社長さんの会社はちっちゃな会社でした。社長と専務と平社員の石灰さんとたった三人で切り盛りしていました。そんなに儲かるわけではありませんでしたが、経営が苦しいと言うわけではなくそれなりに幸せな営業成績でした。
ところが専務が病気でお亡くなりになりました。会社は二人だけになりました。けれどもしばらくはうまくやっていきました。しかし社長さんは自分一人で経営していくことがつらくなってきたのです。そこで他の弱小なソフトハウスと組んで一緒にやっていくことにしたのです。新たに三人の社員が増えました。一人は専務の役につきました。あとの二人は平社員でしたが石灰さんよりも年上でしたので先輩の態度をとりました。
石灰さんはこの新しく入ってきた人達にいじめられました。社長さんは営業回りでほとんど会社に戻ってはきません。石灰さんがいじめられていることに決して気がつきませんでした。
専務と先輩達はささいなことで石灰さんをいじめます。名前に「灰」が入っているからという理由で、自分達がためこんだ煙草の吸い殻や灰を石灰さんの頭から浴びせかけます。「『いしばい』じゃなくて『せっかい』だ」とか、わけのわからないことを言って石灰の粉を買ってきて頭からかぶせたこともあります。「石灰と石炭って似てる」とか言って、石炭を砕いた粉を頭から振り掛けます。このように子供じみていますが陰湿ないじめをくり返すのでした。
ある時、社長さんが帰って来てみなにいいました。「今度帰ってくる時におみやげを買ってきてあげよう。なんでも好きなものを言いたまえ」 「俺は200MHzのペンタなコンピュータが欲しいっす」「俺はデジタルハイノートウルトラの一番早いのがいいっす」 先輩達が答えました。
「石灰さん、君は何が欲しいですか」 社長さんは石灰さんのことが一番気がかりだったのでした。「わたしはマウスパッドが一つあればいいです」 社長さんは気を悪くしました。もっといいマシンを彼女にあげたかったからです。でも自分から欲しいと言うのですからしょうがありません。
社長さんは次の帰りの時に秋葉原へでかけ二台のコンピュータを買ってきました。ところが石灰さんのことをすっかり忘れてしまっており、帰りがけに気がついたのですが、たまたまLAOXのザ・コンピュータ館でマシンを買った時に店員さんがおまけで付けてくれたマウスパッドがあったのでそれを石灰さんにあげることにしました。
石灰さんはそれを受け取ると大切に使うことにしました。実はマウスは亡くなった専務に買ってもらったものだったのです。専務のマウスと社長のパッド、一人の時はそれに頬よせて自分の境遇を嘆きました。
ある時大きなソフトウェア会社がプログラマコンテストを開きました。誰が一番良いプログラマなのかを競うコンテストです。実はこれは人材引き抜きのための策で、良いプログラマを見つけたらヘッドハントしようと考えていたのです。これは皆知っていることでした。優勝の賞金は数百万ありましたし、高給で雇い入れることを保証していたからです。社長も専務も先輩達も腕試しに参加することにしました。先輩達は自分の腕に自信がありましたのであわよくば転職してしまおうとも考えていたのです。
石灰さんも行きたかったのですが先輩達が彼女に仕事を言いつけました。
「このソースを全部打ち込んだら行かせてやるよ」 リストは数百ページもあります。とうてい打ち込めそうにありません。でも石灰さんは打ち始めました。すると彼女のつかうシンクパッド220がひとりでに動きだしたのです。大事に大事に使ってあげていたからでしょうか、どんどん打ち込まれていくのです。そしてデータをフロッピィディスクに書き込むとパチンと壊れてしまいました。
「打ち込みが終わりました」 先輩達はびっくりしました。絶対にできないと思っていたからです。「やっとできたのか、おそいな。次はこのデータを印刷しなさい。これができたら連れていってあげよう」
そのデータというのはカラーの画像ファイルの入った何百ページもあるものでした。今から印刷していては絶対に終わりません。それでも石灰さんは印刷を始めました。ところがBJ400Cがものすごい勢いで印刷を始めました。ヘッドがウインウインうなって紙を吐き出していきます。いつも奇麗に掃除してあげたからでしょうか、どんどん紙を補給しなくては追い付きません。印刷を終えるとこれも煙を吐いて壊れてしまいました。
