2017黒部源流の岩魚を愛する会 総会レポート

  2017男旭山の遺言

  新穂高に集うイワナの仲間達
 
   〜独断と偏見のメンバー紹介〜
2017年11月25日 総会会場のまほろばから焼岳

  最後に氷見で総会を開いてから、もう10年以上が経過した。

 入会時からフル参加していれば、今回で18度目となるはずだったが、都合により何度か欠席しているため、15回目か16回目の参加となる自分にとって、氷見での総会より新穂高での総会に参加した回数が多い。 しかし総会といえば、氷見・・・そんなイメージが残る。

2003年11月8日 氷見の総会


 朝9時前、ここ数年の待ち合わせ場所になっている宇都宮駅に向けて家を出た。 エノさんは10:16着の電車に乗ってくるが、 途中今年のレポートを参加者分コピーしなければならない。
 

 立ち寄ったコンビニでは、「カラーコピー1枚50円」と表示されているのを見て愕然とした。何せ、Hオジが原稿に貼り付けてくれた写真が大きいので、枚数が6ページから13ページへと倍以上に増えているのだ。

「50円×13ページ×15人?=9,750円!!コピーで・・・!?」
 悲しいが、表紙だけカラー、他は白黒でコピーすることにした。


 宇都宮駅には10時少し前に着いた。エノさんとはここ5〜6年、会の定例的な活動以外でもご一緒している。多分相棒の岩渕君が結婚・子育てで忙しくなった頃から少しずつ我々(Hオジやマサヨ姉さん)と遊んでくれる時間が増えてきたように思う。

 自分が入会した当初から、エノさんといえば会bPのスゴ腕で、束釣りを何回もしているとの伝説を聞かされていたが、実際にその釣り姿を間近で拝見したのは、入会10年後のことであった。(詳細は2009年レポートを参照されたい)

エノさんの初鮎釣り

 車中、銀山湖でのトローリングや海外でのスチールヘッド釣りなどいろいろなお話を伺うのは、とても楽しい。昨シーズンには、鮎釣りにも初挑戦された。 プロカメラマンでヨットマン、いつもスタイリッシュなエノさんと鮎釣りのイメージは結びつきにくいが、我々に付き合ってもらえるのが嬉しい。

 一度、お誘いいただいて、村中さん、兄さん、姉さんとともに一家でヨットに乗せていただいたことがある。 ヨットと言っても実はレース艇で、ドライブに誘われて車に乗ったら、実はF1レースだったと言い換えた方が分かり易いかも知れない。

自分の想像していた「優雅な船遊び」とは全く違う本格的なもので、今思い出しても、「胃と胸にこみ上げて」くるものがある。

 秋には少し体調を崩されたようだが、復調されて何よりである。(入院以来2ヶ月半の禁煙はこの2日間で完全に卒業!?誰の所為だ?)

エノさんのヨットで東京湾を激走 ヘルムスはミクちゃん


 
甘楽PAで昼食をとり、松本インターから上高地方面へ。 新島々のコンビニで、レポートを綴じるためのホチキスを購入した。 この店でこんなものを買う客は過去にいたのだろうか。さすが「便利なお店」である。

 安房トンネルの前後は積雪しており、平湯料金所付近では除雪作業中だった。

 「まほろば」には、15:30過ぎに到着。村中さんが玄関前で出迎えてくれた。 中さんについては、出会いの時からを詳細に書いたら、原稿の枚数が大変なことになってしまう。

 イワナの会の顔というか、中さんそのものがイワナの会といっても過言ではなく、イワナの会が30年以上に渡って存在してきたのは、中さんが事務局長として様々な便宜・調整を図ってことに加え、その人徳によるところが大きい。

 酒と○○○(ここに入るものが多すぎて書き切れない)をこよなく愛し、少年の心と博愛の精神(ここは本人談)を持ち合わせている。
 好き嫌いがハッキリしていて、気が長いとはとても言えないが、酒を飲んで声を荒げたり揉めた事など一度も目にしていない。

 黒部源流での活動以外にもキャンプやスキーなど年間を通じて交流があり、入会してから一緒に飲んだ酒の量はハンパではないと思う。

 自分を鮎釣りの世界に引きずり込んだ張本人もこの人で、近年はもっぱら「神通川」が我々の遊び場になっている。

 スキー、麻雀、パチンコ(今は二人ともしない)、etc.これまでの人生で趣味・嗜好がこれほど一致した人には出会ったことがない。 可能な限り、最低あと5年は一緒に遊んでいただきたいと思っている。


