【資料】 小泉第2次内閣の超タカ派の大臣たち
2003年11月20日  俵 義文(子どもと教科書全国ネット21)作成


歴=自民党歴史・検討委員会
若=日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会
特命委=自民党教育基本法検討特命委員会
日=日本会議国会議員懇談会
・拉致=北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟(「拉致議連」)
神道=神道政治連盟国会議員懇談会
50年=終戦50周年国会議員連盟
超=超党派議員連盟・歴史教科書問題を考える会


(1)歴史・検討委員会
 自民党が自らの手で「大東亜戦争」(アジア太平洋戦争)を総括する目的で93年8月に設置した歴史・検討委員会(以下「歴史検討委」と略)は、同年10月から95年2月まで20回の委員会を開催した。「歴史検討委」のメンバーは衆参議員105名で、委員長・山中貞則、委員長代行・伊藤宗一郎、顧問・奥野誠亮・橋本龍太郎・藤尾正行・武藤嘉文など、事務局長・板垣正、委員には石橋一弥・江藤隆美・衛藤征士・梶山静六・塩川正十郎・鈴木宗男・中山太郎・額賀福志郎・保利耕輔・松永光・三塚博・森喜朗・片山虎之助・村上正邦など歴代文部大臣、派閥の領袖など自民党の幹部が参加していた。また、委員の中には、後述する日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会(以下、「若手議員の会」と略)を結成する中心メンバーの安部晋三・衛藤晟一・河村建夫・中川昭一・平沼赳夫など15名が含まれていた。「歴史検討委」は、後に「つくる会」を立ち上げる西尾幹二や高橋史朗などを講師に招いて議論し、それをまとめて、「日本の戦争は正しかった」という内容の『大東亜戦争戦争の総括』(展転社)を95年8月15日に出版した。この日は、自民党と連立を組んでいた社民党の村山富一首相(当時)が侵略戦争や植民地支配を反省する談話を出した日であるが、この本の内容はその談話を全面的に否定するものである。
「歴史検討委」の総括は、日本の行った「大東亜戦争」(アジア太平洋戦争)は、自存・自衛のアジア解放戦争で侵略戦争ではなかった、南京大虐殺や「慰安婦」は事実ではない、加害・戦争犯罪はなかった、という結論をだした。そして、侵略戦争や加害の記述を教科書から削除させるために「新たな教科書のたたかい」(教科書「偏向」攻撃)の必要性を強調していた。さらに、このような戦争・歴史認識を国民に定着させる「国民運動」を、学者を中心に展開することを提起していた。これを受けて、97年1月、学者を中心にした「国民運動」組織として「つくる会」が結成され、教科書の侵略・加害記述を誹謗し、「日本の戦争は正しかった」と書いた教科書を発行して、学校現場に持ち込もうとしたことは周知のとおりである。(「歴史検討委」については、俵著『徹底検証・あぶない教科書』学習の友社参照)

(2)日本会議国会議員懇談会
 改憲・翼賛の右派組織である日本会議(会長・三好達前最高裁長官)の発足と同時に、日本会議を全面的にバックアップし連携する目的で、自民党の小渕恵三・森喜朗、新進党の小澤辰夫が発起人になって、97年5月29日に結成されたのが、日本会議国会議員懇談会(以下、「日本会議議連」と略)である。現在の会長は麻生太郎総務相、会長代理・中川昭一経済産業相、幹事長・平沼赳夫前経済産業相で衆参242名が参加する(2002年4月現在)超党派の議員連盟である。
 日本会議は付属機関として、新憲法研究会(代表・小田村四郎副会長)、政策委員会(代表・大原康男常務理事)、国際委員会(座長・竹本忠雄代表委員)、日本教育会議(座長・石井公一郎、主査・高橋史朗「つくる会」副会長)、日本女性の会(安西愛子副会長)などを設置して活動している。また、同組織の宣伝媒体として出版社・明成社(社長・石井公一郎)を設立しているが、明成社は、歴史歪曲の高校教科書『最新日本史』や南京大虐殺を否定する『再審・南京大虐殺』(竹本忠雄編著)などを出版している。三好・小田村・大原・石井らは「つくる会」の賛同者であり、「つくる会」と日本会議を結び付けているのが高橋史朗である。
 「日本会議議連」は、「歴史・教育・家庭問題」(座長・高市早苗前経済産業副大臣)、「防衛・外交・領土問題」(座長・安部晋三自民党幹事長)、「憲法・皇室・靖国問題」(座長・鴻池祥肇前防災相)の三つのプロジェクトを設けて、日本会議と協議し、日本会議の要求・政策を国政に持ち込む活動をしている。この連携によってつくられたのが『心のノート』(事実上の国定道徳教科書)である。今日の日本では、右翼組織の政策・要求が連携する議連を通じて国の政策になっていくという恐ろしい構図ができあがっていることの例証である。
 「日本会議議連」は、2000年10月13日の総会で、「教育基本法改正問題に関する決議」を採択し、教育基本法を早期に「改正」する報告を出すように教育改革国民会議に圧力をかけた。

