柔らかな頬  
 桐野夏生著/講談社 1800円

  先日この作品、佐藤賢一さんの「王妃の離婚」と共に直木賞を受賞されました。
  たまたま、夫が持っていたので、ミーハーで(笑)さっそく読みました。
  これ、読みやすい、惹かれる部分のあるミステリー作品でした。
  人間の危うい関係、その微妙な接点の距離感が
丹念に書かれていたような気がします。
  北海道の、うらさびしいきびしい自然の中。狭い人間関係の、
もどかしい親子関係の鎖を断ち切って高校卒業と同時にぷっつり
東京へ家出した「カスミ」。
 その後20年以上一切両親とも誰とも連絡を取らない。わかるような、
曖昧なようなその心情が、
でもなんだか薄らぼんやりの消化不良の部分で残ってもいます。
そんな気持ちを引きずりながら、話は進み、二女の母となり、小
さな印刷活版会社を経営する夫を助け、
経理の仕事をしつつ、子育てにも疲れている「カスミ」の心の隙間に、
根っからの都会人と思われるデザイナーの石山の存在が入ってしまう。
 石山にとってもそつなく生きてる自分たちとは違うように見える「カスミ」が
気になる存在であった。
二人はそれぞれが別の結婚を選択する前に、何故接近できなかったか、
消化不良が残る謎。
その曖昧さが、だからこそ、おざなりの不倫関係を生み、
そういう曖昧な人間関係の様々な交差が、
「カスミ」の長女の突如の失踪事件をおこす。
 そしてここから、カスミや夫、石山、妻典子、別荘管理人夫婦、その使用人。
別荘地に来ていた豊川さん家族、その地区の警邏警官。
その誰もがカスミの娘の失踪に係わりうる疑惑....。
誰もが本来の心根を引き剥がされていく様子。
 どこからも見つからない娘を捜し彷徨する4年の月日とカスミのこころ。
 失踪人を探すTV番組をみて、カスミの顔つきに心惹かれる内海。
元バリバリの34歳だが、終末癌をわずらって、
己の魂と折り合いがつかない内海。
 内海とカスミの危うい細い絆が、
意外とだんだん絡まってなんだか強靱な糸になっていく様が、一番の魅力かな。
 もう殆ど死へ直行の内海の彷徨う心がとらえる、夢の中の管理人、
そして警官、その警官が自分とピッタリ重なるなんて.......。


 トリエステの坂道  
須賀敦子著/新潮文庫 

上手く言い表せなくて残念ですが、
須賀さんって、
「上品で上質で、自らの頑なで それでいて柔らかい目を持つ」人。
どこか手本にしたくなるような女性ではないかと惹かれます。
 典型的な良家の子として育ち、ミッションスクールで学び、
聖心女子大を卒業の戦後すぐ、フランスに留学。
 そして、イタリア語、イタリア文学に惹きつけられていった女性です。
 日本文学のイタリア語翻訳家&イタリア文学の翻訳家。
そして、上智大学で教鞭をとった彼女は
50代後半から回顧エッセイのようなご自分の文章を書き始め、
およそ10年後の1998年3月亡くなられてしまう。
 彼女のエッセイは哀愁を帯びた文章というより、
出来事を一歩引いた視野の広い目で見、気取らず、熟した果物が
落ちるような甘い豊熟な文。書き手と文章の間にちょっぴり距離感を置いたような、
なんだか、人としても、そうであったような、
あるいはそういう円熟期の醍醐味のあるエッセイです。

