イワナの会活動レポート2017


         「悲願」

K藤さん   


〔第1日 8/12 停滞〕


 お盆の入山が大変な混雑になるのは重々承知しつつも、この時期にしかまとまった休みが取れないのはサラリーマンの宿命である。

 私と息子二人が村中さん宅に向かったのは、12日朝。Hオジと正代(しょうだいではない)姉さん、エノさんと岩渕君は前泊している。

 エノさんと黒部に入るのも8年ぶり(下界ではキャンプやらヨットやら、よく遊んでもらっているが)なので、岩渕君と最後に会ったのは10年以上前のことだ。


 「どんな感じになっているのだろうか・・」と少々の不安も無くはなかったが、拍子抜けするくら  い以前のイメージのままだった。


  以前は、ずいぶん年下と思っていたが、
  今頃になって一つ年下であるということが判明した。


岩淵くんと正代姉さん   


あの頃は、まだイワナLOVEで、焦って(それでも8時は過ぎていたと思うが)釣りに出かける自分を、二人が沢小屋のデッキでコーヒーを飲みながら見送ってくれたことを思い出す。

   今では、誰かのお蔭で

   アユなしではいられない体にされてしまったが。

   あれからずいぶんと時は流れた。


 あの頃は一人で入っていた山に子どもを連れて入るようになり、その子どもたちも大きくなって、今では母のお菓子がなくても、村中さんや兄さん・姉さんがなだめたりすかしたりしなくても愚図ったりはしない。

 ひょっとすると、今や自分が一番山に入るのを愚図っているのかもしれない


  キヨカさんスミマセン



 今年は、高校時代野球三昧で山から遠ざかっていた岳も大学生となり、三年ぶりの入山。渓も兄とのイワナ釣り勝負を楽しみにしている。

何より二人の息子が大きくなって荷物が軽くなるのを喜んでいる自分がいる。

カッパと着替えだけしか背負わず、酒も釣り道具も子どもに運んでもらって薬師沢に入れる日が来たのだ!・・ここまでの道のりをふりかえると、感慨深いものがある。

当然これまでさんざんお世話になってきた皆さんの荷物も軽くしなければならない。兄さんの箱ワイン2つを岳、エノさんの行動食を渓が運ぶことになり、パッキングは終了。

これが大失敗だった。薬師沢に着いてからしか必要の無いウェーダーやベストにすれば良かった・・と思ったのが少し遅かった。エノさんの遠慮に気づけなかった自分のミスだ。

しかし、外は雨。雨脚は強弱を繰り返し、玄関を出ようとする我々を何度も逡巡させる。


 最後は村中さんが太郎の若旦那に天候を確認し、今日は停滞することが決定した。

イサさん   


 エノさんは寝直しを決め込み、岩渕君と渓は将棋、兄さんはタブレットでお勉強、姉さんと岳は読書、村中さんはコンピュータ麻雀とそれぞれが翌日に向けての鋭気を養う。自分は、テレビで高校野球中継を見て過ごすこととした。


 そうこうしているうちにお昼。本来山の中で食べるはずだった「おにぎり」を消費しなければならないので、外食はできない。

村中さんの提案によりカップ麺で済ませることにし、村中さん、姉さんと三人で五十嶋商店へ。食べ終わる頃に、キヨカさんが昼休みで一時帰宅。


 その後は、急遽決まったバーベキューの準備のため、買物に。何だか生きるために食べるのか、食べるために生きるのか考えさせられるくらい食事の準備のためだけに一日が過ぎていく。


買物を終え、帰途の半分くらいまで来たところで、翌日が姉さんの誕生日であることを思い出す。


あいにく近くのお菓子屋さんはクローズで、コンビニのスイーツで我慢してもらうことになった。

今は、いつでも何でもあるが、盆や正月に誕生日を迎える人は、ケーキが食べにくかった時代もあったろう。


   バーベキューは煙に反応したアシナガバチを退治しながら、
   玄関前車庫の軒下で。

 立派なオクラは兄さん宅の家庭菜園で採れたものだそうだ。

 ちなみに歴史で習う「荘園」とは、家庭菜園とほぼ同義。

 藤原氏に代表される貴族は、「うちの家庭菜園で作ったものに税なんか払えるか」という理屈で不 輸(無税)を通していたのですね。

大阪は灼熱の夏で、畑への散水代がずいぶんかかったと兄さんは嘆いておられたが、スクスクと育ったオクラは我々の舌を十分に楽しませてくれた。

 オクラはアフリカ原産の野菜で、大阪の暑さが合っているのかも知れない。 因みにオクラは英語でも「オークラ」Okraである。


〔第2日 8/13 折立〜薬師沢〕

 芳見橋のガソリンスタンド手前で村中さんが「ストックを忘れた!」というので、後続の兄さんに先に行くように合図をする。多分、兄さんも姉さんも絶対に俺が何かを忘れたと思うに違いない。

