◎だれもかれもにげだす

博士はサナトリウム大脱走計画の実行委員長に就任しました。昨夜極秘裏に開催された患者連帯代議員大会で大脱走計画が提案され全会一致で承認されたのです。患者の中では一番の実行力を持ち、人に有無を言わさぬ高慢ちきな、ではなかった、説得力のある物言いの出来る人だったからです。

サナトリウムの食事は非常に薄味です。食卓に並べてあるソースや醤油や塩や胡椒、砂糖や酢や唐辛子を後付けしなければ、食うに耐えられないくらい薄い味付けなのでした。そのため過去このサナトリウムでは大量の無許可外出が発生したのでした。御近所の飲食店に抜け出し、決して美味しいとはいえませんが、サナトリウムよりははるかに美味しい食事を求めてのことだったのです。
感染力は弱いのですが、そこはやはり法定伝染病です。理不尽な法律の元に患者の自由は制限されています。サナトリウム側は厚生省に実態を知られることを恐れ患者の抜け出しを強力に阻止するようになったのでした。

医者や看護婦さんも普段は優しく美男美女ばかり揃っていて患者の不満もそんなに多くはなかったのですが、ある時患者の一人が食堂で出される食事の差に気付いたことがきっかけだったのでした。患者と医者や看護婦さんの献立が異なるのです。その患者は食堂にいた人達の目を盗み職員用の食事と患者用の食事を取り替えたのです。そして食べてみると「味があった」のでした。

この話は瞬く間に患者全員に伝わりました。そして代表者が集まって対策会議が開かれるにいたったのでした。

患者達はみなパジャマを着ています。ですから集会や会議を開くのでもなにかしらちょっと滑稽です。まあ着飾って外出するわけではないので気楽なものなのです。博士はパジャマ姿の実行委員達を前に方針を述べました。

「我々は三つの方策を取るべきじゃ。まずは正攻法、サナトリウム側に正式に交渉を申し込む。もちろん食事の改善、さもなくば外食の許可じゃ。じゃが、この方策の成功見込みはゼロに近い。それでも他の方策のカムフラージュの為にはやらないわけにはいかない。これをトムと命名する。これには患者連帯会議の中央執行委員が当たってもらうことになる。

次に裏の方策じゃ。食事の支度をしてくださるお姉さん方に取り入って美味しく作ってもらうのじゃ。お姉さん方も女性じゃ、色白美男の若者患者が取り入れば味の改善がみられるかも知れん。これをディックと命名する。これは君達新人にやってもらう。気は進まんかもしれんがここは自分のため、ひいては患者全員の幸福のためじゃ、苦渋を舐めてくれ。

そして最後に実力で脱走を図る方策じゃ。一時的では無く継続的に外出ができる方策を考える。監視カメラや巡回経路等徹底的に分析して必要なら破壊活動も辞せずして事に当たるものとする。これは残りの実行委員全員で対応するものとする。そして命名はハリーじゃ。全体計画名は『れっつびぎん』じゃ。さ、ものども、かかれ」

博士の掛け声と共に全員が計画に取り掛かり始めました。

患者達はお互い同士のことを名前で呼び合ったりはせず、主にあだ名で言い合っています。名前で呼ぶこともないことはないのですが、その場合はあだ名がちょっと失礼な場合に限ります。

博士は「はかせ」と呼ばれています。くだらない発明品を皆に見せびらかしそのように呼ぶように強制していることもあります。でもおだてておけば何でもやってくれるのでそのように呼んでいるだけのようです。

患者達が全幅の信頼を寄せているのは「ヒゲのしゃちょー」です。自称社長で、実際特別な個室をあてがわれていますし、それなりの威厳を持っているようでしたから。「しゃちょー」は中央執行委員長に選ばれていてサナトリウム側との交渉役になりました。

厨房の職員を抱き込む役目は「ちゃぱ」です。人あたりの良い青年でそれほど髪が茶色いわけでもないのですが、患者の中では唯一人髪が茶色だったので「ちゃぱ」と呼ばれているのです。彼をリーダーとして「かたぴあす」と身長「ひゃくきゅうじゅう」が女性担当です。そして厨房の黒一点の「板長」担当が「もくねえちゃん」です。「板長」といっても調理師なのですが風貌がまさに文字通りなのでそう呼ばれているのです。

煙草は禁止されているわけでもないのですが、結核患者ですから厳しく制限されています。煙草の欲しい人は一日三回指定の時刻に事務室に出向いて請求しなくてはならないことになっています。ところが「もくねえちゃん」はずっと事務室にいるのです。「ねええ、たばこぉまだぁ?」と、つぶやきながら。外に出られれば煙草吸い放題だから、という言葉に乗せられて今回の計画に参加しているのでした。

三つの計画はそれぞれ進行していきました。七月四日には所長と執行委員長との直接交渉も行なわれることに決まりました。厨房職員の抱き込みもうまくいっているようです。監視カメラや看護婦さんの夜の巡回パターンも刻々調べが入っています。なかなか順調です。

直接交渉の行なわれる七月四日にはだれもかれもが浮かれていました。

ある患者がインディペンデンスデイのビデオを差し入れしてもらったということで患者全員での食堂でのビデオ上映会も企画されました。何人かの患者がこっそり持ち込んだワインやウイスキーなどのお酒の回し飲みもやって、みんな心うきうきしているその時のことでした。バッドニュースが飛び込んで来たのです。

それなりに意気投合していた「板長」と「もくねえちゃん」でしたが、厨房の裏手で「板長」からもらった煙草をふかしながら一緒にいるところを看護婦さんに目撃されてしまったのでした。これを聞いた所長が厨房職員と患者の癒着を徹底禁止を宣言し、その日予定されていた直接交渉も無期延期となってしまったのです。

患者達は大落胆です。患者の一人が「あたしにおいしいものをくわせろ」と叫び玄関から飛び出そうとするのを看護婦さん達に押しとどめられるという一幕さえあったくらいです。

緊急の実行委員会が開かれました。

「トム、ディックがやられた。こうなればハリーに全力をそそぐのじゃ」

患者全員が一丸となって脱出計画が進められました。夜中の看護婦さんの勤務予定表、サナトリウムからの脱出経路、夜中までやっている食堂レストランの地図・経路。必要なありとあらゆるものが調べつくされ、念入りに計画がたてられました。

そうして七夕の夜のことです。ついに計画は決行されました。看護婦さんの巡回は正確に十二時と三時に行なわれます。その時間には全員が病室に入っていなければいけません。前後三十分の幅を持たせ小人数グループでカメラと事務室、看護婦詰め所、受け付けの目を盗み外出し、食事が終わり次第戻ってくるという繰り返しです。そして五十人全員が外食に成功したのでした。

しかし次の夜のことでした。博士を含むグループがその夜の最初の脱出メンバーだったのですが、見事に玄関で看護婦さん達の待ち伏せにあったのでした。

「おお、何故バレてしまったのじゃ。計画は完璧ではなかったのか」

「どこが完璧ですか。皆さんパジャマやネグリジェの格好で外出してバレないとでも思っていらっしゃったんですか」

そうです。患者達は普段がパジャマだったので私服に着替えなければならないことなどすっかり忘れていたのでした。真夜中にパジャマ姿で次々と来襲するお客達に店主が驚き、サナトリウムに連絡を入れたのはいうまでもありません。