1人と男2人の強い結びつきと愛、葛藤、切なさが
うまーーく出ている 好きな作品です。
 こういう、濃い人間のつながり、それぞれが関係の中で
おのれが淘汰されていくような、
深い味わいがアンリコ監督作品にはあります。
 アリスのためならなんでもホントにしちゃう、危険も信条を変えることも
みんな引き受ける男どもが、
これまた何とさまになる男ばかりなんでしょう。
 うふっ、まあ、これが、また、フランス映画の魅力の一つでもあるのですが。

 ユダヤ系オーストリア人だったアリスの夫はドクターで、フランス大使?でもあります。
当然、亡命ルートは早くに持っていたと思うのですが、
アリスの「アメリカには行きたくないの」の気持ちをくんで、居残り、最後は自殺してしまう。
そこでアリスを助けるのが、外交官で、レジスタンス運動に理解を示すジェローム。
二人が安全地として身を寄せる、ジェロームの幼なじみで仲のよかった、
今は靴職の工場の社長がシャルルです。
 アリス、ジェローム、シャルル、この3人の強い共鳴と時代のこわさ。
そして回りの人たち。
 あなたの硬くなったハートをしっとり もみほぐしてくれる、
ワインでも傾ける夜にいかがでしょう。             (12.15夜)

 セントラル・ステーション 
 
’98年第48回ベルリン映画祭 金熊賞(グランプリ)
監督:ヴァルテル・サレス/出演:フェルナンダ・モンテネグロ/
 マリリア・ペーラ/ヴィニシウス・デ・オリヴェイラ/
 1998年/ブラジル映画
   お正月・3日の日、主婦を返上して、神戸のホテルオークラで行われた
この映画の試写会を
観に行って来ました。(去年、ぴあで申し込み)
 ブラジル映画が初めてベルリングランプリを取った作品で、
派手さはないけど、心にジーンとしみいる、中年族必見のお薦め品です。
 この春、一般公開みたいですので、是非インプットしてね。
 9歳の少年(ジョズエ役)の子も空港で靴磨きをしていて抜擢されたという、
深い目をしたステキな子でしたが、
なんといっても、熟女から老女へ向かう年齢のドーラ役の女優(フェルナンダ)が
圧巻の演技でした。
私たちの10年〜20年後の、もしかしたら 心のありよう でしょうか。
いらだち、とまどい、したたかさ、奧に眠る慈愛の沈んだ感じがなんだか、
すっぴんの安心感!!でぐいぐい押してくる。

 リオの駅で、字の読み書きできない多くの人相手の代書屋として、
何とかその日その日を生きる糧をかせぐドーラ。
彼女の日々のやるせなさのいらだちが、しわやたるみの目立つ表情や
大きな疑い深い目、荒れた手に現れている。
しょうもない男と一緒になるくらいなら、一人で生きるっていう、
長年の気の強さ、猜疑心が顔に、後ろ姿に、歩幅の大きな強い歩き方に感じられる。

 かたや少年ジョズエは、母にくっついてきて、
代書屋ドーラに父への手紙を書いてもらう。
その母よりも、ドーラに疑わしい目を投げかける少年。(ホントに出してもらえるの?)
帰り道、大事なこまを落として道の途中で引き返すジョズエを待って
バスに轢かれてしまう母。
少年には父への手紙の代書屋しか頼るものがない。
 じゃまと追い返されても執拗にドーラを威嚇するような目で見据える少年。
 キツネと狸の化かし合いのような強気な二人。

 人身売買のような形で1000$で少年を売ったお金でテレビを買ったものの、
友人に「あそこは、臓器を売るところよ、里子に売るんじゃない、
第一年齢が大きすぎるじゃない!後悔するわよ」で、
結局、またジョズエをかっさらって、逃避をかね、
直接父親のもとに送り届ける長〜いバスの旅にでかけることになる。
そんな中で、
バスに乗ってる男の人をみては「あの人は父親になってる?」って聞くジョズエに
「父親とは、家では気むずかしく外では陽気なピエロよ」って、
見分け方を教え、ドーラは小さい頃、父は他の女のもとへ、母は蒸発したことを話す。
 ささくれだっていても、いくつになっても、誰かを、何かを心から慈しむことで、
人はかわれるって真実だということを、ドーラは力強く爽やかに
リアリティーに教えてくれた。
 あったまるだけでなく、力をもらえる秀作映画だと思います。

 草原の愛(モンゴリアン・テール) 

監督: シェ・フェイ /出演: タリカスーロン/テンゲル/ナーレンホア  
 1995年中国・香港
中国香港のスタッフが共同で作ったモンゴルを舞台にした映画。
とても深い味を出していた祖母役のタリカスーロンはモンゴリアンです。

 草の匂い 雄大で牧歌的な景色 人々のもつ表情の素朴さ...
静かで止まっているような 泣きたくなるような時空間を表せる映画はもうモンゴル
でしか作れないのではないかと思える。

 草原の遊牧民で両親を亡くした孫娘と二人で暮らす老婆の元に預けられ、
草原を離れて12年たつ主人公=バヤンボラグの、「大切なものを失って初めて気づく愛」
と云うナレーションで幼い頃の回想シーンでゆったり始まる映画。

 どこまでも続く草原、季節ごとに移動し組み立てられる家=パオ、
追いかける羊の群....
草原で仲良く遊ぶソミヤーとバヤンボラグの屈託のない
笑顔と笑い声..
 パオの布団の中で仲良く祖母の語りを聞くバヤンボラグとソミヤー。
 祖母の昔話...そんな中、ある夜、物音で3人が外にでると
冷え切った子馬が倒れていた。
「バヤンボラグへの天からの贈り物」って
手当をして喜ぶ祖母。

