「ケーススタディ:タイの社会保障制度」

平成12年度厚生科学研究特別研究事業
「社会保障分野の国際相互協力にかかる人材育成手法の研究」
主任研究者広井良典(千葉大学法経学部助教授)
分担研究者駒村康平(東洋大学経済学部助教授)
報告書[2001.4]所収(一部加筆修正)

千葉商科大学商経学部非常勤講師 和泉徹彦

タイの社会経済

タイの人口は1999年において約6180万人,76県に分かれていて人口の約20%は都市部に住んでいる.民族構成はタイ族が80%,華僑が10%,マレー族・山岳少数民族が10%となっている.国籍法上は99%がタイ人であり,公用語はタイ語である.国教として定められた宗教は無いが,仏教徒が約95%,イスラム教が約4%であり,キリスト教は1%未満となっている.タイ人の多くが熱心な仏教徒であるため,成人男子は生涯に1度は出家して仏門に入る習慣があり,日常的に寄進も行われている.

タイ経済は1980年代から1990年代にかけて平均5.9%の経済成長率を達成し,アジアNIEsに次ぐ経済力を示してきたが,1998年の通貨危機ではマイナス成長となった.1998年以前は国民一人当たりGDPは3000ドル程度あったが,1998年には1800ドルに落ち込んでいる.通貨危機は社会経済に大きな影響を与えたが,特に都市部における労働者の失業及び出稼ぎ労働に頼っていた貧しい農村部へのダメージとして現れた.都市部失業者を農村が十分に吸収できなかったことが報告されており,タイにおける社会保障の重要性が再確認された.(TDRI[2000])

タイ民主主義:国王の下の平等

政府とは独立しつつも国民に信頼されている開明的なプミポン国王の存在は重要であり,立憲君主制の下で国王により民主化が進められるという特異性を持つ.国家開発プロジェクトには,政府によるものと王室によるものとが併存しており,国民ニーズにより敏感な王室側のプロジェクト立案には評価が高い.

タイの基本的な経済政策を方向付けたサリット政権を含めて,軍部は政治的に大きな影響力を持ってきた.軍部のクーデターは最近では1991年のものが記憶に新しい.軍部は文民を首相にしたがり,政党が議会中心に民主化を進めて軍の影響力を弱めようとすると「議会独裁」という「軍部独裁」に対立する用語法を用いてクーデターに至る論理となる.軍は周辺アジア社会主義国への外交主導権を握っており,対外的な政策を政党中心に進められることを好まない.1991年のクーデターは,陸軍内部の権力争いの表面化とともに,空港公団からの潤沢な資金を得た空軍の台頭という点が特徴的であった.

タイの共産党勢力は,中国共産党の影響を強く受けており,政党政治の場に参加した社会民主勢力とは分かれて,東北農村部の森林への潜行した.タイ共産党がタイの実状を見ず,中国的な農村観を持ち込み広く支持を集められなかったことに加え,軍部の武力弾圧によって活動を広げることはできなかった.タイと中国の農村の違いとして,中国農民に於ける絶対的貧困層がタイの農家にはそれほど見られなかったことが挙げられる.タイには未開墾の森林があり,農民の意欲次第で耕地を広げることができたからである.その証拠に,1961年の6千万レイから1981年には1億2千万レイと耕地面積はほぼ2倍となっている.

農民の耕地意欲をかき立てる役割を果たしたのが,華僑系のミドルマンである.ミドルマンは農産物の仲買人としての働きと,農村金融が主な役割である.都市の商品をミドルマンが農村に持ち込むことで,農民の生活に変化をもたらした.タイにおけるミドルマンに対する評価は搾取する者として低いが,外国企業の需要と農民の供給をマッチングする重要な役割を負っている.単にミドルマンは農産物を買い付けるのみならず,都市部から農民の購買意欲を刺激する商品を持ち込んで,農産物を増産する動機を形成した.

