平成11年11月20日岡山市学校給食運営審議会第一部会の会議概要
<1> 日時・場所

  日 時:平成11年11月20日(土) 10:00〜11:57
  場 所:岡山市役所3階 第3会議室
<2> 会議の概要

1 開 会      青山部会長が、「本日は,全体会議に向けた第一部会としての意見集約をお願いしたい。」とあいさつの後、会議を公開することとし、議事に移った。


2 説明及び意見の概要 部会長: 第一部会は、健康教育と安全・衛生管理について担当しているが、第二部会の議論とも密接に関係しているので、第一部会でこれまで出された意見と第二部会の意見を確認しながら中間報告に集約する形に持っていきたい。そこで、前回の第一部会及び第二部会の意見を整理をしたい。事務局に説明をお願いする。

事務局: 11月4日に開催された第一部会の主な意見と11月18日に開催された第二部会の中間報告に向けた主な考え方について資料を朗読する。(朗読は省略)

部会長: 以上の中で、この部会で検討すべき健康教育の問題と安全管理・衛生管理の問題、第一部会としてその2点について意見をまとめていきたい。こうした今までの第一部会、第二部会での論点メモについて、落ちているものや追加したい意見があれば、発言いただきたい。
委 員:
この部会では、子どもたちのために、健康教育や安全、衛生を考えた給食を考えているわけだが、子どもたちが本当に見て、楽しい給食を、「あ、給食がこんなに良くなった。」ということを実感できるような献立や食べ方というものを、もう少し盛り込みたいと思う。例えば、献立については、難しいと思うが、セレクト・メニューとかを。また、子どもたちがデザートや果物を大変楽しみにしているということをよく聞くが、私たちが試食会に行った非常に暑い時に、冷凍みかんが出された。時間がたって、一度凍ったものが溶けた時は、本当に食べにくくて、私たちはやっと食べたという経験をした。なぜ、冬のみかんが夏に、冷凍で出なければいけないのかということが、やはり素朴な疑問である。
果物大国なので、旬のおいしい果物をもっとふんだんに使えないかということを感じた。子どもたちは果物を家でもよく食べると思うが、今の時期であれば、梨や柿、りんごなどの旬の物を給食にしっかり使っていただきたい。
特に、果物に関しては、皮がついていて、むくのに手間でかかるということも聞いているが、やはり豊かな給食、楽しい給食ということで、見て楽しい、季節感が味わえる、そんなものをぜひ提供していただきたい。この点を是非中間報告に加えて欲しい。

委 員:
この資料には、大体、私たちがこれまで議論したことが出ていると思うが、衛生面から言って、現在、文部省や厚生省から出されている衛生マニュアルを基に、岡山市の指導書に沿って行っているが、新たに、保健所による食材の検査も抜き打ち的に月1回はしてもらいたい。
また、地場の新鮮な食材を使用することを盛り込んでいただきたい。できる限り、有機、低農薬の食材を使って、楽しく、心豊かに食べることの喜びを知る教育をしていきたい。自校炊飯についても、是非、実現したいなという気持ちを持っている。
それから皮のついたサトイモの使用やりんごの皮むきのこと等があるが、これについては、もう既に、1月、2月の献立の中にサトイモが出てくることが決まっているので、皮つきのサトイモを入れられる所から入れていこうという確認ができた。
また、りんごについては、栄養面から皮をむかない方がいいりんごやどうしても農薬等の関係で、むかなくてはならないりんご、あるいは地場の柿とか、そういうものを使っていこうというのが、前回資料として出された組合の申し入れにあるわけで、これは実現できるのではないかと思っている。

委 員:
食器の見直しができないかということで、強化磁器による食器、丼の導入ということが書かれているが、食器の在り方自体が、洋食に合う食器と和食に合う食器は違う。今の食器というのは、パン給食中心の考えだと思う。家ではお茶碗を持って食べているのに、学校給食になったとたんに、置いて食べるようになる。洋食に合った器、和食に合った器というのが、本来のものだと思うが、コスト面の問題もあるが、その考え方は盛り込むべきではないかと思う。
それから、残菜が非常に多いと言われているが、家庭でも、食べ残したらその行方がどうなるかということを子どもに教えれば、残さなくなる。やはり、学校給食の残菜が何処で、どのように処理されているかということを、教えなければいけないと思う。野菜にしてもお米にしても、小麦にしても、一所懸命作った方の思いもあるわけで、その点をきちんと教えることで、残すことがなくなってくると思う。その点も、加えていただきたいと思う。それから食材の安全性ということで、遺伝子組み換え食品がずいぶん出てきているが、来年度から遺伝子組み換え食品については、表示するということが出されているが、お米の方も遺伝子組み換えの研究がされている。実際に安全性が確保されていない現在、欧州などでは、一応凍結されたりしているので、そのあたりのことも、学校給食においては、気をつけるべきだと思う。

委 員:
元校長という立場から、学校教育をいかに正常化するかという観点で、意見を述べる。給食も学校教育の一環であるというからには、学校教育全体が大きく動いている中で、給食だけが旧態依然としたものでは、学校教育が改まらないと考える。今度、学習指導要領も大きく変わって、学校で非常に時間割の工夫がされ、総合学習に色々なことを取り入れていこうとしている。そうなると、学校の1週間の時間が、固定された今までとは、かなり変わった時間割を組まなければいけない。そうなると、学校運営上、給食が非常に支障を来すわけだ。例えば、家庭訪問、運動会の練習、文化祭などの学校行事に対して、現在の給食は基本的に決まった時間以外にはできないということになっている。確かに、作業量を考えたらそうなのだが、学校としては、もう少し早くとか、もう少し遅くというように弾力性を持たせたいのに、できないという実態がある。今後、一層そういうことになる。
そこで、ここに上がっている、月に1回は弁当の日を設定したらどうかということがあるが、月1回に固定しないで、月に何回か弁当の日を設定し、学校運営上、弁当の日にしたい日があったら、そうしてもいいようにしていかないと、せっかく教育改革で、学習指導要領が変わってもいい教育ができない懸念がある。したがって、月1回でなく月何回というように見直すべきだということが一つ。
それから、今、学校でしきりに個性の尊重と個別化ということが言われている。学校教育全体が、そういう流れの中で色々工夫されている。ところがこの給食だけが、個性も何もない、とにかく、管理教育の最たるものが、私はこの学校給食に現れていると思っていました。取りに来なさい、さあ、食べなさい、さあ、返しなさいということで、これはもう管理教育以外の何ものでもない。そこで、たまたまこの記事を見て、ああこれはいいなと思ったのだが、9月議会で、増川議員さんが、千葉の船橋市の学校給食は選択方式をとって、弁当か給食かを選んで、給食は、主食が米飯かパンかの献立を選べるというようなことでどうだろうかと。教育長は、個人的には、給食の選択制は、以前からよいことだと思っていたが、実際やるとなると色々な事情があるというふうに答弁されている。
また、残菜の問題に関して、時間がないから食べられないという子どもも、一部に居る。今の子どもの食生活は、昔とは相当変わっており、例えば、宗教上の理由で、特定の物は食べないという子も現にいる。「私はこの宗教ですから、これは食べません。」と言って、はなから食べない。また、「アレルギーでじんましんが出るから、食べない。」という子も非常に増えている。環境ホルモンの関係か何かわからないが、そういう子どもに合った給食を作るということは、これはまた大変なことだと思う。とにかく、学校で作ったのだから、栄養があるのだから食べなさいというのは個別化、個性化に逆行する。教育の流れが、そうなっているのならば、選択方式で、いろんな事情で弁当を持ってくるという者には弁当持参を許可し、給食がいい者には給食を提供するというのが、教育の流れ、時代の流れに沿ったやり方ではないかと思う。だから、この選択方式について検討するということを1項目、付け加えていただきたい。

