黒部の伝説


上の廊下悲話
このページの最初をこの話から始めるのは、非常につらい。
昭和51年8月半ばに、「上の廊下」の「上の黒ビンガ」の岸壁の中腹に1人の遭難者が孤立していた。
上の黒ビンガは上の廊下の真中の一番の難所である。そんなところに1週間もいて、ひたすら救助を待っていた。
「頭蓋骨に皮を貼り付け、目だけがぎょろぎょろ動き、ミイラのようだった」という。
もとより登山者などめったに通らない場所であり、彼は聾唖者であった。
たまに通過するものがいれば、小石を投げて助けを求めたという。
折からの増水で、救助作業は二次遭難を出す寸前まで難航したが、自衛隊のヘリコプターまで投入し救助された。
なんとその人が平成6年に、上の廊下より「広河原」を隔てた「口元のタル沢」で、今度は溺死体で発見されたのであり、
以前救助に出動した者が、今度は遺体の収容に出向くという、なんともやりきれないことになった。
救助隊員は、要請を受けたときに、なんだかいやな予感がしたという。現場で遺体を引き上げて顔を見ると「やっぱりか!」
と思い、「あの時自分たちが死にそうになりながら助けたのに、こんなところで死んでしまって」と絶句した。
今これを書いていても涙が出てくる。
上の廊下に取りつかれた単独行の登山者、それも聾唖であったためになお悲しくも哀れである。


桑原さんの事故
1997.10.13に薬師沢小屋の従業員で、3年間我々の面倒を見てくださった桑原さんが、太郎平小屋への帰り道にがけ下に転落し亡くなった。
この年は雪が早く、すでに20センチほど積もっていた。彼は最後尾を歩いていたため誰も気が付かず、後で捜して発見したときはすでに遅かった。
頭蓋骨骨折で即死したようである。
彼は初めの頃は少しとっつきにくく、寡黙な性格だったが、3年間付き合ううちに打ち解け、一緒に酒も酌み交わすようになり、下山したら我が家で飲む約束をした矢先の出来事であった。
現場を通るたびに手を合わせると彼の笑顔が浮かんできて涙が出てしまう。
彼の葬儀が終わってしばらくした頃、お母さんから会に2万円が届いた。何でも彼のポケットに入っていたお金だそうで、会で使ってくださいとのことだったが、しばらくそのお金は口座に振り込むのがためらわれた。
今ごろ天国で少しニヒルっぽい笑顔を浮かべていることだろうか。


アルプスの怪
昔から雲の平やカベッケが原にはいろんな伝説が残っている。
詳しくは伊藤正一著「黒部の山賊」実業之日本社で。昭和39年7月1日 初版発行
ここにも伊藤さんの許可を受け、掲載しようと考えたのですが、私の勘違いで、「黒部の山賊」は平成6年頃何版かが再発行されておりましたので、中止いたしました。
伊藤さんに会う機会もあると思いますので、そのときに相談し、許可が出ましたら掲載することにいたします。


サナダ3勇士
会報の9号に載せた記事だから、もう4年か5年前のなんとも思い出すのも気持ちの悪い事件であった。
6月の初めに、釣りキチのカズ君が神通川でサクラマスを2匹釣ってきた。
その日は折りよく?我が家に会員が5人も集まっていた。当然サクラマスでバーべQが始まった。
オイラが3枚に下ろしながら味見をすると、油が乗っててとても旨い。本当にマグロのトロなんかお呼びじゃないほどであった。
それから3週間ほど経った頃、森下から電話があり、「オイ!最近体調はどうだ!」と来た。
オイラ 「どうにもこうにも毎日下痢をして、何か食べてもすぐに腹が張り缶ビールが1本飲めない」
森下 「そうかやっぱりお前もか」「実はあんまりおかしいので医者に行ったところ、サナダムシが出てきた、それも2.5メートルもあった」
オイラ ・・・・・
森下 「早く医者へ行って虫下しを飲め」「俺のは、医者が呉というからやった、最近では珍しいんだと」
オイラ ・・・・・
森下 「ちょっと待ってろ、野村にも電話してみる」
森下 うれしそうに 「やっぱりあいつもそうだってよ」
悪いことは重なるもので、折悪しく薬師岳の開山祭があり、リーダーとして登頂することになっていた。
毎年鮎つりとぶつかるもんでサボってばかりいたし、いまさら断れない。
サナダムシを腹に住まわせたママ登っていったもんだ。とにかくふんばれない、ふんばったり変に力むと出てしまう。何がって、ウン・がだよ。
ほとんど何も食べないのに腹はパンパンに張っているし、下痢がひどい。
帰りにはいつもより多めに持っていったパンツがなくなって、履かないで帰ってくるというなんとも悲惨な目に会った。
下山するなり薬局で下剤を買ったが、いまどきそんなことがあるのーなんて目で見てる。12錠を全部呑んだら催してきて・・・・
確か2メートルと1.5のやつが2匹も出てきた。2匹目は何と職場のトイレでだ。
何せ強く引っ張ると切れそうだし、ぬるぬるしていて素手では引っ張れない。よっぽどキーさんに助けてもらおうかと思ったのだが、蹴飛ばされたらえらいことだし止めた。
あれからしばらく(相当の期間)麺類を食べるどころか見るのも嫌だった。だって、延びたラーメンか、細めのうどんと同じなんだから。
野村は1.5が1匹で済んだ。
悪運の強いのが釣った本人と高原だ。彼らは翌日、胃の検査があり、バリュームを飲み、下剤も飲んだので、出てしまったんだろうと言う。
他の何人かはあまり魚が好きじゃないらしく、トロを食べなかったらしい。
あれから関係のないやつらが俺たちの顔を見ればその話、まったく参ったぜー!!
だけどまだサクラマスの刺身は食べてるモンね!!(キーさんは、本当に馬鹿だといっている) おしまい。


Home