血と骨 
梁石日(ヤン・ソギル)著     幻冬社
  知人に 「読んでみる〜?」って貸してもらったけど、表紙の画がとってもこわいんです。
タイトルも怖い。しんどそうやなって しばらく机の横に置いていたのですが、
読み出したら、重いけど、 とっても引き込まれる 濃いめの人が うようよ登場する!!

 ものすごい人生の渦の中!!で読み終えることができない。
啓示がいっぱい隠されているようだ。
 おどろおどろしているけど読んでしまう、麻薬?みたい。
 時代の 縮図の泥の中を 内から外から 
筆者はたんたんと ひたすら 一気に綴っているかのようだ。 
血やしがらみを断ち切ろうとしてなお残る複雑な感情を、
抑えた深い 冷めた目で書ききっているところがすごいと思った。
 掘りさげることが出来るような人物がごろごろ。
 途中あくの強い人物にしんどくなったとき、何度も裏扉の筆者の顔写真を眺めた。
とっても優しい目です。
          
 これは、朝鮮半島から大阪へ渡ってきた人々の昭和初期から終戦をはさみ、
1973年までの、疾走する生き様物語です。
そしてこのそら恐ろしい主人公=「金俊平」の息子が著者なのです。
 それにしても、苦しい、苦い生活の中で、女たちはあまりにも 熱く、働き者だ。
 子供のため、夫のため、親のため、ひたすら働く!!!!
血のために働くのが本能であるかのように。
 報われるものなんか何〜〜もない!!なかで、
手を、足を、智恵、体を 惜しむことなく使い切って死んでいく。
その幾多のおんなが あまりにもいたい。
 人生 って、やっぱり、それぞれ一人一人の上にしかないのかもしれない。
 それにしても産んだ子を死なせてしまい、また孕み、また死んで、
それでも働き生き続ける「さが」が う〜ん、せつない。
 一番下層の暮らしを強いられた人たちの中に大きな時代のうねりが走り、
人間のあらゆるどろどろした感情が渦巻き、交差する。
 それを余すことなく描き出してくれた著者の力と血 に思いを馳せ、
お酒を飲みたいと思った。 
久しぶりに濃〜い小説を一気に読んだ。
 

  死は炎のごとく 
梁石日(ヤン・ソギル)著/毎日新聞社/1800円
この本の読後感の一筆を
時々イラストを描いてもらっている「満月」さんからいただきました。
その感想があれば、「満月」さんにファンレターを!!(^o^;;*)
☆★☆★☆★☆★☆★☆★
うーーん、なんともうしましょうか。しんどい。
『血と骨』の時よりは軽いですけんど、しんどい。在日の人たちの感情を
ねちっこく書くのは、
やっぱうまいですねえ。ねちっこいのがしんどいのか、
普段見て見ぬふりをしている自分が突きつけられてしんどいのか知りませんけどね。

猪飼野の辺りの情景(特に道の細いところ)から鶴橋上六難波にかけてのリアルさは
どうでしょう。
読んでいるこちらまでが、どっぷりと、生暖かい景色の中にひたってしまいまする。
土地勘のない人にとってはつらいかもしれませんね。
遠くの人は、どうぞ大阪観光においで下さい。
それに比べると、東京や韓国の情景のあっさりしたこと、思わず笑ってしまいますわ。

本の中身は、テロルに至る主人公の情念を積み上げて書き込んではります。
もう映画を意識してはるんとちゃうかいなという感じです。
KCIA、公安警察、刑事警察、過激な人たち、運動体の人たち、
ホンでから姿はまともには見せないけどCIAや北朝鮮諜報機関の影、
よろしいですなあ。うまいもんですなあ。

そやけど、一番印象に残るのは、やっぱり先に書いた大阪の景色なんです。
千里ニュータウンや万博に絡めた自分の思い出、そんなものが出てくる、
なにやら同窓会のような本なのです。
むっちゃ主観的な読み方をいたしております。(満月)


  ミラノ 霧の風景 
(エッセイの小径)  須賀敦子著   白水Uブックス

 全く気負いのない文章で、60になってから、20〜30年も前のことを、
まるで昨日のことのように、生き生きと自由に、しかも、瑞々しく描かれていて、
行ったこともない私のような読者でも、{ふんふん、なるほど〜」ってうなずいてしまう。
不思議な率直さと何よりも美しさを感じた。

 20年という時を置いたからこそ、自然に書けるエッセイかもしれません。

 霧のミラノの街の描写から始まり、ミラノへの思い入れを、
若くして亡くなったミラノ出身の夫との会話の想い出。まるで須賀さんが机の前で
原稿用紙を広げ、
どんなふうにイタリアを、ミラノを美味しい手料理で描こうかと、
遠目で目を細めている姿が浮かんでくるようです。

 1953年、貨客船でイタリアのジェノワに入港、パリ大学に比較文学専攻で留学した
須賀さん。
ヨーロッパの言葉を2カ国習得しなければいけないことがわかって、
夏をイタリアのペルージャの外国人大学で過ごしてイタリア語を文学の講義を通して学び、
後に、ローマ大学にも留学します。

 文学や詩に現れる風景とその時の自分(須賀さん)が見た風景が交差する。
たとえば[《追憶》と題された詩では、
窓辺にあって、遠くの畑から聞こえてくる蛙の声や、生け垣の花の上を飛び交う蛍に、
少年の日を追憶する詩人に姿が描かれている。
その詩に「におい立ちこめる並木道」とあるが、
それが須賀さんの下宿の窓から入ってくる菩提樹の花の薫りにぴったりあわさり、
記憶の中で凝縮される。
あれと同じ匂いには二度と再会できない]いう透明な感性が
やっぱり、独特の、説得力となって、おもしろい。