(表1)タイの工業化
1960年代サリット政権による輸入代替志向の経済政策原則(原田・井野[1998](p.5))
「国家経済社会開発6カ年計画」(1961):重工業化政策を採らず軽工業を中心に振興する.インフラ整備は外国援助を受け入れて政府を中心として行う.安定的な財政金融政策を採る.
「産業投資奨励法」(1960,1962):タイ企業の力が不足する工業部門は,外国資本優遇措置によって誘致した外国企業の援助を受ける.資本財や部品の輸入の増大で貿易収支赤字の拡大を招いて1960年代末には批判を受けた.
現代タイの工業化政策サリット政権の原則を踏襲した上で,輸入代替ではなく輸出志向の工業化を進める.タイ経済のビルト・イン・スタビライザー:輸出品の多様化及び主要輸出品の変化輸出用農産物の開拓と1980年代以降の工業製品

保健医療

1970年頃までのタイの人々が身体の不調を感じたときの行動パターンがSanthat Sermsri[1999]によって記されている.最初は伝統的な民間療法の術士を訪問し,薬局で買った薬で治そうとし,そして最後に西洋医学の私立クリニックを訪れるものであった.現在でも政府系医療機関は好まれず,私立クリニックが支持されている.その理由として,政府系医療機関は治療結果を最優先するあまり患者への看護サービスが良くないのに対して,患者としては医療機関で受けられる看護サービスの良さを重視するというすれ違いがあった.西洋医学の医者が農村部に行きたがらないということから,伝統的な民間療法は一部地域に残っている.

タイの疾病構造は,感染症から心疾患・ガン・生活習慣病へと変化しつつあったが,再びAIDSや結核といった感染症が増加傾向にある.従来は意識されてこなかった精神病についての理解が進むにつれて,これも増加傾向にある.

保健省では,Universal Coverageを掲げた医療保険改革を進行させており,医療サービスを巡る様々な問題の解決を目指している.問題として認識されているのは大きく分けて,効率性の問題,平等の問題,そして医療サービス評価の問題である.

効率性の問題においては,保健医療支出の急増に対してサービスの質・量が向上していないことが注目されている.原因としては,医療サービスを供給するための資源配分が効率的でないと考えられており,人員配置,資材,機器などがその対象である.特に高額でしかも使用頻度の高くない医療機器が購入されたりしている点が指摘されている.

平等の問題においては,国民の20%余りが未だに無保険者であり医療サービスへのアクセスが制限されていること,そして加入している医療保障制度別に保障内容が違うと同時に医療機関においての取り扱われ方が差別されることが挙げられる.無保険者は医療サービスを必要としたときに,治療行為毎に全額を負担して支払わなければならない.そのため,医療保障に加入している比較的豊かな人々が支払う拠出額と自己負担額を合わせた額よりも多く無保険者が支払う状況も生じている.被雇用者のための義務的医療保険の加入者が公立病院で最も優遇されると言われており,これは自己負担の拠出があるために政府が加入を推奨する狙いがあると考えられている.

医療サービス評価の問題としては,ケア不足・薬不足に加えて,医療機関の考える質と患者の期待する質とのミスマッチ,そして医師と患者の意志疎通が欠けていることが挙げられる.公立病院と私立病院とでは,医療従事者に支払われる給料が約十倍違うと言われており,私立病院の就労条件の方が悪いことが指摘されている.一部の私立病院において人件費や薬剤費を抑制した結果として,医療サービスの質が低下しているケースが報告されている.医療機関は病気を治療さえすれば目的を達成したと考えるが,患者は手厚い看護サービスを受けられることを重視するというミスマッチが存在している.このミスマッチは,インフォームドコンセントによる治療方針の決定が行われないといったところにまで及んでいる.

地域医療の試み−家庭看護−

医療サービスの供給は,公私ミックスによって行われている.保健省は,保健医療行政を司ると同時に,全病院数の約65%を経営する最大の医療サービス供給者でもある.1995年時点で医師数は全人口4193人当たり1人の医師がいるが,都市部と農村部ではとても大きなギャップがあり,医療サービスを受けられない地域も少なくない.例えば,医師が最も少ないSi Sa Ket県では,住民22,886人当たり1人の医師しかいない.一方で,首都バンコクは住民998人当たり1人の医師がいる.地域医療の最前線にあるのは保健センターであり,医療サービスの供給面における保障として設立されている.

遺跡で有名なアユタヤにおいて,家庭看護を推進する地域医療の試みが行われている.Dr.Yongyuthは保健省社会保障局に勤務する傍らで,供給サイドの医療保障の試みとして保健センターに支援された家庭看護を推進している.家庭看護は,地域ごとに看護婦を主体に医師も関わる保健センターを設立し,簡単な診療をしたり健康教育,療養指導をするというものである.

