イル・ポスティーノ(IL POSTINO) 

  「’95伊・仏」
 監:マイケル・ラドフォード/出:マッシモ・トロイージ、フィリップ・イノワ

1950年代のイタリア南部の水道もひかれていなくて、
月一回、給水船がくる貧しい島。
仕事はほとんどが漁師。
限りなく美しい空、海、山の稜線。花。
そこに、自分を開ききることが出来ず、ぼんやりもがいている青年マリオがいた。
たまたま、チリから共産主義者の詩人として追放され、この島に亡命した
彼だけに手紙を届ける専属郵便配達の仕事を得て、
詩人(パブロ・ネルーダ)に自分をすべて投影、綿に水がしみこむように成長、
ホントの無名詩人になったマリオがいとおしい!映画。
上司の郵便局長も又魅力がある。
わたしはイタリアに行ったことはないけれど、
亡命詩人への手紙配達人=マリオ役のM・トロイージを観て、
あっ、イタリアに行けば会えそうな人、日本にだって一昔前はきっといたような....
何というか、
自分の中で澱んでしまっている素朴な心根をくすぐる顔・表情
そして声のトーン、しゃべり方...
そこに厳として存在する人間のぬくもりと安心感を感じました。
後でこの俳優さん、撮影12時間後、心臓病で亡くなったと知り絶句....
脚本にも参加し、この役に深い思いをかけて演じられたすごみが確かにある!!
抜けるような明るい空を思い出しながらご冥福を祈ります......   (pu-)
Zenさんより感想を頂きました
やっぱりおもろかったです。
めっちゃ綺麗な海と空の中で、漁師が嫌いないいかげんな男が恋をして、
言葉を使ってみて、詩に目覚めていく過程が大変美しく描かれていた。
特に自分のふるさとの美しい景色を音で記録して詩人に届けようとするとき、
確かに郵便配達人は詩人でした。
 ところで、今までもイタリヤ映画を見ると、
いつも、描かれてる世界があまりにも貧乏で暗くて、
日本人が貧乏だったことを知っている年代もあって、
見たくないと云う気持ちにもさせられたものですが、
先頃イタリヤ北部の旅行をしてみたら、豊かな生活をしていることにびっくりさせられました。
 この映画に描かれたイタリヤも貧乏ですが
(南北で経済格差が問題になっているようです)、なぜか、
見たくないと云う気持ちにはなりませんでした。やはり美しい景色のせいでしょうか。
今度は南部の景色とあの一見陽気で、大変複雑な内面を持った人たちに会うために、
もう一度イタリヤ旅行を、南部の旅行をしたくなった私です。   

 山の音 

(監督:成瀬巳喜男/原作:川端康成/出演:原節子、山村聰、
 上原謙、杉葉子、長岡輝子) 「’54.東宝」
最近衛星放送で「成瀬作品」を、林芙美子原作(浮雲)とともに見たのですが、
とても素敵でしたね。
凛として、心落ち着くものがありました。
 晩年自殺してしまった「川端康成」の美学につながる、
老境に入った舅の人間性を落とし込めることなく、淡々とした孤独さを山村聰が好演していました。
川端作品をあったかい目線で包む、成瀬さんが感じられます。
 ところで、原節子さんって見習おうと思ってもとてもできない
人間の柔らかさ、芯のある柔軟性とでもいえるものが、
その見た目の美しさと共にあって、手放しであこがれますね。
姑は中流家庭の平凡な主婦で描かれているのを、長岡さんの個性ですくっています。
最近、欲望のために破滅するニュースと云うか情報ばかりが心に引っかかるから
こういう古い映画が新鮮です。