前列男子、左より旭山、村中さん、小池さん、エノさん、M途さん、I佐さんの手


 玄関ロビーには、いつもの面々と初対面のオブザーバーの方が何名か。

 集金をしてくださっているのは、中さんの奥様、ヨカさん。 イワナの会がここまで存続してきた陰の立て役者、イワナの会の良心、イワナの会のお母さんである。

 黒部への前線基地として、これまで多くの会員が芦峅寺の中さん宅にお世話になってきた。 また、「○○合宿」と称して、近年、もっともお世話になっている自分としては、「感謝」の2文字しかない。

 聖母のような慈愛と寛容さが生来のものなのか、中さんとの結婚生活の中で知らず知らずのうちに身に付けられたものなのかは定かではないが、本気モードの時のビールが別腹なのは間違いがない。

 キヨカさんの弟さんがM途さん。 まさに「善人」を絵で描いたような人である。 東京に出張した際には、何度か泊めていただいたり、お薦めの居酒屋に連れて行っていただいたりした。 息子さんの○モ君が太郎の小屋でバイトをしていた頃は様子を見がてら入山されていたが、ここのところ山はご無沙汰されている。 中宅では、しばしば麻雀卓を囲ませていただく間柄である。 昔ながらの宴会芸など伝統芸能の伝承者でもある。

左列キヨカさん、TJ田さん


 
TJ田さんは、某航空会社の元社長さん。 入会した当時から総会ではよくご一緒したが、一緒に入山したのは長男がまだ小学生だった7年前の一度きりかもしれない。 あの時は、台風による大雨で薬師沢まで行けず太郎に泊まったことが思い出される。 (詳細は2010年旭山レポート 及び 辻田レポートを参照されたい)

思えば、翌年に小池さんが山を降りたため、高天原に行ったのはあの時が最後になっている。 今はどうかわからないが、以前は自転車を趣味にされていて、あの時も「健脚」ぶりに感心した印象がある。

ご退職前には村中さん夫妻を北アルプスから京都御所上空までという超豪華プライベートフライトにご招待。 次は自分もと思っているうちにリタイヤされてしまったのが心残りである。

 山さんはすでに一風呂浴びたのか、浴衣姿になっていた。 入会当初、「関東組」として一緒に行動することが多かったメンバーの一人である。 当時50歳前後であったと思うが、歩行中はいつも半ズボンで、高天原から新穂高へ一気に下山するなど、やたら強かった印象が残る。

 当時は中禅寺湖にも釣りに来られていたので、うちの子ども達と一緒にボートに乗せてもらったこともある。 また、今でも草津の保養所に来られた際にスキーに誘っていただくこともある。

 小池さんが、20歳以上年下のK春さんと結婚した時は「犯罪だ!」と言っていたが、結局自分も28歳年下の奥さんをもらって「犯罪者」の仲間入りをしてしまった。

 しばらく黒部から遠ざかっていたが、下のお子さんも来年には小学生になるそうなので、復帰もそう遠くないだろう。

2016 奥さんを説得するK藤さん


 少し遅れて、ぱっと見某在阪人気球団の本監督にそっくりな藤さんご夫妻が到着。藤さんは現在の放流隊長である。

自分と同い年だが、通常の山の装備に加え、一升瓶数本と生サンマ満載のトロ箱を運ぶなど、担荷力が半端ではない。 その一升瓶も「十四代」や「磯自慢」などだから、経済力も尋常ではないことがうかがえる。

 後述するが、昨年の「あの状況」で奥様を説き伏せる亭主関白ぶりも尊敬に値する人物である。

 生誕半世紀の節目の年とお孫さんの誕生を機に禁煙されたというが、次回お会いした時にはどうなっているだろうか。 今年は都合により村中邸での後夜祭には参加されなかったが、禁煙を続けられる上ではよかったと思う。 当主に続きエノさんが、2ヶ月半続けていた禁煙をあっさり卒業してしまうなど、村中邸には「禁煙を阻む魔物」が棲んでいるに違いないからだ。


