恥ずかしげもなく自己紹介
 名前 源流の熊 
 年齢 1946年7月16日生まれ
 住所 1990年から立山ガイドの里 富山県芦峅寺
 趣味 雑多(貯金以外は大概のことはやる) 
 特技 暴飲暴食
 特徴 貧乏暇ナシ
 性格 凶暴(よく人を喰う) O型
 職業 会社員
 家族 今は愛妻キーさんと二人
 持病 金欠病、痛風、胃潰瘍、椎間板ヘルニア
 2004年の目標 中性脂肪を300以下、鮎600匹
 PC ホームページの再構築・・・どなたかお手伝いを
 釣れない素振りしたけれど-♪〜

2004年7月 おお忙しの毎日
21日から4日間は遭対協の定期パトロールで太郎平小屋に詰めていた。遭難は無かったので売店で生ビールの販売員兼味見係を若いおまわりさんと二人でやっていた。
25日は市内が土砂降りで、丁度夕方からの勤務だったので、雷と増水でてんやわんやのおおいそがし。
27日夜勤だが、ようやく鮎つりができると、勇んでおとりを買って川に着いた。なんとまだ濁りが取れていない。ガッカリしたが、おとりがあるのでダメ元と竿を出す。
案の定ダメ、昼飯にして帰ろうかと思ったが、下で若い衆が掛かっている。で、やってみると、なんと10匹掛かった。半分がデカイ。明日のおとりがキープできた。
28日、夜勤から帰って眠ったが、預かっている犬に起こされる。コンビニで買ったサンドをぱくつきながら昨日の場所に。
先客は一人だけ、ずーと下から釣り上がったが、釣れる釣れる。バカデカイのが釣れる。25匹キープした。24cm、160gが最大だ。そのクラスが数本。でかすぎておとりにならない。
7月にこんなのが釣れるなんて信じられない。9月でさえなかなか釣れないのに。
29日は、夜勤のあと10時まで会議、その後日赤で椎間板ヘルニアの診察を受け、家に帰って支度をして川に飛んでいった。
昨日の夢をもう一度と、だーれも居ない川に立つ。
???全然釣れない。昨日の今日なのに、ナーンデか?結局3つしか釣れなかった。
夜は会友が3人来て宴会。
今日30日は休みだが、打ち合わせがあって8時に出社。山に入る3人は、まだ支度をしていた。9時半に終わり、家に帰って早い昼飯に。
ドーセ釣れないだろうがおとりがあるし行ってみた。
川に下りると、年寄りの釣り師が一人いて、ダメダメと手を振っている。その下に入ったら、直ぐ1匹目が掛かる。ごめんねジイちゃんと思いながら2匹目をバラス。
そのあとさっぱり釣れない。4匹釣るのに3時間。川の真ん中にへそまで浸かり、痛がるヘルニアを騙し騙しでこの有り様。いつのまにか4人が下に入っているが、誰も竿が曲がらない。
やけくそで、太い仕掛けに変え、デカイ錘をかまして荒瀬の中へおとりを送り込んでみたら、しばらくしてガッツーンと目が覚めるようなあたりが来た。写真の奴を3つ釣って竿をしまった。
日焼けで真っ黒になってしまった。明日から真面目に仕事をしまーす。

   30日の鮎。2匹で280g

2004年6月19日 神通川鮎解禁
夜勤を真面目に勤めて?待ち合わせの場所に飛んでいった。高原、林、吉田、中村が揃っている。
川原には大勢の人や車が・・・だけど・・・おかしい?
いつもなら絶好の釣り場がガラ空き。
しめた!と、急いで支度を整え、瀬を一渡りして中洲のポイントでおとりを放す。
川の中の石には、鮎の大好物のコケがびっしりついている。だが・・・?それを食んだ痕が無い。ムムムム・・・?
こんな時には、自然に口ずさむ裕次郎の「釣れないそぶりしたけれど〜ボクのむーねはもえているー♪」が出てくるのだ。
場所を移動する。
何所へ行っても釣り場はがら空き。誰も釣れていないか、釣っても居ない。
・・・結局は、破局でありました。
漁協の言い訳なんぞ、書く気もしないのだ。
当夜は当然呑みまくり、上の写真の如く相成り候。

2004年4月28日 関東周(酒)遊顛末
 島さんが水戸市内の常陽銀行常設ギャラリーで、昨年旅したチベットの写真展を同行した陶芸家、書家の三人展をするのにあわせて休みを取った。
キヨカは仕事、今回は気楽な一人旅である。
4月15日初夏のようなおだやかな日の朝、ランクルのハンドルを東に向けた。
高速代と燃費節約のため糸魚川で北陸道を出て、白馬からオリンピック道を長野に出る。この辺りは桜が満開で一人で楽しむのは勿体無い景色である。
更埴市に近づくにつれ、りんごから杏にと花は変わる。ピンク、白と杏の赤を見ながら江戸を目指した。
亀有に4時に着き、6時頃義弟の道途と太郎で2年間アルバイトをしていた道途の息子のもっちゃんの3人で呑みに出る。
どこに行くのかと、後に付いていくと去年義父の法事の会食をした洒落た割烹に着く。
もっちゃんに、おごってやるから好きなものを食いな、というと「じゃー、ふぐ刺し」といきなり言ったのには肝をつぶした。端から肝をつぶしておけば、あたらなくていいか?
3時間以上たらふく食べて、散々呑んで、いざ勘定という段になり、「じゃんけんで決めようか!」ということになった。
大学4年のもっちゃんは、バイト代を財布に20万近く持っているのは知っていた。が、彼はじゃんけんには自信があると云って乗ってきた。大概そんな奴が負けるとしたもんだ。
一人で先に帰るもっちゃんは、半端じゃない額の勘定を払うとき、「チクショウー」と、恨みを込めた一言を吐いていたと、女将さんが笑っていた。残った俺たちも大笑いをして、呑みなおした。
翌日、亀有駅前で落ち合った榎本さんを横に水戸に向かった。常磐道のSAで一服しているとき、高原を乗せた高速バスが追い越していったのは知らなかった。
立派な記念館の1階にギャラリーがあった。高名な陶芸家の伊藤東彦さんとは何度かお会いしたことがあり、憶えていてくださった。書家の先生とは初めてである。
「ネパール3人展」と題し、それぞれ違った味があり、見ごたえがあったが、島さんの作品をこのようにして見たのは初めてであり、かなりの感動を受けた。
偕楽園でゆっくりと時間をつぶし、県庁の議事堂の正面を飾る伊藤さんの大壁陶版画(畳3枚大のものが一対)を見学して、夜の水戸市内に潤いを求めて歩みだした。
高原は一軒目でテンバってしまい、2軒目にはダウン。島さん家に帰って秘蔵の古酒を呑んだのも憶えていなかったようだ。
この古酒は、島さんが沖縄の久米島で瓶(亀)ごと買って来て、床下に長年貯蔵しておき、定年を迎えたときに高原と俺を呼んで飲ませてやろうと大事に取っておいた代物だ。
当然オイラも出来上がり、夜中にトイレを探して廊下伝いの部屋の戸を片っ端から開けてしまった。
 3日目は、袋田の滝を見物し、昼過ぎに藤本さんをギャラリーで乗っけて、今市の旭山宅を襲う段取りがついている。
宇都宮市内で迷ったが、何とか新築の旭山低に到着したのは4時を過ぎていた。
あれだけ酒を呑み、かつ釣りだ麻雀、オ○ナ?だと遊びまわっている男が、どーしてこんな立派な家を建てられるのだろう?内助の功のでかさを感じた。センスのよい明るい家だ。
江戸から道途も着いており、荻ちゃんを待って暗くならないうちから飲み始めたのは言うまでも無い。
酒が弱く、行儀のいいボクは10時頃には床でゴロンと一足お先に眠ってしまった。限界を悟り、深酒をしないのがボクの取り柄でもあるのだ?
夜中に目覚めてもだーれも居ない。暗闇の中を車からウーロン茶だアクエリアスだのを出してがぶ飲みをするが、なかなか夜明けが遠かった。
新聞も勝手に取ってきて全部読んでもシーンと静まり返っている。みんな生きているのか心配になったほどである。
一人でウロウロ外に出る。散歩なんて気の利いた事はしたことはないが、近所の早起きさんが気楽に挨拶をしてくれる。気持ちがいい朝である。
有名な日光の杉並木の遊歩道を、酔い覚ましにおっさんが4人でブラブラと歩き、用水に泳いでいる山女を「あれなら一発で釣れる」などと思いながら、ここまで来たからにゃ東照宮を見なきゃならんと車に乗った。
工事中の陽明門に参拝料は払えないと、踵を返し、蕎麦屋を2軒はしごして皆と別れ、一路西に舵を切った。
鬼怒川、川治の温泉を横目に福島県に足を入れ、只見から田子倉ダムを抜け新潟県の小出で上越道に出る予定だったのであり、地理に明るい二人の男たちの推薦するルートであった。
ダムを過ぎ、小出にいよいよ近づいたと思ったその時、道路の真ん中にブルドーザーが鎮座している。林道を釣り上がると良く見る光景では有るが、何で?とうろたえたりはしなかった。
すっかり酔いが醒めた頭は、これ以上先に進めないことが一目で分かったのである。今更通行止めの看板の一枚も出しておいてくれなかった責任者を責めようとも思わなかった。
どうしたら家に帰ることができるのかを優先したのである。
引き返す途中で釣り人3人衆に訪ねたところ、「ここから1時間半で高速に出る」と教えてもらい、国道252号を北上した。
ガラガラの道を80キロですっ飛ばし、確かに時間どおりに高速があるが、そこは磐越道であった。西に行きたいのに、何で会津に向かっているのか?これには少々辛いものがあった。
ようやく国道49号に出たが、そこから新潟までまだ85キロもあったのである。