  
映画館の中で人生を発見した不良少年 フランソワ・トリュフォー監督特集  

(BS放送より録画して)
「緑色の部屋」{’78・仏}

出演:フランソワ・トリュフォー/ナタリー・バイ/ジャン・ダステ

死んだ妻(若く美しい)の霊を10年以上祭つづけ、話しかけ、
仕事以外はすべて死者とともにいるような中年男の物語。
 この男に恋する若い女が目の前に現れても
(彼を幼い頃から知っており、彼の死んだ友人の恋人だった)
「死んだ人を忘れたらいけない、死んだ者を慰めつつ生きなければ!」と、
生身の恋心を受け入れようとしない。死者を弔う心情を通して二人はつながっている。
 使われなくなる古びた教会を熱意で買い取ると、自分の妻の肖像画を正面に、
そしてまわりに十数人の自分が好きな(忘れ去りたくない)人の肖像画を貼り、
たくさんのロウソクをともし死者を祭り、
自分もその場で倒れ最後の1本となってしまう....
ひっそりと忘れ去られ死んでいくものたちへの哀惜の念が感じられ、
死んだら土や!と思ってる私(生あるうちがすべて)は少し身をすくめました。

「トリュフォーの思春期」
{’76仏}
出演:ジョリー・デムソー/フィリップ・ゴールドマン/シルビー・グレゼル

最初の長編作品「大人は判ってくれない」が
12歳の少年そのものに目線を置いた斬新な作品とすれば、
こちらは、同じ少年たちを描くにも一歩引いた慈愛の目で撮られているようだ。
暗く切ない少年の面ばかりでなく、足の悪い車椅子の父と暮らし、
大人の女性に恋をしつつ、やがて等身大の少女に惹かれていく少年の
明るい所を描いたりもしている。
 それにしてもトリュフォーの作品には必ず1シーンでも子供が登場しますが、
ほんと、かわいらしい子ばかりですね。
この作品には大勢の子供たちが出ますが、
皆すごく可愛い!!(ぶっさい子は居ないんかいな....)
表情もしぐさも生き生きしてる。(かなりフィルムをまわしたようですが...)
 夏休み前の教壇での先生のセリフ。
「子供は自由ではない。自分も幸せな子供ではなかった。
早く大人になって自立したかった。
君たちは子供を愛せる大人になりなさい!!」

愛し愛されることが人生なんだ」に
トリュフォーの願いが込められているようですが、
それが特別臭く思えないのは、
鐘が鳴り夏休みに向かって教室を飛び出していく
子供たちの屈託のない表情と映画を見る者の
トリュフォー 的人間への愛情と自分の思春期時代への
チクリとした郷愁でしょう....

「アデルの恋の物語」{'75・仏}

出演:イザベル・アジャーニ/ブルース・ロビンソン/ジョゼフ・ブラッチリー

文豪ビクトル・ユゴーの次女(アデル)の、
実らぬ初恋を成就させようと疾走し精神を病んでいく、実際にあった物語。
 父の亡命について、
イギリスの小さな島にわたり、駐屯してた騎兵隊の中尉と恋をするも、
父に反対され、しかしその情念を消し去ることが出来ず、
その男の駐屯地アメリカの赴任地まで追いかけてきたところから物語は始まる。
 男に手紙を送るも、女に軽い彼にはもうアデルへの愛情は微塵もない。
自分の中の思いをひたすら昇華させるアデルは眠ると、
目の前でおぼれ死んだ姉の亡霊のような姿にうなされ続ける....
そしてそこから逃げるように、さらには偉大な父の存在の呪縛から抜けるため、
ひたすら、自伝のような日記のようなものを書き殴りつづけることに没頭し、
アフリカの赴任地に出発した男を追い続ける....
追わなければ自分の存在が無くなってしまうかのように。

1週間以上かけてちょろちょろとトリュフォー作品を見ました。
まだすべてを見てませんが..
(上記の他、私のように美しい女・黒衣の花嫁・恋愛日記)
まとめてなんぼという訳ではありませんが、
何作かをつなげて解るものがあります。
世間の規範からは外れて走りつづけているている主人公を
何故か支える人が回りにいて、
あるいはスクリーンを眺める私たちも愛情深くなったりして....
現実、前見て後ろ見て、左右を眺め、とても走りきれない自分、
あるいは支えきれない自分があるけど、とりあえず、自分が出会う人たちを、
選り好みせず好きになりたいなと改めて思わされました。
ところで、トリュフォーみたいなタイプ(女好き=特別な選り好みはしない)を
あなたは好きですか?
私は彼のような人に甘い言葉をかけられたらころっと参るわ。(^_^)

       


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