(3)神道政治連盟国会議員懇談会
 神道政治連盟国会議員懇談会(以下「神道議連」と略)は1970年に設立された。森喜朗首相(当時)が2000年5月15日に「日本の国はまさに天皇を中心としている神の国であるぞ、ということを国民にしっかりと承知していただく」という「神の国」発言行ったのは、この「神道議連」の結成30周年の祝賀会であった。現在の会長は綿貫民輔、事務局長は安部晋三、副会長に古賀誠・平沼赳夫・町村信孝・青木幹雄などが名を連ね、森喜朗は顧問で衆参228名の議員が所属している(2000年5月現在)。神道政治連盟は「天皇の大御代の光栄と永久を祈る。これが、日本人の繰り返してきた祭りの心であり、ここに神道的な日本国民の良心的な社会観があり、国家観がある」(神道政治連盟『綱領解説』)という、まさに「天皇を中心とした神の国」の実現をめざす政治結社である。この考え方に賛同・支持し、それを国会・政治の場で実現するために活動しているのが「神道議連」である。

(4)日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会
 「若手議員の会」は、「つくる会」が発足した1月後の97年2月27日に自民党の当選五回以下の議員を中心に結成された議連である。代表は中川昭一、事務局長は安部晋三、幹事長は平沼赳夫である。「若手議員の会」は、「つくる会」と綿密に連携し、「つくる会」の活動を全面的にバックアップしてきた。「若手議員の会」は、99年に文部省の教科書課長などの幹部や教科書会社社長、教科書執筆者などを呼んで、侵略戦争や「慰安婦」問題の教科書記述について激しい詰問・追及を行った。さらに、「慰安婦」問題で旧日本軍と日本政府の関与を認めた93年の河野洋平官房長官(当時)談話に対して、「確たる証拠もなく『強制性』を先方に求められるままに認めた」と非難し、河野を会に呼びつけて撤回を迫った。「若手議員の会」は、「通算10回にわたる勉強会によって、いかにわが国の歴史教育には深刻な問題が存在しているか、あるいはいわゆる慰安婦問題がいかに歪曲(わいきょく)されて伝えられているか、そして日本外交のこれまでのあり方(いわゆる謝罪的体質)がいかに今日の問題を招く端緒となったか…等々の事実が明らかになった」とし、それを改める「国民運動を精力的かつダイナミックに展開していく」と主張していた(安部晋三のホームページ)。この「国民運動」が「つくる会」と連携した教科書攻撃であり、「つくる会」教科書の採択活動支援であった。