 折立はいつもより路上駐車が少なく感じたが、それでもメインの駐車場は満杯。しかし、そんな状況でも兄さんは目ざとくスペースを確保した様子。


 村中さん曰く、「大阪の人間は本当に抜け目がないな。」



 こちらは、延々と真川近くの臨時駐車場まで。

 下山後ここまで来るのは憂鬱だ。


 決して慌てる旅ではない(イワナLOVEの頃は、慌てて走るように登っていたけど)が、村中さんに「お前たちは先に行け」と急かされ、荷物が軽いのと子どもたちの歩くのが早いのとが相まって、軽快なペースで登っていった。

1時間20分程度で着いた三角点には、イワナの会ニューフェースのイサ君がいた。聞けば友達と3人で来たとのこと。

ドローンを持っているメンバーもいるので、何か楽しいことを計画しているようだ。イワナの会の「若頭」ことK藤さんも先行しているらしい。

聞けば、彼らはここまで3時間かかったとのことで、途中で追い抜いたK藤さんも1時間以上待たされたようだ。

正直、三角点まで3時間かかる人たちと一緒に歩いていたのでは、今日中に薬師沢へ到着できるか覚束ない。宴会の約束だけして先を急いだ。

エノさんと村中さん   



 五光岩で渓がエノさんの行動食を預かっていたという大失敗に気づく。


他のメンバーがいるので、よもやエノさんが飲まず食わずになるという心配はないだろうが、なぜエノさんがウェーダーやベストでなく行動食を渓に託したのか。

多分、同じペースで登ると思っていて、重たい物を遠慮されたのかもしれない。


しかし、ここまで来たら戻ることもできない。帰りは忘れずに息子たちに運ばせればよいと考えた。「帰り道で」と考えてしまったことが後で村中さんから怒られる原因となる。



 太郎小屋に着いたのは、12時20分過ぎ。受付の若旦那の話では、K藤さんは食堂で食事中。靴を脱ぐのも面倒なので、窓を開けて声をかける。

「太郎平小屋」と書かれたスタッフジャンパーを着ているが、縦縞のウィンドブレーカーだったら熱狂的なファンのいる某在阪球団の監督と勘違いする人もいるに違いない。


 ひょっとしたら、村中さんたちは太郎泊まりになるかもという危惧もないではなかったが、そこは みんなの経験と体力を信じて薬師沢へと向かう。


 「ざぶん賞」をいただいた作文で、オジが美味しそうに呑んだ湧き水の所で小休止。


  マグカップにすくった水を飲み干して、

 「ここの水は本当に旨いんだよ」と岳。



 カベッケでは、渓が「お兄ちゃんはここで『もう歩かない』ってベソかいたんだよね」
 と兄をからかう。

あの時は姉さんが一生懸命になだめすかして、何とか岳を小屋まで歩かせたなあなんてことを思い出しながら、今や俺の荷物まで担いでいる子ども達の姿に、時の流れと成長をしみじみと実感。


くまモンのタオルを被る源流の熊こと村中さん 



 薬師沢の小屋には、2時過ぎに到着。

小屋番によれば、結構な混み具合で、乾燥室泊まりになるかもとのこと。

 薬師沢に来るようになって4半世紀近くになるが乾燥室で寝るのは初めて。

ただ、蚕棚で見ず知らずの人たちと寝るよりは気楽である。



 村中さんたちのことが気になり、小屋番に頼んで太郎に連絡を入れてもらうと、既に太郎を通過し、こちらに向かっているとのことで一安心。

子ども達は釣る気満々なので、上流の分流を目指すことにした。(ここも、失敗。後で村中さんになぜ迎えに来なかったのかと怒られることになる。)

 吊り橋のすぐ上の淵にはエサ釣りの人が2人。アユ釣りでは、竿2本分も離れれば問題なしだが、渓流釣りでは後から来た人間が追い抜いて釣り上がるのはマナー違反である。

声をかけるかどうか一瞬迷ったが、格好から見て、登山のついでに小屋周辺でという雰囲気であったので、そのままパスする。


旭山会長と渓くん 


 分流に着いたところで、釣りを開始とするが、とにかく二人ともろくに糸も結べない。もはやイワナを釣ることに執着の無い親父は、息子二人のサポートに徹するが、糸の結び方くらい事前にしっかり教えておくべきだったと反省。