4日間好天と良き友、美味い酒に恵まれ、少しばかりの遠回りをしてきたが、楽しい旅であった。皆さんどうもありがとうございました。


2004年1月14日 中性脂肪を減らすわけ(挨拶は省略)
 日記もこれだけ間があくと、照れくさくなってしまうんだよなー!
今年は元日から冬眠中のねぐらを3人衆が襲ってきた。蕎麦とマージャンの初打ちをして、いずれも上々の首尾で出足快調といった所と思いたいが、なかなかそうは問屋が卸さない。
元日に宣言し、頑なに守っていることがある。大好きな卵を食べていない。別に鶏インフルエンザを予感してたからではないのだ。中性脂肪を減らさないと、そろそろヤバイとの予感がしてきたからである。自慢じゃないが1200が最高値で、常にその半分以上をキープしている。取り得の肝機能も、レッドゾーンに近づいていることだし、大好きな卵を止める作戦で対処することにした。
今年は我が家にとって、まさに正念場であり、そのショックに耐えねばならぬからでもある。
去年は連帯保証の債務を引っかぶり、もう一歩で路頭に迷うところだった。
が、今年は再び胃潰瘍が疼きだすようなことが連続しているのである。
先ずは、今度の日曜日。息子の彼女家族と食事をする。初顔合わせと挨拶を兼ねてという、最近のはやりでもあるようだ。
慌てて背広を出してみたら、腰周りが縮んでいる?!誂えたものなのに?腹を引っ込めたまま呑んだり食べたりは出来ないので、直しに出した。今度からゴム入りにしよう。
娘は大学院を卒業予定だが、その後にとんでもないことをたくらんでいるようだ。それはそのときになってから。とにかくただでさえ弱い心臓を、これ以上刺激しないようにするには、とりあえず、中性脂肪を減らすのがベストという訳である。

去年の3月に始めた蕎麦打ちは、20kgくらいは打ったんじゃないかと思う。意外に簡単だと思っていたが、こっちの問屋も卸してはくれなかった。
ほんのちょっとの違いが、打ちあがりに大きな違いが出る。???の連続だ。
上手く打てたのは人にあげ、失敗作は自分で食べていた。あの惨めさは・・・トホホ・・・なのだ。
そんなわけで、今年も自分では旨い蕎麦は食えないのかな?皆の衆には失敗作は出しませんから、こりずに食べに来ておくれなされ。


2003年8月9日 心シリーズ?
今月の4日から、救助隊員として、太郎平小屋に常駐した。
わずかなあいだに、中高年登山者の事故?が4件もあったので、そのなんとも?な話を。
1.越中沢岳からわずかにスゴの頭に寄ったところの、急峻なところから、下の廊下側の「廊下沢」の雪渓に、ザックを落とした。
この人は59歳の男性。ザックの重量は30kg。相当な重さだが、10万円を含む貴重品も一緒に入っていた。
おいらより、1日先に入っていた隊員と、小屋の若い衆が引き上げに出動?した。
2日目に引き上げたザックは、天ブタのチャックが開いており、中身は雪渓に散乱。回収不能。
中身があんまり重いので、不要品を廃棄(でっかいPボトルに酒が2本、その他つまみなどが多数)肝心の貴重品は、ゼーンゼン回収できなかったとさ。
.その隊員と若い衆が、帰り道にもう一つザックを拾ってきた。北薬師岳で。
これは、70過ぎの男性が「捨てていったザック」である。
さっきの話と反対に、貴重品だけをポケットにしまい、ザックを丸ごと捨てていったのである。
体格は立派で一見上品な紳士風であるが、連れの同じような(兄弟かな?)男性との会話は、聞くに堪えないお粗末さであった。
隊員のぼやくこと・・・俺はザックの拾い屋かい?
ちなみに、この隊員が入山時に担ぎ上げた、お酒とおばあさん手作りの「味噌のしそ巻」と「漬け物」は、のこっていたオイラ達が片付けてしまったのは言うまでも無い。
1日間違えば?オイラがそうなっていたかも!ラッキィー?
.16時を過ぎて、無線が呼び出している。
三俣蓮華で骨折や挫傷をした遭難者が出た。ガスの晴れ間を縫ってヘリが回収したが、話はこうだ。
三俣山荘から、高天原を往復し、10時間以上も行動したのに、まだ3時間もかかる黒部五郎まで行こうとした。
疲労困憊して雪渓で転倒滑落。鎖骨を折り、擦り傷だらけになったものだ。56歳の男。
おいらのようにナマクラなのもよくないが・・・程々がいいんじゃないの、ご同輩!
.5日の朝から無線がうるさい。野口五郎岳付近で3日から消息不明者がいるとのこと。車は高瀬ダムに停めてある。
3日昼頃に現場から家に携帯で連絡し、明日帰るといったまま、3日に泊まった山小屋が無い。
長野県警とこちらの両方で捜索を開始する。無線や電話でアチコチに問い合わせるが、これも59歳の男である。
この人は、高瀬ダムとは反対側の、黒部ダムに向かっていたのである。
3日はどこかでビバークをして、4日に奥黒部ヒュッテに宿泊。5日に黒四ダムに向かっているのが確認された。一同一案心後・・・ため息を!

