五瓣(べん)の椿 

 監督:野村芳太郎/原作:山本周五郎/撮影:川又昴/
出演:岩下志痲/加藤嘉/左幸子/西村晃/田村高廣/伊藤勇之助/
加藤剛/     (1964年松竹大船)/2000.1.24TV衛星劇場録画
 
どうしても譲ることのできない、若い娘の精神世界・倫理感を、
まだ若い頃の岩下志痲が一生懸命って雰囲気で熱演していて、
とってもすがすがしい、日本情緒あふれる映画でした。

 今の情報化社会。毎日洪水のように流される出来事のあれこれ。
「なんって ちっぽけで、ずるくて なさけなくて それが人間。 
曖昧なファクター。濁りの目。それでいいのかもしれない。
それじゃいけないのかもしれない。
そんな中、ある種の透明感のある、映像も美しい お薦めの作品です。

 江戸の町。
 クスリ問屋「むさしや」の一人娘であった「おしの」が「おりゅう」と名を変え、
舞台芸人=三味線師匠の色男に近づき、身体を許すふりをして、かんざしで殺す。
そばには、一輪の椿の花がおいてある・・・・・・・・・
 舞台は変わり、「うんのとくせき」なる厳つい男。どうも もぐりの堕胎屋のようだ。
女の悲しさを吸い取って食い物にしているようなくずのような男。
こんどは「おみの」と名を変えた「おしの」に惚れている。
「むさし屋のおそのさんってどんな人だったの」
「おそのは そりゃぁ、燃えてる女だ。あの毒にも得にもならん亭主ではアカン。
あの亭主は、朴念仁だよ」
・・・・・・・彼の死体のそばにも椿の花・・・・・・

 老舗のクスリ問屋の一人娘であった「おしの」は、店のために働きづめで、
体をこわした父の病床にも一度と顔を見せず、
別邸で役者に熱を上げ、遊んでいる母「おその」を許すことができなかった。
 臨終間際、死の床で気力だけで体を持たせていた父の願い。
「おそのを呼んでくれ。どうしても一言いいたいことがある」
 会いに来ない母の元へ戸板に乗って母のところへ行く途中「一言いいたいことが…」
と、事切れた父の無念。
 クスリ問屋の婿養子となり、働くほか、なんの楽しみもなかった実直な父。
自分を誰よりも心底可愛がってくれた。
辛いばかりの人生で、1つの慰めは、椿の花を愛でること。

 その父の恨みを一心に信念のように晴らしていこうとする娘。
誰よりも美しい若い娘で、一途な思いやりのある女性。
その究極の美しさ、透明さと、片方、人間のくずのような魂のない母と情夫たちが
両天秤で釣り合ってしまっているような錯覚を感じる殺人。

 おとっつぁんを苦しめたあいつらに今、罪を償わせたい。
おとっつぁんの死はむごすぎる。
法ではさばくことのできない罪を償わせる。
父の死を泥まみれ、笑いぐさにする母を許すことはできない。
 「あんただって、おとっつぁんの子ではない。 
腹の中にいるとき番頭だったおとっつぁんに急いで押しつけ親に結婚させられたんだ」
父の骸の前で
酔って笑い飛ばす母。
 殺しの美学の中、なんども心の父と会話するうち気づく。
臨終の床でどうしても言いたかった言葉が・・・・・
実の子でない事実を母親が喋って娘を傷つけることをどうしても防ぎたかったのだ。

 実の父はあの獣!わたしにはあの母の血が・・・・
 実の父を殺すことはできなかった。 

 牢屋に入り、やっと心の平穏と娘らしさを取り戻した「おしの」は
罪人仲間の妊婦の赤子のため、産着を自分の着物をほどいて作ったりする。
そんな中、実父の妻が抜け殻のようになった夫をみて首をくくって死んだことを知る。
 (自分のしたことによって、罪のない人を死なせてしまった罪悪感、
自分の思い上がり・・・・・・)
 握りばさみでのどを突いて自死した彼女に
罪人女たちの泣き声は聞こえない。
 
マグノリア(magnolia)
 