 さて、その奥様であるが、昨年は大変辛い目に遭わせてしまった。

 昨年、私が鮎にうつつを抜かしてシーズン中薬師沢に全く脚を運ばないという有様に、さすがのキヨカさんもキレかかっているとのことで、急遽小屋閉め作業中の薬師沢に兄さん、姉さんと向かったのだが、太郎小屋の手前で登ったところで、下山中の藤さんご夫妻に出くわしたのである。

2017 反省も総括も会長の挨拶もないユルーい総会

 こちらは、ダメ元で「せっかくだから、薬師沢で宴会しましょう」とお誘いしたのだが、K藤さんが「よし、戻ろう」ってことになったため、奥様も薬師沢に引き返さざるを得なくなったのである。

 第一渡渉からの本当に嫌らしい登りをクリアしてせっかく太郎まで来たのに、あそこをもう一度下って薬師沢に戻るなんて、自分なら100%断るところである。 改めてお詫びと感謝を申し上げます。

小池さんとK春さん

 そうこうしているうちに、小池夫妻が戻ってきた。 車はあるのに、姿が見えないので「風呂?」と思っていたが、二人はロープウェーのある鍋平まで「散歩!?」(それを「散歩」と呼ぶ小池夫妻恐るべし!)してきたとのことだった。

 イワナの会創設メンバーの小池さんは今更自分なんかが説明するまでもなく、黒部源流の主のような人である。 薬師沢や高天原など黒部源流の山小屋で長年にわたり密漁者に睨みをきかせてきた。

 イワナの保護に最も効果的だったのは小池さんの存在だろう。 夏は山小屋で、冬はスキー場で親子共々大変可愛がっていただいた。

2010 小池さんと岳、高天原で最後の相撲

 特に、長男は毎年小屋のデッキで小池さんと相撲を取ることを目的に高天原までの道のりを歩いた。 高天原には楽しかった思い出が沢山あるが、小池さんが山を降りてからは一度も行っていない。

 単に鮎釣りにうつつを抜かしているだけと言われればそれまでだが、長男同様小池さんに会いに行くことが高天原に向かう最大の理由であったし、小池さんのいない高天原があの頃ほど魅力的な場所でなくなったのも事実である。 自分の中ではイワナの会が村中さんであるように、高天原とは小池さんである。

2017 マサヨ姉さんとK春さん

 K春さんについては、この「まほろば」で行った小池さんとの結婚祝いの時が初対面だった。当時ベテラン会員達は、K春さんが高天原でやっていけるのかを危惧していたが、そんな心配をよそに、ピークには小屋から溢れるほどの登山客をテキパキと切り盛りしていたのは皆の知るところである。

 自分が37.3pという人生最大のイワナを釣ったのも、雨の中を帰ろうとする自分に連泊を勧めてくれたK春さんの一言のおかげだ。

 あのまま帰っていたら多分、あのイワナに出会うことはなかったと思う。 また、高天原の小屋でうちの娘とエノさんのところの娘さんと一緒に「バースデーケーキ」を作り、マサヨ姉さんの誕生日を祝ったのも良い思い出だ。(詳細は2009年レポートを参照)

2009 マサヨ姉さんのバースデーケーキ


 ここで、今年の活動レポートを帳合する作業を行うため、割り当てられた部屋に向かった。 TJ田さんと姉さんに手伝ってもらって製本作業はすんなり完了。 隣はN山さん一家の部屋なのか、子ども達が走り回っているようだった。

 美味しいビールを飲むために、とりあえず風呂に向かうが、外はえらく寒そうで、露天風呂という気にはならない。 みんなも同じ考えのようで、内風呂はそれなりの人口密度であった。 しかし、年々硫黄の臭いが薄くなっている感じがするのは気のせいだろうか?ぬるくなっているような気もするから、薄めるための水を増やしているのだろうか?

