大会初出場までの経緯

−ランナーズ東京10K 夏大会(2004 5月29日 10K)−

 

 ホントは自分でもよくわからんです。

 なんでこんなことを始めたのでしょうか。

 

 直接のきっかけはボブ・ウィーランドという方の話を知ったことによります。

 有名な方ですから,ここで書くのも実のところお恥ずかしい。

 かいつまんで申せば,ウィーランド氏はベトナム戦争に出征しましたが,

地雷を踏んで両足のほとんどを失いました。

 しかしそこで絶望し落ち込むどころか,パワーリフティングの選手になる

決意をし,トレーニングに明け暮れ,ついに世界記録を持ち上げたのです

が,大会規約に靴を履いてなければならないという条項があり失格。

 ショックはショックだったようですが,それでもめげずに今度はアメリカ

大陸を横断する決意をする。

 彼の移動方法は,両腕の拳を地面に突き立てて上体を浮かせ,拳より

前方に着地。この繰り返しです。

 3年8ヶ月と6日で達成。およそ4500キロの道程。

 そしてこの年(1986),ニューヨークシティマラソンに出場します。

 その年の大会も華やかに幕を閉じようというところに,まだゼッケンを

付けてゴールを目指している人がいるという情報が主催者側に入ります。

 当時の大会会長フレッド・ルボーは,その人がゴールしたいのなら,もう

一度ゲートも建て直してその人のゴールを待つという決断をします。

 そして結局ウィーランド氏は,4日と2時間48分17秒,大会最長記録で

ついにゴールします。

 その間のNYの応援は凄かったそうです。ゴールでは何千人もの人が

迎えてくれたと。

 ここですね。

 これ,一番凄いのは勿論ウィーランド氏です。しかしこのNYの受け止め

ようが実に素晴らしいじゃないですか。

 このウィーランド氏のような人が現れる前に,同じような状況が日本国内

で起こった時,果たして完走が可能であったでしょうか。

 私は残念ながら難しいと思わざるを得ません。警察か主催者側で止める

と思うんですよね。今なら違うかもしれませんけど。

 しかしこれはNYと日本国内では警備の事情が違うので,一緒にしては

よろしくない部分もあるのです。

 NYの市警は市長が牛耳っておりますから,そこでちょっと無理なことでも

市長が強く発声すれば押しが効くのだろうと思うのです。

 日本ではなかなかそうはいきませんから。

 9・11の後,開催を危ぶむ声もあったと思いますが,当時のジュリアーニ

市長はいち早く開催を決定。

 大会当日は覆面のFBIがピストルを携帯してランナーに混ざって走った

そうです(調子に乗っていろいろ書いておりますが,「ランナーズ」誌2004

年10月号の受売りです)。

 ちょっと脱線が甚だしくなりますが,実は東京でも3万人規模の市民マラ

ソンを実現しようという動きがあります。

 これまで実験的に「夢舞いマラソン」という大会が5回開催されております

が,東京都の方で「東京大都市マラソン」構想を発表しました。

 2005年の開催を目指していたようですが,それは断念したみたいです。

 これは東京国際マラソンと東京国際女子マラソンを統合した一大市民

マラソンにするというものらしいですが,来年(2005)にはちょっと間に合わ

なかったのでしょう。

 しかし近いうちに実現しそうです。

 そうなったら毎年参加したいものです。

 是非市民主導のいい大会にしてもらいたいです。走りたい人も,走れない

人も一緒に楽しめるものにして頂きたい。その意味では「夢舞いマラソン」の

試みは大いに評価すべきです。

 「夢舞いマラソン」は歩道を信号を守って走るんです。

 その道が残されているなら,ウィーランド氏みたいな人でも可能ですからね。

 ニューヨークシティマラソンは制限時間を過ぎてもゴールゲートは開けっぱ

なし。

 2003年の大会では,最終ランナーは9時間40分過ぎにゴールしたそう

です。

 そんな大会を是非東京で実現して欲しいですね。

 

 話を元に戻しましょう。

 ニューヨークシティマラソンはとにかく素晴らしい大会であると。

 ここまではだいぶ前から知っておりました。

 ところが最近になって,このことが私の心中にある作業机の,目につきや

すい場所に置きっぱなしになってしまったのです。それまでは引き出しに入

ってたのに。

 思いはどんどんつのる。

 そんな素晴らしい大会であるなら,是非参加したい。

 つまりマラソンがしたい訳じゃないんです。ニューヨークシティマラソンに出

たいんです。

 しかしそれには42.195キロを走り抜かなければならない。

 そんなことが自分にできるのかまるでわからない。

 運動部経験なし。球技は全滅だし,走るなんてもっての他。

 私は左ヒザがスキーでクラッシュして以来カクカクしてダメなんですが,ここ

でまたウィーランド氏が登場。

 ウィーランド氏はアメリカンフットボールのチームに招かれて話をすることが

あり,そこで「ヒザが痛い」という選手には,「そのヒザでも僕は喜んでもらうよ」

と言うそうです。

 こんな人の前でなんの言い訳ができましょう。

 ちょっと壊れぎみですが,γ‐GTPが若干正常値を逸脱しているぐらいで私は

五体満足なんです。

 できないことはない。

 制限時間が6時間なら6時間以内に走りきる人間になりたい。私は五体満足

なんだから。

 しかもそれが苦痛でなく,楽しんで走りたい。

 