(5)超党派議連・歴史教科書問題を考える会
 「つくる会」教科書への批判が高まり、採択を阻止する市民などの運動が高まりはじめた2001年6月26日に、「つくる会」の教科書採択活動をサポートする目的で、「若手議員の会」の活動を民主党議員などと連携して進めるために設立されたのが超党派の議員連盟・歴史教科書問題を考える会(会長・中川昭一、以下「超党派の会」と略)である。「超党派の会」には、自民党以外に民主党、自由党(当時)、保守新党、無所属の会の議員が参加している。「超党派の会」は、文科省幹部を呼びつけて、「南京の犠牲者数が限りなくゼロに近いという説」も教科書に載せろ、「南京大虐殺まぼろし論」も学説だから両論併記で記述させろ、検定基準の「近隣諸国条項」(日本の侵略戦争記述を検定で削除・修正させないと国内外に約束した内容)を無くせ、などと迫ってきた。「超党派の会」は、市民運動を敵視し、教科書採択に市民の声を反映させることを違法行為と決めつけ、01年8月の採択後、「人間のくさり」などの市民の活動を排除するように文科省に圧力をかけてきた。これを受けて、文科省は、02年8月、教科書採択にあたって、市民運動などが教育委員会に要請する活動があった場合には、警察と連携をとって対処するように、という「通知」を都道府県教委に出した。

(6)教育基本法検討特命委員会
 中央教育審議会の教育基本法「見直し」議論がはじまった2002年1月31日、自民党は政調会内に教育基本法検討特命委員会(以下、「特命委」と略)を設置した。「特命委」の役員は、委員長・麻生太郎、委員長代理・中曽根弘文元文相、事務局長・河村建夫、最高顧問・森喜朗、顧問・歴代文相、文科相経験者である。「特命委」は、高橋史朗・「つくる会」副会長(「日本の教育改革」有識者懇談会運営委員長)、石井公一郎・日本会議副会長、西沢潤一・新しい教育基本法を求める会(現「日本の教育改革」有識者懇談会)会長、横山洋吉・東京都教育長、前澤克明・全日本教職員連盟委員長などを講師に招いて、毎週1回会議を開催し、自民党内の教育基本法改悪方針を固め、中教審答申にも大きな影響を与えた。また、2002年7月22日には、報道各社の論説委員を招いて意見交換会を開催してマスコミ対策にも力を入れてきた(「朝日」と「毎日」の論説委員は欠席した)。

(7)終戦50周年国会議員連盟
 敗戦50周年の1995年8月15日に、侵略戦争を反省し、戦後処理問題に一定の見通しをつけて、アジアとの和解を実現するための国会決議が企画されていたが、それに反対するために1994年12月に結成されたのが自民党の「終戦50周年国会議員連盟」(奥野誠亮会長、板垣正事務局長、顧問・橋本龍太郎など、衆参161議員)である。この議員連盟は、日本を守る国民会議、日本遺族会、神社本庁、英霊に応える会、新日本協議会、明治神宮、靖国神社、神道政治連盟、教科書を正す親の会など右派勢力が、94年に結成した「終戦50周年国民運動実行委員会」(会長・加瀬俊一元国連大使、最高顧問・福田赳夫元首相)と一体となって、「日本は侵略国ではない」「戦争反省決議反対」「英霊に応える決議を」などと主張して、地方議会決議(26県、90市町村が決議)や署名運動(456万筆達成)に取り組んだ。この議連や右派勢力の運動が「成功」して、敗戦50周年決議は、当初の目論見から大きく外れ、侵略戦争の反省などまったくない内容になった。
 終戦50周年国会議員連盟は、96年6月、「明るい日本・国会議員連盟」(奥野誠亮会長、板垣正事務局長)に発展的改組された。この議員連盟は、歴史・検討委員会の侵略・加害否定の「研究成果」と「業績」を受け継いで、95年1月に発足した新進党(当時)の「正しい歴史を伝える国会議員連盟」(小沢辰男会長)と共同して、96年の教科書「偏向」攻撃で中心的な働きをおこなった。同議連は、「『慰安婦』は売春婦」というキャンペーンを行い、96年6月以降は、教科書の「慰安婦」や南京大虐殺記述を攻撃し、教科書からの削除を要求して活動した。この議連の活動は、97年2月の「若手議員の会」の結成以降は、「若手議員の会」に引き継がれることになった