なんともおかしな事件が連発したものだが、全部オイラと同じ中高年。イヤハヤ!
おまけ
これは「オフレコ?」だが。言っちゃオーっと!
某県警ヘリコプターが、太郎を呼んでいる。と、まもなく(20秒ほど)バリバリ音が聞こえ、急旋回後ホバリングをしている。
若いおまわりさんが飛んでいった。そして受け取ってきたものは・・・某県警本部長差し入れの「スイカが二個」であった。
ヘリは、まだいくつかのスイカを積んだまま三俣方向に飛び去った。ジャンジャン!


2003年7月25日 蕎麦打ちの心だ
今年の3月に、江戸の友人が家に来て、蕎麦を打ってくれた。
で、オイラもやってみたのだが、結構何とかなるもんだ。もっとも師匠が手取り足取り、おまけにビデオまで持参で教えてくれるからだけれども。
その時はそれで終わったのだが、何日か後、川向の村に自家製のそば粉を引いてくれるおばあさんがいることを聞き、早速譲っていただいた。
先ずは、二八蕎麦なるものをビデオを見ながら打ってみた。
我ながら、すごく美味しいような気がしたものだ。キーさんも「腰があって美味しい」と、のたまう。
調子に乗って、はまってしまった。
のし板やら、のし棒、なんだかんだと買ったり作ったり、一応の道具を揃え、それからは、のべつ幕なしに打ちまくった。
うどんのようだといわれたものが、次第に蕎麦らしくなってきたもんだ。
ますます自信過剰になり、友達に送ってみると、賛美の声が返ってくる。
「ボクって、蕎麦を打つために生まれてきたのかしら」なんてことを思ったりした。
ビデオや本では、蕎麦打ちの奥はとんでもなく深ーい、などと名人たちはおっしゃる。
二八の他に、今では10:1で自然薯を繋ぎに入れたものを打つ。生蕎麦も打った。
だけど、奥が全く見えてこない。深みが感じられない。
一回も失敗をしたことがない。
同じそば粉を使っているから、味は同じ。いっつもそこそこ上手くできる。
ナーンだ、全然奥なんか深くないじゃん!と思っている。
素材がイイので味がいい。腕が悪くても何とかなる。
だーれもおいらの腕を誉めずに、蕎麦粉がイイだの水がいいからだのと・・・これは本当だろうと・・・自分でも思っている。
壁にぶつかって、悩むようになるのだろうか?奥を覗いてみたいのに!


ついでに、鮎釣りの心
毎年目標を千匹に定めているが、達成したことがない。
会の行事をパスして、その日数を川に向ければ何とかなるのだが・・・
今年は日照不足や増水で、鮎の生育も悪く、まだ170匹しか釣っていない。
でも、今年の鮎の味はすごくいい。とっても美味しいのだ。毎回食べている。
先日のこと、平日なのに結構込んでいた。が、しばらくすると、一番釣れそうな場所にいて、全然釣れない人?が移動した。
しめたと、そこに入ったとたんに入れ掛かり。20匹ほど釣って、大忙しだった。
パチンコでは、台を代わった途端、次の人が大フィーバーなんて、とっても悔しい思いをしてるが・・・・
大勢の釣り師を見てると、友釣りには、古典派・・・昔からの釣り方を頑なに守っている釣り師(ほとんどが年寄りだが、若いのもいる)
と、メーカーのロゴだらけの衣装で宣伝マンのような釣り師達の二通りに大別できる。
(残念ながら、美人と若い衆の姿は・・・少ない!・・・ほとんどいない!)
概ね、後者の方が釣果が上がっているが、そうとばかりもいえない。カッコだけの釣り師も多いのだ。
おいらのホームの神通川も、平日でも大勢人が入って、数年前のように瀬を独り占めできることはほとんど無く、土日には竿を出す場所さえない。
とうとう椎間板ヘルニアとの診断が出て、遅く行って早く上がるようにしないと、腰が痛くてやっていられなくなった。
でも、生来のバカな性格で、体重に物を言わせ、深いところまで入っていく。流される寸前まで。
誰も竿が届かないところを釣るから、でっかいのが釣れる。豪快な釣りができる。でも・・・腰が痛くて、川の中で顔をしかめているのだ。


2003年3月12日 春の大雪
今年のような長い冬は珍しい。10月末に初雪があり、それがまだ続いている。
除雪をしてないところで、とうとうこれだけ溜まってしまった。田んぼでも2mほどあるらしい。
何十トンの雪を運んだろうか。もういやだ。暖かい春の日差しが待ち遠しい。
うちのキーさんの職場旅行で、月末に北海道に行くという。グアムなら付いて行きたいが、何が悲しくて雪を見になんか行くのだろう?


2003年1月2日 初雪 初夢 初ダウン
何がどうなってるのかさっぱし・・・・???1日の朝、富山空港に娘を迎えに行った。二代目虎造の「森の石松30石船」を聞きながら。
で、帰って直ぐに娘と呑み始めた・・・そこまでは憶えている・・・確か、まだ陽が射していたはずで・・・今は20センチほど積もっている。
武田会長から暮れに戴いた「久耀」を開け、2本目の「紫」に手をつけたのは覚えている。
娘がまるでオアシスで水を飲むようにして呑んでいるのを見て、負けてられねぇー!とばかりに追いかけるようにして呑んだのが・・・敗因だった。
小言の一つも言ってやろうと、タイミングを狙っていたのを見透かされたのか、やたらと勺をしてくれるのだが、こっちが2杯飲む間に、ヤツは3杯呑んでいる。
素直に負けを・・・認めればよかった。追いつこうとピッチを上げてしまい、まんまとやられてしまった。
ずーっと前から起きているが、だーれも遊んでくれないのだ。みんな知らん顔で寝ている。
あー腹が減った。早く朝にならんかなー!今日から仕事だ!


2002年12月31日 野村武を悼む
来年から、クリスマスになれば野村を思い出すことになる。昼過ぎに奥さんから留守電が入り、今日明日の命だと。
それから30分もしないうちに、逝ってしまったと再度連絡があった。
写真は去年5月に中尾温泉で撮ったものだが、このとき高原が「野村、少し痩せたのじゃないんか?」といった言葉が妙に印象に残っているんだ、と奥さんが言った。
中尾温泉で盛大に宴会をした、その一月後に、医者嫌いの野村が自ら診察を受けに行ったが、直ぐに家族が呼ばれ、覚悟を決めて置くようにと宣告された。
胃を全摘出し、入退院を繰り返すうちに、あっという間に痩せ細ってしまい、本当にお前は野村かと、口に出しそうになったもんだ。
だが、野村はそれからの1年半の間、一言も愚痴をこぼさなった。家族にも俺たちにも。
ギョロ目、デカイ鼻、饒舌な唇が精悍でよく日焼けした顔とあいまって、なんともいい男ぶりだった。
話しが上手く、よく笑わせてくれたくれたもんだ。
嫁ゴ・・・(奥さんのことを野村はそういう)や息子たちの話もよく聞かされた。
自分とつるむと必ず下ネタになってしまうが、野村の下ネタは、露骨だが、少しもいやらしくはなかった。
よく思い出すのは、喪主を勤められた長男の岳人(たけひと)君の話で、秋田の大学に行っていた彼が突然頭を剃って帰ってきたという、何事かと思ったら、彼女が妊娠したので、結婚させて欲しいと土下座して頼んだという、「そこまでされたら、何にも言えんかろーが」と笑っていた。
何事にも、きちんとけじめをつけるのが信条で、息子もそうしてくれたのが嬉しかったようだ。
いつ頃からだろう、毎週薬師沢小屋に入り浸るようになったのは。
自称「居候」を名乗り、かいがいしく掃除などをやってから、赤木沢に出かけるのが日課だった。
いつからか、赤木沢の主になっていて、あそこのイワナはほとんど野村が担ぎ上げたものだ。
野村が息を引き取る寸前に、一粒の泪を浮かべたのを奥さんは確かに見たと・・・あの泪はどんな気持ちを表したかったのだろうか。
自分にはない大きな気持ちと、愛を持っていた野村だから、悔し泪でないことだけは確かだろう。
嫁ゴに対する感謝の気持ちと、息子たちへの惜別の泪だったのだろうと思っている。
奥さんや息子、孫たちを慈しんでいた野村が安らかに眠らないはずがない。あの暖かな顔をほころばせて、皆を見守りつづけてくれることだろう。
お歳暮にわざわざ秋田から送ってくれた「キリタンポ」は、正月に何人かの会員たちと盛大に飲む肴にさせていただく。
のどを通ってくれればいいのだが。それでお前とのけじめをつけよう。
男の生き様と死に際を教えてくれた野村武に感謝する。


