閑 話…Y  
「サクリファイス」
アンドレイ・タルコフスキーさまへ

あなたが愛してくれた日本独自の精神世界を
少しでも 私は持ち合わせているだろうか。

かの国に落とされている爆弾ニュースを前に
平和ぼけしているのは私(あるいは日本人)だけなのだろうか。
確固たる信念を持てないのが情けないです。

「この映画を希望と確信を持って息子に捧ぐ」というメッセージで
締めくくられた あなたの最後の作品「サクリファイス」を
どうしても 一人きり 暗い部屋で観て あなたに逢いたいと思った。

癌に冒されながらの死を目前に
こんなにも静かで深く透明な映像を 残したあなたと
 そしてスタッフ、アクターの皆さん。
犠牲とは、あるいは救いとは 何であるのか まだはっきりわからなかったけど
人として持ち続けなければいけないものを、
投げやりにならず、求め続けないといけないですね。

この映画の深さを 本当に理解未熟なわたしで ごめんなさい。
でも、オープニングクレジットがでている間
静かに流れるマタイの受難曲と
レオナルド・ダ・ビンチの宗教画。
マリアに救いを求める王の顔から動かぬバック画が
静かに包んでくれたよ。

序章での北欧の小さな島。
海辺沿いのなだらかな緑とさくさくズブズブ響く足音。
ポチャ、タプッ、サァーーっていう水音。
遠く羊飼いか牛飼いが呼ぶような牧歌的女性の声が
(あれが 本当に大地と生きている声だね)
この世の喧噪をそぎ落とし、残る大事なものを教えてくれる。
なんといっても、この自然音の強調が ゆっくりゆっくり私の堅い心を
溶かしてくれるよ。
自然がもたらす浄化、饒舌をそぎ落としていく課程のモノクロによる強調。
夢という形で終わったけど、第三次世界大戦の勃発を前に
アレクサンドル(主人公)の祈りは無宗教の私に、
おまえも何か出来ることをせい!って いわれてるよう。。。

「神よ、この恐ろしき世の我らを救いたまえ。私の子供を死なせないで下さい。
私の妻、友人、あなたを愛した者たちを。あなたを信じなかった者たちを。
あなたをかつて心に浮かべなかった者たちを死なせないで下さい。
私は持っているすべてを捧げ、家族をあきらめ、家を壊し、子供を捧げます。
沈黙を守り、誰とも口をききません。
今朝のように昨日のようにしていただけるのなら…。」

年取ってから生まれた口のきけない息子。
彼がかわいくてたまらないあなた。彼のために何かをしなくちゃいけないあなた。
彼が二階の自室ベットで寝ている映像。
細長い窓から光が入るだけの暗い部屋。カーテンが揺れベットの前に
小さな鏡、ほかには何にもないこのモノトーンの映像は優しく素敵でしたね。
あなたの追いつめられた気持ちが いとおしい。
祈りとは何でしょう。
小さい娘を抱いて、渋滞で止まっている車の列の前で渡ろうと足を一歩
踏み出したとき、私の耳を強い風がびゅーんと飛んだ。
バイクと接触寸前だった。
ごめんなさい。娘を助けてもらった!ありがとう。
お返しをしなくちゃ!って素直に感謝の気持ちだった。
そういうことって、祈りに通じていくものでしょう。タルコフスキーさま。
あなたが海岸縁に植えてくれた日本の枯れかけた一本の木。
(あれはなんの木だったのでしょうか)
毎日々々水をやり続ければ いつか花が咲くんだよ…
あなたの息子は
きっと毎日水をあげてくれるね。
あなたの水をわたしも掛け続けられる人の一人になるわ。

            (「サクリファイス」 1986年カンヌ国際映画祭審査員特別大賞)
                                /スウェーデン・フランス/
                     ※アンドレイ・タルコフスキー  旧ソ連映画監督

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