ジョン・アーヴィング著/真野明裕訳 文春文庫上下/各¥728 養子先にもらわれないホーマーに
ラーチは自分の仕事を教えていくことにする。 彼の人生観の極致かもしれない。 「産科処置法をさ、ホーマー」 「神の業と悪魔のをな、ホーマー」 「いいかホーマー、おまえは高校にも入らないうちに医学部を修了することになるんだぞ」 読み古した「グレイの解剖学」自分の使っていた講義ノート類を渡す。 器用なホーマーは分娩の方は難産も含め、十分こなせるようになる。 資金のないラーチは、ホーマーを医学部で勉強させるのに どのようにしてスポンサーを探すか、考える。 孤児ホーマーにとって 胎児はどうしても命あるものに思えてしまう。 そんな頃、 サイダーハウスオーナーの息子ウォリーが メイン州海岸沿いのオーシャンヴューから恋人キャンディーを乗せて白い車でやってくる。 彼らについて、オーシャンヴューへ行き、新しい世界、人間関係、 ものを作り出す仕事、恋をする彼を 孤児院で日常をこなしながら、ホーマーが徴兵に行かずに済むよう 心臓疾患のあるように見せかける書類を整備したり、 医学部へ行きたがらないホーマーのため、 彼が愛し、孤児院で幼く死んでいった、先天性肺疾患のファズィー・ストーンの名を使い、 架空の医学修了書をでっち上げる。 キャンディーとの間に一人の男の子をもうけながら、 戦地で行方不明だったウォリーが下半身不随で帰ってきたことから、 その子エインジェルをホーマーの孤児として 四人は事実を徐々に知りながらも、問いつめることなく、 りんご園を経営し、ホーマーが孤児院を出て15年。 心のホーマーを探し続けた怒りをバネに生きたメロニーの一言。 「あんたはいずれは爺さんみたいになるもんだとばかり思っていたのに」 「もちろんラーチよ」 「だけどあんたはこそ泥さ!とんだ伝道師よ!」 エーテル吸引中の失敗で老ラーチが死んでしまい、 父の子を宿したローズ・ローズの堕胎手術をし、 やっとホーマーは偽医師「ドクター・ストーン」になることこそ、我が人生とする。 堕胎法が無くなるその日まで。 用意周到な準備を、法に関係なく己の良心と信念でとりおこなった、 ドクター・ラーチ。 子ども達が眠る前、 「おやすみ、メイン州の王子。 ニューイングランドの王」 こういってほほえみ、 自分はひたすらエーテル中毒患者で、不眠症でありつつ、 死ぬまで愛ある「セント・クラウズ小史」を記録し続けたラーチ先生…。
1940年代に生まれた、ドイツの法律学教授=ミヒャエルを主人公に、
彼が15才の時に出会った「ハンナ」という20ほど年上の女性との、 お互い、心の琴線に触れるつながり。 ‘人に出会うってこういうことなんよねぇ......’ 読んだ後、妙に気持ちいい、読みやすい作品。 人の心の厚みを感じる本。 ハンナの悲しいまでのプライドが、すっごく魅力的。 一人の人間として、他者と対等に向き合おうとするとき、 幾つかのコマを持ち合わせない人間に、 プライドは大事な要素だよね!!って、うんうんって、うなずいてしまう。(@_@;) そんな彼女に多感な時期を錯綜させた、さすが法史学を選んだ人間と思える、 ミヒャエルの律義な心の内奥さがハンナのプライドを凛と輝かせる。 15の少年と30過ぎた女が対等に求めあうって、一般的には不思議かもしれないけど、 貧しく育ち、17で労働者になり、21で軍隊に入り、 戦争中は強制終了所の看守をしていた、 他人に隠してはいるが実は文盲の彼女にとって、 やっと等身大に心を解放できる気がする相手だったのかもしれない。 ミヒャエルの家族の留守中、たった一度だけ、ハンナが彼の家を訪れる。 哲学の教授であるその父親の書斎。 