委 員:
残飯の問題について付け加えるが、当新田の岡南環境センターを見てきたが、本当に家庭の残飯にしても、大変な量が残っている。それを燃やして、ただ灰にするだけで大変な費用がかかっている。給食で残った残飯の行方について、リサイクルの意味も兼ねて、子どもたちに教えることが大切だ。
ごみ問題というのは、岡山市だけではなくて、日本中が非常事態宣言で、非常に厳しい状態であるが、リサイクルということを子どもの時から身をもって教えないとなかなか身につかない。小学校の低学年では、朝顔やチューリップなどの花を植えることが教科の中に含まれているが、給食の残菜をコンポストに入れて作った肥料を使うようにすれば、総合的な教育になると思う。コンポストの管理に手がかかるとは思うが、理科の実験に備えてということで、全部でなくても一部でも利用することはできると思う。是非, 導入すべきだと思うのが1点である。
もう1点は、栄養士の人数の件であるが、1校1人配置ということを今までは、自信をもって栄養士の方がおっしゃっていた。今後、栄養士の人数が減った場合に、一番心配な安全衛生面について、食中毒などが発生した時には、保健所が出てきて調査、指導することになるが、先程も発言があったように、やはり普段から保健所が食品の安全衛生管理の面からもっと学校給食に関わり、保健所の機能を発揮していただけたら、栄養士の人数が減っても非常に安心できる。学校給食に対する保健所の関わりの強化について中間報告に盛り込むべきだ。

委 員:
1点は残菜ということについて、確かに、残る量が多いと思う。だからと言って、子どもが好きなものだけ作るといういうのも問題がある。ただ、調理の仕方によっては、ずいぶん残菜も少なくなるのではなかろうかと思う。昨年、賛否両論があったけれど納豆が中学校の学校給食で出た。このときには、たくさん残った学校もあるし、少なかった学校もあった。その残った量だけで判断するというのはどうかと思う。例えば、好きな子どもが2人分、3人分食べたら、残る量はずいぶん少ないことになる。納豆は、日本伝統の食品でもあるし、健康にもいいということで、是非、食べさせたいが、健康にいいんだから食べなさいということで出したら、とてもじゃないが食べない子どもの方が多いのではなかろうか。私自身も、実は60何年間も食べたことがなかったが、納豆でも献立の仕方、調理の仕方によっては食べれるという例を初めて知った。かき揚げの中に入れて調理したことがあったが、そうすれば、納豆でも食べられるようになるし、嫌いな子どもでも、納豆はこんな食べ方もあるのだなというように納得する。だから、食べさせたいものは調理の仕方を工夫して、残菜を少なくするのがいい。
それから、セレクト給食あるいはバイキング給食、確かに楽しい給食には違いないが、調理する方にとっては非常に負担になる。1年に1回やったから、やっていますということでなく、長続きする方法を考えなければいけない。現場にいた時に、デザートのセレクトを1回経験した。何週間か前に、どちらがいいか事前に調査した。そういう具合にやったら長続きするのではなかろうかなと思うが、バイキングもセレクトも1年に1回やったからやりましたという形で終わったのでは無意味である。
それから、学校給食の持っているよさというものをもっと伸ばしていかないといけない。残菜が非常に多いということに関連して、クラスの中に誰か一人残したら連鎖反応的に残してしまうというようなことがあると聞いた。誰か一人食べなかったらもう全部残してしまう。むしろ大勢の中で、楽しい会話で食が弾むというのが本来の姿だと思う。だからそういう雰囲気で学校給食ができるように給食を全員で、職員室へおられる先生方もランチルームに行って一緒に楽しい食事をするというようなことを取り入るべきだ。何年か前に給食の研究会で行ったときに、冊子の中に800人ぐらいの学校で、全校給食ができる施設を造ったというのが載っていた。
ただ、施設の問題でなくて、お盆があればどこでも給食はできるから、設備にいっぱい金をかけなくても、楽しい給食にする工夫はあるのではなかろうか。学校給食のもっている良さ、先生と子どもとの触れ合い、子ども同士の触れ合い、あるいは物に対する感謝の気持ちを給食指導で伸ばしていきたい。

