作家、遠藤周作の代表作「沈黙」の舞台となったトモギ村は外海町が舞台です。
   同町の歴史民族資料館の前に沈黙の碑があり、晴れた日には遠くに上五島を眺められ、
   その島々を眺めていると信仰の自由を求めて、迫害から逃れるため、海を渡っていった
   先祖の哀しみが伝わってきます。どんな責め苦にも信仰を捨てず、殉教していった人々が
   長崎にはたくさんいます。その一部をこのページで紹介したいと思います。
    この外海町に今年5月に「遠藤周作文学記念館」が開館しました。左の写真の山の頂上
   に見えるのがその記念館です。この記念館からの夕日は絶景です。
   皆さんも一度、「パスカの里」をたずねてみませんか?
    写真をクリックすると「沈黙の碑」の大きな写真が見られます。

沈黙の碑 外海町より東シナ海を望む
沈黙の碑 外海町より東シナ海を望む

    この資料は明治大学、生方 卓氏の「長崎のキリシタン人名録」の一部をご協力いただき、
    ここに掲載する事が出来ました。ご協力に感謝申し上げます。

氏    名
 杉 本 ゆ り   1865年の信徒発見の日の中心人物。
「ワタシノムネハアナタノムネトオナジ」とプチジャン神父に告げる。
福山に流され、明治6年、釈放、明治26年死去。経の峯に墓がある。
 岩 永 又 一  浦上村の水方。
1868年に津和野に流され、明治3年に47歳で牢死。
 下 村 与 作  五島から長崎に出て大浦天主堂に住み込む。
プチジャン神父の指導のもと、五島に宣教する
 片 山 波 江  大村藩家老で、大村から五島への最初の移住を指導した。
 高木仙右衛門  1867年の浦上四番崩れ(注1)の発端となった検挙の際の、
キリシタンの中心人物。農民。拷問に耐えて不屈の信仰を示す。
 岩永家の人々  岩永清史郎は津和野に流されて牢死、
その子の光蔵18歳と娘ツル22歳は萩に流される。
ツルは寒ざらしの拷問に耐え、明治6年に信仰を守り
通して故郷に帰り、岩永マキと孤児教育に生涯を捧げて
大正14年、78歳で逝去。
 ヴィリオン神父  フランスから24歳の時に長崎に来るが、その年に浦上四番崩れが起きる。
当時の記録として『日本宣教50年』という回顧録がある。全国で
布教活動、昭和7年、大阪で逝去。
 ド・ロ 神 父  1868年にフランスから長崎に来る。
大浦天主堂に石版印刷所を設ける。
 森松次郎一家  松次郎の親は外海町出津が浜から五島の鯛の浦に渡る。クザン神父を
五島に招いて自宅にかくまうが、弾圧の中で頭が島に渡り、そこで
神父をかくまう。明治元年五島崩れが久賀島から始まり、全五島に
広がる。その後長崎からマニラに逃れ、帰国後転々、その後女子
教育や布教に身を捧げ、明治35年逝去、墓は浦上の赤城墓地。
 黒崎伝重一家  外海は16世紀からキリシタンの村々として知られていたが、
信徒復活以降半数はカトリックになり、残りは隠れキリシタン
となった。カトリックの中心人物だったのが黒崎伝重である。
明治元年、家族ごと捕えられ激しい拷問を受ける。
 久賀島の殉教者たち  五島のもっとも激しい拷問弾圧の地。200人あまりのうち、33人が
牢死。その拷問の残酷さたるや、全くもって人間が
やることではない!
 ピナン(マラヤ)と
  香港への留学生
 無事帰国して神父になったのは深堀達右衛門、有安浪造、高木源太郎、
深堀忠治、岩永信平、島田嘉造、片岡謙輔の5人。
深堀達右衛門は四番崩れの時18歳、神父になるため大浦天主堂
潜み、明治元年の浦上村民総流罪の時、ピナンに逃れて勉強を続け、
明治4年に横浜に帰り、8年に長崎神学校が出来ると、ここで勉強
のかたわら伝道、明治20年、38歳で逝去。
 岩永マキと仲間  マキの旅は(注2)岡山で22歳の時。帰郷の時は26歳、荒廃した浦上で
赤痢天然痘の流行の中、治療看護に献身し、その後孤児養育に生涯を
捧げる。野口卯八、深井咲太郎、山本常吉、岩永ツルらがこれに協力。
今日の浦上養育院とお告げのマリア修道会はその継続である。
 フ レ ノ 神 父  プアリエ、プト−、ペル−の後を継いで明治21年に浦上に主任司祭と
して赴任。フランスから来日したのは明治6年で、これまで五島、
長崎、大分などを転任してきた。神父の設計で浦上天主堂が明治38年
に着工されたが、明治44年に逝去。教会は完成半ばだった。
 ラ   ゲ 神 父  明治12年に来日、昭和4年に逝去するまでの50年、一度も帰国する
ことなく、生涯を日本の宗教、文化、社会福祉に捧げた。ラゲ訳聖書
(明治43年)と仏和会話大辞典(明治38年)を完成。明治44年に浦上に赴任、
浦上天主堂の完成に尽力、最終的な完成は大正14年。大正9年に大浦天主堂
に隠退、仏和辞典の改訂に取りかかりマルタン神父が継続して昭和28年、
白水社から刊行される。

*注1)「崩れ」とは検挙事件のことで、浦上四番崩れとは浦上で起こった四番目のキリシタン検挙迫害事件(1867年)
  という意味。

*注2)「旅」とは浦上の農民たちが、配流をさして呼んだ言葉である。


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