保健センターでは,いずれの医療保障にもカバーされない人々が登録することでサービスを受けることが可能である.登録すれば無保険者であっても定額支払いでサービスを受けられ,ターミナルケアや慢性病患者などが家庭で療養するときに,入院したりする場合の費用と比べて大幅に節約できる.医療の継続という意味で,費用が負担できないために途中で治療を止めてしまうというケースを減らせると期待されている.

健康教育という面においても,保健センターの役割が重要となっている.地域住民が公衆衛生概念や医療サービスへの基本的理解を持つことによって,賢く費用を節約しつつ医療サービスを利用して健康を保つことができると考えられる.

タイの地域医療において保健センターは展開されつつあるが,アユタヤのような家庭看護を核概念にした取り組みは,他の保健センターでは行われていない.初期医療を提供する機関として全国に保健センターの設立が進められているため,始まったばかりの試みが一定の評価を得られれば,同様の取り組みを進める地域も増えるものと期待される.

医療サービスネットワーク

公立病院は,都市部を中心に医療圏を設定して役割が与えられている.バンコク郊外に位置するノッパラットラヤサニー病院も医療圏の中心に位置する公立病院である.この病院は,周辺の私立病院やクリニックと毎年更新の契約を交わして,患者が受診できるようにするネットワークを形成している.但し,このネットワークを利用できる患者は被雇用者を対象とした義務的医療保険に加入していることが前提となる.

公私の医療サービス供給がミックスされることは,患者が通いやすい,待ち時間が少ない,歯科治療に割引が効く,さらには公立病院が契約した私立病院やクリニックのサービスの質を保証してくれるというメリットを患者に与える.しかも,2000年のネットワーク活用の実績からは患者が積極的に私立病院やクリニックを利用し,一診療当たりの費用も公立病院に比べて安いことが明らかになっている.

ネットワークが始まった1991年にはわずか2ヶ所だった契約先も,2000年には50ヶ所増えている.契約している私立クリニックを1ヶ所訪ねたが,市場のそばにあって人通りの多い便利な立地であった.しかも深夜時間帯こそ割増し料金をとるもの24時間診療を実施していた.簡単な手術もできる設備を有しており,2人の医師が交代で勤務している.公立病院が医療圏の核となっているのは事実だが,都市部では医療圏が重なり合うこともあり,訪問した私立クリニックもノッパラットラヤサニー病院以外にもう一つの公立病院のネットワークとも契約していた.患者からの評価が高い私立病院やクリニックは,このように複数のネットワークと契約することもできるのである.

(表2)「医療保障を構成する4つの制度」
制度 対象・名称 特長
医療扶助制度(Public Assistance Scheme) 貧困者、60歳以上高齢者、12歳以下児童、障害者、退役軍人、仏教者 無拠出税法式
付加給付 公務員、国営企業職員、及びその家族(CSMBS) 無拠出税法式
義務的医療保険(Compulsory Health Insurance) 社会保険スキーム(SSS)、労働者補償スキーム(WCS)、自動車責任賠償保険(TA) 政労使1.5%拠出(1998-2001は減免)
自発的医療保険(Voluntary Health Insurance) 私保険(PI)、ヘルスカード(HC)

医療サービスの普遍的給付

1997年以降,4つの医療保障制度のカバー率は75%を超えており,医療保障の対象となっていない無保険者の国民は20%余りであり,医療扶助制度の厳しいミーンズテストを通らなかったり,インフォーマルセクターで働いていたり,国外からの移民で居住登録をしていなかったりという事情がある.

医療扶助制度は,スティグマも問題とされているが,保障している内容に比べて行政の人件費や事務経費がかかりすぎているという批判もある.公務員などを対象とした付加給付的な医療保障が存在するが,これは終身雇用で採用された公務員にのみ適用され,毎年契約更新される有期労働者やパートタイマーは義務的医療保険制度の対象となる義務的医療保険制度は,5人以上の従業員を雇用する事業体に義務づけられた制度であり,政労使が1.5%ずつ拠出する社会保険スキーム,労働災害に対応した労働者補償スキームからなる.さらに自動車保有者に対して交通事故被害者に補償する自動車責任賠償保険への加入が義務づけられている.自発的医療保険は,富裕な人々が入院したときに手厚い看護を受けたりするための私保険と貧しい人々が購入することで定額払いになるヘルスカードが含まれる.ヘルスカードの性質としては,健康を害して初めて購入して,費用の軽減を図る目的のものであるため,社会保険とは言い難い.