部会長:
例えば、保温、保冷車の導入促進については誰も反対する人はいない。それからセレクト給食に関しては、反論も出てきたが、自由に選べるという方式がいいのか悪いのかという問題は意見が分かれるので、後ほどに残しておく。もう一つのランチルームの整備、これも誰も反対する人はいない。整備できるかできないかだけの問題だろう。それからドライ方式の整備、給食場は、以前は水を流せといっていた。O-157以後ドライ方式になったが、O-157対策には塩素を含んだ水道水を十分流せばいい。O-157は塩素に弱い。しかし、これは文部省の指示らしいから、反対とは言えない。第一部会でみんなが出された、納得できるものはそれでいい。意見の分かれるものは分かれるものとして、そのメリット、デメリットを併記していきたい。
ところで、第一に分かれるのは、集中と分散の問題だと思う。個別性を出した学校がいいというのと、やはり給食センターである程度まとめた方がいいというのと。ただ、同じ岡山市内の小学校で学校別に給食費は同じで食べるものは違うというのが、どの程度、許容範囲があるのかということがある。そういう意味で集中と分散というのを、やはりきちっと分けて考えないといけない。
それから、教育の問題を、学校で栄養士がしなければならないのか、担任がしなければならないのか、教科の先生がしなければならないのか。そういう分担があると思う。何もかも栄養士がやるのか、担任の先生がやるのか、それとも調理員がやるのかという問題になってくる。例えば、リサイクルの問題なんていうのは、学給給食の問題なのかどうか。学校教育として、非常に文部省の動向で気に入らないのは、小規模の焼却炉の使用を簡単に止めさせる。捨てる物、焼ける物、焼けない物を分けるという一番いい教育をすべき小学校が、小規模の焼却炉はダイオキシン出すから駄目だなんていうやり方で、業者に頼みなさいという、その方がおかしい。
廃棄物の問題で、産業廃棄物より一般廃棄物の方がずっと多いのだから、これを半分でも焼いたら全然違ってくる。そういう選り分けという教育を必ず小学校時点にやりましょうという教育が必要なのではないか。だから教科でやるべきこと、学校給食を通じてやるべきことを明確に分ける必要がある。
洋式の場合、器を持って食べたらものすごい下品なことになる。だから和食の場合、アメリカ人は困ってしまう。また、うどんを食べる時にズウズウと音を出すのも日本人ではよいが外国人はうどんやそばを食うときズウズウと音は出さない。だからそういう食べ方のエチケットというのをどこで教えるか、確かに日本食というのは、目で食べるというぐらいだから食器も大事だし、食材の色も大切なんだけども、そこで言えることは、学校給食でできること、できないことを明確にし、できないことはできないと言うべきだと思う。これは家庭でやってくださいと。そういう役割分担が必要だと思っている。
だから学校給食ぐらい肩張らずに1、2の3で残さず食えというのはおかしいという意見と、1、2の3で強制的に食わすことに意義があるという意見に分かれる。ある程度言えることは、偏食というのは大人の、中でも一番悪いのは主婦の偏食だといつも言っているが、主婦が食材を買ってこないのだから。これが一番悪い。子どもの偏食というのは、原因がある。にんじんを醤油で炊くと臭いはする、ぬるっとするということでにんじん嫌いになる。にんじんが嫌いな子どもは大抵、ほうれん草が嫌い、臭いのするものはずっと連想で嫌いなんです。一度エッと吐く経験をした食べ物は絶対に子どもは食べない。そのにんじんを嫌いな子どもが、生のにんじんなら食う。本当に調理の仕方だと思うのです。今納豆というのが非常におもしろいと思うが、女房は東京生まれで関西育ち、私は満州生まれだから、日本風で言う関東風、関西風はわが家では全然分かってない。だから、朝必ず納豆を食べるという習慣だけど、岡山では納豆を食べない。最近、骨粗しょう症の問題で納豆がいいんだと言うんだけど、岡山では納豆といったら甘納豆しか考えていない。孫はおやつで納豆を食べている。昔は学校給食で例えば、パン食の習慣を地域に広げるために学校給食をやったという面もあるわけだ。そういう意味での学校給食の役割を今どのレベルで求めるのかを詰めていかないといけない。
いわゆる安全チェックの問題は、学校薬剤師のチェックというのは、何かちょっとおかしいのじゃないかなという気がする。折角、市行政の中に保健所という機能があるのだから、保健所に抜き打ち検査をやるようにきちっと申し入れをしておくべきだ。このように行政組織の中でも、チームワークというのが考えられるわけで、そういった意味で、学校と家庭とPTAの役割、または栄養士と調理員と担任の先生と教科の先生の役割、それから、もっともっと個別化すべきものと、もっともっと集中できる点、そういった観点で整理をしていったらどうか。

委 員:
今、私が一番悩んでいるのが、本来、躾とかPTOに合わせた行動というのは、誰がなんと言っても、本来、親の責任である。また、家庭で教えるべきものであるというのが私の意見だが、実際問題として、学校で色々な問題を省みて見ますと、家庭にまかせきれないなというのが実感だ。そんな中で食教育、食文化という部分はある程度やっぱり、学校給食でやらないといけないような状態になってきたんじゃないかな、という気がしている。そう言った意味では、面倒臭くても、洋食の時には洋食のような食器、和食のときには和食のような食器で食べる。それを教えるのが先生か、開かれた学校ということで、地元の方をお呼びして、給食の時間に参加していただくというように食教育をやっていくという方法もあるのじゃないかなという気がしている。そう言った意味で、学校給食に家でできないことを押しつけるようで申し訳ないんだけど、学校給食にやってもらわないとしょうがないというような気がしている。それから、第二部会で、すごい話しがポンと出ているが、まさにそれはそうだなと思う。例のPTAが親として引き受ければいいじゃないかという話が、第二部会で出ているが、理想ではあるけど、うまいこと行くのかな、という思いも持ちながら、自分の学校で頼んで何人調理員さん出てくるかと思いながら読んだ。今、学校が託児所になってしまっているという観点からすれば、誰か親が常に入っている状態というのは良いのかもしれない。
そうした中で、総合的学習という観点からも含めて、自校方式で、できるだけ地元のものを使って、というような見方をしている。自校で調達したからと言って、材料費が高くなっているという例は、あまりない。逆に、「給食費が安くなってる、おいしくなってる、アトピーも減ってる、虫歯も減ってる、いろんな相乗効果が現れてる。」というのを読んだ。そういった意味でのやり方を工夫していく時期じゃないかなという気がしている。

部会長:
私が専門にしている保健とか衛生というのは、集中と分散というのが命題だ。日常的なことはできるだけ分散してサービスする、それから、特定の技術が必要なもの、例えば、検査だとか、これはできるだけ最新の機器で集中した方が、精度が良くなる。だから、常にこの集中、分散というのは、同時に考えなければならない命題なのだ。だから学校給食の問題でも個別化というのと、それから統合化、センター化というものがあって、どちらがいい悪いではなくて、両方とも、どう変えていくかという問題なのだ。その点が非常に大切な意見だと思うが、教育の目的が変わってきている。戦後間もなくの時期は、どうやって栄養を補給するのかという、そのためには何を食べてよ、というところがあったと思う。
今日の場合には、家庭の食教育の足りないところを、学校でどう補うのかということになっている。家庭のお母さんが切り身しか見てないから、その元の魚の姿を教えてくれと言ったら分からない。学校の役割かなという疑問は感じるけど、どっかで教えなきゃ駄目なんだ。それを家庭と言うのか、学校と言のか、理科教育と言うのか、そこの問題だと思う。だからその問題を、中間報告に書かなければいけない。こういう状況の中では、どっかでやらなければならない。理科の教科教育でやるのか、やっぱり学校給食でやらなければならないのか。それともPTAに対して、家庭で切り身の元の姿くらい教えてよと訴えるか。そういうことだと思う。だから、学校給食で出せないものがあるなら、出せないと言ったほうがいい。これは家庭でやってよというべきだ。例えば、果物の皮をむきを子どもにさせることが、いいことかどうか、子どもに皮むかせて、子どもが手にけがしたらどうしてくれるんだ、という問題が出てくる。

委 員:
そのへんが、難しいところだ。殺菌、殺菌と言うが、殺菌しすぎるが故に、免疫が全然できないという状況もあるわけで、包丁問題にしたって、手を切って初めて痛いってのを覚えるわけだ。危険をすべて回避するのがいいのかどうか。子どもの時にそういう危険を全部のがれて、大人になった時に、結果として何もできない。逆に言ったら、人を傷つけることも全然気にならないというような状況もある。衛生面について言われたけれど、家庭でそこまで衛生面を気をつけてるわけじゃないし、給食いくらきれいに作っても、運んでる途中で、地べたにぼーんと置いたら同じことだ。確かに検査のやり方は、抜き打ちの形でしないと意味がない。こっちから問題ないものを持っていって、検査してもらってもしょうがないというのはある。

