長瀬君は博士の病室にやってきました。博士がテレビに向かって叫んでいます。
「ヒンギスちゃんの舌ぁ
ヒンギスちゃんの息ぃ
ヒンギスちゃんの唇ぅ
ヒンギスちゃんの汗ぇ
ヒンギスちゃんの頬ぉ」
「何叫んでいるんですか、暇だからずっとウィンブルドン見てたんでしょ」
「そうじゃ、テレビか本を見るしか良い暇つぶしはないからのう。でも長瀬君、ヒンギスちゃんは可愛いぞ。『垂れない乳房』と命名してしまいたくなるくらいじゃ」
「時事ネタですね、数年後通じるかどうかわかりませんよ」
「じじぃネタとはどういう意味じゃ、わしはまだ三十四じゃぞ」
「お下品なネタで笑いを取ろうとしても嫌われることが多いですから気をつけたほうが宜しいです」
「これでもかなり気をつかったつもりなんじゃがな」
「気をつけるのと気をつかうのとはちょっと違いますよねぇ。それはそうと退院おめでとうございます」
「すまんのう、わざわざ片付けを手伝わせてしまってのぅ」
「何言ってんですか、電話で『君のデートとわしの帰宅とどっちが大事なんじゃ』って脅かしたのは誰ですか。彼女の夏コミのベタ塗り手伝う予定だったのに」
長瀬君は博士の持ち込んだ私物をまとめ始めました。そこへ一人の女の子がやってきました。
「はっかっせ。わたしより早く出ていっちゃうなんてさ。うそつきぃ」
色白の眼鏡っ娘です。前髪をふっと息で飛ばしてから、博士の顔を下から見上げ目を見つめます。
「わしもこんなに早く出られるとは思ってもいなかったのじゃ。まず血痰は治療中の歯槽膿漏のせいじゃった。カラオケのやり過ぎで喉に炎症をおこして、そこからも出血しておった。咳もそのせいじゃった。極めつけは肺のレントゲンじゃ、酸素ガムの人体実験中に誤って飲み込んでしまったものが影になって映り込んでしまったのじゃ。だがもう今は全部空気に変化してしまったので跡形もなしじゃ」
「肺の中の異物って白くなるんじゃなかったでしたっけ? 結核の影は黒じゃありませんでしたか?」
博士は長瀬君の質問には答えず女の子に話しかけました。
「だから嘘をついてしまうことになってごめんなさい。でも約束したことは必ず守るからね」
「うん、わたしも結核直ったら必ず連絡するからね」
女の子は出て行きました。
「皐月さんにバラしますよ」
「構わん、約束といってもTDLに行くだけのことじゃ。一緒に行けばよい」
しばらくすると二十五、六とおぼしき女性がまたやってきました。
「は〜か〜せ〜、シャバに出たらあたしに会いに来てねぇ〜」
「おうおう、わかっとる。お見舞いの品を忘れずにじゃな」
「う〜ん、そお〜。ねええ、明日来れるぅ?」
「明日は駄目じゃ」
「じゃあ、あさってはぁ?」
「週末じゃな」
「もっとはやくきてよお〜」
「わかった、わかった、必ず見舞いに来るからな」
女性は出て行きました。
「女性のお友達ですね。うひひな関係ですか?」
「ちがう、単に彼女は煙草が吸いたいだけなんじゃ。娑婆に出る人間は全員たかられる運命が待っておる、もちろん見舞いの品は煙草じゃ」
それからも入れ代わり立ち代わり患者さんがやってきて挨拶をしていきました。
そして堂々と表門から博士は出て行きました。
「娑婆に出ると気分がシャバシャバするもんじゃな」
「げ、最後の落ちはオヤヂギャグですか」
「子が無くともオヤジとはこれいかに?」
「金が有っても貸さん(かあさん)と言うが如し」
「つまらんのう、結局このシリーズはスランプのまま終わったようじゃな」
「面白いものが書けなくて残念です、はい」
「では、さらばじゃ」