国民皆保険に向けた医療保険改革の草案が審議中であり,これが成立すれば全国民が医療保障の対象となる予定である.この医療保険改革は,政府内部での調整とともにピープルズパワーの影響も推進力としていることが特徴的である.1997年の憲法改正によって国民による直接法制請求権が認められた.5万人の署名を集めて国会に請求した法案の成立を拒否することはできない.国民皆保険を実現しようとする5つのNGOのネットワークは既に4万人分の署名を集めている.この署名では,身分証明書と居住証明書の2つをコピーして提出しなければならないという条件がついている.農村部で複写機が気軽に使える環境になかったり,居住登録をしていなかったりと,国民皆保険の恩恵を受ける無保険者層が署名に参加できていないという問題が生じている.

NGOネットワークの代表であり,HIV対策など医療分野で25年間NGO活動を続けてきたDr.Jon議員は,全国民が一つの医療保険制度に加入し,制度別に差別されないサービスを受けられることの重要性を強調している.保険財政については,所得比例保険料による全国民拠出と間接税を組み合わせた拠出方式を提案している.署名活動の見通しについては,タクシン首相が身分証明書と居住証明書の両方のコピーが必要な制度を身分証明書のみで署名できるよう変更すると言明しているため,2001年中に法案を国会に提出できると考えている.国民皆保険はあくまでも医療サービスへのアクセス需要を保障するものであり,地方分権化によって地域ごとの選択性を重視していくのが基本姿勢である.

(表3)タイ社会保障関連制度の歴史
1951年
 公務員年金法
1974年
 労働者補償スキーム(Workmen's Compensation Scheme)
1975年
 医療扶助制度(低所得者)
1978年
 公務員・軍人に対する医療保障(国庫負担)
1981年
 低所得者医療カードの発行
1983年
 農村でのヘルスカード・プロジェクト 保健省管轄 村単位の地域型医療保険
1989年
 医療扶助制度を高齢者に拡大
1990年
 社会保障法 (内容は社会保険)
 20人以上の事業所の常用労働者
 傷病給付・出産給付・障害給付・死亡給付
 保険料は政労使が1.5%ずつ拠出
1991年
 障害者社会復帰(リハビリテーション)法
 WHOの提唱したCBR(Community-Based Rehabilitation)に基づく
1992年
 医療扶助制度を児童に拡大
1993年
 社会保障法改正により10人以上の事業所の常用労働者が対象に
1994年
 労働者補償法
1997年
 憲法改正により国民による直接法制請求権が認められる
1998年
 社会保障法改正により老齢年金、児童手当の導入   
 従来の保険料が不況対策で所得の1%拠出に減額
 老齢年金、児童手当に関する保険料拠出は、当初1%で2001年より労使3%ずつ、
 政府1%の予定
2000年
 医療保険改革に関する国家委員会を任命して、国民皆保険を諮問(3年後めど)
2001年
 医療保険改革に関する草案審議、並行して直接法制請求権行使の署名活動が進行
2006年
 社会保障法の対象に農業従事者を加える予定
2007年
 社会保障法の対象に漁業・林業従事者を加える予定

障害者施策

1991年11月に初の障害者に関する法令「障害者リハビリテーション法」(Rehabilitation of Disabled Persons Act B.E.2534)が制定され,1994 年にMinistry of Labour and Social Welfareと保健省により関連省令が制定された.これが障害者施策の基本となる法律であり,WHOが推進するCBRを大きな枠組みとしている.タイにおける障害者施策は,プライマリーヘルスケアと同じく1997年の憲法改正に大きな影響を受けている.Committee for Rehabilitation of Disabled Personsは,障害者施策に関する各省庁間の連携を実現するために設置されている.