部会長:
牛乳の検査でお分かりだと思うが、一般的な食品検査というのは、検査の結果が出た段階では、もう遅い。何のためにやってるのかって言ったら、ちゃんと意味がある。定常的に製造されている場合には、そこで何かあったときには、現在の定常的な製造過程に問題があるというチェックをしているのであって、今検査したものを食べて安全かどうかという検査にはなってない。そういうシステムだから、これはどうしようもない。安全性を確かめてから食べさせろといっても検査してから食べさせるというわけにはいかない。そうなったら定期検査なのか、抜き打ち検査なのか、ここしかない。だから、そこらで安全の問題がチェックできるならチェックすべきだということを第一部会の意見としては言えばいい。

委 員:
第二部会は、効率化の面からいったときに、例えば、調理員が委託とかの形になったときに、やはり、チェック機構だけはきっちりやっていかないといけないというのは当然だ。そういう部分ではやっぱり、抜き打ち的にいつも気を抜かせないようなシステムを作っていけばいい。

部会長:
校長先生、栄養士さんの検食っていうのは、安全性や給食教育の面での参考になるものではなく、あんなものは不必要だというように思っている。医者ってのは、必ず病院に当直した場合に、検食簿を書かされる。医者の立場での安全性チェックというのが入っていたと思う。だから、検食簿に校長先生が書いているから安全だとか、栄養士さんが書いているから安全だとか、言えないんじゃないかなという気がする。

委 員:
強いて言えば、毒薬が入っているのか、いないかの検査を、校長先生にさせているらしい。この間の事件じゃないですけどね。

委 員:
鬼役を8年も勤めたが、30分か40分前に食べるんですから、もしお腹が痛くなるとしても3時間か4時間後か。

委 員:
ブドウ球菌を持っている人以外は、30分以上かかるから、ブドウ球菌で手が汚染された人なら、30分後に出るかもしれないが、他の原因だったら、ずっと後になるから、校長先生が、たとえ30分前に食べても結果としては、意味がない。

部会長:
食中毒事件が起こった時に、校長だけが食べてなかったってことになったら問題だ。

委 員:
民間というか、昔で考えたら、トップの人がそういう検食するというのは何か変なシステムだなと思う。

委 員:
それでも、検食というのは、やはり要ります。というのは、以前、問題があって、これは食べないようにという連絡があったことがある。誰か早く食べていたから伝わってきたわけだから、まんざら意味がないことはないと思う。

委 員:
ずいぶん昔、旭東小学校で、入れ物に洗剤がついとったんじゃないかということがあった。何か苦いというようなことで、旭東小学校は食べずに別の学校では、そう感じてなかったから食べた。学校単位でこう違っていた、ということが1回あった。パンを入れる容器の洗い方、流し方が悪くて、洗剤が付着していて、翌日それへパンを入れて、端の洗剤がついたところをたまたま旭東小学校の校長が食べたが、別の学校は真ん中のついてないところを食べたということだ。これは、極端な例で、一般的にどうかというのは、O-157は30分経ったらぱーっと下痢をするわけでもないし、どうなのかな。校長も食べていると言えるだけではないかな。

委 員:
O-157が出てから、厚生省、文部省の消毒というのは、ちょっと異常で、塩素で消毒する学校も多いが、熱湯消毒もすごく、常に釜に熱湯をわかして置けというが、すべて経費がかかるから、塩素でやれば、今度は、その流した水が環境汚染をしている、ということにもなるし、熱湯を常にガスでわかしてるいうことは、経費の面でもすごく子どもにかかってくることになる。それから、中で働いてる人は、その熱気と湿気で何とも言えず、体に悪い。いいことは何もないが、それでも、子どもたちに何かあったらということで、マニュアルに沿って消毒をしているわけで、許す限りはやりたい。

委 員:
作り方や安全性など、文部省が指導していることに関して岡山市で、マニュアル以外のことをするということが可能なのか。衛生面で可能な範囲と、できない範囲があるとしても、もし何か起こった場合のことを考えると、もう、全部に従わなきゃいけないということか。殺菌に関しても、し過ぎるのもどうかと言われたが、それも本当に大事なことだ。

部会長:
何かあったときの行政責任は、問われると思う。O-157なんてのは、報道関係者が作った怪物だというふうに思っている。アメリカで問題になったO-157は、健康な、普通の人が食べて、6割の人が死んでいるわけだ。ところが日本では、堺の場合でも7千人、少し水増しはあると思うが、食べたか食べなかったかが分からなくても、下痢したと言えば、一応、感染したという対象にしなきゃいけない。いつも言うが、7千回交通事故起こして2人死ぬというのなら、非常に安全な車じゃないかと。どうしてこんなに日本人がO-157で死なないのかという事は、まだ分からないが、何しろ致死率が桁違いに低い。なぜかと言うと、いわゆる赤痢菌なんだ。いわゆる赤痢、疫痢と言われてたやつをO-157と呼んでるわけだし、昔はシナ毒素と言ってたのを、ベロ毒素と言い出しただけのことなのだ。O-157は弱い菌で、塩素に弱い、熱に弱い。だけど検便2回したからって、今、集団発生の人数といわゆる散発とはもう同じ人数だ。日常的に汚染されてるといっていいだろうと思う。だけど何か出たら、O-157だけ、騒いで過剰防衛になってしまう。これぐらい弱い菌はないので、一般的な食中毒予防の手当をきちっとしとけば、何も問題ない。例えば、検便を1回から2回にしたら、どれだけ安全だと言える根拠は何もない。

委 員:
精神的に負担があるだけ。

部会長:
それから費用がかかるだけで。逆に言えば、検便だって、抜き打ち検査の方が、年に1回の方が、意味がある。実際問題、本当はあまり意味ない。だけど、食中毒に関する安全性の点で、この部会としては、月に2回の検便なんて意味ないとは言えないと思う。厚生省の基準で決められているのだから。例えば、抜き打ち検査の方が効果的でしょう、ということは意見では言えることだろう。
あと薬剤師の方々に、定期的に食材の検査をしてもらうというより、保健所には食監っていう食品衛生監視員というのがおるわけだし、また、保健所には食材の行政検査というのがある。食監というのは、ものすごい権限持っていて、紙切れ一枚で何でも持っていける、そして検査できる。しかも検査能力も岡山保健所にはあるから、それが、いつ入るか分からないよ、という方が緊張感がある。これは町のレストランなんかは全部やらされてる。
だから、かなり原則的に言えば、分散すれば片がつく問題というのは、かなりあるのではないかという気がする。学校給食で無理だというのは、例えばリンゴの皮むき作業とか、里芋の皮むき作業とか、何で実施できないかというのは、何のことか未だに分からないが、どういうことか。

