「お父さんは明日も帰ってこられないの?」
Power Mac G5 を使ってイラストを描いているお仕事中のお母さんに娘の優華さんが尋ねました。今年、小学三年生になりました。もうすぐ上級生です。でも、すでに同い年の子供達よりは大人びていましたし、ひょっとすると五六年生のお姉さんやお兄さんより落ち着いていたかもしれません。ものの分別を知っている子供だったのです。
「そうね、明日まではお仕事が続いちゃうみたいなの。そのあとは年明けまではお休みできるんだって」
「でも明日はお母さん達の結婚記念日なんでしょ? いつも一緒にお祝いしているじゃない。今年そうじゃないってのはかわいそうだよ」
お母さんは思い出しました。あの日の夜中、お父さんと一緒に役所へ結婚届を提出しに行ったときのことを。お父さんはその日に優華さんが生まれてくることを知った日でもあります。でもお父さんの名誉のために言っておきます。優華さんのことを知ったから結婚届を出すことにしたのではなく、お母さんを愛していたからそうしたのです。もともとそうするつもりだったのです。
「ねえ優華ちゃん」
「なに? お母さん」
「お母さんはね、優華ちゃんが居てくれて、そしてお父さんと一緒に生きていられるだけでも幸せだよ」
優華ちゃんはぎゅっと抱きしめられました。わたしもだよ、そう思いました。
「御飯作ろうか」
二人して台所に向かいました。いつも一緒に料理を作るのです。お父さんがいるときは三人で作っています。
優華ちゃんは寝る前に LC575 で日記を書いています。マッキントッシュでも、ちょっと古い機種でしたけれども、ご両親がいろいろ手を加えてまだ元気に動いています。日記はその日にあったことや思ったこと考えたことを書いています。お母様に似て絵の才能もありましたので自分で絵を描いたりもします。
その日は三人一緒にいる明日の夕食を描きました。お父さんが帰ってくるといいなと書きました。お父さんが帰ってこられないと聞いたときにはお母さんはやっぱり残念そうでしたし、毎年その日はいつもより幸せそうだったのです。
ご両親は優華ちゃんが中学生になったら話してくれると言ってくれているのですが、二人には語ることすら辛くなる出来事があったようです。ちょっと不自由なお母さんの左手もそのことに関係あるんだろうなとは思っています。だからこそ、とても大切な日なのじゃないかと思うのです。
それにご両親はキリスト教徒じゃないからクリスマスイブの飾り付けみたいな事はしません。信者でもないのに家の回りにイルミネーションを付けて喜ぶ人もいれば、大げさなパーティを開いて騒ぎ立てる人もいるのにです。優華ちゃんのお友達にもクリスマスパーティを開いて招待してくださる方がいらっしゃるのですが、優華ちゃんはご両親と一緒にいたいのでお断わりしています。それに自分もクリスチャンじゃないもの。
みんなが浮かれまくっているときに自分のおうちだけ憂鬱なのはしゃくにさわっていたのです。
LC575 の電源を落としながら、優華ちゃんはお父さんが帰ってこられるようにお祈りしました。
光は飛び交います。光は距離の自乗に反比例して強さは薄れていきますが、しかしそれでも障害物がなければ必ず届くものです。こちらの光、あちらの光、それが混ざり合っていろんな色の光になり普通は判別できないような場合でも、それが判る人には光が感じられるのです。
優華ちゃんのお父さんは出張先で大変な目に遭っていました。この国の大部分は例年にはないほど早い時期から、大雪が降り積もっていたのです。最初は腰ぐらいの高さしかなかったのに今はもう屋根から出入りしなければいけないほどの大雪です。そんな時に暖房の切れかかった作業所で仲間の人達とソフトウェアを完成させようと一所懸命に仕事をしていました。もともとお父さんは雪国生まれでしたので雪には慣れていましたが、それでもこの大雪には驚いていました。雪の降るクリスマスを夢見る歌がありますが、そんなロマンティックなことも吹き飛んでしまうくらいの大雪なのです。
この様子では仕事が終わったとしても帰れないかも知れないなぁと思いました。実は仲間の人達も優秀なプログラマだったので、一日早く帰れるかも知れないところだったのです。
こんな大雪でも鉄道だけは動いていました。だから駅まで行くことさえ出来れば帰ることも出来たでしょうが、駅までは遠く、車で行きたくても道路が何十センチも雪の下にあるようなところでした。お仕事で疲れ切っていたお父さん達にはもう元気がなかったのです。
愛する奥さんと優華ちゃんのことを思い浮かべたときでした、突然持っていた iPod が光ったのです。動画も再生できる60Gタイプの iPod ですが、お父さんは動画ファイルなど入れてはいませんでした。しかし、液晶表示のところに何か動いて見えるのです。それは何かと目を近づけました。音も出ているようです、イヤホンも耳に当てます。
映っているものが何か判りました。優華ちゃんの描いた絵でした。三羽の鳥が羽ばたいている絵です。耳に流れてくるものは優華ちゃんの歌でした。
♪父ちゃん恋しや、ほうやれほ
♪母ちゃん恋しや、ほうやれほ
♪鳥も生あるものなれば
♪飛べ飛べ自分のお空へと
優華ちゃんには触らせたこともなかったのにいつの間に入れることができたのでしょう。お父さんは驚きました。ふと顔を上げると、お父さんの仲間達もそれぞれのご自分が持っている iPod をのぞき込んでいます。善良で優秀なプログラマはみんな iPod を持っているものなのです。あの人も息子の声が聞こえていました。この人も奥様の声が聞こえていました。みんな大切な人達の声を聞いていたのです。
そしてみんな一斉に顔を見合わせたのです。
お父さん達は急に元気が出てきました。お仕事もすぐに終わりそうです。凍え付くような駅までの道のりももう大丈夫でした。
優華ちゃんの街にもごくわずかでしたが雪が降りました。家の前で小さな雪だるまがお父さんをお出迎えしていました。
夕食の時、優華ちゃんは満足でした。ご両親の生きていることの喜びが溢れる笑顔がそこにあったからです。お母さんとお父さんを喜ばせたくて、自分が描いた絵を見せてあげようと思いました。
お父さんの PowerBook G4 を家庭内 LAN に繋いで、優華ちゃんの LC575 から絵を表示させます。そこにはお父さんが見た鳥の飛び立つ絵が描かれていました。お父さんはあのあと、iPod の中身を調べたのですが、動画も音声ファイルも見つからなかったのです。みんなも同じでした。だから、みんなで夢を見たのだと思っていたのです。でも、そこに現われたのは紛れもない、あの時の絵でした。
でも、少し違っています。
「あれっ、鳥が四羽いる」
お父さんが小声で声を漏らしました。
お母さんと優華ちゃんはにっこりとお父さんを見ました。