タイの障害者数は,官庁によって発表する統計が異なるため正確なところはわからないが,保健省の数字では約480万人で全人口の8%となっている.障害の種類では,半数以上が肢体不自由,2割が視覚障害,そして聴覚障害,知的障害,精神障害と続くが,障害者の定義が目で確認できる範囲にとどまっていることが分かる.知的障害や精神障害は専門家による判断やケアを必要とするものであり,専門的な人材が不足しているタイでは見つけられていない人数が相当数に上ると考えられる.さらに,内部障害のような目では確認できない障害については,ほとんど把握されていない.なお,表で示した障害種別人口は労働社会福祉省の発表している障害者登録をベースとした数字であり,保健省の発表した統計とは異なっている.労働社会福祉省によれば,登録している障害者は約39万人である.

(表4)障害種別人口(1999)
種別 人数
聴覚障害 46,048人
視覚障害 58,181人
四肢障害 174,967人
知的障害 97,700人
その他の障害 11,682人
合計 388,578人

Source: Department of Public Welfare, Ministry of Labour and Social Welfare in Thailand

シリントン国立障害者リハビリテーションセンター

シリントン国立障害者リハビリテーションセンターは,タイにおける代表的なリハビリテーション施設である.外来・入院による診療,理学療法,作業療法のほかに,入院患者を対象とした「自立生活ユニット」が設置されている.その他の公的施設職員,ソーシャルワーカー,当事者団体,そしてNGOスタッフを招いた自立生活セミナーを実施するなど,障害者自立支援の中核的な役割を果たしている.

日本の国立身体障害者リハビリテーションセンター(埼玉県所沢市)をよく研究して運営されているため,機能として極めて似ている印象を受けた.もちろん,官庁や市街のオフィスでは冷房設備が完備されているのに対して,費用を支払った者だけが利用する特別室以外では冷房を行っていないなど,障害者に対する処遇レベルには差別がされている. 「労働災害リハビリテーションセンター」が職業リハビリテーションを受けるための医療リハビリテーションを提供しており,この分野ではモデル施設となっている.この施設はJICAの協力によって1985年に設立された.

パケット障害児ホーム

1970年に設立された障害児入所施設である.広い敷地の中にリハビリ棟,養護学校,ワークショップ棟,食堂,居住棟が配置されており,450名程度が入所している.日本人スタッフ(青年海外協力隊員)や経験豊かな職員も勤務しているが,管理部門の職員が多い割に直接処遇を行う職員が入所人数と敷地面積の大きさに対応できない少なさである.職員の目が行き届かないために児童一人一人に適切な処遇を行うことが困難である.食事時間は職員の勤務時間を反映して朝食が午前7時,夕食が午後4時半であり,比較的自分で動ける児童が他の肢体不自由の児童の食事介助をする姿も見られた.

障害者登録制度

1級〜5級の判定を行う障害者登録制度が障害者リハビリテーション法に定められており,一部の等級では機器やサービスの支給を受けることができる.しかし,障害者全体の5%程度の登録実績しかない.これは,登録制度が地方で認知されていないことや,機器・サービス支給のメリットが制限的なものであることが理由と考えられる.タイ国家予算における障害者施策関連は決して大きなものではなく,予算的制約によって機器・サービス支給はうち切られてしまうため,登録した障害者にすらメリットが行き届かない事態となっている.

なお,支給される機器やサービスとして列挙されているのは,医療リハビリテーション及び福祉機器,在宅教育,職業訓練・職業相談,社会参加のための生活必需品,設備・器具,人権擁護の訴訟に対する支援と政府機関とのコンタクトのサービスである.貧困家庭への給付金や自営のための開業資金貸し付けといった制度も用意されているが,いずれも予算制約からは逃れられない.

障害者雇用

障害者の就業形態としては,自営が最も多いと見られている.1994年に従業員200名以上の企業に対して200名につき1名の障害者雇用を義務づける制度を導入したが,該当企業のおよそ8%しか障害者を雇用せず,約30%の企業は補償金を障害者リハビリテーション基金に納付することで雇用を逃れ,その他過半数の企業は法律を遵守していないという結果となっている.これは,障害者法定雇用は義務づけられているものの罰則規定がないためと考えられる.公務員においては2000〜3000名の障害者が雇用されていると見られているが,正確な人数は把握されていない.