委 員:
里芋は、作業の手間を少なくするために皮をとった洗い里芋を使っている。

委 員:
洗い里芋の検査結果が出ていたが、それより皮付きを使った方が安全面でいいのではないかということだ。

部会長:
皮付きの方がいいというのは、どういう意味か。

委 員:
薬品で皮をむくので、さらしたような里芋になる。検査で何か検出されていた。それよりは生の皮付きを使ったら、さらしもしないし、それが食材として安全ではないかということだ。
部会長: 今度は手間がかかる。

委 員:
手間はかかっても、それは克服できることだから、やった方がいいということだ。考えてみれば、ゴボウなどと同じ考えで、以前は土付きは危ないということで、土付きのものを排除していった。

部会長:
有機栽培、有機栽培というけれど、本当に有機栽培がいいと言っても、ぼくらの年代は、検便検査して、必ず3割から4割が、回虫がいたという時代がある。有機肥料に全部戻したら、今度は回虫問題どうするんですかと、本当に言いたくなってくる。

委 員:
回虫がいた時代の方が、いい面もある。

部会長:
回虫がいた時代の方が、いいのか。

委 員:
アトピーやアレルギーの子たちが少なかったというのが、この間統計で出ていた。回虫とかギョウ虫とか、寄生虫がいることで、非常に身体が危ぶまれる、生命が危ぶまれるということだったら、それは大変なことだが、寄生虫の研究をされてる先生がおられて、本を出されていた。それを読んだら、それが全く悪いというふうには言えないということが書かれていた。結果的に、ギョウ虫がいなくなったグラフと、アトピーとかアレルギーが増えたってのが、逆になっている。そのあたりを考えたら、どっちがどうなんだろうということになる。

部会長:
そんなデータ、いくらでも出せる。ギョウ虫で子どもが夜泣きで、睡眠不足の子どもになるということもある。今でもフィリピンの山岳地帯へ行ったら、貧血の8割は、寄生虫が原因だ。そのギョウ虫がいっぱいいたころの寿命が何歳だったのか。早く死んでたわけだ。アトピーが増えたっていうが、アトピーというのは「奇妙な」という意味で、まだ原因が分からない、いわゆるアレルギーなんて言われている。そうすると、食材が豊富になって、食べるタンパク質の種類が増えたら、皮膚反応が出るということで、何もおかしくないわけだ。食べてない時に出ないのは、当たり前だ。食材が豊かになったから、皮膚も反応してるということが言えるわけで、アトピーで死ぬのかって言ったら、アトピーで死んだなんて、あまり聞いたことがない。寄生虫だったら死にます、貧血起こして。だから、その学者の先生のように、どっちでも言えるわけだ。回虫の時代は、アトピーがなかったのも当たり前で、アトピーが出るほどの食材を食べてなかったとも言えるわけだ。だから、一方的な情報で判断されるのは、やっぱりまずい。

委 員:
有機野菜を食べることで、また回虫とかギョウ虫が増えるというのは、実際に統計が出ているのか。

部会長:
昔の、有機肥料の時代の赤痢は便で媒介されるから出てくるんだ。

委 員:
ただ、便をそのままやってる有機肥料のことを言われたので、聞いたのだが、有機にもいろんな定義があるから、完全なものを使用するかどうかというのは、また違うと思う。実際に昔のようなし尿を使うのはどうか。

部会長:
有機だからといって、昔のようにし尿を使うかどうかというのは、問題になってくるだろうと思うが、ギョウ虫が増えるか増えないかってのは分らない。分らないという点で、先ほどの遺伝子組み替えのものがいけないというのだって分らない。まだ歴史が始まったばっかりだから。遺伝子組み替えがいけないというけど、品種改良というのは許されるのか。遺伝子組み替えとまでいかなくても、品種改良も一種の遺伝子組み替えだ。

委 員: 今言われている遺伝子組み替えとは、全然違う。

部会長: 品種改良もひとつの方策だと言った。

委 員: 方策だが、自然界の流れのものと今言ってる遺伝子組み替えとは違う。

部会長:
その違いをどこまで違うと言うかだ。言う人は、品種改良の一種だと言うし、いやそれはもう根本的に、科学が進歩したんだから、科学技術の使い方が違うとか、いろんな言い方がある。

委 員:
例えば、トウモロコシの場合で、虫が食べたら死ぬから、虫も寄りつかないような食材もある。
部会長:
これは、国の問題だから、国に従わざるを得ないじゃないかと言いたいのだ。国がいいというものを食べて、それで問題が起こったら、これは国の責任であって、岡山市の問題かどうかということを問題にしているわけだ。国の基準以上のものを岡山市に求めるべきかどうかについて言っている。

委 員:
大前提に、国の安全基準がある。これはどうなんだろうかというのは、物資審査会の中でも説明があるし、自分たちも味わってみている。地場の元気な野菜を学校給食にも取り入れて、アトピーなどにも除去食ぐらいから始めて、医師と父兄と先生と栄養士を入れた中で、この子にはこうした方がいいというのが分ってる人には、配慮してやりたいという気持ちを持っている。集中か分散かということでは、地場の活性をみるためにも、地場のものを入れたいというのが、意見だ。

部会長:
地場産業優先になると、供給量が少なくなってくるから、学校別の個別性を尊重するという立場に立てば、岡山市内で同じ給食代払って、何であそこと違うんだという個別性に反対する立場も、もう一つあると思う。そうすると、センター方式になる。だから、そこの兼ね合いだ。例えば、センター方式を採用した場合でも、月に1回は、各校で独自の献立ができるようにしようとか。どちらのがいいじゃなくて、どちらにもメリットデメリットがある場合だったら、今度は回数で言うよりしょうがない。例えば、お弁当の日を作りましょう、せめてお弁当ぐらいは、家で作って、ご飯ぐらいは持ってきましょう、ってことにするか、学校別で炊飯器を設置しようというのか、また、せめてデザートくらいは、前もって好き嫌いを選べるようにするとか、また、せめてデザートぐらいは家から持ってこいよと言うか、せめて和食の時ぐらいは、食器を家から持ってこようとか、いろんな対策があると思う。だから、その時に、集中か分散かがある。否定すべきなら、どこまでを否定すべきなのか。

委 員:
和食には和食の、洋食には洋食の食器があると思う。この前言われた資料にあるように、うどんをちぎって、ナイロンから出して食べるのは、早急に改めるべきだと思っている。検討委員会で決まりながらどんぶりの導入ができていないが、糸敷きのあるものは、糸敷きのあるものを、ご飯はご飯で、献立にあった食器を、導入していくべきだと思う。