石灰さんは印刷した文書を先輩達に渡しました。先輩達はこれもできるとは思ってもいませんでした。「やっと終わったのか。でもできたとしても連れていってやらないぞ。最初からそのつもりなんてなかったからな」 そういって石灰さんをおいてコンテストの会場へでかけて行きました。
彼女は泣きました。最初から連れていかないことを言ってくれてさえいればコンピュータもプリンタも壊さないで済んだからです。
彼女の涙がマウスにかかりました。その時でした、壊れたと思ったコンピュータとプリンタが動き始めました。プリンタは見事にコンテストの入場券を印刷しました。コンピュータを手にとってみるといつのまにかパワーブックに変わっていました。石灰さんはそれらを手に持ってコンテストの会場にでかけました。
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石灰さんが来ていることに社員の人は誰も気がつきませんでした。彼らは石灰さんを普段かけている眼鏡だけで認識していたからです。よそ行きの眼鏡をかけた石灰さんをそれと知ることができなかったのです。木を見て森を見ずとはこのようなことを言うのです。
石灰さんはコンテストの試験をどんどんクリアしていきました。おそらくその日のトップだったに違いありません。コンテストのスタッフがその日の終わりに彼女と連絡を取ろうとしましたが既に彼女は家に帰ってしまっておりました。
次の日は最終試験とコンテストの優勝者の発表です。最終試験でも不思議なパワーブックを手にした石灰さんはトップの成績でした。もちろん優勝者は石灰さんでした。でも石灰さんは発表の前に帰ってしまっていました。純粋にそのコンテストを覗いてみたかっただけだからです。
石灰さんのいたところにはフロッピィが一枚だけ残されていました。主催者の方がそれを見つけたのはコンテストが終わり撤収作業をしている時でした。
翌日会社にコンテストの主催者があらわれました。彼はこういいました。「ここに石灰さんという人がいるはずだ、その人は昨日のプログラマコンテストの優勝者である。我々を彼女に会わせてほしい」 社長さんはびっくりしました。石灰さんはコンテストに参加していないはずです。ですから何かの間違いだろうと先輩の一人を連れてきました。社長と専務は最終試験を受けていないから残る二人のうちのどちらかだと考えたのです。
「この人は男である。名簿によれば石灰さんは女性となっている。もしこの人だと言うのならこのフロッピィを読めるはずである」 と主催者がいいました。先輩はフロッピィを愛機のメビウスノートに入れました。でもさっぱり読めません。「こりゃ根性無し、きりきり読まんかい」 パシンと叩くとシュウと音を立てて液晶モニタがお亡くなりになりました。
「もう一人いますからまっておくんなさい」 専務がもう一人の先輩を連れてきました。主催者はまた同じことをいい、フロッピィを差し出しました。デジタルハイノートウルトラに読ませてもやはり読めません。「きばって読んだれや」 バシンと叩くとキュルルルルとハードディスクがうなってお亡くなりになりました。
主催者の人は怒って帰ろうとしました。その時です。会社にあったすべてのコンピュータが、壊れたのも壊れていないのもみんなPCM音源から声を出し歌い始めたのです。
「昨日出掛けたコンテスト、優勝したのは決まってる、
うちの可愛い石灰さん、みんな彼女を愛してる、
いつも僕等を大切に、大事に大事に使ってくれる、
とても優しいプログラマァ♪」
主催者は石灰さんを連れてくるように社長さんに言いました。主催者に仕事を貰ったことが何度もあるので社長さんは断れませんでした。石灰さんが現われました。彼女はよそ行きの眼鏡をかけていました。その場の人は皆彼女が昨日のあの優勝者であることを知りました。石灰さんはフロッピィを受け取りパワーブックに差し込みます。しっかり中身が読めました。主催者は喜びました。彼女に賞金を手渡しました。
石灰さんはそれを機会に会社を辞めてしまい、いいお婿さんを見つけたそうです。その後社長さんの会社がどうなったのかは知りません。石灰さんが辞めた後、社長さんのところに置いてあったコンピュータは煙草の煙のせいで全部壊れてしまったそうですから、それほど幸福ではなかったことでしょう。
あのパワーブックは、会社で買った記録の無いものだったのでまだ彼女の手元にあるはずです。大事に大事に使っていきますから林檎の木が枯れることがあったとしてもそれだけは残ることでしょう。