その壁を埋め尽くした本の背を1つ1つ指でなぞっていく描写が、 たとえようもない美しさで(文盲であることの伏線もあってか)迫ってくる。 「その本を少し読んでちょうだい。嫌なの、坊や?」 「あんたもいつかこんな本を書くの?」 自分の部屋では、ミヒャエルのプレゼントされた絹のネグリジェを着て 鏡の前でステップを踏み、踊るハンナ............ 年齢とずれる反応のギャップの美。 二人の逢瀬に本の朗読が入った。 「読んでみて!」 「自分で読みなよ。持ってきてあげるから」 「あんたはとってもいい声をしてるじゃないの、あんたが読むのを聞きたいわ」 彼女は注意深い聴き手だった。 1960年代半ば近くの「アウシュビッツ裁判」で、ハンナは当時の看守の一人として 裁判にかけられる。 「自分は義務を遂行したまでで、ユダヤ人殺害については知らなかった.........」 元看守達の言い分。 文盲であることを、あくまでも隠し通して、どんどん不利になっていくハンナ........ 彼女が守りたいのは、受刑の長短より、人としての自由と尊厳。 ミヒャエルはハンナの過去を知り、苦悩しつつ、その感情から逃げ出したくても 逃げ出せず、 そんなある時、「オデュッセイア」を声を出して再読しながら、いつのまにか、 ハンナのために朗読、カセットに吹き込んで、刑務所に差し入れることになる。 最初にカセットを送ったのが彼女の服役後8年目、最後に送ったのが18年目。 10年送り続けたことになる。 気に入った作品や自分の執筆原稿を吹き込んで送り、 ハンナはミヒャエルにとって創作力、批判的想像力を束ねる存在だった。 一方、ミヒャエルから送られたテープと貸し出された本を照らして文字を習得したハンナ。 彼女がプライドで守った「尊厳」。 その長い刑務所暮らしの中で貯めたお金は、「ユダヤ人識字連盟」基金となる。 |
以前、村上さんが柴田元幸さんとの対談でレイモンド・カーヴァーを絶賛されていたので 一度読んでみよう、見よう 思いつつ日を重ね...。^_^;;* 図書館で借りてきました。 期待を裏切らない、心に響く短編集の数々に、 カーヴァー全集を読んでみようかなと思うこのごろです。 中でも私の一番のお気に入りは 「足もとに流れる深い川」 原題 「So Much Water So Close To Home」 ある平凡な夫婦の溝が「クレア」という名の妻の側から リアルに描かれた秀作で引き込まれて一気に読んだ。 日常の細かい繊細な心理描写が上手い。 家庭を大事にする「いい夫」とその友人たちは年2回ほど 山へ釣り旅行に行くのを楽しみにしている。 最初の夜、キャンプを設営前に見つけた 川岸から突き出た枝にひっかかっていた死体。 彼らは直ちに警察に届け出る前に、自分たちの遊びを優先させた....。 そこから派生するゴタゴタ。 そこに象徴され、強調される二人の溝。 妻のいらだち、妻の気持ちがわかる夫のいらだち。 その息づかいが行間から聞こえる。 この機微がたまらない魅力です。 他、「大聖堂=カセドラル」「使い走り」なんかも最高です。 短編だから一気に読める楽しみがあります。
写真・文 大塚敦子著/小学館/ スターキティー(猫)が語るおばあさんの思い出。 医者から「多発性骨髄腫」でもう長くはないと 宣告されたおばあさんの最後の一年と彼女の人生を 写真で現した「写真絵本」。 凛として終わりの全うの仕方を 自分らしさの中で選んだエルマおばあさんとその家族。 猫の目を交え、 その数々の写真が 大塚さんの確かな目線のアングルで きらきら輝き、 本当に「フォト・セラピー」 はらわたに じわじわ染み入る 大切な一冊になりました。 |