超大型台風8号が沖縄に接近中だけど、関東地方は晴れて30度越えの梅雨の晴れ間のなか、汗を拭き拭き桜川市真壁を散歩してきました。ここ真壁は常陸平氏の真壁氏が立藩。真壁氏が秋田に移った後、のちに赤穂領主となる淺野家がこの地を治めました。良質の御影石を産し、現在も石材店が多く軒を並べています。この町は江戸時代から明治・大正にかけて繁栄し、今も300棟を超える見世蔵・土蔵や門などに旧き良き時代の面影が残っています。大正7年に開通した筑波鉄道が昭和62年に廃線になり、その後、平成23年にはバス路線も廃止されて桜川市は路線バスのない市となって、訪問者から見るとまさに陸の孤島となってしまった。その「失われたまち」に残る登録文化財である家屋を何棟かを歩いて見て回りました。まず、腹ごしらえに町外れにあるハンバーグ・レストラン「ペンギン」に寄り、黒毛和牛でつくられた俵ハンバーグ(210g)を食べてから、高上町有料駐車場に置いてあった市文化財課発行の案内書を片手に出発しました。
2014年7月の裏庭
▲裏庭TOP
▲旧人類の草庵TOP
新宿通りに天神横町が突き当たる場所にある、中村家は江戸時代末期に木綿商を営んでいたそうです。大正2年建築。後ろの山は筑波山。 関根家は下駄屋を営んでいました。明治8年建築。 こういう塀があると、立ち止まってじっくり味わう癖があります。5年や10年ではこんな景色は生まれません。 新宿通に面して広い敷地を誇る中村家の薬医門。真壁最古の旧家だそうな。
新宿通りにある旧家。休息用椅子のある風景。 昭和4年建築の橋本旅館は創業100年を超える。玄関脇にカフェを併設。 桜井家は江戸時代中期にこの地で肥料商をはじめ、筑波鉄道の開設にも関わった地元の有力実業家。 西岡家の祖は近江商人で、明治中期に味噌・醤油の醸造をはじめた。
真壁は雛祭の盛んな地です。つるし雛に似た折鶴吊るしが目に入り立ち止まりました。 塚本家は昭和12年まで酒造業を営んでいた。 村井醸造の祖は近江商人で延宝年間にこの地で酒造業を営む。 村井醸造の近くで見つけた「アサヒ靴」のホーロー看板。この靴は日本ゴム株式会社の製品。
伊勢屋旅館は幕末頃は「勢州楼」という料亭だった。 潮田家は江戸末期創業の呉服・荒物・雑貨の豪商として隆盛を極めた。 塚本茶舗は昭和初期、塩の卸商だったが、のちに茶舗に転じた。明治41年建築の土蔵。 入江家の2軒隣で、頑丈そうな躯体を持つ大工さんが働いていた。解体修理中。
御陣屋蔵前通りの信号から見える家。屋根の草は通行人を立ち止まらせるほど風趣がある。 旧真壁郵便局は、昭和2年建造で当時は国立第五十銀行真壁支店だったが、のちに郵便局となり昭和61年まで業務をしていたらしい。 旅籠「ふるかわ」は登録文化財ではないが、ぼろぼろの家屋を旅館として営業できるように改装した功績を認められている。 三輪家は履き物商で、2階の戸袋に高下駄の飾りの鏝絵が見られる。