◎僕はバラを知らない


♪輝く星空に僕は生きてる
♪翔び立つ時にも翼はいらない
♪怠惰な世界で夢持たずに生きる人達
♪彼らにさよなら、星へ飛びだせ

高校の同級生の話。「理絵はいちずでいい子なんだから大事にしてあげてね」 だからまだコクってさえもいないんだってさ。

さらに別の同級生の話。「自分が振り向くよりも、人に振り向かせたいって人だから、まあ、ダメもとで頑張んな。俺も一度振られたけど」 って、まだ僕は振られていないんだってばさ。

高校の同級生の話。「今も変わってないと思うけど昔っからミュージカル好きだから四季や宝塚の地方公演があったら誘ってあげると喜んでついてくると思うよ」 なぜか彼女の出身地方の人達は方言が抜けないのだ。だからここではだいたい標準語に直して書いている。だいたいというのは僕自身の方言は僕には判らないからだ。

寮の同室の先輩。「いつでも勉強したり、本読んだり、ビラ書いたり、歌唄ったり、何かしてないと落ち着かない子だから、暢気そうな君とはうまくいくかもしれないわね。今まで男いなかったから、荒んでるのよ。まあ、せいぜい応援してあげるから」 面白がられている。なんかやる前にみんなに喋られそうだ。

僕のギターの先生。「ミナー(奥さんの名前だ)! 歌で愛を告白するんだってさァー。喜んで(ギターを)教えてあげるョー。でどんな子だィ」 友達からもらった彼女の写真を見せる。「あァー、理絵ちゃんじゃァないかァー。毎週、ミサで会ってるよォー。可愛くて頭のいい子だよォー」 先生は僕がバイトしてるスペイン風居酒屋の経営者で奥さんが店長、先生は時々店でギターを弾いている。よくは知らないのだけれど世界的にも屈指の演奏者で日本で奥さんを見初めて、それからずっとここに居着いているそうだ。どこかで聞いたような話で僕が思うにかなり嘘、大げさ、紛らわしいが混じっていると思うけど。先生はカトリックだから彼女もカトリックってことか?

寮の同室の先輩。「毎週日曜日は朝早くから教会行ってるわよ。寮生ってみんな朝遅いでしょ、目覚まし代わりに使わせて貰ってるわ」 ということは彼女が教会に行く前か、帰ってきた直後を狙わないといけないということか。

寮の同室の後輩。「山中先輩、女子棟の委員長なんだけど、委員長ってふつー学生部との折衝やら集会のアジテーションやら、めちゃ政治的なのよー。でも山中先輩はどっちかいうと規則にやかましくて『全寮の影の規律委員長』って呼ばれてるわ。それ、風紀委員長みたいなものね」 ひょっとすると、とてもやっかいな人物を好きになっちゃったのかもしれない。

僕の研究室の先輩。「男なら歌だ。歌と花束で落ちない女は居ない!」 先輩はオタクな人でちょうど『ふしぎの海のナディア』に、はまっている時だった。それに乗せられてしまう僕も僕だが。

ラテン系の表現で「雷に打たれたように恋に落ちる」という言葉があるそうだ。まさに理絵さんとの出会いはそれだった。キャンパスで友達と歩いて生協の食堂へ向かっている彼女を見たとき、衝撃が僕を貫いたのだ。その時は名前も学年も学部さえ知らなかった。僕は駆け回り、彼女が教育学部の国語を専攻していることを突き止め、僕と同じ学年だということを知り、住んでいるところが大学寮だってことも判った。彼女を知ってるいろいろな人達に彼女のことを聞き回った。彼女を知る人達は皆僕のことを彼女に黙っていてくれた。どうもそれを面白がっていて、結果がどうなるかを知りたがって居るみたいだったんだ。

彼女との面通しもやった。できるだけ自然に偶然を装い食堂で話しかけたり、ギターの先生に頼んで教会のボランティアに参加したり。どうもヘンな奴だと思われて居るみたいだけど、ともかく名前と顔だけは覚えてもらえたと信じている。

計画はこうだ。日曜日の朝、彼女が教会に出かける前に彼女の部屋のベランダの下へ行く。部屋は二階だ。僕は見上げてギターを弾き歌うのだ。何事かと顔を出してきたときに告白するんだ。先生も一緒に来てくれてギターを弾いてくれるという。死にものぐるいでギターと歌を練習した。薔薇の花束だって高いからバイトだっていつもよりいっぱいやった。

とうとう決行の日がやってきた。先生の奥さんが運転する車にギターと花束を抱えながら乗せて貰う。「心配カー、大ジョーブだョー、なんとかなるョー」 先生夫妻がラテンっぽく大笑いする。

寮の前の坂を車が上がり、門を入る。あらかじめ寮の人達には、朝お騒がせいたしますと彼女には内緒でお知らせして貰っている。車を事務所の前に止め、ギターや椅子やら楽譜やらをセッティングし始めると、先生の奥さんもキーボードを持ち出して広げようとしている。「あたしも参加するわね」 わざわざ僕のためにこっそり用意していたんだ。奥さんも実は名ピアニストだったそうで、有り得ない幸運だった。

彼女の同室の後輩の女子が僕たちに気がついて出てきてくれた。「先輩にコクったところでこの花束を渡せばいいのよね」 彼女は薔薇の花束を僕から取り上げ嬉しそうに中へ入っていった。

準備は出来た。「1、2、3」 僕は歌い始めた。六番まである。彼女が顔を出すまで歌い続けるんだ。

寮のいたるところの窓から顔がのぞく。朝っぱらからガンガン楽器を鳴らし歌いまくっているんだから。歌っているうちに僕は気がついた。ギターやキーボード以外にも楽器の音が聞こえてくるんだ。僕は回りを見た。男子棟の四階で窓を開けてクラリネットを吹いている人がいる。それだけじゃない。もう一つの男子棟の一階ではドラムを叩いている人がいる。女子棟の一階からも椅子を外に持ち出してきてチェロとバイオリンを弾こうとしている人がいる。他にも何人かが楽器を弾いてくれている。

「うるさいわね、ここをどこだと思っているの!」 彼女が窓を開けて叫んだ。そして僕たちだということに気がついたようだ。彼女はベランダに追い出され同じ部屋の人が出した椅子に腰掛けた。後で聞いた話だけど、同室の先輩の人が「あんたの為に歌ってくれてるのよ。最後までおとなしく聞きなさい」と言ってくれて、素直に自分から這い出てきたそうだ。みんなが楽器を持って出てきてくれたのも手引きをしてくれていた女子がフィルの人やバンドをやってる人達にこっそり楽譜を渡してくれていた。この楽譜もギターの先生が用意していたんだ、彼女も先生の音楽仲間だったんだ。

それはもう楽しいセッションだった。途中で先生夫妻は演奏をやめて二人して踊っていたくらいだ。演奏が終わるのが恐かった。そして歌い終わった。僕はこの時の為に努力してきたのだけれど、それでもとっても恐かった。

水を打ったようにあたりが静まりかえる。僕は立ち上がり彼女を見て言う。「好きです。僕と付き合ってください」 と同時に花束が彼女の手元に渡った。彼女の顔が真っ赤になっている。寮中の人が僕たちを見ているのが感じられる。彼女は花束を握りしめて立ち上がった。

「ばか」

一本の薔薇が僕の所へ落ちてきた。その時、拍手が沸き起こった。