 岳はフライ、渓はテンカラ。


岳は細かなところまで粘っこく探り、渓は気になるところだけを叩いてどんどん先へ進んでいく。それぞれの道具に合った釣り方と言えばそれまでだが、性格の違いもあるのだろう。自分の子とはいえ、対照的な二人である。

 ちなみに、釣りのスタイルは渓の方が自分に似ていると思う。先日、クラス会で友達が持ってきた写真を見たら、渓とそっくりな自分が写っていてビックリしたが、渓の言動を見ていると、昔の自分を反省させられることもしばしばである。

 4時を過ぎ、大きな淵でゴールデンタイムへの突入を待つが、しばらくしてもライズが始まる雰囲気はいっこうに感じられないので、小屋に戻る。


 着替えを済ませると、じきに村中さんたちが到着した。開口一番、
 「何時に着いたんだよ」と聞かれたので、「2時過ぎ位」と答えたら、

「何で迎えに来ないんだよ」と怒られてしまった。

その後は特に責められなかったが、そういう時はえてして本当に怒っていることが多い。膝を痛めたエノさんには本当に悪いことをしてしまった。

 デッキのプチ宴会で1?のビール缶が2本空いた頃、食事の呼び出し。息子たちが運んだワインと焼酎はの味は格別。村中さんの機嫌も直ったようだ。

記念すべき誕生日を薬師沢で迎えた姉さん、おめでとう。(とはいっても例年この時期に入山することが多いので、最近は下界で誕生日を迎えることの方が少ないのかも?)

 エノさん、岩渕君、久々の薬師沢ご苦労様。と消灯まで粛々と宴会。


薬師沢のケンブリッジ飛鳥ならぬ、オックスフォード君にも会えてまずはめでたしの初日だった。


 しかし、兄さん・姉さんは蚕棚にスペースを得たものの、乾燥室に6人で寝るのは
想像以上に厳しく、翌朝二人の息子に鼾を責められた。


〔第3日 8/14 薬師沢(小屋〜左俣出合)〕

栃木の藤井聡太こと渓くん、旭山会長、正代姉さん  


  薬師沢で迎える朝は少し気が重い。

  なぜかって? 朝食のメニューが相変わらずだからだ。

   自分が薬師沢に入るようになってから四半世紀が経過するが、
   多分、今後共、未来永劫ずっと一緒だ。


厚焼き卵に切り干し大根、ニシンの干物にウグイス豆とヒジキの佃煮、そこに味付海苔。もう暗記している。

 山の中だから出せるものが限られるのは当然だが、それにしてもなあ・・。とりあえず、腹が減っては戦ができないので何とかかき込む。

 デッキでは、高天原や雲の平へ向かう登山者たちがパッキングやストレッチに勤しむ中、所在なく右往左往する釣り人が見られるのも、薬師沢の朝である。

少し前なら、ベテランを気取って「こんな早く行ってもイワナは反応しないよ」なんて、求められてもいないアドバイスもしたが、最近では行きたい奴は行かせて、身をもって学んでもらえば良いと思っている。

アメリカの国立訓練研究所によれば、講義で学習したことは5%しか定着しないが、実際に体験して学んだことは75%が定着するという研究もある。


 我々は、薬師沢組(Hオジ・K藤・自分・岳・渓)と下流組(エノ兄・岩渕・正代姉・村中)に分かれることに決め、薬師沢組は9時前に出発することとした。

 当然下流組は、それよりもかなりゆっくりのはずだ。
 今日も、糸もろくに結べない息子達のサポートが中心になるが、渡渉の心配が無くなったのは救いである。

親のひいき目かもしれないが、川を切る場所の判断もそんなにセンスは悪くないと思う。むしろ自分の方が腰まで水に浸かるのが当たり前の釣りに慣れてしまったので、雑になっている気がする。

 
いずれにせよ、天気に恵まれたので、それだけで良い一日になりそうだ。

 
K藤さんの話では、最近釣り上がった人がそこそこ掛けていたらしいとのことだったが、イメージとしては良くもなく悪くもなくといったところか?それぞれポチポチ釣れるといったところだ。

黒岩会若頭ことK藤さん  


 相変わらず、渓はテンポ良く釣り上がっていくが、枝掛かりも多くあまり前に進めない。岳は岳でドヘチのつまらないポイントをチマチマと叩き続けていてなかなか進まない。そんな中、ほんの少しだけ前に出たタイミングで連発させるK藤さんはさすがだ。

 狙いをつけたポイントから一発で良型を引き出す兄さんも、手練れである。そのタイミングで自分が大岩ごと大転倒したのは、ご愛敬ということで。

 さあ、お昼。カップラーメンの湯を沸かそうとザックを覗いて青くなった。

ガスボンベが無い。


たまたまK藤さんが持っていたから良かったものの、K藤さんが下流組に入っていたら、メシ抜きになるところだった。K藤さんには数年前に増水の中で渓の渡渉を助けてもらったり本当に薬師沢では何度も救われている。