監督・脚本:ポール・トーマス・アンダーソン/
出演:ジェレミー・ブラックマン/トム・クルーズ/
    メリンダ・ディロン/フィリップ・ベイカー・ホール/フィリップ・シーモア・ホフマン/
    ジュリアン・ムーア/ウィリアム・H・メイシー/ジョン・C・ライリー/ジェイソン・ロバーズ/
    マイケル・ボウエン/メローラ・ウォルターズ/エマニュエル・L・ジョンソン/他

 舞台はロサンゼルスのある町。
 登場人物のキャラクターがそれぞれの鋭的個性を顕わして、おもしろく、
人物が観ているうちにいろいろな軸にからんできて、
「あっ、この人とあの人がこうつながるんかぁ・・・・・」って、
関係図がおぼろげに頭に浮かんで、楽しかったです。
 いかにも現在進行中のアメリカって感じの映画で、洗練と混沌の渦の中、
結局はみんな傷つきながら、傷つけあいながらも
「愛」を求めて生きているってストーリー。

クイズ王=天才少年役のジェレミー・ブラックマンの表情に何だか吸い込まれました。
地でいってるのか、演技かわかんないくらいうまい。
自分に己の夢を託す父親に翻弄されつつ、父の本当の愛情がほしくて、
父の求める息子を演じながらも
本来の自分の自我を確立させていく内面の葛藤を眼で演技してるって感じ。
 この少年と、嘗ての天才クイズ王で今は、電気店の営業仕事も旨くこなせず、
心中不安定な中年男ドニーの対比が、切なくも おかしい。
ドニー役のウィリアム・H・メイシーはこういう役、最高にウマイですね。(笑)
「あいしてあいしてあいして・・・ほしい」って自分でも気づいていないドニーの
内面の表現が(惚れてるバーテンの青年に気持ちを告白できない
代わりに、彼がしている歯の矯正具を自分もどうしてもしなくっちゃって処なんか)
笑わせるほどいいな。
 それから、“女の子を虜にするノウハウのセミナー”(洗脳っぽい)の
教祖役のトム・クルーズも
繊細さと大胆さと威圧感を巧みに顕わしていて、
こわいほどだったけど、うまぁい。自分と母を棄てた父への憎悪と愛着を
ほどよくだして素敵でした。
その病床の父の看護人=フィル役のフィリップ・シーモア・ホフマンが、
「こんな看護人がほんとに手助けしてくれたらいいな」って思わせる
ナチュラルな優しさと介護をほこりを持ってこなしている様が絵になってgoodでした。
 リンダ役とクローディア役も深い傷を持つ女性の繊細さと憤怒、悔恨を
上手く伝えていた。
 希望の路をみつけたストーリーではありますが、
それにしても、懺悔と癒しを求める人のオンパレードですね。ふ〜〜っ。
 マグノリアは花の名前で、その色彩を表したかったらしいです。
(私にはよく解らなかったですが・・・)
 まだまだ若い監督。これからもっともっといい作品を期待したい人です。

 
アルテミシア

’97・仏&伊
         監督:脚本/ アニエス・メルレ
         出演: ヴァレンチナ・チェルビィ/ミシェル・セロミキ・マノイロヴィチ/
              ルカ・ジンガレッティ/エマニュエル・デヴォス

 まず、バレエを練習している場面。
 ローマ、1610年。という字幕。
 修道女が大勢入る教会学校のようだ。
 鋭い目で、鏡を見ながら、いろんな角度を写して
自分の裸体を必死にデッサンしている魅惑的な女性。
 苦り切った表情のシスターに比べ、そのデッサン画を見て「さすが画家の娘だ。
ここを出て勉強しなさい」と送り出す、校長のような牧師。
  この「アルテミシア」という少女は、美術史上、
世界ではじめての女流画家として名を記している人らしいです。