2017 N山さんとミエちゃんと二人の姉妹、S子さん


 風呂から上がると、ラウンジには山さん一家とM途さんの奥さんの子さんも集まってきていた。

 山夫人のミエちゃんと初めて会ったのは、2001年(多分)の有峰林道開通時に行った折立キャンプの時だ。 村中さんが「山さんが若いのを連れてきた!」と興奮気味に話していたのを思い出す。 二人が天ぷら用の「コシアブラ」を採りに行っている間、村中さんや田前会長と山さん持参のマグナムボトル(赤ワイン)や「ロイヤルサルート」を飲みまくっていたように思う。

 当時二十歳そこそこだったミエちゃんは教え子と大して変わらない年齢だった上、駆け出しで、一番の年少会員だった自分にとっては会で初めてできた「後輩」だったため、よくイジったりもした。 そんな彼女も今では30代後半となり小学校3年生と年長さんの二人の娘の良き母親である。

ミエちゃんも一緒に行ったが、うちの娘を初めて高天原に連れて行った時が小学校1年生だったことを思うと、しみじみ長い時間が経ったと思う。 娘さん達も大きくなってきたので、そう遠からず黒部に戻ってきてくれるだろう。

大根を洗うS子さん


 S子さんといえば、何と言ってもブルーベリーが思い出される(詳細は2003年レポートを参照)。
 太郎〜薬師沢間には多数の「クロマメノキ」(スノキ属=ブルーベリーの仲間)が自生している。 大半は、野鳥や熊やヤマネのエサになると思われるのだが、時期にはそこら一帯がブルーベリーだらけになる。

 その年は丁度時期にあたったため。 薬師沢から太郎に戻りながら途さん、S子さんと三人で、ペットボトル一杯のブルーベリーを集めた。 その後、その時のブルーベリーで作ったというジャムをいただいたのだが、ご自宅分は残ったのだろうかと恐縮した記憶がある。

 あの当時は、息子の「○モ」くんが太郎の小屋にバイトに入っていたので、ご夫妻とはたびたびご一緒した。 しばらく前に体調を崩されていたということだが、今はすっかり回復された様子だった。

2017お腹に重りを巻いて登山する I佐さん

 少し遅れてやってきたのがIサくん。 最も新しい会員であり、最年少?(多分)の会員である。初めて薬師沢小屋で出会ってから、もう5〜6年くらいになるだろうか?釣りも好きだが、映像も好きなようで、高級一眼レフで風景を撮影するだけでなく、ドローンを飛ばしたり、CCDカメラで釣りの動画を撮ったりしている。 そんなわけで、ばかでかいザックに重い機材を背負っている。

 今年、三角点で「ここまで3時間以上かかった」と聞いた時には、一緒にいたら、今日中に薬師沢に着かないと思い、とっととパスしてしまった。 一緒に釣りをしたことはないけど、まだ若いし、自称プロカメラマンのオジとすっかり仲良しになったから、これからまだまだ活躍してもらえると思う。 イワナの会の期待の星である。

ここまで、今回の総会に出席してくれた正会員を紹介してきたが、忘れてならないのは、マサヨ姉さんとHオジである。

入会して3年後に職場が変わり、7月や9月の例会に参加しにくくなってからは、ほとんどの山行をともにしている。 また、ゴールデンウィーク、夏休み、秋の連休、年末、2月のスキー合宿とほぼ一年中一緒に遊んでもらっている。 家族ぐるみでお世話になっているので、うちの子ども達は二人にとてもよくなついている。

姉さんフィッシュオン 黒部源流


 姉さんと初めて会ったのは、2001年の7月の例会(詳細は2001年レポートを参照)。 1日遅れの入山のため、折立から高天原まで一気に登ってきたのだから凄いオバハン(妙齢のマダム!)だなあというのが第一印象だった。

 しかも、到着するなりザックから取り出した土産が、高級ワイン2本、ムートン&ラフィット? (ワインの値段もだが、ビンのままだった。ビンは重い!) だから、かなりインパクトがあった。

 もともと山ヤさんなので、山に疎い自分はいろいろなことを教わったし、数年前に体調を崩してからは少しゆっくりになったけど、それまでは本当に強かった。 多くの登山者を見てきたけれど、歩くフォームの美しさ、安定感はピカ一だったと思う。
 また、子どもや妻を連れて入山する時には、本当によく面倒を見ていただいた。 特に、同性の娘や妻はとても心強かったと思う。

旭山一家をアシストする姉さん

釣り人としての姉さんは、技術も持ち合わせているがそれにも増して結果にコミットするタイプで、Z谷で釣ったイワナは本当に大きかったし、 (詳細は2004年レポートを参照) 鮎を釣らせてもオジより沢山釣る。 センスが良いのだと思う。