 ミラノで出会ったイタリア人の夫との穏やかな結婚生活が、
3日伏せただけの夫の急死により7年という短さで、もぎ取られてしまう。
 そんな彼女の運命。悲運の中でも、とぎれることなく何となく続いた亡夫の親族との絆。
 夫がこよなく愛し、夜いつも声を出して読んでくれた詩人「サバ」の生きた町。
 そのトリエステという、北イタリアの東の国境沿いの貧しい漁師町。
 そこを彼女は夫の死後20年たって(サバの死後では35年)初めて訪れる。
 たずねることで、長い間のサバに対する(トリエステに対する?)
こだわりの奧にあるものを、見据えようとこころみる。
 トリエステのサン・コロニー街にあるサバ書店(サバが実際長くいた所)
 そこにまっすぐ行くのがもったいなくて、そして怖くて、
途中の細い入り組んだ何本もの坂道をあちこち行ったり戻ったりして、
別の角度から昔の息吹を嗅ごうとする須賀さんの呼吸が聞こえてくるようだ。
 「ただ何もかもが地味だった過去の時間をゆっくり生きている」・・
そう須賀さんがあらわすトリエステの町。

 そんなトリエステらしさを私の脳裏でイメージするとしたら、
やはりイタリア映画「BARに灯ともる頃」で最初の場面に出てくる
ちょっとうら寂しい港町です。
(撮影場所はたぶんイタリア中部地方のちっさな港町だったと思うのですが)

 彼女の心の奥の扉をなかなかこじ開けてくれない現実のトリエステ巡りの中、
夕方の空に漂うフレンチフライを揚げる匂いと歩道を歩く高校生や老人と手をつなぐ
白い靴下の小さな男の子が、突如、彼女の心の鍵を開け放つ爽快感が伝わる。
 トリエステに惹かれるわけ、理由が向こうからやってくる。

 「サバの中に流れている異国性、異文化の重層性。サバはユダヤ人を母として生まれただけでなく、
トリエステという、ウィーンとフィレンツェの文化が合流しせめぎあう街に生きたのだ」
 「二つの世界に生きようとするものは、
たえず居心地のわるい思いにさいなまれる運命を逃れられないことを」

 これは、たぶん須賀さん自身の心の文化の重層性でもあり、苦学して知識人となった
夫のペッピーノの重層性にもつながり、やがて彼女が思いをはす、出会うときにはもう亡くなっていた
ペッピーノ氏の風変わりな父、ルイージ(鉄道員)の心の重層性にもつながる・・・・
 そうして、12個の短編エッセイとして
イタリアの親族あるいはそのまわりの身近な人の出来事が記されている本です。

 「キッチンが変わった日」の中で、新婚当時の住まいをこう記しています。
 「一応、最低限のものは揃ったのに、築後35年の天井の高いアパートメントは、
いつまでたっても仮住まいといった感が抜けなかった。
時間が経っても、家具と家具が呼応し合って、ひとつの家の雰囲気を醸し出すということがないのを、
私はずっと自分たちの貧しさのせいにしていた。
内容さえ充ちていればと思うのに、いつまでたっても、
荒涼とした廃墟で暮らしているような感じから抜け出せなくて、理由がわからないまま、
私はあせっていた」

 この振り返りの心理の奧に
夫ペッピーノの急死以前の彼の家を襲った不運に心を泳がす須賀さんがみえる。
夫の兄・妹・父という3人のあっけない死のたとえようのない暗い深い闇が
神経を麻痺させ解らなくさせるほど、彼や自分やまわりの空気を圧していたのではないか・・・・・・
振り返るそんな想い・・・・・・
 須賀さんという良家育ちの留学生が、いわゆる下町風の鉄道官舎で育ったイタリア人の
ペッピーノ氏に惹かれ、感性を共にしていく様が、彼亡き後も続いているのをのぞき込むような気持ちになります。
 これがけっこう、私たち自身の心のたよりなさ、入り組みようを刺激して心地よく、
これからの秋の夜のお供にお薦め作品です。
 私はこの次、須賀さんの本「コルシア書店の仲間たち」も読んでみたいな。

 後日の話  
    河野多恵子著/ 文芸春秋

 書き出しがいきなりこうなんです。

 (十七世紀のトスカーナ地方のさる小都市国家で、結婚生活二年にして、思いもかけぬ
出来事から処刑されることになった夫に、最後の別れで鼻を噛み切られ、その後を人々
の口の端にのぼりながら生きた、一女性についての話である。)

