猿投神社

   豊田市の北端にそびえる三河の名峰猿投山の麓に鎮座する古社である。
      (豊田市猿投町大城5番地  ・資料:「猿投神社由緒記」より)
 
・創祀・沿革
 創祀は社伝によれば仲哀天皇元年勅願により現在の地に祀るとある。
 猿投山の東峰に東宮、西峰に西宮を祀り、
 本社、東宮、西宮を総称して古くより猿投三社大明神とあつく崇敬されてきている。 
 
 神階は文徳天皇仁寿元年(851年)に従五位下、
 陽成天皇元慶元年(877年)従四位下に叙位している。 
 
 社格は延喜の制(967年)では
 国幣の小社(三河国26座、加茂郡7座)で、
 一宮制が施行されるや、砥鹿神社、知立神社についで三河三宮と称された。
 
 神領は、織田、豊臣二氏の先規により
 徳川家康公が高776石の朱印を付し、明治維新まで続いた。
 このほかの武将も多くの神領を寄進したことが
 社蔵の寄進状によって知ることができる。
 
・御祭神
  主祭神 大碓命
  相 殿 景行天皇(第12代) 垂仁天皇(第11代)
 
 大碓命は景行天皇の第一皇子で、小碓命(日本武尊)とは同胞双生児である。  
 
 日本書紀に「大碓命が東征を欲せられなかったために、
 美濃國(岐阜県)へ封ぜられ、三野国造の祖神の娘二人を妃とせられ、
 二皇子(押黒兄彦、押黒弟彦)を生む」云々とある。
 社蔵の縁起書(光仁天皇宝亀10年(779年)に大伴家持、阿部東人による調査書)に
「景行天皇52年(122年)、猿投山中にて蛇毒のため薨ず、御年42歳、
 即ち山上に斂葬し奉る」云々とある。現在、西宮後方に御墓所がある。
  *薨ず(こうず・・皇族や三位以上の人の死)
  *斂葬(れんそう・・したいをうめてほうむること)
 
・建造物
 本殿、祝詞殿、中門、祈祷所、廻廊、神饌所、
 四方殿、拝殿、太鼓殿、神輿殿、宝物庫、手水舎、総門、鳥居等が立ちならんでいる。
 これらは、嘉永6年(1853年)の大火によってほとんど烏有に帰し、
 以降50有余年の年月を費やして再建されたものと、
  伊勢湾台風後に新築されたものとである。
 
・猿投山とサナゲの語義
 社蔵縁起書に
  「景行天皇53年天皇が伊勢国へ行幸、常に猿を愛し玉座に待せしむ。猿の不祥あり。  
   天皇にくみて伊勢の海に投げ給ふ。其の猿、鷲取山に入る。
  日本武尊東征の時、壮士三河国より来たりて従う。
  平定の後、尊に曰く、先に慈恩を蒙れる猿なり。勅恩に報ずる為、
  こ従し奉ると言い終わって鷲取山に入る。猿投山の称、是より起る。」とある。
  標高629m。山中に天然記念物「菊石」がある。
  また、団九郎岩屋、御船石、蛙岩、屏風岩、御鞍石等の伝説豊かな巨岩もある。
 
  サナゲの語義について、文徳実録・延喜式神名帳にはともに「狭投」と記し、
  三河国国内神明帳・神号額には「猿投」とある。
 
 *日本書紀
  西暦720年、朝廷が正式に編纂した史書。「続日本紀」、「日本後紀」、「続日本後紀」、  
   「日本文徳天皇実録」、「日本三代実録」とあわせて六国史といわれる。
 
 
・「猿投神社」へ行くには
   東名高速名古屋インター → 猿投グリーンロード「猿投IC」下車
    左折 約5分ぐらい      駐車場 無料