サイダーハウス・ルール 

ジョン・アーヴィング著/真野明裕訳  文春文庫上下/各¥728

 ネット友「junko」ちゃんのお薦めで映画を見て、
あの「マイケル・ケイン」演じる孤児院の院長「ドクター・ラーチ」に
すっかり恋してしまった私。

映画の中にでてくるどの人物もそれぞれ生き生きしていて小気味良いのですが、
それでもなお「うふっ、ラーチ先生〜」って心が締め付けられちゃう。
あの人物にどうしてもすり寄って近づいて見たい!!
と云う気持ちから原作を読んでみました。

サイダーハウス・・・・りんご汁製造場・・・・
黒人を中心とする貧しい季節労働者が、
りんごの収穫期に寝泊まりする宿舎をも指す言葉ですが、
そこでのルール(規則)は他愛ないと言えばそういうもので、
たとえば、1.ベットでたばこを吸わない 2.酒を飲んだら機械を操作しない
 3.屋根の上で寝ない....etc..
彼らにこの貼りだしてある字は読めず、守る意志もない。
労働者を仕切るミスタ・ローズはいう「自分たちのルールは自分たちでつくる」

192−年、主人公ホーマー・ウエルズは、
メイン州、セントクラウズの孤児院付設病院でラーチ先生の手で生まれた男の子。
名前は愛情深い、愛が好きなアンジェラ看護婦が命名した。
ほとんどの孤児は看護婦が付けてくれた名前を覚えるよりも早く養子先家庭へ行くが、ホーマーは
4度も帰され、あるいは自ら帰り、孤児院が自らの家庭になっていく。

そんな彼を、自らに恋を戒め、家庭も持たず、孤児院=人生だった「ラーチ先生」の
抑えたあふれかえる父性愛が包みこむ。

たぶんこの感覚がたまらない魅力だと思うのですが....

ウイルバー・ラーチ=186−年ポートランド生まれ。
母は気むずかしく、きれい好きな女。禁酒法を州法に導入した市長のメイドの一人で市長心酔者。
父は同じく雇われ人で、アルコール依存症気味の駅の赤帽。
本好きのラーチはハーバード大医学部へ。
その送り出す日。父はプレゼントとして娼婦のミセス・イームズの元へ彼を送り、
ここで彼は性病(淋菌)感染し、ペニシリンのない時代、
尿道に傷が残り、前立腺に変調をきたし、痛みを和らげる手段として、エーテルを愛好し、
生涯エーテル常用者になる。

インターン時代、
当直時、そのミセス・イームズが壊血病で運び込まれたが、手術の施しようがなかった。
それは闇の堕胎薬の使いすぎによる、腸のビタミンC吸収能力が無くなったせいだった。
その後、イームズの娘が密かに堕胎をして欲しいと言ってきたとき、3ヶ月ほどで、医学的に十分安全に
堕胎できるにもかかわらず、堕胎禁止法を前に引き受けることが出来ず、闇医療で落命。

貧民街へ分娩させに行ったりするうち、
若い妊婦の三分の一は父か兄弟による近親相姦、強姦であることを知り、
身を誤った者に対し、あまりに無慈悲な病院を辞め、郷里のメイン州へ帰ることにする。

「私は医者に過ぎない。彼女たちが望みのものを得られるよう、手伝う。孤児なり。
堕胎なり」
「ここセント・クラウズでは規則を作るにつけ破るにつけ、
最優先事項は孤児の将来。
孤児の母親の身元に関する一切は破棄。
その子の将来のためでもあり、きわめて難しい決断をした不幸な女達に
先々再びこの決断を迫るべきでない。
孤児は自分の将来に目を向けなくてはいけない」