部会長:
うどんを学校給食で絶対出さなきゃいけないというから、そこに問題が出てくる。学校給食では、もう、うどんは無理だというのなら、無理だと言えばいいじゃないか。せめてうどんの作り方ぐらいは家でやってくれと。どうしても学校でうどん食わさなきゃいけないのか。
もっとひどいのは、なんで牛乳なのか。和食に牛乳は合わない。そしたら、お茶にするという手もあるだろうけど。何でしないのか。

委 員: 学校給食法で、完全給食には牛乳が要る。

部会長: そうらしいね。国の基準だな。

委 員: 例えば、牛乳は、10時でもいい。お昼の時はお茶でもいいという考え方もある。

部会長:
だから学校給食が嫌いな人もいる。お医者さんに牛乳を止められてる人達を集めて、牛乳を使った料理を食べさせてやった。もしかショック起こしたら、ぼくはクビものだけど、ぼくは自信満々でやった。なぜかというと、お医者さん、極めて簡単に牛乳止めてるけれども、根拠がない。牛乳止められてる高校生に、乳製品を食べているかどうか、問診でちゃんと聞いてみたら乳製品食べている。チーズ食べて、乳製品、牛乳はいけない、そんな馬鹿な話はない。だから、いっぱい乳製品買うでしょう。だけど、お医者さんに、お母さんが牛乳飲んだら発疹が出ましたと言うたら、ああそれ牛乳アレルギーだというように、止めさせたりする。
納豆は、和食のチーズと言われる、この時代だから日本食のチーズと言われる納豆ぐらいは食べさせるように岡山の学校給食もなるのかもしれない。だから、そういった意味で、現在の岡山市の食教育の在り方の問題で、あまりうどんを丼で食べる食べ方の教育をする必要ないわけで、できないならできないと言えばいい。それから、低学年の子どもたちに皮をむくのは止めるけど、四年から皮をむかせるから、皮のむき方くらい家庭で教えてくれ、学校給食で皮の付いたもの食わせようと思ったらそうなりますよと。それから、夏の冷凍ミカンなんていうのはおかしいと報告に出せばいいんじゃないか。

委 員:
季節のものでやっていけばいいということだ。それともう一つの問題、ある程度はラインを出さないといけないが、アトピーの子どもに対する食の問題である。個別の子どものための食事を別に集団給食で作るのか、それとも、そういう方は申し訳ないが、弁当をお願いするというのか、そういう部分は、ある程度ラインとして出していくべきだ。

委 員:
私の長男もアレルギーに関心を持っていたが、例えば、日本の皮膚科学会の話をこの前聞いたが、部会長が言われるのと全く同じで、問題の食材を全て除去するのはやめなさいというようにお医者さんは指導するらしい。だから牛乳製品でも、これは食べられる、これは食べられないといっても、十人がいたら、全員違うらしい。だから、パンがだめな子でもフランスパンなら大丈夫、このパンなら大丈夫と言うことがある。調べれば調べるほど、人間には多様性があるから、それを全部除去していて、知らないで食べたら、本当にショックになることがあるから、段階に応じて食べなさい、という指導を結構するようにしているということである。だから給食の中でも、アレルギーでだめな子に、給食を別に作ってあげるのじゃなくて、牛乳がだめな子には、飲まなくていいよということを認めてあげることが大事だ。だから家庭と学校とその子どもの了解の下で、個人差も認めましょうという柔軟な給食にして、個人差を認めようという新しい学校指導要領になってるわけだから、給食の中にも、教育的な部分と、個人差を認めようという部分を、しっかり、両方を入れて、それぞれの子どもと家庭を尊重できる給食にしたい。

委 員:
パンの残りの問題だが、食べられない子どもには、ビニール袋を持っていって、持って帰っていた。それから、給食を欠席した子どもにもパンのような場合は届けていた。今は、衛生的に悪いということで、休んだところの子どもに持っていくこと自体がおかしいということで、止めたんだと思う。

委 員: ゴミになるから持って帰るなって言われる。学校のゴミを家に持って帰るなと。

委 員:
ここで提案していくべきなのは、個別の給食を作るのか作らないのかだ。例えば、市民病院などの調理員さんは、何食もいろんな種類のものを作ってる。学校でどの程度の個別のものを作らないといけないのか、それができるのかどうかをこの審議会が、ある程度具体的に提案していくべきなんじゃないか。

委 員:
私も学校にいて、そういうことを痛切に感じていた。そのために、残る量が、非常に多くて困っていた。
ある程度柔軟に個人の選択幅を認めるという方向で、もう少し安心して給食が食べられるようにするべきだ。病院は、病人だが、子どもは健康だから。そういう子どもには弁当を持ってこさせるという、選択の幅を与えたらいい。それから、牛乳がどうしても飲めない子どもは、毎日残す。その一方で、牛乳代は徴収する。一度、父兄から、牛乳代だけ、差し引いてもらえないだろうかと言われたことがある。お断りしたが、親からすれば、うちの子は家でも飲まない、学校でも飲まない、なぜ牛乳代を納めなきゃいけないのかという疑問が、当然起こる。そういった問題も起こってくるが、ある程度、食べてもらうのが一番だから。

部会長:
個別性を尊重しようということになると、ある程度、強制しなきゃいけないというのか、それとも、個別性を認めろいうのか。

委 員:
併用です。だから、弁当を持ってくるという子どもについては、許可する。それから、学校で給食をという子どもについては給食ということだ。
それから、単独購入はどうかというご意見が出ていたが、確かに足守とか高松あたりでは、そうしているが、深抵小学校や内山下小学校には畑がない。どこからどういうふうに野菜が入っているかを聞いてみると、単独購入ができない学校の数が相当多い。山間部、農村部に行くと、地域性ということを訴えながら、そういうことをしておられる所がある。そうは言っても岡山市は、中核市だから、なかなかそれに合う学校数が少ないんじゃないかな。それと現在でも、確か2回か3回は自由献立日があると思う。学校教育の立場から言うと、自由献立の日を何曜日、何曜日と決められているが、これがまことに具合が悪い。学校行事をそれに合わせて組まなければいけないことになっている。給食に縛られた学校教育になってしまう。これを、学校教育に合わせた給食にしてもらいたい。そのために、例えば、学期で何回、それは学校で自由にしてよろしいというようにしたら、かなり、学校教育に色々予定ができるのじゃないか。
だから、ぴしっぴしっと縛ってしまっているのが、今の学校給食の体制で、これを是非改めていかなきゃいけない。学校給食というのは、学校教育の一環、一部であって、学校給食があって学校教育があるというのじゃない。だから、何もかも学校教育でということでなく、今、色々出た問題も今度出る総合学習で解決できることがたくさんある。