2002年11月26日 今年の回顧
雪が降り、久しぶりに手持ち無沙汰。山を思い出していたら、どうにも腹の虫が治まらなくなって、日記にぶつけることにした。
9月末までのイワナの数は、信じられないほどいて、昔日の思いを髣髴させてくれるものだった。が、それも、もう禁漁になろうかという2週間でぶっ飛んだ。
薬師沢小屋の上下1キロの範囲のイワナが姿を消した。
持ち帰られた数は300から500匹。大物が全部釣られてしまった。それも中高年の釣り屋に。
若い衆はみんなリリースしているのに、オッサン連中が堂々と、あるいはコソコソと、いろんな方法で持ち帰る。
どんなにしても2、3日経てば、ナレてしまい旨い筈がない。ほとんど腐っているか、それに近い。
来年のこの時期には、総力を挙げて阻止したいが、小屋に迷惑をかけない方法でやらなければならないところが難しいのだ。
あのおっさんたちも、後10年もすれば、足腰が立たなくのは分かっているが、そいつは自分も同じこと。
そこで今思いついたが、オイラが「熊の毛皮をまとい」釣り屋を嚇かすっきゃ手がないのでは・・・と。
会員をさくらに使い、本物の毛皮をまとえば・・・結構うまくいくかもネ?!
近所の鉄砲撃ちに、皮をお願いしよう!

ところで、今年はどーなってんだろう。今日が5回目の降雪。
窓から見える柿は、まだ熟していないのに。


2002年8月11日 凸凹コンビの移殖放流記
どっちが凸でどっちが凹かははっきりしないが、とにかくオイラと旭山オジは血液型から星座まで同じ、共にかなりの呑み助でもある。
その2人のチン道中記を少しばかり。
8月7日 夜勤を明けて荷造りをしてから家を出たのが10時。
今日はヘリコプターの荷揚げがあるのは知ってたが、こんな時間に間に合うはずが無いと、はなから諦めていた・・・が、折立のヘリポートに人影がある。
もしやと思い顔を出すと、ヘリは今こっちに向かって飛行中との事。当然同乗をお願いする。
1時間ほどしてバカでっかいフランス製のピューマーが飛んで来た。で、わずか5、6分で太郎に着陸。ちょっとゆれたけど、快適なフライトだった。
日頃の精進がいかに大事かを分かって貰えるだろうか?
8月8日 旭山オジが9時過ぎにもう登ってきた。オイラがヘリで上がったことを知ったため、全然力が入らなかったそうだ、・・・そりゃーもっともだ!
2人で薬師沢小屋まで1時間ちょい。当然の如く《乾杯》!しかし、昼間っから呑み過ぎた(ドジ1)。おいらは釣りどころじゃない!
だが相方の酔っ払いはかなり張り切って釣り支度。明日の放流用をキープする仕事があるから仕方なしにみこしを上げた。
小屋のちょっと上から釣り始める。オイラも初めはロッドを振ったが、釣ったイワナを持つ役がいる。
で、魚篭持ちに変身。10ほど釣ったところ、釣り人が4、5人いたので下流に移動。
6時までに30近くも釣っただろう・・・魚篭に穴があいていて、夜のうちに10ほど逃げてった(ドジ2)
晩飯時にはまだ昼間の酒が残っており、ペースが上がらなかったが、そのうちにいつもの調子が出たような・・・
8月9日 1斗缶にイワナを入れようとしたが、エアーポンプが見当たらない。
実は前日に玄関に出してあったのを、酔っ払いが忘れてしまったのだ(ドジ3)
とにかく魚篭に入れて出発したのが7時半。霧雨が降っていた。
途中でおかしなことに気がついた。
2人は同じ靴(水陸両用)を履いているのだが、こっちは渓流ソールをつけているが、あっちは普通のソール。
で、スペアソールを2人とも忘れたことに気がついた。完全に凸凹である(ドジ4)。まっ、いいかとそのまま前進。
2時間半も掛からずに赤木大滝に着いた。ここで放流したが、18匹だった。15から27センチ。
相変わらず霧雨が降っているので、滝を登り左俣へ行くことを躊躇もしたが、今度にしたらいつ行けるかも知れないので決行する。
赤木沢と左俣の間には赤木平がある。ここははっきり言って別天地。雲の平もお辞儀をする。
既に花が終わったチングルマが何万株あるのか分からないほどの大群生。
ハクサンフウロ、イワイチョウ、ニッコウキスゲ、その他いろんなものがまだ咲いている。北の俣岳の大雪渓のおかげである。
標高は約2300メートル。いつまでもここにいて、昼寝の一つもしたいところだが、生憎の天気。
おお-っ!こんなところにチビイワナが走った。以前に吉田、坂本が放流したものの子供たちだ。
左俣の上部のゴルジュ帯は、なかなかのもので、半端じゃない。
いくつかの滝を抜け、ようやくイワナの姿が見られたので、相棒がロッドを繋ごうとして???ややっ!
確かこのロッドは4ピースだったはず、ところが3本しかない。ゴルジュを抜けるときに藪に1本盗られたらしい。(ドジ5)
買ったばかりのロッドが・・・!かわいそうを絵に描いたよう。
小屋での二晩は、トイレの上の部屋で過ごし、本当に臭い仲になったというオチがついてしまった凸凹日記でありました。
以上、詳細は相棒がルポを書いて送ってくれ次第写真つきでアップします。


2002年7月23日 晴 移殖放流
今日は「いいこと」と「悪いこと」が重なった。
悪いことから・・・朝2時過ぎに起き、R41を馬瀬川に向かった。清流で名高い飛騨の山中である。
150kを2時間半掛からずに着き、一眠り。
さてそろそろと支度をしている時に、竿が少し車のドアに挟まった。
馬瀬川の流れはあくまで澄み透り・・・ん?何と肝心の石に「コケ」が全然着いていない。全くの白川状態ではないか!
これじゃー釣れるわけが無い。
うろうろしてもみーんな同じ。
ホントに仕方なく、イヤイヤ竿を出すことにした。
糸をセットし、サァと竿を立てた途端「バッキィン」と、一番太い根元で真っ二つ。
河原に倒れついでに先端から20センチも折れてしまった。
・・・・ム、ム、!???!
以上が悪いこと。
さていいこととは・・・買ったばかりのイキのいいオトリ鮎を・・・そのまま川に移殖放流してきたってこと!
家に帰ってきたらまだ昼前だった。ハイ、オソマツ!