 「明日起きられなくなるーー」って思いながら一気に読める、河野さんらしい?しゃれた、
品のある味わいがあって、夢見ごごちな気持ちになって こういうの私結構好きです。

 正直、今、自分の人生、折り返しを過ぎちゃい、生活も守りに入っちゃうし、
とりあえず出来ることは日々を一生懸命に積み重ねるしかない感じ。

 でも、この本の主人公「エレナ」のような、
幼いときから、大人の子どもあしらいの間尺には合いかねる子は、
しかも なかなかの美女で、恋文をたくさんもらうお年頃のなっても、
(極くつまらない人でも、恋文に較べりゃ余程まし。
素敵な恋文をみたことは一度きりしかないわ。
 「こっちへお寄り」と大きな文字でそれだけが書いてあった。)

 こんなふうにあっけらかんと云えるそんな大胆不敵、感情の思いのままに生きる
彼女だからこそ、凡庸な人生の選択が出来なかったと云えるでしょうか。
そして、だからこそ、視える、生きることの深み、
見ようによっては人生の奈落の過程の恍惚感を味わう。
 だから その最後の選択が、凡人である読むものの心を打ちのめすのだと思う。

 単刀直入な帽子屋のジャコモの恋文にピーンときたエレナは、
すぐさまの短い期間で、結婚する。
 眼は活々とし、希望と幸福にあふれているような笑顔の感激屋のジャコモは、
しかし、怒ると激怒派で、落ち込むと陰気でしつこい部分もあり、
その性格が結局、過失による人を殺めた罪で、刑死することになる。
(その都市国家刑法は決闘と公務によるものを除き、
情状があろうと過失であろうと人を殺せば斬首の刑に処された)

 執行前に例外的面談を許された二人。
「赦しておくれ、何もかも」
そう言ってエレナの鼻を噛み切ったジャコモ。
 「妻はあのように何ともいえず人眼を惹きます。僕は妻にずっと僕のことだけを
忘れずにいて欲しかったのです。遺してゆかねばならない以上、
ああするしか仕方がなかったのです。
思いがけず面談が許されたと知ると、急にその考えが浮かびました。」

 人々の噂はすぐに広がり、
死んでいく夫に鼻を噛み切っておかれるような目に遭うのは、
ジャコモのやきもちばかりじゃない、
あのエレナのことだものと人々は様々に取沙汰する。

エレナが気に入っているジャコモの遺言書。
「エレナに、双方の両親に、我々の七人の兄弟姉妹に、許しを乞うのみ。
我が子はエレナとのあるやもしれぬもののほかには、いっさい無し」
「乞うのみ・・・全くその通り。よくぞこれだけを言ってくれたわ。
のみ、と簡潔に言っているのがいいわね。」
 誘われて馬車での散歩をし、1年ぶりに海を見、帆船を見る中で、
エレナは不意に人生の叫び声を聞いた。
 そして彼女はジャコモの石膏像を作成してもらい、その像の鼻を
自分とのそれと同じように削る。ジャコモがそうなってから、
彼女には、本当にその後のジャコモが身近になった。

 それから十数回の一人っきりの結婚記念日を過ぎ、この二、三年
エレナは我が身の刑死を想い
はじめ、空想、願望から、さらに本物になってきた。
 ジャコモの眠る刑死者の墓地を初めて訪ね、
どこに葬られているかも解らない清らかさに
そして、自分もまたどこに葬られようと、彼は知る由もないと感じ、
霊魂という考えからも自由になり、刑死願望は本物になった。
 彼女の鼻を噛み切って逝ったジャコモだけが、彼女の中のジャコモ。
そのジャコモに対する大きな甘えと激しい縁切りが、
情欲のようにかれとおなじ刑死を願望させる。

 自分の感情の中に埋没する艶容さ、
出来るだけ他の人の迷惑にだけはならないようにしようとするけなげさ。
顔に疵(きず)を持つことで、内面で捕らえるもの、
視つめるものが変わってしまった、
孤高の女の心の鋭点かもしれない・・・・・・

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