春3月、「梅は咲いたかサクラはまだかいな」の時期。晴れて無風の日に暇つぶしに出かけた。お馴染の東武鉄道を北千住駅から乗って10分ほどで曳舟駅に到着。進行方向右手の方向へ路地を歩けば10分足らずで水戸街道に出る。かつてはここを都電向島線が走っていて、東向島3丁目、東向島1丁目、向島須崎町などの停留所があったが、今は都バスの停留所になごりをとどめている。そのバス停がある、東向島1丁目交差点に「鳩の街」のアーチが半分壊れながらもなんとか架かっているので、これを見つければ迷わず足を運べる。
2017年3月の裏庭
▲裏庭TOP
▲旧人類の草庵TOP
手元にある古い散歩の参考書を開いて眺めると、永井荷風の私家版「墨東綺譚」には荷風が撮影した玉の井駅の写真があり、ホームに「ゐのまた」(右読み)の駅名標が見える。この、玉の井駅は東向島駅と名を変え、ここにあって戦災で焼失した遊郭が私娼街として甦ったのが鳩の街である。最盛期には娼家が108軒、接客する女性が298人いた(wikipediaによる)らしいが、売春防止法の施行により1958年3月31日に全業者が廃業した。荷風の戯曲「春情鳩の街」は1955年に「渡り鳥いつ帰る」という題名で映画化されて、この町での生活が詳細に描かれている(DVD化はまだで国立国会図書館にVHSがある)。出演は高峰秀子、田中絹代、森繁久彌、岡田茉莉子、久慈あさみ、と豪華。
歴史が刻まれて味わい深くなった壁や、風雅に錆の浮いた手摺りなどを眺めながら、400メートル歩くと頭上に高速6号が見える墨堤通りに出る。ここでUターンして1本西の路地を歩いて戻ってくると、何ヶ所か空き地が目に入る。また、すでに建て替えられて、どこにでもあるようなアパートに姿を変えた建物もある。すこし古めの案内所に記載されていた銭湯「松の湯」は数年前に解体されてしまったようだ。「残念なコトに..」とか言ってはいけないのだろうが、そのうちこの街の見納めの時がやってくることも覚悟しないといけないように思えた。
水戸街道に戻り、東武鉄道のガードをくぐって曳舟駅の東口に出る。ヨーカ堂を後ろに見ながら「曳舟たから通り」を南東方向に10分ほど歩くと、左手に「田丸稲荷」のぼりが見える信号がある。稲荷社に隣接する「原公園」から左手の細い路地に入ると、ここが「キラキラ橘商店街」である。すこし曲がりながら、明治通りに抜ける約450メートルほどの道の両側に、日常生活に必要ないろいろな商店がぎっしり並んでいる。
街の名の由来を調べてみたら、1931年に「橘館」という映画館ができて以来、この通りを「橘館通り」と呼ぶようになったという(Wikipediaによる)。「キラキラ」を冠にしたのは不明。100メートルほど歩くと右手に渋い看板のある「墨田京島郵便局」の建物が見つかる。朝丘雪路のサインがあるという喫茶「ペロケ」が見つからないのは、どうやら閉店したらしい。漂ってくる匂いに誘われてゆっくりと歩く。創業60周年のおでん屋「大国屋」、京都の名店に負けない豆腐の「三善」、ヨネスケやさまーず・三村のサインがある「鳥正・京島店」などが軒を並べる。また創業が1912年のコッペパン屋「ハト屋」はテレビでもよく紹介されている。
以前から消防車の入れない商店街として有名だったのだが、地域の皆さんの防災意識非常には高くて、ちょっとした空き地を設けたり、店内に防災用の備品を確保したりで、かなり苦心されているようだ。正午ちょっと前の散歩だったので、開店の準備をする店が結構多くて、狭さをモノともせず、てきぱき働く人の動きに好感を持てた。こんどは夕方の灯がともる頃、買い物客で賑わう様子を見に来たいと思った。