7月1日 初鮎、ラッキー7!
5時頃から目が醒め、P子に遊ばれているうちに雨が上がってきた。
何年ぶりかで神通川支流の岐阜県の宮川に行くことにする。
着く頃に雨が降り出すのは、大概そうしたモンダ。
オトリ屋でうろうろしてる釣り師も決まって釣れない奴等。
来た以上は竿を出してみるが、全然釣れない。どっかの誰かのようである。
ガ、粘って7匹釣った。型は良い。何で今ごろこんなでかいのが?と思えるほど。
早速塩焼きでいただいた。ウシ負けたと云っておこう!(写真をクリックしてみたら)




2002年6月23日 解禁日にサッカー観戦とは・・・?
昨日ようやく鮎が解禁になり、遠路高原も4時には着いた。
いざ行かん!準備は整った。中嶋みゆきの元気のいい歌声を聞きながら出発。
わが母なる神通川には、すでに大勢の釣り師で賑わっている。それにしても半端な数じゃない!
関東方面のナンバーの多いこと、4駆のオンパレード!あらゆる車種が揃っている。
買ったばかりのモンベル製ウェットスーツに身が締まる。と、なんとベルトが無い。鮎釣りにベルトは必需品。今日に限ってベルトレスのズボンをはいて来たもんだ。
目指すポイントは、車からかなり歩く所為で誰もいない。対岸は反対に人の列。もうイタダイタも同然!
震える気持ちを収めながら、水の中をのぞくと、アレー!鮎のハミ跡が全然無い!石には青藻が茂っている。それに水量が少なすぎる。
でも、オレには釣れるだろうと竿を伸ばす。高原が1匹掛けた。小さいが囮にはなる。
ン!?どーしたことか、2時間たっても・・・ナーンにも釣れない。高原もあの1匹だけ。
すずなりの対岸も殆ど竿が立たない。
早々とビールを飲んでから場所を変えてやっと1匹目が来た。囮より少しだけ大きい。
が、その後は音沙汰なし。
場所を変えようが、何をしようがさっぱりだめ!どんどん釣り人の数が減っている。
昼過ぎにはガラガラになった。みーんな諦めて帰ってしまったのだ。
漁協の監視員も、気が引けるのか、釣り券を見せろとも言わない。まれに見る悪条件に、我等もスゴスゴと退散した。

6時ジャスト、peke2が到着。この頃我等二人は例の如く宴会モードに変換済み。peke1も家に入って1分後にはグラスを手にしていた。
吉田通信員夫婦や敏子さん、池上獣医家族と、面子が増える毎にテンションが上がっていく。
気がつけば・・・朝〜!これまた定番の、夕べのことは〜、覚え〜ておりません!症候群。

peke2さんはわざわざおいらのPCの調整にきてくれたのだが、10時頃からようやく取り掛かってくれる。
HDDを増設し、メモリーも増やし、さらにソフトの移動と、こっちはまるで分からないことを、スムースにやってのける。
全くすごい御仁である。「オールラウンドプレーヤー、マルチ人間」とはこの人のためにある言葉!多趣味、多芸の何でもコイダ。
尊敬を通り越して、畏怖さえ感じる。が、「貴族の血を引く」温和さがそれを許さない穏やかさを漂わせている。
オイラに資格があれば「ナイトの称号」を贈呈したいものだ。
これからは名前の前に(ナイトかMr)をつけ、後には(サー)を心の中でつけることにする。

鮎の塩焼きは次回までお預けになったのは語るまでも無い。


6月4日 ゼンマイ採りとサッカー
まだ例のOLMの疲れで筋肉痛が残る足と、夜勤明けなのに飯も食わずに○×高原にお隣さんと出かけた。
1日からおいらの車の通行許可が下り、高い通行料も免除してもらえる。
登山靴に4本爪のアイゼンをつけ、雪の残る谷筋を下る。
しばらく下ると「ホレ、アッコにある、採れ!」と命令が下る。
あるは、あるは・・・ブッ太いのが。竹の子もオマケに採った。気がつくとカモシカがすぐ上でにらんでいる。
「しっ、あっちへ行け!」と云っても動いてくれない。すぐそこにいいのがいっぱいでてるのに。
バテバテになって帰り、茹でて干す。〆て市価5万円なり。おいらの日当としたら上出来だ。

Wカップサッカーには興奮した。
ただ、審判に失望したのはおいらだけ?
結構客観的に観てるつもりだけども・・・


2002年6月1、2日 FDM( Full or Fool`s Drink from Morning) and FF in ORITATE (オイラの英語力はこの程度)
1日6時ジャスト、旭山一行が到着。その後武田一行も到着。
芦峅寺を出たのが予定を1時間もオーバーした8時過ぎ。
今日から有峰林道が開通とはいえ、この車の数はいったいどーしたことだ。いたる所に釣りや山菜採りが溢れている。
折立ではすでに西山一行がハウス型のテントを設営済み。と、なんだかいつもと様子が違う。
何と驚いたことに「若い娘っこ」が一人居るではないか。オイラへのお土産か?と、そんなはずはあるわけが無い。
Mr.N は独身だから、若い子を連れて来ようが何の問題も無い。ただ、1年半もオイラ達に隠していた・・・ウーン、ワカル気がする。
とにかくバタバタと4つのテントが張られ、怪しい雰囲気は整った。
「ではとりあえず乾杯といきましょう!」・・・時刻は9時を過ぎようかと言う、まだ朝ぼらけ。
"85年モンのキングサイズの赤"が出てきた。これで調子が出ないんだったら、端から酒なぞ呑むなー!と云ってるようなもんだ。
栃木の鹿肉の刺身、富山の白エビの昆布〆、マグロの中落ちまで出てきたら、もうどーやったって止められるもんじゃない!
シーバスリーガルの年代モン、またまたワイン、焼酎と、出るわ出るわのテンコ盛り。
「やっぱ、酒は朝から呑むに限る」と誰がのたもうたかは覚えていないが、総勢8人(その内の1人は完全な下戸)で気前よくボトルが空いていく。
・・・目が醒めたらすでに夕方の4時半。完全に二日酔い症状が出ているのは至極当然。
少しくらい山菜をつみに歩いたって醒めるもんじゃないけれど、そのままワケも分からず、夜の部の宴会モードに入っていった。
イッチャンと愛犬シュガーが加わったが、どうも面子が足りないようだ。
会長、みの虫と鶴羽が祐延に釣りに行ったらしい。時間的に信じられないことだけど、放って置くしかない。
9時過ぎに雨に打たれ疲労困憊の体で帰ってきた。この根性が会長の会長たる所以なのだ・・・