他人よりも自分に対しきわめて厳しく、且つ、愛嬌ある人柄は、
曖昧な良識野郎の現代人=私たちをむち打つものがあります。

養子先にもらわれないホーマーに
ラーチは自分の仕事を教えていくことにする。
彼の人生観の極致かもしれない。
「産科処置法をさ、ホーマー」
「神の業と悪魔のをな、ホーマー」
「いいかホーマー、おまえは高校にも入らないうちに医学部を修了することになるんだぞ」
読み古した「グレイの解剖学」自分の使っていた講義ノート類を渡す。

器用なホーマーは分娩の方は難産も含め、十分こなせるようになる。

資金のないラーチは、ホーマーを医学部で勉強させるのに
どのようにしてスポンサーを探すか、考える。

孤児ホーマーにとって
胎児はどうしても命あるものに思えてしまう。

そんな頃、
サイダーハウスオーナーの息子ウォリーが
メイン州海岸沿いのオーシャンヴューから恋人キャンディーを乗せて白い車でやってくる。

彼らについて、オーシャンヴューへ行き、新しい世界、人間関係、
ものを作り出す仕事、恋をする彼を
孤児院で日常をこなしながら、ホーマーが徴兵に行かずに済むよう
心臓疾患のあるように見せかける書類を整備したり、
医学部へ行きたがらないホーマーのため、
彼が愛し、孤児院で幼く死んでいった、先天性肺疾患のファズィー・ストーンの名を使い、
架空の医学修了書をでっち上げる。

 キャンディーとの間に一人の男の子をもうけながら、
戦地で行方不明だったウォリーが下半身不随で帰ってきたことから、
その子エインジェルをホーマーの孤児として
四人は事実を徐々に知りながらも、問いつめることなく、
りんご園を経営し、ホーマーが孤児院を出て15年。

 心のホーマーを探し続けた怒りをバネに生きたメロニーの一言。
「あんたはいずれは爺さんみたいになるもんだとばかり思っていたのに」
「もちろんラーチよ」
「だけどあんたはこそ泥さ!とんだ伝道師よ!」

エーテル吸引中の失敗で老ラーチが死んでしまい、
父の子を宿したローズ・ローズの堕胎手術をし、
やっとホーマーは偽医師「ドクター・ストーン」になることこそ、我が人生とする。
堕胎法が無くなるその日まで。

用意周到な準備を、法に関係なく己の良心と信念でとりおこなった、
ドクター・ラーチ。
子ども達が眠る前、
「おやすみ、メイン州の王子。
ニューイングランドの王」
こういってほほえみ、
自分はひたすらエーテル中毒患者で、不眠症でありつつ、
死ぬまで愛ある「セント・クラウズ小史」を記録し続けたラーチ先生…。
朗読者  
 ベルンハルト・シュリンク著/松永美穂訳/新潮社
1940年代に生まれた、ドイツの法律学教授=ミヒャエルを主人公に、
彼が15才の時に出会った「ハンナ」という20ほど年上の女性との、
お互い、心の琴線に触れるつながり。
 ‘人に出会うってこういうことなんよねぇ......’
 読んだ後、妙に気持ちいい、読みやすい作品。
人の心の厚みを感じる本。
 ハンナの悲しいまでのプライドが、すっごく魅力的。
一人の人間として、他者と対等に向き合おうとするとき、
幾つかのコマを持ち合わせない人間に、
プライドは大事な要素だよね!!って、うんうんって、うなずいてしまう。(@_@;)

 そんな彼女に多感な時期を錯綜させた、さすが法史学を選んだ人間と思える、
ミヒャエルの律義な心の内奥さがハンナのプライドを凛と輝かせる。
 
 15の少年と30過ぎた女が対等に求めあうって、一般的には不思議かもしれないけど、
貧しく育ち、17で労働者になり、21で軍隊に入り、
戦争中は強制終了所の看守をしていた、
他人に隠してはいるが実は文盲の彼女にとって、
やっと等身大に心を解放できる気がする相手だったのかもしれない。 

 ミヒャエルの家族の留守中、たった一度だけ、ハンナが彼の家を訪れる。
哲学の教授であるその父親の書斎。
その壁を埋め尽くした本の背を1つ1つ指でなぞっていく描写が、
たとえようもない美しさで(文盲であることの伏線もあってか)迫ってくる。
「その本を少し読んでちょうだい。嫌なの、坊や?」
「あんたもいつかこんな本を書くの?」