事務局:
先程、アトピーの対応についてのお話が出ていたが、現状について、少し説明をさせていただく。アトピーで食材が摂取できない子どもがいる学校については、一応、お弁当をという形でお願いしている。また、牛乳だけが飲めないお子さんの場合は、牛乳を止めているというのが現状だ。保護者や主治医、校長先生、教頭先生、養護の先生、担任、それから栄養士、そういう関係者がよく話し合って、決定している。
お弁当を持ってきた場合に、他の子どもが、何で、この子だけはお弁当持って来るのかということが問題になってくるので、その点は、担任の先生から、わがままでそういうことしてるんじゃない、そのお子さんは、そういう事情があってお弁当を持って来ているんだというような指導もお願いしている。

部会長:
学校医がおり、養護教諭もいる。そのへんは、個別に当たればいいことだ。ただ、ちょっと気になるのは、その牛乳を飲まない子からも、絶対、牛乳代をとらなければいけないということか。

事務局: それは精算している。

部会長:
最近、アトピーが増えてるというのは、今、言ったように、摂取タンパク質の種類が増えていることが一つ考えられる。もう一つは、アトピー性皮膚炎という診断をつける先生が増えたというのも言える。アトピー、アトピーと大声を出して叫ぶ先生が多い、これも原因だ。だから、最近、アトピーが増えたのは、いろんなことが考えられるが、摂取タンパク質の種類が増えたのは、対策の打ちようがない。食材が豊かになったんだから。それから、診断がつくようになった、これも悪いことじゃない。お医者さんの教育が徹底してきたからだ。わーっと騒ぐ先生がいるが、その騒ぐ先生の論理だけでは医学界を納得させてない。アトピーが増えたという場合でも、増えた原因というのを見定めて対策を打たなければいけない。

委 員:
自由献立を学校の行事に合わせて自由にと言うが、今、曜日が決まっているのは、共同献立、共同購入の弊害であって、3か月前には決めないと、その産地への要請ができないことやコンピュータへインプットできないということもあってのことだと思う。自由献立が、今、大体、月に2回から3回あるが、その曜日を学校行事によって変えていくという考えは、これは今後の課題だと思う。決して、学校給食を中心にしているということはないが、教育活動の一環としてやっているのであって、私が聞いているところでは、子どもたちは、給食をいやがっていない。学校給食はおいしいという意見が非常に多い。私が小学校の経験ばかりだからかもしれないが、学校給食がどうしてもいい。弁当だと、おかあさんが、給食の献立に合った、大体、同じものを考えて入れられて、苦労されているというのがあって、自由になると、弁当での差が出てくるということも、教育から言うと、あまりいいことではない。
先生方の指導が非常に大変なのは分るが、時間の配分というのは、今後変えていけばいい。
委 員:
同じものを食べるということは非常にいいと思う。私たちは、戦後、給食がなかった時代にお弁当持ってきていたが、友達の中で、お弁当の蓋をあけずに、食べていた子が非常に多い。これはやはり、弁当の内容によって、優劣がつくわけで、子ども心に、誰々君の弁当の方がいいなというようなことで、蓋をした状態で食べていた。同じものを食べて、平等感を育てると言う。私らの世代だけしか、そういうことは分らんかもしれないが、同じものを食べさせるということは、非常に教育的でもあると思う。

部会長:
だから、個別性の尊重こそが今日の学校給食への期待だというのと、逆に、個別性が強くなったからこそ、同じものを食べるのに意義があるというのか、これは、どちらが正しいという問題じゃなく、どこまでいっても二つあると思う。

委 員:
確かに、弁当の蓋をして食べるいうのは、私らの子ども時代もありましたが、今は全くそういう感覚はない。我々の子ども時代とは全く違っている。しかも弁当だったらどうかとか、給食だったらどうかとかいう、例えば、今の市内の中学校で、私立の中学校はみんな弁当です。たまたま行って出くわしたが、みんな楽しそうに弁当食べていた。

委 員:
全国的に見ると、弁当持って来ている学校も非常にたくさんある。そこで非常に弊害が起こっているかというと、全くそういうことがないわけで、そのことも頭に入れながら、考えて行かなくちゃいけない気がする。そういう意味で、時代に沿った学校給食の在り方ということで、色々意見を言わせていただいた。確かに、やらなければいけないというのと、私のように、もうちょっと子どもの自主性、主体性を認めたらいいんじゃないかという意見がある。少し考え方も違うから。
委 員:
学校間は、変わってもいい。親で、同じものを各学校食べてることを知ってる人の方が少ない。
部会長:
だけど今度、学校給食費が均一であったのに、違うもの食ってたら許せないと言うかもしれない。
委 員:
予算としてトータルで、同じ枠の中でやってるってことになれば、オーケーじゃないのか。

部会長: だから、そこのところだと思う。

委 員: そうだと思う。一人当たりの予算を変えるべきではない。当然のことながら。

部会長:
以前の貧しき時代の栄養をつけなければいけない学校給食と、今日の飽食の時代と全く違う。違うからこそ、統一すべきだということで、個別性も認めろってのと全く意見違って出てくる。だから、それは逆に言えば、両方とも正しいわけで、頻度の問題だ。だから、センター化したところで、どれだけ独自性を持たせるのかとか、今度は、逆に、単独でやってるところは、どういったところで教育性を持たせるのかという、そういう配慮が必要じゃないか。今日は岡山市みんな同じもの食べてるよ、という教育を逆に言えば、単独校でした方がいいのかもしれない。そういう学校給食、二つのどちらかが正しいというのではなくて、両方ともそういう配慮が必要だということじゃないか。

委 員:
それは、意味がある。内山下でも深抵でも、郊外のどっかと契約やって、例えば年に1回そこの作ってる人が来て、これはこうやって作ってるんだよと話す。逆に、小学生が行って、自分たちの畑を1枚もらって、自分たちが植えたものを収穫して食べるということもいい。

委 員: それは総合学習でやれる。今度から。

委 員:
そういう意味で、地元っていうのは、何も自分の学区だけっていうわけじゃなくて、広く岡山市とか岡山県とかの枠を、ある程度考えた中で、やっていけばいいという意味だ。私が言っているのは。

部会長:
確かに学校教育の中の学校給食だと思うが、もっと学校教育の中で食生活を重視したり、あるいは、学校給食を大事にする学校があってもいいんじゃないか。中学校なら15分で絶対給食食わせるというのじゃなく、うちの学校は30分、学校給食ですという学校があってもいい。

委 員:
今後出てくると思う。今の時間割編成も、例えば、15分15分15分で、英語を毎日やるとか、これも可能だ。言い換えたら、今までのように、はい何時間、何時間ということでなく、2時間続きで、あるいは3時間で授業をとるということも可能だ。だから、食べることや食事のマナーに力を入れようということになると、総合学習の時間が繰り下がってきて、お昼の時間帯をぐっと取ることになる。そういう時代になっているということだ。新しい指導要領でそうなっている。だから、それに応じた考え方を、これからしていかなければいけない。