 午後は、子ども達もずいぶん慣れてきたので、自分も少し竿を振ることにする。どうも早めの瀬にばかり目が行ってしまうのは、鮎釣りばかりしているせいなのか。

 イワナは遊泳力の高い魚では無いため、流れの弱い岩陰で流下昆虫を待っていることが多い・・なんて忘れかけていた知識を思い出しながら、ポイントを探る。

空振りも多かったが、イワナもそれなりに出てくれた。こんな可愛い魚を痛めつけるのは心苦しい。

   だから鮎釣りに転向したのだ

   といっても誰が信じてくれるのか。

合わせの瞬間、竿に変なねじれが起こったのだと思うが、
分流で2番が折れたのを機に、竿を畳んだ。



岳、渓、旭山、K藤さん  



 結局、左俣出合までまる一日の釣りになったが、最後に第三渡渉方面から出合に向かって下りてきた男は明らかに挙動不審で、密漁者の臭いがプンプンだった。

出合付近には闇キャンの焚き火跡もあり、そうした輩は未だに少なくないのかもしれない。もっとも、誰とは明言できないが純粋な?闇キャンフリークもいるので、闇キャンイコール密漁とは断定できないけれども。

しかし、こうした状況をみると、
小谷が気になるところである。



 小屋への戻りは、我々薬師沢組の方が少し早く、じきに下流組も戻ってきた。ギャラリーを務めた村中さんは、みんなの釣り姿を肴にスイスイ飲っていたようで、焼酎はもう残り僅か。

岩渕君は久しぶりの黒部に大ハッスルで、空中フィッシングの妙技を披露した上、ダイビングまでしたそうだ。

目ざといフライマン達は岩渕君の手にする丸竹ロッドに気づいて、デッキはしばし「展示会」状態に。アルコールの入った人間が代わる代わる振り回すので、すわトラブル発生か?と見守る自分は気が気でなかったが、当の岩渕君は気にもしない様子でニコニコと笑っているだけだった。


 宴会では、「十四代」やら「磯自慢」やら銘酒のオンパレード。

 焼酎が品薄(今回は偽装工作が行われなかった)のため、ご相伴にあずかった。これを「一般的な値段」で購入して、瓶のまま運んでくるK藤さんには本当に頭が上がらない。
K子ちゃんは、酒瓶を抱えるお得意のポーズで写真に収まっていた。

 今夜は、「個室」が割り当てられたので、ゆったりと就寝。

 Hオジの鼾はほどほど。


〔第4日 8/15 下山(薬師沢小屋〜折立)〕

 いつものように、小屋のスタッフと記念撮影をして下山開始。

エノさんの荷物も
OKだ。

 淡々と太郎小屋を目指す。第一渡渉からの登りは、何十年経っても好きになれない。子ども達にはぶっちぎられ、「とにかく40分」と頭の中で繰り返しながら歩を進める。木道が見えてきたら小屋も近い。

 子ども達を迎えにやるが、そんな必要もなかったくらいのタイミングで後発組も到着し、カップ麺で早めの昼食。


青春の憂いを表現する岳  


 岳は、自己記録の更新を目指して一時間後に出発するという。

 自分だったらあんな寒いところで、話し相手もいない中、一時間も一人でいるなんて考えられないが、本人がそうしたいのだから仕方ない。

 我々は、ほぼ同時刻に太郎を出発したぱっと見美人そうなお姉さんと抜きつ抜かれつしながら折立を目指す。

しばらくすると、岳が横を走り抜けていった。あのペースなら、こちらが三角点に着く前に折立に着いてしまうだろう。独りぼっちで待っていても楽しくないだろうに。

 樹林帯への下りで、Hオジは撃ち頃のキジを発見。見事仕留めて出てきたオジに、お姉さんは微笑みながら会釈していったが、


 絶対に「何をしてきたか」気づいていたはず。


 運動不足の身には三角点からの下りが長く厳しいものに感じられたが、やはりそれ以上に苦しく感じられたのは、駐車場までの道のり。

岳に免許さえ取らせていれば、こんなしんどい思いをしなくて済むのに・・・という思いが、疲労しきった脚を更に重くさせる。


  今回、子ども達と黒部でイワナを釣るという「悲願」は叶った。

 だけど、子ども達に運転してもらって富山まで来るという新たな悲願が生まれた。「目を覚ましたら、そこは神通川(米道?芦峅?)だった」なんて日もそう遠くないだろう。



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(C)黒部源流の岩魚を愛する会