 話していても、話題も豊富だし、一流大卒のインテリなのに鼻にかけるそぶりもなくてフレンドリー。 欠点らしい欠点は見当たらないけど、歌唱力だけはあまり才能に恵まれているとは言えないかも。


 最後に、オジ。 イワナの会を最も愛しているのはこの人だと思う。 「黒部源流のイワナは世界遺産」と言って憚らない。 入会直後から自作のワッペンをザックに貼って会の存在をアピールし、キャップやジャケットなど会員用のグッズをプロデュースしたのもこの人だ。

 このオジに「会長が山に登らんでええんか、ええのんか(いいんですか)?」とねちこく言われなかったら、きっと今の自分は薬師沢まで行く気になっていないと思う。

今後再現が不可能と言われる精緻な刺繍


 幅広く物知りであり、軽妙洒脱な語り口で延々と蘊蓄(うんちく)を語る。 極地の話だろうが、大昔の話だろうがまるで目撃してきたかのように語る話術は一級品で、講釈師=公爵士、即ち「デューク」の異名がある。

 ただこのゴルゴ13ならぬ「デューク十三(じゅうそうと読む)」に大金を積んで仕事を依頼しても、面白く無ければ 「お話でも聞かせてもらいましょか(話を聞こうか!)」とは言ってくれないので注意して欲しい。

 また大阪人らしく一発ギャグもかますので、我が家の息子達は小さい頃からこのオジが大好きでたまらない。

 また自称英国貴族の生まれ変わりで、高貴な家柄?に生まれ育った所為か、セコさがなく大らかなのも付き合いやすさの一因だと思う。

 ただ、大きなザックはいかにも荷物が詰まって見えるようマットで整形してあるだけで、実際には余り荷物は入っていない。
 かつてZ谷で持った時、あまりの軽さに殺意を抱いたことすらある。

 フライの腕は一級品だが、それ以上に目を見張るのが嗅覚である。Z谷でも川でも(2004レポート2005第1回レポートを参照)自分が好ポイントの前でトラブっている時に限ってヌッと現れ、尺をゲットしてしまう。

 目の前で尺イワナをいとも簡単に抜かれてしまう悔しさは何とも表現しがたい。 しかし、鮎はそううまくはいかないようで、結構苦労している。



自称プロカメラマンHオジ 「芦峅の凍える冬」

 最近では、「プロカメラマン」を自称しているが、引き続きイワナの会の活動、黒部源流の素晴らしさなどを記録に残していってほしいと思う。


 風呂も一段落し、メンバーが揃ったので、宴会の準備が整うまでの間、談話室を使って総会を行う。 以前は会計決算報告や活動報告、次年度の活動計画等を話し合ったのだが、現在は会費を集金しなくなったので、決算報告も予算案の審議もない。 とりあえずは、会長挨拶を兼ねて簡単な活動報告を行うだけで、「総括」も「反省」もない。

 ところが、今年は少し様子が違った。 ビールで乾杯はしたものの、司会役の村中さんは、ビールと食べ物が皆に行き渡るよう差配を続けることにかかりきりで、いっこうに会をスタートする気配がない。

 先ほど帳合したレポートはいつでも配付できるよう準備万端、オジも原稿チェックに余念がなかったが、皆それぞれに近くにいる人と近況などを話し合っているうちに、食堂の準備が整ったとの声がかかり、結局「総会」ならぬ宴会の「練習」が終了した。

 とりあえず挨拶を準備していた自分としては肩すかしを食らう形になったが、まあそこはこのイワナの会で気にしても仕方がない。


(手前)K春さん、マサヨさん、小池さん、(奥)村中さん、K藤さんと奥さん


 いよいよ宴会に突入。 「十四代」「東光」「獺祭」「蓬莱 色男」「磯自慢」など、銘酒が並ぶ。 その昔は、参加人数よりも一升瓶の本数の方が多かったという「伝説」もあるが、少なくとも自分が参加した当初に比べると、間違いなく半分以下に減っている。

 参加人数が若干減っていることもあるが、何より高齢化に伴って酒量が減少したことと、分別ある飲み方をする人が増えてきたためであろう。 昔は遅くまで延々と飲んでいたし、朝から迎え酒をしている人も結構いたものだ。

 氷見からは、誰が運転して帰っていたのかは覚えていないが、もし民宿を出たところでアルコール呼気検査をされたら、引っかかっていた人もいただろう。 10年以上前の話だから、もうとっくに時効だが。