 17世紀、女性が封建的慣習に縛られていたローマ社会で、
美術学校の入学も、アカデミーに女の席はないと拒否され、
 個人画家の弟子にもしてもらえず、自分の才覚と情熱と
生まれたままのような奔放さでぶつかり、
傷つき傷つけ、絵を描き続けた女(ひと)の半生が撮られている。
 すべからく、己の身体も男の裸体も、秘められた場所も、よく見て描きたい。
 「顔のない身体」 「うめきひきつるからだ」・・・・・・・
 幼なじみの自分に好意を持っている漁師の青年を説得し、モデルにし、
浜辺の隅でその裸体や性器を描く。
 性に封建的なこの時代のキリスト教社会の中で、摩擦が起きないはずはない。
 画家である父は、彼女の情熱とその並々ならぬ才能を見て、
 フィレンツェから来た「ダッシ」という遠近法を取り入れだした新しい画風の男に
「アルテミシア」に画法を教えてくれるように頼んでくれる。
 当時はまだ、絵は室内で書く物、そして、教会が絶大な力を持っていて、
その壁画の仕事が画家の重要な位置づけ(コネ、権力争い)
であったのです。
 そんな中、外にテントを張り、画枠にますを張って風景をますで仕切る、
ものの(景色の)捉え方が映画を観ているものにもおもしろく、
彼女の描くことへの欲求、ワクワクがこちらの心に浸みてくる。
  侍従付きで彼の元に通いだしたアルテミシアは絵を学びつつ、
案の定、彼と恋に落ち、奔放な性を歓び、怒った父は
強姦罪で彼を告発し・・・・・・彼女は屈辱な常識・掟の前に、
ますます皆の前に暴露されていく・・・・・・・
 屈辱を前にしても絵を棄てなかった彼女は、その後イギリスに渡ったようです。

 何でも第一号の人って、並々ならぬ才覚と常識に縛られない情念と愛される美が
血をにじみ出すところまでやんなきゃならないって感じが
よく現れていた映画です。
 体当たりで熱演しているV・チェルビィがとってもステキな目をしていました。


 チャリング・クロス街84番地  

 監督/デビッド・ジョーンズ 原作/ヘレーヌ・ハンフ
        出演/アンソニー・ホプキンス/ジュディー・デンチ
         1986年アメリカ作品/ (WOWOWにて鑑賞)

 大人の楽しさ、渋さにあふれ、味わいのある作品でした。
ビデオに出てないのが不思議なくらい。
ロンドンのチャリング・クロス街で古書店を営むマーク社の店主
フランク役のアンソニー・ホプキンスがメチャ素敵で、惚れちゃいました。
(コンナニステキナヒトダッタカシラ・・^_^;;)

 アメリカの古書好きの女流作家「ヘレーヌ・ハンフ」が、
アメリカでは決して妥当な値段で手に出来ない、大切に読みつがれてきた古書
(読み手のお気に入りの箇所がパラッと開くような・・)を探して、
ロンドンの古書店に注文手紙を書くことから始まる、20年に渡る往復書簡のお話です。
 書簡のその一は1949年10月からの始まり、フランクの死によって終わります。

 「才気とユーモア、優しさのあふれる作家」と
「控えめで真面目な人の良さと真摯さあふれる店主」と
古書店勤務仲間の情緒が静かにほんわか
古びた古書店内に漂う感じがTVを通して見ても伝わってくるようでした。

 手紙を通した付き合いだけでも、こんなにも豊かにはぐくめるってことが、
憧れを伴ってせまる。

 たまたまイギリスのかなりひどい食糧難時代を挟み、
ヘレーヌ・ハンフがアメリカから(通販を通し、実際はデンマークから)
肉やたまごや缶詰等を
みんなに送ったことも絆を深めたのでしょうが、
基本は「本を愛するもの」同士の本の注文、発送(発掘)の喜び、本への愛情でもある。
 古い歴史が持っている、いわくいいがたい温かみが、
羊皮紙貼りの古本と相まって流れる感じも、そこにホントにぴたっとはまって納まる
フランクも魅惑的です。
 中央文庫から出ている同名の文庫本を図書館で借りて読みましたが、
この原作にほぼ忠実な映画でした。
 今の時代の、根元でささくれているのを隠しているような分かり難さがない、
透明な信頼感が新鮮でした。


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