 自分の部屋では、ミヒャエルのプレゼントされた絹のネグリジェを着て
鏡の前でステップを踏み、踊るハンナ............
年齢とずれる反応のギャップの美。
二人の逢瀬に本の朗読が入った。
「読んでみて!」
「自分で読みなよ。持ってきてあげるから」
「あんたはとってもいい声をしてるじゃないの、あんたが読むのを聞きたいわ」
彼女は注意深い聴き手だった。

 1960年代半ば近くの「アウシュビッツ裁判」で、ハンナは当時の看守の一人として
裁判にかけられる。
 「自分は義務を遂行したまでで、ユダヤ人殺害については知らなかった.........」
元看守達の言い分。
文盲であることを、あくまでも隠し通して、どんどん不利になっていくハンナ........
彼女が守りたいのは、受刑の長短より、人としての自由と尊厳。

 ミヒャエルはハンナの過去を知り、苦悩しつつ、その感情から逃げ出したくても
逃げ出せず、
そんなある時、「オデュッセイア」を声を出して再読しながら、いつのまにか、
ハンナのために朗読、カセットに吹き込んで、刑務所に差し入れることになる。
最初にカセットを送ったのが彼女の服役後8年目、最後に送ったのが18年目。
10年送り続けたことになる。
気に入った作品や自分の執筆原稿を吹き込んで送り、
ハンナはミヒャエルにとって創作力、批判的想像力を束ねる存在だった。

一方、ミヒャエルから送られたテープと貸し出された本を照らして文字を習得したハンナ。

彼女がプライドで守った「尊厳」。
その長い刑務所暮らしの中で貯めたお金は、「ユダヤ人識字連盟」基金となる。


 レイモンド・カーヴァー傑作選  
レイモンド・カーヴァー著/村上春樹編・訳/

 以前、村上さんが柴田元幸さんとの対談でレイモンド・カーヴァーを絶賛されていたので
一度読んでみよう、見よう 思いつつ日を重ね...。^_^;;*
図書館で借りてきました。
 期待を裏切らない、心に響く短編集の数々に、
カーヴァー全集を読んでみようかなと思うこのごろです。

 中でも私の一番のお気に入りは
 「足もとに流れる深い川」
原題 「So Much Water So Close To Home」

 ある平凡な夫婦の溝が「クレア」という名の妻の側から
リアルに描かれた秀作で引き込まれて一気に読んだ。
 日常の細かい繊細な心理描写が上手い。

 家庭を大事にする「いい夫」とその友人たちは年2回ほど
山へ釣り旅行に行くのを楽しみにしている。

最初の夜、キャンプを設営前に見つけた
川岸から突き出た枝にひっかかっていた死体。
彼らは直ちに警察に届け出る前に、自分たちの遊びを優先させた....。

そこから派生するゴタゴタ。
そこに象徴され、強調される二人の溝。
妻のいらだち、妻の気持ちがわかる夫のいらだち。
その息づかいが行間から聞こえる。

この機微がたまらない魅力です。

他、「大聖堂=カセドラル」「使い走り」なんかも最高です。
短編だから一気に読める楽しみがあります。

 
 さよなら エルマおばあさん   

 写真・文 大塚敦子著/小学館/

スターキティー(猫)が語るおばあさんの思い出。
医者から「多発性骨髄腫」でもう長くはないと
宣告されたおばあさんの最後の一年と彼女の人生を
写真で現した「写真絵本」。

凛として終わりの全うの仕方を
自分らしさの中で選んだエルマおばあさんとその家族。
猫の目を交え、
その数々の写真が
大塚さんの確かな目線のアングルで
きらきら輝き、
本当に「フォト・セラピー」
はらわたに じわじわ染み入る 大切な一冊になりました。
 

 

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