2日 5時前。1人で寝ていたはずのおいらの尻をもんでいる奴がいる。さてはあの娘が?・・・手の感じはどうもそうではない。
知らん振りをしていても、あまりにしつこい。旭山おじだ。
どうも夕べの宴会で「一緒に釣りに行く」ことにされたらしい。
今朝は、彼女に旨い朝飯を作ってやる約束があるって言っても・・・問題にされない。
無理やり車に連れ込まれ、延々3時間の坂登りを強制される羽目になった。
現場に着くと、まず缶ビーを1本開ける。と、旭山おじは例の如く真っ先にポイントに。イラストの藤本さんも居なくなった。
鶴羽は(ルアーマン)もう湖で何匹か掛けている。
オイラは久しぶりのロッドを手にうろうろとバックウォーターでキャスティングのおさらいを始めた。
3時間歩きながらイメトレをしてきた所為で、結構ロングキャストもできるではないか。
自己満足をしてると、ついている筈のフライが無い。しっかり結んだリーダーとも、はるか後方に飛んでいったらしい。
釣りはどうでもいいので、周りをきょろきょろしながら川を登っていく。
一寸入った藪の中にキンポウゲが咲いている。
撮ろうと登ると、そこには水芭蕉が群生し、白い花が2,300株も咲いており、キンポウゲの黄色がそれをさらに引き立てている。
が、デジカメの調子が悪い。設定がダメなのかと、いろいろ試してみるが、全部ボケている。
諦めて後を追った。
旭山はイワナと虹鱒を交互に掛けている。竿を持つと自然に集中力が高まってくるタイプで、構えや移動の仕方が下手な釣り師とは違う。
《俺は釣るんだ》という強い意志が背中から感じられる。・・・久しぶりに見る本格釣り師だ。
藤本さんには何故か小型のイワナしか掛からない。彼のフライが余り見事なので、すばしっこいイワナが先に出てくるのだろう。
場所を開けてくれたので、オイラも振ってみると、虹鱒が来た。久しぶりのFFで、いきなり釣れたのでもうこれでヨシ!
昨日他の釣り人が入っているはずなのに魚影が濃い。4人で30匹も釣っただろうか。
背中に背負っている蕎麦が重く、早く茹でてくれーと云っているようなので昼飯にする。
まず3人前を茹でる。ガスの火力が弱いので、試し食いをしながら。次の3人前は時間を計ってちょうどいい加減。
その次が問題だった。鍋の近くの旭山が「もういいだろう」というのでそのまま水にさらした。これは藤本さんの分なのだが、彼はまだ居ない。
オイラが一口食べて、ゲボッ!全然茹だっていない。
そこでまた茹で直した。そんなやり方ってアリー?
何も知らない藤本さんはそれを旨そうに食べている。
一口もらった鶴羽君・・・ウ、ウ、ウ、・・・さっきのとまるで味が違う。それはそうだろうよ!

てなワケで、こんかいのFDM and FF in ORITATE は、ハチャメチャのまま幕を閉じたのであった。
次回からはこれを反省し、ヒタスラ釣りだけに没頭する《NO DRINK FF ONLY 》にしようと言い出すものは一人もいなかったことを付け加えよう。


2002年5月10日 豚に真珠・熊に越の寒梅
さっき、何を呑もうかと、酒蔵兼廊下に散らばっている酒瓶の山を物色していると、見慣れぬ飾り箱があるのが目についた。
ラベルも読まずに開けてみると、「越の寒梅」と「白龍」の4合ビンのセットではないか。
GW中のお客の誰かが置いていってくれたものだと思うが・・・?
オイラは結構酒が好きで、今でも調子がよければ4合ビンの2本くらいはいけるかもしれないが、決してグルメでもなんでも無い。
単なるアホな酒飲み親父って所なのだ。どんな酒だろうが、アルコールさえ入っていればいい。
酒が旨いか否かの基準は、呑みたい時かが一番で、少ししかない酒を皆で分け合うとき、遠慮しながら呑む時(そんな姿は見たこと無いってか)、呑むなと止められているときなんぞに呑む酒は、何を呑んでも旨いのだ。
どんなにいい酒でも気まずい思いをして呑んでもゼーンゼン旨くなかろーモン!
そんなわけで、家に遊びに来てくれるときに、高価な酒のお土産なんぞは全然必要が無い。
正直なところ、きーさんにTシャツの1枚でも持ってきてくれたほうが、よっぽど気が利いているというもんだ(ン?キリン麦酒がイイってか!?)
だって、面倒を見るのはおいらじゃなくって、彼女なんだからさ!
ではいただきマース!


新旧?カップル 披露宴で、感極まった2人とは・・・思えない

GW後半・・・大いそが氏
5月2日
明日からの来客に備え、朝からまるで大掃除の感がある。
普段は散らかし放題だから、やりがいがある・・・のだ。
すっかり片付け見違えるようになった。毎日こうだと良いのになんて云うのは・・・やぶへびなのだ。
それから、11人分の布団の用意。多少かび臭いのがあってもしょうがない。シーツをかけてごまかしてしまう。

2002年5月3日 吉田、犬塚の結婚式
初夏を思わせる晴天の金沢のど真ん中、尾山神社で挙式された。
NHKドラマに悪乗りした?イベントの所為か、観光客と車で大賑わいだ。早めに来て正解だった。
式への参列は内輪だけとはいえ、由緒ある神社で厳かにとり行われ、心に残るものであった。
我々夫婦にとって初めての媒酌人ということもあり、服の窮屈さとあいまって緊張したが、何とか責任を果たせたようだ。
新郎も挨拶のなかで、感極まって言葉に詰まるシーンもあった。
秋にはさぞかし元気なベイビーが誕生することだろう。
写真でも分かるが、式の前に2人が境内を引き回され、絶好の見世物になっていた。
帰りはPeke2に同乗してきたdankeldさんに運転を任せた。
3日夜
5人で飲んでたが、H山に電話すると、釣りの用意をして馳せ参じてくれた。呑む、釣るは、お腹のでかいカーチャンをさておいても、という根性が立派。
4日・・・何故かこの日は雨だった
7時半、出発間際にPekeのKから電話。立山インターに着いたから待てという。
オイラのトラックにチャリを6台積んで出発した。隣のおばちゃんが、何をするのやら・・・という目で見ている。
立山観光でにぎわう千寿が原で、完全に怪しい一行6人は、マウンテンバイクやママチャリと、でたらめに揃えたサドルにまたがり一路真川の上流へ。
時々背中に背負った空気入れの取っ手が頭にぶつかるがしょうがない。途中の堰堤でチャリを捨て、梯子を登り雪渓を渡り、折からの雪代と雨で濁りと増水の川を横目に歩くこと2時間。ようやく去年H山がいい思いをした真川に着いた。
H山がすぐに下流のポイントに走る。
その他のFFが準備をしている間に、こっちはビールをやりながら昼飯の支度を・・・と思ったが、なんと、肉はあるがタレがない。
仕方が無いからメザシを焼いてごまかした。
下流を見るとH山が頭の上で両手を丸くしている。尺を含めて4本かけたそうだ。
結局いい目を見たのはH山だけ、でかいイワナをホントに見ただけのKの他は、全然ナーンにも見もしなかったらしい。
Y川の上流のD池を目指したのだが、天気と時間の遅れで諦めて帰還した。

