★ワーグナーの陶酔




  90年代に入って、金大フィルはワーグナーの様々な管弦楽曲に挑戦していきました。従来より演奏していた、「マイスタージンガー前奏曲」や、「リエンチ序曲」などのほかに、新たに、「ローエングリン第1幕前奏曲」、「タンホイザー序曲」、そしてこの「トリスタンとイゾルデ前奏曲と愛の死」と、一通りの曲を制覇してゆきました。

  曲目
75 定期 マイスタージンガー第1幕への前奏曲(初?)
79 サマー マイスタージンガー第1幕への前奏曲
81 サマー リエンツイ序曲
82 定期 ローエングリン 抜粋(合唱つき)
83 サマー マイスタージンガー第1幕への前奏曲
91 定期 マイスタージンガー第1幕への前奏曲
91 定期 トリスタンとイゾルデ 前奏曲と愛の死
92 定期 ローエングリン第1幕への前奏曲、エルザの入場
95 定期 タンホイザー序曲
97 定期 リエンツイ序曲

金大フィルのワーグナー演奏履歴


 この「トリスタンとイゾルデの前奏曲」は、学生オケには特に難しい曲のように思います。ベートヴェンやチャイコフスキーなどのいわゆる縦割りの音楽と違い、いわば横に流れ続ける音楽といって良いかもしれません。前者は、一度テンポが決まってしまえば、放っておいても演奏は進んでいきます。農耕型の日本民族にとっては、得意な音楽かもしれません。片やワーグナー、とりわけ、トリスタンなどは、民族体質的にもっとも遠い音楽のような気がします。その演奏時間の途方もない長さや、曲のとっつきにくさ、そして、背景に横たわる物語の難渋さは、親しみやすいとは言いがたいものです。いつ果てるでもない旋律のうねりは、無限旋律と言われ、その独特の妖しい音楽世界を表現することはアマチュアオケには難物です。プレーヤが出すべき音自身についても、前者(ベートーヴェンやチャイコフスキー)は基本的にアタックの着いたクリアーな音が基本ですが、後者はあらゆる形に音をコントロールすることが必要になります。つまり音の最後の瞬間まで生きた音にしなければならないわけです。これは特に管楽器において顕著です。


 91年の第51回定期演奏会で、ブラ4と並んで、マイスター、トリスタンを演奏したことを知った時、これは少なからず驚きでした。まるで、プロオケのコンサートプログラムのような見事なプロポーションで、金大フィルのプログラム構成もここまで来たかと感心したものです。
  この「前奏曲」は、とりわけ、その緊張度の高さと、表現の難しさから、学生オケにとってはもっとも難しい音楽への挑戦だったのでしょう。また、「愛の死」でソプラノの大沼さんを御招きして、プロの歌手との共演をしたということでも、貴重な経験を出来た演奏会だったように思います。


  巨大化した学生オケでは、時として、サブメインのメンツが手薄になってしまうということがあります。定演のオープニングは、もともと、その年の新入団員の初舞台という暗黙の了解があり、通常、弦楽器の演奏技術レベルは少し落ちます。管楽器では、サブメインの2番奏者などとしてデビューすることがあり、傍から見るとなんとなく心細いメンツがサブメインに割り当てられることがあります。

  案の定?この「前奏曲」冒頭も、ワーグナーのこの曲の持つ独特な切迫感は勿論ですが、「別の緊張感」がありありと見えます。緊張の頂点である低弦のピッチカートまで、手に汗を握る一瞬です。木管の緊迫した?音からも、演奏者の緊張(びびり)が伝わってきて、必死の形相が目に浮かびます。冒頭のチェロの表情は、かなりの水準で、聴かせてくれます。


  前奏曲は、調性が不安定に揺れ動きつつ、無限旋律が果てしなく続いてゆきます。さすがにこの辺りからは、その緊張の持続は難しいのかな・・・と言う正直な感想を受けました。肉を食べないとこの粘着性気質の音楽は表出が難しいのでしょう。前奏曲のクライマックスの部分(83小節)では、金管が中音域でこれぞまさにワーグナーという分厚い音を出す必要があるのですが、残念ながら100%期待した音はCDからは聴こえませんでした。(実演は聴いていません。)中音域での重い音。この部分は、やはりドイツ系のオーケストラの独壇場で、ベルリン・フィルの演奏などは、ダムが決壊して水が押し寄せるような重く、厚い音がします。コンサート第1曲目の「マイスタージンガー前奏曲」でもそうでしたが、全体に力を抜いた金管で、マエストロ山下氏の指示だったのかもしれません。


 最初だけだったかな、と少々がっかりしながらも、「愛の死」まで聴き進むうちに、なぜか、またしり上がりに調子を上げてくるではありませんか。これが、ライブ演奏の面白いところです。おそらく大沼さんの素晴らしい、歌声にオケが次第に触発されていったに違いありません。最終部、ロ長調和音が連続する部分の響きは非常に充実したもので、ハーモニーのバランスや音程の決まりもプロと見まごうばかりです。オーボエが第3音を残して終わる、印象的な終結部は見事に決まっています。金大フィルピークの一瞬です。



 プログラム表紙
演奏会データ

第51回 定期演奏会 91/01/19観光会館
指揮:山下一史  ソリスト:大沼美恵子  コンサートマスター:村田 淳

ワーグナー/楽劇「トリスタンとイゾルデ」
前奏曲冒頭
(2.6MB)
愛の死より
(3.1MB)