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□カンボジア-ベトナム-タイ(3)

 ホーチミンシティからフエに移動するため,朝早く空港に向かいました。ホテルの玄関前に停まっていたタクシーでは運転手が居眠りしています。その後ろに停まっていた抜け目の無い運転手がドアを開けて待っています。次第にバイクの数が増えていく目覚める途中の都市の中を抜けて,空港に到着しました。朝食はとる時間がありませんでしたし,空港の軽食堂も食欲をそそらなかったことで,そのまま飛行機に乗り込みました。

 フエのフーバイ空港に到着し,ワンボックスで乗り合いのタクシーを使ってホテルに向かいます。外国人料金だったようですが,まあ別に構いません。フエには2つの大きなホテルがあり,それ以外はミニホテルがほとんどです。2つのホテルのうち,センチュリーリバーサイドに宿泊しました。隣り合わせているもう一つのホテル,フォンザンホテルのレストランには1度昼食をとりに行きました。

 フエを訪れた最大の理由は,JASS(ベトナムの「子どもの家」を支える会)を訪問することでした。元東京公立小学校教諭・小山道夫氏が始めた「子どもの家」の状況を取材したかったのです。以前,テレビ朝日のニュースステーションなどでも特集を組まれたことがあったようですが,そのときのことはよく分かりません。私が「子どもの家」を知ったのは国際協力事業団(JICA)のコミュニティ支援プロジェクトの成果報告書を通じてでした。たまたま現地訪問前に小山氏が一時帰国されたというので,都内で行われた活動報告会に参加することができました。事前学習としては良かったと思っています。

 「子どもの家」の他に,JICAの支援を受けたことのある障害児リハビリテーションセンター「平和村」も訪問しました。建物自体はドイツの支援で建設されたものですが,ドイツが手をひいてJICAが数年間支援を行いました。現在は地方政府予算によって運営経費が賄われています。但し,そもそも運営経費が予算化されていた訳ではない,寄付された施設のためにそれを確保するのに苦労しているようでした。障害児の発見について,JICAが支援した調査プロジェクトは有益であったと責任者は強調していました。調査費用の絶対額が足りないために未発見の障害児が潜在的にいることと,リハビリを受けさせることができる障害児の数に予算制約があることが課題となっています。

 フエではシクロ(前部に座席のついた3輪自転車)に乗って観光をしました。チャーター料金ほしさにシクロの運転手がそこら中を走り回ってくれたおかげで,それほど大きくないフエの街中を一通り巡ることになりました。フエは,ベトナムの古都にあたります。日本で言えば京都みたいなものでしょうか。ユネスコの世界文化遺産に指定されていて,広大な宮殿跡のスケールには驚かされます。

 小山氏は「子どもの家」を守るために,様々な努力を行っています。それは単に国際援助NGOという枠組みだけではくくれないような思い入れも含んでいます。「子どもの家」の子らが自立できるように見守るという思い入れです。現地の行政サイドには外国人が入り込んで支援を行っていることについて快く思わない人々が存在します。自らに利益供与が無いことを不満に思う人々です。小山氏は,そういった敵対勢力に対して抑えの効く勢力,市長などと連携を深めるといった活動をされています。国際援助NGOの枠組みであれば,自らの活動がそれほどの政治的な争いに巻き込まれそうな状況になることで撤退という選択肢がクローズアップされるのですが,小山氏にはありません。敬服するところです。

 宿泊していたセンチュリーリバーサイドについて,おそらく華僑系の経営だと思われます。フエでは一流ホテルなのかもしれませんが,国際標準で言えば二流以下でしょう。以前も別の華僑系ホテルに泊まったときにおもったのですが,客の目に付く部分でコストダウンを図っているので,イメージがとても悪くなってしまうのです。スタッフのサービス自体は満足できるのですが,ファシリティーやアメニティにかかる部分で不十分な点が多いようです。今回の一連の滞在で満足できなかったホテルはここだけです。


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