今夜の泊まり客は江戸からのご一行様7人を足して11人。宴会は総勢16人の大所帯。
着替えに帰ったH山が、何度も全員に携帯をかけても誰も出ない。それほどの盛り上がり様・・・だったらしい・・・そうな。
5日
関西勢とひがなコーヒーを飲みながら四方山話に花を咲かす。
と、釣りキチの和君から電話。神通川にいるという。聞けば、昨日からいて、留守電を入れていた・・・という話。あのドサクサで留守電操作を間違えて、誰からか分からなかったのだ。
とにかくサクラ鱒を2本釣ったので、いまから持ってきてくれるという。
見事なサクラちゃんが2本、でかいクーラーに納まっている。60センチ以上、3キロオーバーのでかさ。
早速出刃を研ぎ、バラシに掛かった。今日の包丁さばきは今までに無く上出来。自分でも納得の三枚卸に仕上がった。
どこまで足を延ばしたのか、江戸からのご一行様も帰ってきて、またまた昨日の続きが始まった。
薪ストーブのオキでまずはサクラちゃんの塩焼き。脂が程よく乗り、思った以上に旨い。片身はあっという間に売り切れた。
それじゃ-「これを食わなきゃ男じゃネェ-」とばかりに、まだルイベ状態のトボを取り出し、「サクラ鱒の刺身」を賞味していただくことにした。
恐る恐る手を出していたのが、食べてみると、マグロの中トロよりもズ-っとうまい。あっという間に一皿がカラ。
後は2週間後のお楽しみ。さて、吉と出るか虫が出るか。おいらには何か責任があるのかなー!法律的に云って。知るもんカーだ!
6日 おいらだけ出勤・・・1日が長かったと云っておこう。


2002年3月17日 窓つくり

No1 PCルーム・・・40点 1800×920 No2、3 トイレの小窓・・・60点 850×350

もう一月以上前から「木製2重窓」作りに励んでいる。
今までのアルミサッシの内側にそれを取り付けて、なんと3重サッシにしようという目論見である。
基本的には内側への観音開き。但し、必要の無いところははめ殺しにする。
と、いうわけで今日までに4つができたのでお披露目をする。
最初にPCルームのを作ったのだが、これは失敗だった。全然目立たないところのものから作ってみるべきであったのだ。
そこでトイレの小窓をと、2っ作ったが、これはマァマァのでき。
No4は、普段は開けない西側の窓で、雪下ろしに屋根に上るときだけしか使わないので、真ん中だけ開くようにと手を抜いた。
何れも写真で見る限りでは「あら」が見えないが、それぞれに欠陥がある。
素材は2×4用のカナダ産のパインと、自社製のアクリル板。ガラスにしたかったのだが値段が高い、加工が難しい。アクリル板はタダ。というわけ。
ちなみにNo4の材料費は4000円以内。
意外に簡単そうに思えるかもしれないが、そうでもない。附帯工事がついて廻るのだ。
例えば、トイレの窓のときには壁板を外したついでに断熱材を入れる。2回では縦に張ってある板を横に張りなおす段取りをする。といった具合に。
そんなことをしていると、段々発想が展開していき、家中の修理や改造計画にまでなってくる。
となると、資金や時間が一番の問題だ。
マァ、ヒマに任せてやるとしましょーか!

CD-R/RW
を取り付けた(息子が)のはいいが、もっと簡単なものだと思っていたのが大間違い。
なんどやっても「CDが入っていません」というエラーがでる。
友達の息子さんに電話で教えてもらったところ、なんとCDを挿入するところがいつのまにかもう一ヶ所できているではないか。
一件落着。もう大丈夫。

PCウィルス
今朝イッチャンのところで朝のコーヒーをご馳走になっていたら、二日酔いでイッチャンが起きてきて「えらいことになってしまった」という。
イッチャン名であっちこっちに「ウィルスに感染しました」というメールが行き、それを開いた人が感染したという。
「俺は何にもしていないのに」と本人は言っている。こっちにも来たが、「おっかしいなー、イッチャンがあんなメールを出すはずが無い」と思い、見ずに削除した。
それが正解だったのだが、アチコチから苦情をもらった本人は「???」なんで俺が謝らなくっては?と云っていた。


悲喜こもごも
FinePixA201が来た。今持っているのよりはよさそう。何よりもコンパクトで軽い。
2月1日に立山山麓スキー学校の講師に出た。何しろ1月はスキーを履いていない。こんなことは県外に出ていたときを除いて今まで記憶に無い。
前日の木工で木の代わりにノミで突いた足の傷をアロンでふさぎ、ばんそうこうを貼って出かけた。
傷口が広がってくれなければと願いつつ、違和感があるがドタキャンはできないのだ。
地元の小学生のレッスンを受け持ったときのこと、オイラがドジでリフトから昼飯用に持ってきた1000円札をポケットから落としてしまった。
リフトを降りた生徒がすぐに拾いに行ってくれ、戻ってきたのだが、1割のお礼をくれという。冗談だと思い分かった分かったと云って、換わりにキャンデーを配ったつもりだった。
剣沢小屋の友邦さん夫婦がやっている食堂(カルカ・・・すっごく美味しい)でお昼を食べ、午後のレッスンを再開したときのこと。
生徒・・・「先生、さっきの1割は?」
おいら・・・「???なんだ、マジだったのか!」
ちょうど昼のお釣りが100円あったので、それを渡した。
生徒は当然という顔でポケットにしまう。
自分の受け持っている生徒が、オイラが落としたのを知っている。それなのに1割のお礼を当然の如く請求するという。ヒジョーに複雑な心境であった。
その後のレッスン中のこと、後ろから来た高校生がオイラに足払いをかけて転倒させられた。
が、その高校生はちょっと下で停まりおいらを待っていて、頭を下げて謝っている。それには笑って手を振った。
今年は春から「あ、縁起がいいわいなー!」などとほざいていたが、「悲喜こもごも」のドタバタな年になりそうな予感がする。


タンタンタンタン・・・・こいつは春から〜縁起がいいわいなー!(舞台を片足でハネながら、大見得を切っていると想像なすってください)
とうとう当たってしまった
長い間日記をサボっていたのは、1人で隠し通すつもりだったからだが、我慢できないので発表してさっぱりしよう!
1等前後賞共3億円とはいわないが、なんと2等に当たってしまった。
苦節50数年の貧乏暮らしともこれでおさらばというもんだ。
今日になってようやく交換を申し込んできた。近くの郵便局の皆が驚いている。
めったに当たらないらしく、申し込み用紙がない。慌てて本局からファックスで取り寄せている。
係員・・・「すみません、もう少しお待ちください」
おいら・・・「いいよ、いいよ、お茶なんか要らないよ!」
係員・・・「ところでなんにされますか?」
おいら・・・「デジカメにします」
と、マァこんなアンバイで。
そうなんです。なんと、お年玉つき年賀状の2等に当たっただ。ジャン、ジャン!

ところでもうひとつ隠し事があったのだ!
つい先日の14日にY通信員が1升ぶら下げてきた。
彼のバイト先の造り酒屋で一押しの濁り酒である。
早速外の雪の中に突っ込み冷やしてから呑みはじめた。
もう1人どっかで見たことのある「胸部がやたら発達し、ウェストが細く、でん部がそれなりに大きくて結構丈のでかい」"ソフィアローレン"張りの女の子も一緒である。
キーさんも入れて4人であっという間に空にしたのだが、どうも彼らの様子がおかしい。
ボツボツ語ったところでは、一緒に住み始めたというではないか。
なんと"朴念仁"だと思っていた吉田通信員が(Y通信の誤り)、ソフィアちゃんと一緒に住んでいるとは。
この話は内緒にしてくれとは云われてないし、太郎のマスターの耳にも入れてきたというのでここで披露してしまうのだ-!
マッタク関係ないが、オイラは昔から"ソフィアちゃん"と"小百合ちゃん"が大好きだったのだ!クシュン、グシュン!
当然の如くその晩は完璧にYを酔わせて、自分もダウンしてしまったのだ。