キノコ栽培プロジェクト

国際的な援助スキームの一つとしてFAOがタイ政府と連携して実施しているキノコ栽培プロジェクトは,障害者自立支援の代表的なプロジェクトと言える.このプロジェクトは1999年2月にタイ北東部のUbon Ratchathaniで始まり,2ヶ月間の研修プログラムを受けた47名の修了生は地元に帰って半数以上がキノコ栽培事業を始めたという実績を残している.一番最初に研修を受けたグループの修了生のうち何人かは,開業して1年と経たないうちに借入金を返済し順調に利益をあげている.

なぜキノコ栽培が障害者自立支援のために選ばれたかといえば,キノコが日常生活で食べられている商品価値の高い作物であると同時に,栽培を始めるにあたって費用があまりかからないという特徴があるためである.

FAOは首都バンコクなどの都市部ではなく大多数の障害者が生活する農村部に目を向けて,彼らが自立生活を行うために必要な支援としてキノコ栽培プロジェクトをタイ労働社会福祉省と協同して実施した.タイの障害者施策が予算的制約により限定的なものになっていることを述べたが,このプロジェクトにおける修了生の多くに自営のための開業資金貸し付け制度が適用されており,労働社会福祉省としても強く関心を持っていると見られる.

労働社会福祉省が,研修センターのキノコ栽培農場を運営し続け,修了生に開業資金を貸し付けるという条件は必要であるが,農村部において障害者が自立生活を行うための支援プロジェクトとしては成功している.

JICA報告書[2000]も触れているように,「タイは社会・経済的にインドシナの中心国であり,周辺諸国に対して大きな影響力をもっており,また,障害者支援分野でも周辺諸国より先んじている.よって,今後,インドシナ引いてはアジア・太平洋地域に係る障害者支援の協力を行ううえで「タイを核とした周辺国への障害者支援」は協力を効率・効果的に行ううえで重要なフレームワーク(p.23)」である.

社会サービス

障害者福祉を含めた主に社会サービス全体を所管しているのは,労働社会福祉省の公共福祉局である.公共福祉局は,以下の社会サービスについて責任を負っている.

社会サービスの実施は,国レベルでの公共福祉局,県レベルでの公共福祉事務所,郡レベルでの公共福祉事務所,そして村レベルでの福祉支援センターという組織構造で行われている.意志決定の組織としては,国,県,郡,そして準郡レベルに委員会が設けられており,要求をボトムアップであげていく仕組みが存在する.

タイの社会サービスは,公共福祉局所管のサービスだけではなく,他の官庁の所管になっている部分もある.例えば,障害を持った児童の養護教育は教育省の所管であり,戦傷者の福祉は,国防省の所管となっている.

タイ高齢者施策

1999年の国際高齢者年にあわせて,タイにおいては高齢者宣言が行われた.これは,高齢者が社会に貢献する人々として敬意を払われ,社会から報われるよう,政府・民間を問わず全ての団体が高齢者の権利を擁護することを宣言するものであった.他のアジア諸国と同様にタイにおいても家族を通じた世代間の結びつきは伝統的に強く,平均寿命が男女とも60歳代かつ高齢者率が1996年時点で5.2%と低いが,次第に高齢化が進むことは確実であり,高齢者宣言は高齢者の存在を改めて確認したという意味を持っている.

タイにおける核家族化及び少子化傾向は進んでいる.1990年の調査では核家族は70%近くに達し,大家族は20%台にあることが判明した.しかし,高齢者の医療費を誰が負担しているかという別の調査では,軽い病気で30%程度,入院等を必要とするような重い病気で60%程度の子どもが自分の親の医療費を負担していることが分かっている.つまり,核家族化が進んだからといっても,直接的に高齢者世代と現役世代の扶養関係は失われていない.少子化傾向を見る指標である合計特殊出生率は,1960年代に6.2を超えていたが,1990年代には2.2程度となり,2000〜2005年には2.0を下回ると予測されている.現在は,子どもが高齢者の親を扶養するという関係が残っているが,将来的には子どもの数の減少により社会的な支援が必要となる可能性がある.

高齢者施策を担当しているのは,労働社会福祉省公共福祉局である.高齢者施策には,施設福祉サービスとコミュニティ福祉サービスがある.どちらも予算的制約によって十分なサービス供給が行われているとは言い難いが,施設福祉よりもコミュニティ福祉を充実させていきたいという意向が見られる.これは保健医療でも言われていることだが,事前予防策を充実させるためにコミュニティを基盤としたサービスの提供が最良の方法であるという確信に基づいている.