 まず2003年の末頃から会う人ごとに走り始めることを宣言しました。

 絶対にやらねばならない状況に自分を追い込みました。

 そして2004年。

 さあ走り始めるかという時に,大腸憩室炎で入院してしまいました。

 出足をくじかれましたが,退院して1月末から練習開始。

 1ヶ月はまず歩きました。到底走れませんでした。前頚骨筋が痛くなるし,

息もあがってしまうし。

 その後5キロを走ったり歩いたりしているうちに,走りの時間が少しずつ長く

なってきました。

 些細な自分の変化に敏感になり,体も考え方も少しずつ行動的になってい

きました。

 そしてとりあえず自分がどこまでできるのか,状態を把握したいのと,所謂

ランニングの大会の雰囲気をつかみたいと思い,5月のランナーズ東京10

K夏大会に出場しました(あー,ここまでくるのに長かったなあ。まあ最初だか

ら勘弁して下さい)。

 当日は5月とは思えない暑さ。

 レース前に既に30度を超え,「皆様にミネラルウォーターをお渡ししており

ます。走る前にそれを飲みきって下さい」というアナウンスが入ったほどです。

 私はとうに戦意喪失しており,こんな状況で10キロも走るなんてまともな

人間のやることではないと思いました。

 水はもうがぶがぶ飲んでおり,干梅もポケットにしのばせておりました。

 とりあえず無理せず倒れないで完走しよう。それだけ。

 そしてスタート。

 この大会は昭和記念公園の中の5キロを2周します。

 一般男子スタートから5分後だかに女子がスタートしますが,私が2キロも

いかないうちに女子のトップがぶち抜いていきました。おー,すげー。

 そして5キロを1周するはるか手前でトップ男子が風のように私の横をすり

抜け,周回遅れにされました。人間って違うもんだなーと。

 そのあたりからコースのそこここに倒れる人が出始めました。

 水をかけられたりしている人の横を通り過ぎる度に,「あれは俺だ」と。

 遅いか早いかの違いだけで,あれは自分だと思いました。

 じりじりと気温は上がっており,木陰を求めて走ってはおりますが,コースの

ほとんどで直射日光にさらされ,首筋や腿から塩が噴出。

 暑いけど寒気もするけど暑い,というような訳のわからん状態。

 頭のてっぺんからハンダごてが焦げるニオイがしているような気もしました。

 よくテレビのマラソン中継で,水を頭からかぶっているランナーを見ます。

 下品なことしてやがるもんだと思っていましたが,私が間違ってました。

 ああでもしないと続行不可能でした。

 最後はかわいそうなおじいさんのような走りになりながらも,ゲストランナーの

佐々勤さんに応援されたりしつつゴール。

 ああ,でも走りきった!

 こんな感覚は初めてのもので,じんわりと喜びがにじんできたものです。

 ゴール後,会場の片隅では倒れた人の手当てで大変でした。

 野戦病院というものはこういうものであろうかと言うぐらい。

 私なんかよりはるかに早くゴールした人でも,その後で具合が悪くなったりして

しまったんでしょうね。そのぐらい暑かったです。

 

 結果。

 ネットタイム(スタートライン通過からゴールライン通過までの時間)

 1時間13分50秒。

 こうして超鈍足ランナーは誕生したのです……。

 今後,NYを楽しんで走ることができるようになるまで,いろんな大会に出ながら

少しずつ鍛えていく所存です。

2004.11.28 (2005.1.28補筆 5.12更に補筆,訂正)

 

 ボブ・ウィーランド/遠藤正武 「腕で歩く」

 版元の竹書房では取り扱っていません。絶版でしょうか。

 下記はアマゾンの該当ページです。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4812407982/qid%3D1101643950/249-6709714-5621910

 下記はニューヨークシティマラソンの時の記事。

 真ん中あたりの「RUNNING WITH PATIENCE - THE SLOWEST TIME IN MARATHON

 HISTORY 」がそれです。

http://www.sermoncentral.com/newsletter/010226.htm

 動画のウィーランド氏。超元気。

http://bureau.espeakers.com/plat/movie.php?sid=3270&aid=3126


                                 back