 翻訳という仕事をするようになってからも、小説舞台の土地の風光の匂いを感じ取り、
それらのページを埋める遠い時間の出来事を
自分の生きた時間にたえず重ねながら訳す姿勢が、
エッセイの各々所できらめいている。
 「きらめく海のトリエステ」って小題のエッセイは、亡くなった夫の熱愛した
詩人サバの故郷で、
アドリア海に面した国境の町を訪ねた風景。
 とってもジーーンときて、言葉の流れが綺麗で、須賀さんらしさが
なんだか一番感じられて、好きでした。


火の山ー山猿記  

  上・下巻   津島佑子著   講談社

 津島佑子さんの本を読むのは、十数年ぶりかも ;^.^;A しれません。
 好きな作家の一人なんですが、なんとなく、津島さんの
子宮の中を泳いでるってかんじで、
息詰まってちょっと休憩中だったのです。
          
 誰がどんな書評を書いていたのか覚えていませんが、
新聞書評で、ちょっと、インプット。本屋で、手にし、買いました。 
 重いテーマですが、末広がりのする、読後感のさわやかさと品を味わえました。
 グッと引き込まれる、手元に置いて何度も読み返したくなる本です。
 そして、この本の根底の舞台である、甲府の山の周りを
本の流れに沿って、いつか必ず、歩いてみたいと思いました。

         
 物語の主な書き手は勇太郎さん(第一次世界大戦に日本が参戦の頃誕生・姉弟の
末っ子)ですが、
家系図の人間すべてが、あつく、懸命に生きづいている本です。
 アメリカで産み育てた子供たちへ、残してやりたい自分のメッセージ。
あるいは、年齢も70を越え、長いアメリカ生活の中で
忙しさに隠れ自分で蓋をしてきた、自分の中に深く重く流れる「有森家」の血潮を
確認したかったのでしょうか。

 モチーフはすごくおおざっぱにいえば、「人間賛歌」だろうか?!?!?!
津島さんにいまいちあわないような雰囲気の言葉だけど...
上手い言葉がわからない。見つからない。
 津島さんは作家「太宰治」の娘さんで、実際の父のぬくもりを知らないのに 
父がのしかかって来た 人生でしょうし(自分も作家を選んだし)
離婚、息子さんの死もあって、自分の生にとことんこだわって、
うめいて、そして、何かを越えられたような気がする作品です。
 どうしても、そういう目で見てしまうせいか、「杉冬吾」が「太宰」とかさなり、
津島さん自身が、その妻や子となって彼を包み込んでいる、
そんな思いにも捕らわれる作品です。
 桜子の死への旅立ちの部分は深く胸うつ。
   「自分はこれだけの時間を生き、そしてこれを終えた。始まりがあれば終わりがある。
       単純な終わり。後悔も満足もない。ただそれだけ。死とはそうしたもの。」

 桜子のうわごと: 昇仙峡にハイキングに行きたい。鳳凰山に登りたい。
荒川で泳ぎたい。
万力林にお弁当持ってピクニックに行きたい。
 本栖湖に行って富士山を見たい。.......
 甲府の山、沢、谷、石........
 源一郎の声...(石の声を聞くにはじぶんも石にならなけりゃダメなんだぞ。
つまらねえ考えは全部忘れて、地面と一緒に息をするんだ。
 聞こえてくるだろ。石の声。石のイノチさ。こんなに美しいもんなんだぜ、
この地球は。.....) 

     霧がかかってる部分もあります。
 どなたか、何人かで、この本のページかテーマを決めて、
 意見?交換して、いつか、甲府を訪ね歩くツアーなんて、しませんか? ;^_^;A
 足腰が弱らないうちにう〜〜ん、四〜五年後くらいにそんなことが出来たら...
 なぁんて、ゆ・め・です。 ;^.^;* *

 鳳仙花  

  中上健次著/新潮文庫

 
先月だったでしょうか。
’92年に亡くなられた作家「中上健次」のお母さんの死亡記事が
新聞に小さく載っていました。
そこに「鳳仙花」は母をモデルにした作品として知られているって
書いてあったので、
文庫を見つけて買ってきました。
 なんだか、作家「ヤン・ソギル」のお母さんと似た部分もあるような気がしました。
 同時代なんでしょうね。
 苦労して、でも したたかに、一生懸命自分も生き、そして子供を育て、
それを見ながら、あるいはそんな一人の女の熱い人生に想いを馳せる
作家たちが育っていったのでしょう。
 もう、こう云うのは、卒業やと思いつつ、ついつい読んでしまうのは、
自分たちの親の世代の苦労につながる部分もあり、
なんといっても、息子たちが愛情を注いで書いた作品。
きつい状況の苦労の人生の中でも
生き生きとした女性像が描かれているからでしょうネ。
 なんで題名が鳳仙花なんだろうと思いました。
状況が変わる節目節目に確かに鳳仙花が咲いてる描写があるのですが、
わたし自身、鳳仙花にただの一度も心を引かれたり、立ち止まったりした記憶がない。
結構注意して読んだつもりなのですがあんまり解りませんでした。
種が出来るとき、パーン、パンってはじけ飛びますよね。
でもそんな描写もなかったなぁ。
 でも一気に読み進んでしまう小説であることは確かです。


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