来た! あいつだ。わたしは校舎の影に隠れた。
ああ、どうして隠れなきゃいけないんだろう。ここ幾晩も眠い目をこすりながら、何度も何度も書き直して、ようやく体裁の整った手紙を書き上げてあいつに手渡そうというのに。今渡さなきゃいつ渡すの。でも足が動いてくれない。あいつが通りすぎて校門から出て行っちゃう。早く追いかけて、後ろからポンと手渡して「読んでね」って言えば良いだけなのに。でも、足が動かないの。
身体中から汗が出て胸がドキドキして、涙も出てきちゃった。うずくまって自分の情けなさに泣いてしまう。
わたしが、びえーんと泣いていると後ろから聖子が声をかけてくれた。
「あ。理絵、振られたの?」 「ちがうぅ」 「え、嬉し泣き? うまくいったの?」 「ちがうぅ。渡せなかったの」 「あんた、今日絶対渡すって言ってたじゃん」
わたしは聖子を見上げた。こいつってすっごく可愛いの。女のわたしでさえお人形さんにしてずっとお部屋に飾っておきたいと思うくらい美形だし、その上スタイルも抜群。よし、女の特権だ、こいつのふくよかな胸に顔を埋めて泣いてやれ。
ばふっ。びえーん。聖子は泣きやむまでずっとわたしを抱いて慰めてくれた。
わたしって全然女の子の魅力がないの。夏なんてずっと陽のあたる所に出ないから聖子みたいに小麦色の健康的な肌じゃなくって青白い陰鬱な顔色だし、背丈も足りなくてまったくお子様みたいだし、バストも貧弱な幼児体型っていうのかな、そんな感じ。あいつスポーツマンだから、もっと元気な女の子がいいのよね、きっと。
わたしが人に自慢できることなんてピアノとバイオリン、どっちも弦楽器だわね、それと歌うこと。歌だけはとても自信があるの。小さい身体だけどとても響く声持ってるし、人が出せない高い声も、男の子が出すような低い声も出すことができるの。でもねえ、歌や楽器じゃ男子は捕まえられないわ。仮にあの難しいチゴイネルワイゼンなんか弾けたとしてもよ、男子の前でやってごらんなさい。なんだ、この女、キーキー、音出してやかましいやつだって思われるのがオチよ。ピアノの発表会なんてやったって男子なんか聞きにくることなんてないしね。
わたしが男でイタリアだかスペインの生まれだったらよかったのに。だってあそこ、あれでしょ、男が女の子に恋の告白する時に相手の家の窓の下に立ってギター鳴らしながら歌うんでしょ。わたしなら一発よ。コロリと女の子なんか転んじゃうんだから。あーあ、わたしもラテン系の生まれだったらよかったのに。
「理絵、あたしが代わりに渡したげようか?」 「いい。わたし自分でやるって決めたんだからそうするの。でもできないかもしれない。元気づけてね」
わがままだと思うけど聖子は笑って首を振ってくれた。
そしてわたしは決めた。文化祭の時に告白する事にしたの。来週だけど、なんだか先送りしてるだけかもしんないけど。
わたしはその日あいつを探して学校中を駆け回った。全然いないの。朝、講堂で見掛けたから必ずいるはずなんだけど。「りえー、みつけたわよ」 聖子が走ってきた。「社会科の第2学習室にいるって聞いてきたわ」
わたしたちはその教室に向かった。あ、ここって娯楽コーナーよ。入ってみる。うげん、あいつったら碁なんか打ってる。年寄りくさぁ。相手は、って、あれ石黒じゃん。参ったわね。わたし石黒に「あんたわたしのあこがれの人」って言ったことあるの。でも憧れと好きとは違うのよね。石黒がいるとちょっと言い辛いな、やっぱり。
やっぱり足が動かない。汗がどんどん流れ出てくる。身体中がびしょびしょになって、きっと顔なんかも真っ赤だわ。いやん、どうしよう。聖子がわたしの腕をつかんで引っ張っていく。ああん、ちょっと、ちょっとだけ待って。体がいうことをきかなくてあらがおうとしても聖子に誘導されるままにあいつの前に出てしまった。もう後には引けない。
「さっ、理絵、いけ!」 「は、はい! え、えっと。ゴホゴホ、、、」 つい咳き込んでしまった。あいつも石黒もきょとんとしてわたしを見てる。喉の調子を整えて。さん、はい。「武内君、わたし、あなたのことが好きです。付き合って欲しいです」 それはもう大きな声で言ったものだから教室中に聞こえたはず。だってみんなわたしたちを見てたもの。あいつに恥かかせちゃったかしらん。あ、かわいい、あいつも真っ赤な顔してうつむいちゃった。
「今度返事を聞かせてくださいね」 わたしはもうそこにいられなくなってうしろ向いて教室を出て行った。うしろを振り向いた時に石黒の顔が見えた。びっくりして蒼ざめていてわたしの顔をずっと見てた。あいつの顔より石黒の表情の方が印象に残っちゃった。変ね。
それから何日か経ってもあいつは返事をくれなかった。女の子が自分から告白したのによ、ひどいじゃない。イニシヤチブもってるのはあいつなのに。ずっとほったらかしなんてさ。今日帰りがけに問い詰めてやろうと思った。幸いなことに雨が降り出してるし。あいつが傘持ってきてないの知ってるんだ。で、玄関であいつの出てくるのを待つ。
来た! あいつだ。今度はもう隠れない。傘差し出して一緒に帰ろうって言うんだ。わたしは一歩足を踏み出した。