委 員: 校長先生が中心になって考えるのか。

委 員:
そうだ。だから校長は頭が痛い。とにかく校長が考えなさいとなっている。ちょっと小耳にはさんだが、芳田は、当新田に焼却場があるから、環境問題を取り上げようと、それを学校として取り上げようということをやっていた。学校がそれぞれ工夫していくと、部会長がおっしゃったことは、入ってくるんじゃないかと思う。

委 員: 各校の独自性を認めていくということか。

委 員:
そうだ。総合学習は学校で考えなさいということだ。昔、小学校1年、2年で生活科というのがあった。たまたま生活科、どんなことをやっていいやら分からない、じゃあウサギや小鳥を飼ったらどうですかと言ったら、もうぱーっとどの学校もみんなウサギや小鳥を飼ってしまった。それは、学校で工夫しなさいという意味ですよということで、今度はもう何も言わない、という方針で行ってるんだと聞いている。岡山市はどうか分からないが。

委 員:
反対に、保護者の方で、とにかく給食とか食のことをテーマにする学校にしていきたいということになれば、可能になるということか。

委 員:
そうだ。そういう意味で、保護者と学校が一体になった教育の推進ということが、これからできるようになる。そのかわり、家庭も、家庭の役割をしっかり果たしていただく。学校の役割も、地域の役割も。それが一体となって、学校、地域の学校をもり立てていこうと、教育を作っていこうというのが今度の改革だ。それに合わせて、給食も考えていかなければいけないということだ。

部会長:
だから、国の方も、指導要領の改訂の中でも、各学校の独自性、各市の独自性を認めようという方向になっていて、地方分権主義の考えが全体の流れだと思う。もっともっとPTAが関心を持って、第二部会みたいに、本当にPTA連合会が受けてくれるかどうかは分らないけれど、やってくれるなら親の意見が入ると思う。食生活については、非常に大切な、幅の広い課題である。学校教育の中で、食文化を最重要課題に入れるという考えが出てきてもいいと思う。ただ問題は、各学校の独自性を持った時に、「学校の進学率が下がった。どうしてくれるのよ。」というPTAが出てきたら、そこで崩れる。だから進学率で、学校の特色を出すのではなく、食文化の教養の幅広さが、卒業生の評価である、誇れるものであるという学校が出てきてもいいはずだ。本当にそうなるだろうか。

委 員:
学校では食文化を教育として取り上げるとかいう企画そのものが思いつかないというように思う。部会長が言われるようなことができたら本当にいいなと思っている、まあPTAの方も個別に会えば、大事だと言われるが、やはり進学率のことに力を入れて言われる方が多いわけで、食の教育について専門性を持った学校、特色のある学校を作ってもらいたいと思う。

部会長:
国会で教育基本法の改正問題が出ているが、教育基本法の第1条ってのは、英文で書いてるのを邦訳してる。非常にたどたどしい条文だが、まとめて英文に変えてしまうと、教育の目的は、心身ともに健康な児童の育成となる。受験率や進学率が高いとは書いてない。目的は何かというと、心身ともに健全な児童の育成ということになってる。ただ、食生活、食文化はとっても大切な課題だと思うが、学校とPTAのどちらに求めるのか分からないが、やっぱり保護者は算数が百点とれる子を学校に求める。
具体的に、栄養士さんが1校に1名配置されているので、今後の少子、高齢化社会の中で、地域活動を展開してもらうかどうかという問題も出てくるが、これはまた、岡山市の保健福祉行政もあるから、そことの連携の問題もあるだろうと思う。もし栄養士を減らすのなら、保健所からも支援してもらうということを書けばいい。
大体、意見は出尽くしたような感じがするので、今日、ご出席の委員の皆さん方からいただいた意見と、この一部会の健康教育、安全衛生の問題について、中間報告をまとめていきたい。基本的に、先程から審議されているように、集中、分散の問題もあるし、役割分担の問題もある。そういった観点で整理させていただいて、中間報告案をまとめていきたいと思う。これから私と副部会長でまとめ、それで合同部会に出させていただきたいと思うが、まとめを部会長と 副部会長とに任せていただいてよろしいか。

委 員: よろしくお願いいたします。(全員の賛同あり。)

委 員:
ご飯の時はお茶を出すこととか、衛生面のことを考えたら、今子どもたちが持参しているお箸も、持って帰って、きちんと洗って持ってくるということがなかなかできてない。お茶も水筒で持ってきたりしてるが、衛生的にはきちんとできてない。

委 員: それは、家庭の問題だ。

委 員: もちろん家庭の問題だ。しかし、お茶は、学校給食でやっていただきたい。

部会長: 家庭からは持ってこさせずに、学校でやれということか。

委 員:
施設面でできるのかどうかの問題がある。単におやかんをカウンターに置くだけでは、取るときの安全面からいうと、非常に危険だということがある。底の平らなやかんに入れるとか方法もあるが、持って帰る途中は1人になる。お箸の件は、家庭の問題と思う。予算がついて学校単位で準備して、消毒したものを出すのもいいが、持って帰って、ちゃんと洗わないというのは、家庭の躾の問題だと思っているが、お茶の問題は非常に難しいと思う。昔は、お湯をやかんへ入れる施設があったが、今もうそれが全部取り外されてしまって釜しかない。

部会長:
茶碗を置いたまま食うのはいけないというけど、必ず食うときは茶碗持つもんだと教えていたのに、ヨーロッパへ行ったら大恥かく。うどんも、団子状態で食べるから音がしないけど、つるつる音させて食べたら日本では褒められるけれど、外国へ言ったらひんしゅくを買うかもしれない。その違いを教えるんなら教えればいいと思う。その場合、学校ではうどんは無理ですから、うどんの食い方を家庭でお願いしますとかね、皮のむきかたは、家庭でやってくださいと。だから学校給食でできないことを明確にすればいいと思う。
今日のカルシウム不足の時代には、納豆は食わせたいというのだったら、意識的に、特に岡山のように食べていないところは食べさせようというのはあっていい。個別性を尊重するために、逆に言えば、個別性を尊重する回数を増やすとか、そういうアイディアはいくらでも出てくるのではないか。そういう観点でチェックしながら、中間報告書をまとめたい。それでは、事務局に何かあるか。

事務局:
先程の質問の消毒の関係だが、文部省から、衛生管理については、かなり厳しい通知が来ている。その中で、実際に岡山市でできるかどうかという部分も現実にはある。岡山市でできる範囲については、できるだけやっていくということでやっている。消毒については、煮沸消毒、熱湯消毒、熱風消毒、薬品消毒、この4種類を基本でやっていくということである。それから、衛生管理のチェックについては、最近、保健所も言っているが、HACCP(ハサップ)方式という、時間単位でチェックする方法を取り入れているところが県内にもあるが、今後はそういう方向に行くような気がしている。
今後のスケジュールについてであるが、12月中に中間報告をお願いするということで、今後、中間報告までに、全体会議を2回ほどお願いしたい。

部会長: 委員の皆さん方のご協力をお願いする。本日は、ありがとうございました。