/lab/izumit//Myself:Biography


□半生□

年月事柄
1973.5.1兵庫県西宮市にて出生,以後,引越を重ねること多々.
1979.4千葉県市川市立百合台小学校入学(3年生の途中で転校)
1986.3東京都北区立赤羽台西小学校卒業
1989.3東京都北区立赤羽台中学校卒業
1992.3東京都立小石川高等学校卒業
1993.4立命館大学経済学部入学
1997.3卒業
1997.4慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科入学
1998.8(旧姓岡崎)菜穂と入籍&同居
1999.2結婚式&披露宴&パーティー
1999.3修士(政策・メディア)取得
1999.4政策・メディア研究科後期博士課程入学
2001.4 千葉商科大学商経学部非常勤講師就任
双子の女の子が出生
2002.4 商経学部に加えて政策情報学部,千葉短大でも非常勤講師就任
2003.9 田園調布学園大学非常勤講師就任
2004.4 田園調布学園大学短期大学部専任講師就任
2005.4 慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所客員研究員兼任
日本租税研究協会財政経済基本問題研究会委員兼任

現在,田園調布学園大学短期大学部講師,
千葉商科大学政策情報学部非常勤講師,
慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所客員研究員,
日本租税研究協会財政経済基本問題研究会委員

□どんな仕事?□

 大学教員という一般には非常に何をやっているかわかりにくい職業をやっています。テレビでいい加減なことをくっちゃべってみたり,大学の教壇でこれまたいい加減なことをくっちゃべってみたり,というのがイメージでしょうか。

 普通の職業と違うのは,就職時期がとても遅い!ということでしょう。この私も30歳,それも31歳の誕生日を目前になんとか就職しました。これでも相場からすれば標準的か,早いくらいになります。

 教育・研究・学務・社会的活動・その他雑事が仕事になります。正確に書こうとするとやたらと長くなるので,またどこかで改めて書くことにしよう。

□出生の秘密?□

 大ヒットした映画「タイタニック」,見ました?うちには2度くらいしか見ていない2巻組のビデオがあります.自分の結婚パーティーでも,余興として主題歌"My heart will go on"をピアノで連弾しました.

Masabumi HOSONO

 私は細野正文のひ孫として生まれました.もちろん彼は私が生まれたときにはとうに亡くなっていましたが,彼の身に起こった出来事にふれなければなりません.細野正文は,1912年4月14日北大西洋にて氷山に衝突して処女航海で沈んだタイタニック号の,唯一の日本人乗客にして生存者です.彼は鉄道院の官僚で,海外視察のためロシアからアメリカに移動する途中に事故に遭遇しました.

 曾祖父は救助されたものの,帰国してから多数の人々が亡くなった中でよく生きて帰ってこれたものだと糾弾されました.日本男児として死んでくるべきだったとされたのです.彼は鉄道院を免職になり,新聞は非難記事を書きたてました.教科書は彼の行動を恥ずべき行動の例として取り上げ,倫理学の教授は不道徳だと言い立てました.しかし1997年,映画のタイタニックが空前のヒット作となるに合わせて話題が盛り上がり,孫にあたる百合子さんが真実を告げる日記を公開しました.これによってタイタニックの遺品回収を手がけるRMS財団は他の乗客の記録とも照らし合わせ,彼が決して恥ずべき行動や卑怯な振る舞いをしたのではなく,幸運が重なって助かったのだということを証明してくれました.

 RMS財団が日本各地で開催した「タイタニック展」には,彼がタイタニック号備え付けの便せんに綴った遭難時の手記が出品されました.親戚縁者でプレス公開日に行く機会があり,歓談の中でスイス製の懐中時計を2個おみやげとして持ち帰ってきた話が出ました.「もっと欲しければ,大西洋の海の底から取っておいで.」と言ったとか.

 私の祖母不羈子は数年前に亡くなりましたが,曾祖父が生還してから生まれた娘です.もし彼がタイタニックから生還しなければ,私はこの世に存在していないのです.


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