 談話室に場所を移した二次会も小池さんの「とにかく助け合うことが大切」という「ありがたーいお話(多分本人は何を話したかなんて覚えていないだろう。 聞いていた人たちも覚えてないかもしれないが)」で、お開き。

だけど、翌朝は何も無かったようにすっきり起きてくるのが小池さんの凄いところ。 これまで薬師沢や高天原で歴代の小屋番やアルバイト達ともよく酒を飲んだが、彼らはそんな時でも、3:00くらいから登山客の朝食の準備をしなければならない。 そんな生活を長年続けてきたのだから当然か。

娘さん達の習い事のために早出した山さんから、無事に高速道路に乗ったとの連絡が入る。 「ノーマル」タイヤでこの時期に安房峠を越えて新穂高に来るのは「アブノーマル」と思ったが・・・。 無事で何よりだ。


2017年総会参加者と忠犬ロック

 玄関前で、オジが準備したマイクスタンドにしか見えない据わりの悪い三脚(自称プロなのに)を使って記念写真を撮影したら今年の総会も終了。

 家路につくもの、次の目的地に向かうもの、三々五々に「まほろば」を後にする。 来年も皆で元気に集まれますように、そう願いながら、皆を見送った。

 総会も氷見から千寿が原(立山駅前)、そして新穂高へと場所を移しながら31回を重ねた。 その間、新入会員もいれば、鬼籍に入られた方もおり、時代とともに参加メンバーも変わってきた。

 また、会員の高齢化に伴い、今や活動の中心は移植放流から定着調査(イワナウオッチング)へと変わりつつある。

 正直、本流から支流への移植放流ができなくなったらイワナの会としての存在意義はどうなのかという思いも無くはない。 しかし、一部に誤解されている方もいるようだが、我々は「黒部源流のイワナを愛する会」であって、「黒部源流のイワナを守る会」でも「黒部源流のイワナを増やす会」でもない。


 これまでも、これからも、近くにあっても遠くからでも黒部源流のイワナを愛する気持ちを大切に、微力ながら活動を続けていきたい。


【おまけ1】カメラマンの悲しい性

 「まほろば」を後にした自分はエノさん、オジ、姉さん、Iサくんとともに新穂高ロープウェーに向かった。朝は「まほろば」の窓から西穂が見えていたものの、雲がどんどん下りてくる。 それでも、ロープウェーでは最前列に陣取ってしまうのはカメラマンの悲しい性か。 3人が揃ってカメラを構えている姿に思わず姉さんと顔を見合わせて笑ってしまった。

 終点に着いた時はやっと西穂山荘が見えるか見えないかという状況だったが、それでもIサくんにとっては、「過去最高の視界」(どれだけ引きが弱いのか!ここ数年入山時にあまり天候に恵まれなかったのはコイツの所為かも!?) ということで、やる気満々である。

 マイナス6度に耐えかねた我々はIサくんを残し、サッサと二次会場である村中邸に向かったのであった。

2017 西穂千石尾根と雲の天井


【おまけ2】E戸寿司の怪

 二次会に備え、持ち帰り用の寿司を買うこととなった。オジと姉さんが何度か利用したことがあるという立山町某所の「戸寿司」へ(チェーン展開されている店らしい)。

 メニューは江戸時代チックな名前がつけられている(ネタの種類や数によってかなりのパターンがある)のだが、誰が名付けたものやら、まったく名前と価格に規則性や整合性がない。ちなみに一部を紹介すると

【6人前】

 百万石>大江戸>旗本>大御所

 江戸より加賀の方が上でいいの?!

 旗本が大御所(隠居した元将軍)より上ってどうよ?!

【2人前】

 光圀>将軍

 副将軍(実際にそのポストはないが)が将軍より上だとマズくない!?

【1人前】

 大奥>腰元>家康

 家康より上の腰元(そもそも「腰元」とは商家の小間使いのことで、大奥で将軍の世話をしていたのは「御女中」らしいが)って何者?家康でも大奥には頭が上がらないというイメージも分からないでは無いが・・・。

一部のマニアからこうして突っ込まれることを期待して名付けたのであろうか?大学で一応日本近世史を専攻してきた自分には、突っ込みドコロ満載であった。食べる以外にも楽しませてくれた戸寿司に感謝!


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