 まるでメルヘンの世界へさそわれるように突如現れた子馬はガンガン・ハラと
名付けられ、
毎日バヤンボラグに寄り添い働く賢い馬。
都会で働く実父の送金で遊牧民のための学校で勉強も続けるバヤンボラグに比べ、
女の子のソミヤーは字も学べない。
何となく、バヤンボラグと結婚できないときはきっと苦労をしそうって事が
暗示されてるようだ。
 実父の薦めで都会へ獣医の勉強に行き、音楽の学校も行き、
3年後帰ってきたら、ソミヤーは、口の上手い遊牧民の、ある青年にだまされ、
お腹に命を宿していた。
 「ソミヤーを憎むんじゃない。彼女は妊娠しただけ、
子供を産むことは悪い事じゃない」と、
牧歌的に諭す祖母のことばにどうしても素直になれず、
祖母とソミヤーを棄てて都会に帰ってしまう...

 ところどころで馬頭琴の切ない音色、そして 哀愁を帯びた絞り出すような歌声。
 バヤンボラグ役のテンゲルは実際歌手だそうですが、
なんか、日本民謡の江差追分みたいな調べの歌声が流れる。
 最後、もう人の妻となっているソミヤーに謝り、
子供たちの学校で歌を歌う音楽家としてのバヤンボラグ..
    ♪♪遊牧民はあるがままの草原を
       我が身のように愛し、、、、、、、♪♪
          これこそモンゴル人♪生まれ故郷を愛する人♪♪
                                (1999/1/31自宅ビデオ鑑賞)

  
 タンゴ・レッスン  

監督: サリー・ポッター /出演: サリー・ポッター/ パブロ・ヴェロン/
 グスタボ・ナベイラ/
 1997年 イギリス・フランス合作品

 落ち着きの中にも、妙にこだわりを棄てきれない、 
めらめら 自分の内部で燃えるものに導かれるように生きている監督自身とだぶるような
生き様と大人の愛が描かれた、女性監督らしい繊細さと深さと安堵を感じる作品でした。

 一からのタンゴ・レッスンの過程と映画作りを張り合わせたような映画ですが、
チェロが奏でる独特のタンゴメロディーの流れをバックにじっくり
楽しめる大人の女性向き映画ですよ〜〜。
 わたしもチェロ奏者「ヨーヨーマ」のCDが欲しいなと思ってしまった夜のWOWOWTV鑑賞でした。
 一番最後にアルゼンチン(ブエノスアイレス)の港でタンゴを踊るサリーとパブロ。
そこで流れるこの映画のために作られたような「I am you」って曲。
とっても素敵でした。
いかにもきっとサリーの創作詩だなってかんじた。チェロはやっぱりヨーヨーマの演奏でした。

 それにしても、タンゴ(タンゴに限らずでしょうが)って、
奥の深いダンスなんだ〜って 初めて知りました。

 まず映画は、サリーが次回作の脚本作りに頭を、イメージを膨らませ いらついているところ からはじまる。
煮詰めていくために容赦のない
自己葛藤、自己凝縮のし方などが暗示されている。
 行き詰まったサリーは有名な「パブロ・ヴェロン」のタンゴの舞台を見に行く。
派手な動きもまるで自然に見えるヴェロンの踊りに魅せられ、
サリーは「映画を作っている、タンゴを教えて」と話しかける。
 まずはバックステップ(後ろ歩き)の練習から。
 相変わらず脚本が上手く書けない中、床の本格的修理に3週間ほどかかることになり、
パブロのいるスペインへ追いかけるように旅立つサリー。

 「何故タンゴを選んだの」
 「タンゴに選ばれたんだ、僕は映画に出るのが夢」
 「わたしはダンサーになるのが夢だった」
 「人の出会いにわけはある?」
 「偶然よ、運命は後からついてくる、人生に筋書きはない、無神論者よ、でもユダヤ的人間と思う」
 「僕はダンサーでユダヤ人」

 タンゴはリズム。。。。踊るパブロを見つめ考えるサリー、イメージ作り。。。。タンゴの映画を作ろう。。。
 
 その間もレッスンは進んでいく。仕事と私的な気持ちのけじめをつけ、
二人でやってみる価値ありそう、おもしろそうと。。。

 ソロでなく、二人で踊るタンゴの難しさ。すべるような、流れに逆らわない、自分を解放し、
リードに任す事の難しさ。
タンゴの曲の詩のおもしろさを初めて知るサリー。
♪ステップの前によく考えて..僕の熱い思い..君は僕を棄てた♪
 だんだん最後の難しいレッスンへ。
「パブロ、どうだった?」「力と強さを理解していない、力強くそっとゆっくり、
僕の動きにあわせて、僕の自由を奪うな」 「あなただってわたしを無視、ソロを踊っている」
「君の弱さ、感情のもろさがこわい」「あなたの目は節穴」「君もタンゴをわかってない」
 えいがのなかでずっとかわるカラーとモノクロ。それは映画とタンゴを現してるようでもあり、
男女でもあり、外と内でもあり、世の中のもつれでも
あるかもしれない。
 そして二人のせめぎ合いと熱い感情。

 七年ぶりにアルゼンチンに帰郷のパブロについていくサリー。
 自由に自然で力強い動き。あわせ、そして自然にあう、それがタンゴ。
精一杯生きて苦しめばタンゴがわかる。
 教会でもフランスでも故郷でも安らぎを感じない、消え去る自分がこわいパブロ。
だから出会ったのよと、サリー。

   ♪♪わたしはあなた  あなたはわたし
      ♪♪一人と一人  一人は二人
          ♪♪旅する男  芸術の創造主
      あなたの声が聞こえ  目と耳で声を受け止める♪♪
                                            (3/17WOWOW)
       


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