2001年12月18日 ゼーンブ戴きモノで忘年会
6月に胃を全摘出した野村さんがキリタンポを贈ってくれた。息子の嫁さんが秋田なのだ。
それでイッチャン夫婦とおいらたちで呑もうと話しがまとまった。
酒は山口の「雪見酒」ワインは長野の生ワイン。熊本の馬肉の燻製と鹿児島の焼酎、山形の漬け物、唐辛子は江戸の薬研堀、ぐい呑みは野迫川のkeiさん手作り、その他もろもろ、みーんないただきものなのだ。そうそう讃岐うどんもあったっけ。後無い物は北海道のカニくらい。そこまで云っちゃバチが当たる。
ホンマもんのキリタンポと、そのあとのうどんのおいしいこと。
おいら達もだが、高橋夫妻の食欲にもびっくりした。たった4人の忘年会がしっかり盛り上がり、大騒ぎしてしまった。
皆様のご厚情に感謝いたします。


2001年12月8日 小池の結婚披露宴
ウェデングドレスの香春さんの隣に神父さんが付き添っている。と思ったら、それが小池だった。

神父さんじゃない新郎新婦 この笑顔

後ろから見るとそうとしか思えなかったのだが、前に廻ってみると、にやけた髭面。間違いなく高天原の小池だ。
どうしてあんなうれしい顔ができるのか?そんなに香春と一緒になったのがうれしいのだろうか。
いままでオイラが尊敬し、敬ってきたあの尊厳のある小池仙人はどこへいってしまったのだろうか。
素面の時と、酔った時の段差の大きさぐらいは承知していたのだが、まるで人間が変わってしまうとは・・・・
実(げ)ににょしょう(女性)の魔力とは、あな(穴)オソロシヤ・・・
立山国際ホテルで始まった披露宴が、2次会をロッジ太郎に移し、3次会まで延々と続いたそうな・・・・
会からも会長をはじめ数人が出席してお祝いをした。
マ、今はうれしそうに笑っているが、あと10年もすれば地獄が待っているとも知らないで・・・!と云ってひがんでいる輩の多いこと多いこと!
そのときの小池の顔を楽しみにするとしようぜ、ご同輩。


2001年11月15日 娘から絵葉書
江戸にいる娘からキーさんとオイラ宛てに2枚の絵葉書がきた。沖縄宮古島の消印がある。
運転免許をとりに行っているのであるが、どうやら合格したらしい。
それにしても20日間の食事から、江戸までの交通費を全部合わせて30万ちょっととは安いものだ。
ついでにスキューバーの初級免許もとったとある。
娘が高校生だったころ、セミプロの友達の指導で一緒に潜った事もあったが、またそんな日が来るとも思われない。
ともあれ、32万円のお返しが絵葉書2枚ですむのだから・・・オイラも25万円の釣り竿が欲しい・・・!

11月17、18日 総会、宴会また宴会
定刻4時を30分過ぎて始まった。総勢20人である。
例に拠って会計をキーさんがやってくれる。おいらでは信用がないようで、彼女にならスーッと払ってくれる。
宴会は定刻に必ずはじめるのがこの会の鉄則である。薬師沢小屋の美人、ワンちゃんこと犬塚さんに乾杯の音頭を取ってもらう。
先日ブリが上がったばかりで、期待していたのだが、刺身と塩焼きの旨いこと旨いこと。
白エビのむき身もかなり載っている。今回で14回目なのだが、いままでで一番旨かったのではないだろうか。
最近は日本酒よりも焼酎やワインを飲む。
ビールは20本もあればいいのだが、焼酎は前もって6対4に割ったものを持ってきて、やかんで燗をしてそのまま出してもらう。
2つのやかんで何回もお代わりをする。日本酒も冷やで飲む。且つよく食べる。
気がついたら夜中の2時半になっており、ボジョレ-ヌーボーが5、6本空になっているのを見定めてからイビキモードに・・・
翌日は軽く朝酒をあおってから近くの温泉に浸かるのが定番になった。2次会前の一汗といったところだ。
 2次会
今日は天気がいいので、粟巣野の小池副会長宅でと思ったのだが、小池が先手を打って「芦峅寺で2次会だー!」と宣言した。
仕方がない。その代わりに高岡の中島会員から「鴨」を受け取ってくるように命じた。
2次会の中の1次会?は家の車庫の中でBQをするのも定番になった。
今回も岩ガキ、ハマグリ、カニなどが中心で、肉やイモもある。
芋虫じゃなかった、みの虫さんの娘がえらくハマグリを気に入ったようだ。焼けると同時になくなっていく。
里芋なんかあっという間になくなった。
何人かが帰り、日がくれてくると家の中に入り本格的な?2次会が始まった。
まだ10人以上残っている。きっと鴨鍋を食わなければ帰らないつもりなのだ。
本日のメーンデッシュの鴨鍋にしたづつみをうつと、かなり酔っ払うのがでてくる。
会長と副会長が急に陽気になってはしゃいでいる。相当廻っている。
11時には全員ダウン。ようやく終わった。
今回の総酒量。日本酒と焼酎が13本。ビール20本、缶ビール1箱、ワイン8本。以上でありました。多いのかナ?少ないのかナ?・・・・??


屋根の瓦下ろし
まだ二日酔いの3人を起こして、手伝ってもらうことにする。宿賃だと思ってもらうしかない。
裏のひさし4間半の屋根の修理をするのだが、1人では瓦を下ろすのは容易でない。
今日がチャンスと、急いで段取りをした。おかげさまで無事終了。お三人さんありがとうございました。

11月24日 ようやく
かなりの時間と手間を掛けたが、ようやく板金屋に引き渡せるまでになった。これでいくら雪が降っても安心できるのだ。
来年には家の中をリフォームするつもりだが、大工仕事や木工は1ミリの狂いが出来栄えを分ける。
今回もつくづくその違いを感じたのだが、オイラのようないい加減で大雑把な性格ではそういう仕事には向いていないのではと、少々ぐらついてくる。
写真は修理中のひさしと雪囲い用の柱、この後大分変わった。


2001年11月10日
《苦しき幾夜を誰がため過ごさん》・・・・何と響きの良いフレーズであることよ!
今日は金毘羅様。
オイラの住む芦峅寺では毎月10日が金毘羅様。」約180軒ほどの村で、並んだ5軒ごとに毎月金毘羅様の当番をする。
村はずれの石段を登ったところに祀ってあるのだが、草むしりや掃除をして、団子やいろんなお供え物をする。
そのあと、ちょうど5軒目に当たった家が、一緒に行った4人の女衆をもてなす決まりになっている。
今回は家が5軒目にあたった。

オイラは朝勤だったのだが、折悪しく(良く)残業で午後8時半に帰ってきた。
分かってはいたのだが、キーさんはその後5人衆と連れだって隣町の温泉に出かけて、書き置きがしてあるのみ。

マ、ゆっくりやろうと段取りを整え、呑み始めた。
キューバ対JAPANや、Jリーグを見ていたのだが、何かの拍子でリモコンに触ったらチャンネルが切り替わった。
内藤やすこが、フランク永井の〔君恋し〕を歌っている。
思わず書き留めたのが、《苦しき幾夜を誰がため過ごさん》
《あれも夢なら これも夢》
《我が人生に悔いはない》
《生きてる限りは青春だ》
《水入らず》・・・などである。(註、同じ歌ではない)
と、のんびりやっていたのだが、ヤバイ!2本目の燗を

Home