施設福祉サービスを利用するのは,扶養してくれる子どもが無くコミュニティに基盤を持たない人もしくは痴呆症の人である.大きく分けて3種類の施設福祉サービスがあり,共同生活を行い自己負担無しに入所する施設もあれば,家賃を負担する,光熱費のみを負担するホステルタイプ,施設の敷地に自己資金で住宅を建設するタイプがある.高齢者向けの施設は全国で16ヶ所あり,全ての施設の定員を合計すると2572人となるが,ほぼ満員で入所を待つ人々がいる.私立のナーシングホームもバンコク周辺に13ヶ所あるが,費用は極めて高額であり貧しい高齢者には負担できるものではない.

コミュニティ福祉サービスは,予算的制約に加えて人材不足によって十分に実施されていない地域がある.タイ赤十字などいくつかのNGOが農村部の貧しい高齢者にケアサービスを提供したりしている例がある.政府は,13ヶ所の高齢者センターを建設してデイケアサービスを提供している.しかし,労働社会福祉省と保健省の連携がうまくいっていないために高齢者のデイケアとリハビリプログラムを組み合わせるといったことが困難な状況にあり,さらに地方政府の関わりが薄いため地方分権化が望まれる分野である.

貧しい高齢者に対する支援は,毎月500バーツの給付と医療費補助があり,政府の関連予算は増加を続けている.

労働者施策

タイの社会保障は被雇用者を中心に充実が図られてきたと見ることができる.国民皆保険前の現状で,被雇用者を対象とした社会保険スキームが最も優遇されていることからもうかがえる.

労働者のための法制度も充実している.義務的保険制度には労働災害に対応した労働者補償スキームが存在し,1994年には職業訓練促進法も成立している.必ずしも遵守されていると言えないが,各都市別に最低賃金法も定められている.1975年に労使関係法が定められている.公務員については1991年の公務員労使関係法によって,団結権,代表交渉制,ストライキ禁止が定められている.1998年には労働者保護法によって週48時間労働制(危険労働条件下では週42時間労働制)が定められている.

雇用保険については,現在は労働者福祉基金(Employee Welfare Fund):労使拠出,労働者死亡時に遺族への支払い及び解雇・退職時支払いによって一部実現されてはいるものの全労働者を対象としたものは存在していない.しかし,雇用保険の実現に向けては政府内部での調整が進行中のため,近い将来導入されることになる.

(表5)タイ最低賃金
1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001
Minimum wage (baht/day)
(Effective Date) (1 Oct.) (1 Jul.) (1 Oct.) (1 Jan.) (1 Jan.)
- Bangkok and 6 provinces 1/ 135 145 157 157 162 162 162 165
- Ranong, and Phang-nga 118 126 137 137 140 140 140 143
- Chonburi, Saraburi, Nakhon Ratchasima and Chiang Mai 118 126 137 137 140 140 140 143
- The rest of the country 110 118 128 128 130 130 130 133
Note : Figures in parentheses represent annual growth or percentage changes from the same period of the previous year.
1/ Including Samut Prakan, Nonthaburi, Pathum Thani, Nakhon Pathom, Samut Sakhon and Phuket
* The new series of termination of employment have been conducted since January 1998.

Source : Ministry of Labour and Social Welfare, Bank of Thailand

参考資料・文献等

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原田泰・井野靖久『タイ経済入門第2版』日本評論社, 1998.8
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Sutthichai Jitapunkul, Srichitra Bunnag, "Aging in Thailand 1997", Thai Society of Gerontology and Geriatric Medicine, 1998
"Thailand Public Health 1999", Alpha Research Co.,Ltd., 1999.6

※タイ保健省におけるDr.Sanguan,Dr.Pongpisut,Dr.Yongyuth及びDr.Jon議員へのインタビュー,その他の施設見学は国際厚生事業団(JICWELS)実施の「平成12年度社会保障分野海外派遣専門家養成研修」プログラム(2001年3月4日〜18日)に参加させてもらったことによって得られた機会であった.JICWELSの尽力によって貴重な資料を収集することができた.研修を委託した厚生労働省大臣官房国際課にも謝意を表したい.

以上.


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