第九・裏話


 第九 サイドストーリその1 


  『1st.Vn平均年齢20.45歳』。「第九」の前年度、第21回サマコン(96年)のプログラムのパート紹介欄にはこのように記載されている。(このサマコンのオケトレで尾花氏はドボ8の3楽章で1st.Vnの演奏を評して、「君たちは若い!!」とコメントされた。)

 私の入団(94年)した頃、初心者のVn奏者が歩んでいく標準的な道のりは、「Op1曲乗り→2ndで全乗り→Opだけ1st、Sub・Mainは2nd →1stで全乗り→続く」というようなコースがもっぱらのものであった。
しかし、このような流れはメンツの若年化、長老の減少とともに維持することが不可能となった。余談ではあるが、「第九」の年(97年)の第22回サマコン(シューマンの春)において選曲段階から私はコンマスの荒木来太氏と頭を悩ませたものである。2回生15人に対して上回生が8人しかいなかったからである。
例年からいくと2回生は2ndで全乗りでなのであるが、単純に分けるとバランスが悪すぎるし、2回生ばかりまとめたところで上回生が私ひとりではどうしようもない。苦渋の選択として弾けるかどうかは置いておいて、人数と年齢が平均化されるようにパート分けした。そして、自分が1年半かけて歩んできた道のりを1年で到達してもらわねばならない2回生諸君には申し訳無いと思った。

この「第九」も依然として、若いメンツであった。
平均年齢を計算してみると、1stが21.17歳、2ndは20.25歳である。(回生から年齢を算出。浪人・留年はカウントせず。)10年前の金大フィルでは考えられない数字であろう。

 しかしながら、その後の第九においては頼れる上回生の復帰・この2回生連中の上達もあって年齢的に若くとも十分パートとして成り立つメンツであったと思う。

98年卒業 Vn  大澤和芳 





 第九 サイドストーリーその2


 金大フィルは過去に47回〜49回定演にかけて3回連続で金洪才氏を客演指揮者としてお迎えしている。それをなぞえるかのようにこの時期、56回〜59回の定演に3回連続で金氏を客演に迎えた。
 第56回定演においての尾花輝代充氏とのラロのVn協の協演やシベリウスの1番での大変ロマンティックな指揮がいずれも団員に大変な好評をもって受け入られた。指揮のテクニックもさることながらその誠実な人間的魅力に団員達は金氏への信頼感を強めていったように思われる。それもあって57回定演では団員からの声で客演指揮者として再度出演していただいた。
 そして「第九」をやると決定する当時の我々PL会議にとって客演指揮者を決めることはその成功如何を左右する大事なことだと思われていた。
正直言って当時の金大フィルが「第九」をやることは大冒険に等しかった。
団員の若年化にともなう技術力の低下、長老の減少による各パートのリーダー的存在がいないこと…。さまざまな超えねばならぬ困難を目の前にしたPL会議は、サマコンのオケトレも含めた2年間のお付き合いを見て金氏を現在の金大フィルを最も理解するプロとして客演をお願いすることとした。

金氏から「第九」の客演指揮の快諾を得て、初練習は「能登国立青年の家」で行われた夏合宿でということになった。
昔のことはいざ知らず、例年は9月ぐらいに初練習をしていたので、夏合宿に定演のプロ指揮者と練習を組むというのは異例のことだった。

 金氏は金大フィルの独自の定演本番までのペースの持って行き方というか上達具合をそれまでの経験で良く分かっておられたようで、1回ごとの練習で焦点が非常にハッキリしていた。「今回はここがヤマ場だな」ということがよく伝わり、同時に次回までの課題が浮き彫りになる格好だったので、PL会議としても普段のP練・分奏・合奏で為すべきことが分かり易かったのではないか。
失礼な表現であるかもしれないが、PL会議が金氏への客演依頼に期待した想像以上の成果を金氏は金大フィルに与えてくださった。

 結果、金氏らしい端正なスタイルの「第九」になった(?)ことは大変嬉しく思う。余談ではあるが「数は力なり」という演奏には金氏自身も辟易されているというお話も聞いた。「少数精鋭」は金氏の望むところでもあったのだ!

98年卒業 Vn  大澤和芳
 






 皆さんの、金大フィル演奏史上最初の第九演奏にまつわるサイドストーリを募集いたします。今だから話せる・・・、これだけは忘れられない・・・、そんな、想い出話をぜひ、お寄せください。どんな内容でも結構です。

 お問合わせは、こちらまで
 
先頭に戻る