witch's closet

k’s box  


                     Scale of marriage

その店は民俗調の埃っぽいテーブルや椅子が雑然と並べられ、所々インド綿のクロスで仕切ってアジト風に仕立てた造りだった。わたしの座っている小さな二人がけのテーブルの右側には簡単な衝立がたててありその向こうには同じように二人がけのテーブルが並べられているらしかった。隣の様子が見えないように衝立に四角く切り取られた小窓には似たようなインド綿のカーテンが引かれていた。
 こういった店の客一人に割り当てられるべき空間の面積というのはやっぱり不況と共に小さくなっていったのだろうか。やっと座れる程度のこの空間は最近流行のセルフサービスなカフェや、安手の居酒屋、カレーの店など、わりにあちこちで身に覚えのある心地悪さだった。わたしの目の前の男はそんなことには気にもとめずこの店の売りである無国籍料理をただ黙々と口にしている。さして腹の空いていないわたしはモスコミュール片手に読みかけの本を見るともなく開いていた。

「ほんまはもっと早く話しとかんとあかんと思ってたんや。」
小窓のカーテン越しに男の低く絞り出すような声が聞こえる。わたしが持っていた本に集中できなくなったのは衝立の向こうの席に客が座ったからだ。そこで交わされる会話は同じテーブルについているのかと思うほど近く、衝立という一線がなければなにも聞いていない振りなどできなかったに違いなかった。その客は声から察すると若い男女の2人連れで当初結婚式の段取りについて話しあっていた。話しが互いの招待客に及んだとき、少し厳しい口調で男の方が「ほんまは・・・」と切り出したのだった。
「会社がなぁ、あんまり順調やないんや。いますぐどうこうってことはないらしいんやけど部長の話しじゃ経理に銀行の人も入ってきとるし人員の大幅削減が間近なことはほぼ間違いないらしい。ほら、うちは規模から言うても同族意識のまだまだ強いとこなんや、そうなると大した引きがない部長や俺とか結構危ないかもしれへんって懸念がある。もすこしはっきりしてからとか色々悩んでたんやけど結婚の話しの方が意外にとんとん進んだやんか。どないしょっておもてるうちにここまで来てしもた。この際やし転職っちゅう選択肢も含めて腰据えて考えてみようおもうてるんや。」無理に感情を押し殺したような低い声は一気にそう言ってのけると小さくため息をついた後、潮が引くように静かになった。グラスに氷があたる音。ジッポーを閉じる音。そして長い長い沈黙。互いの鼓動が手に取るようにわかるのではないかってほど・・。その沈黙に耐えかねてもう一度低い声が話しを始めた。
「結婚をやめるとか延期するとかそういう話しじゃないんやで。わかってな。なにもかわらへんし。ただ、これから先、かおちゃんを食わしていかなあかんことに自信がもてるやろかっていうか・・・いや、食わせるくらいなんとでもなるけど、もしかしたらお金の苦労させるかもしれんというかそういう事、やっぱりはよ話しておかんとっておもとってんわ。いまになってしもたけど。」
 たどたどと自分の気持ちを、おそらく今一番大事に思っているだろう相手に一番見せたくない自分の不安をなんとか伝えようとするこの低い声の主にわたしは軽いシンパシーを覚えた。「なにもかわらないなんてことはないってば。もしかおちゃんが結婚退職を考えてるんだったら働き方は変えても退職はしない方がいいし、住むところだって、そもそも式の形式だってまったく考え直すことになってくるやん。阿呆やなぁ。なんもかわらへんなんていうてしもたらあかんわ。」胸うちでそう呟きながらわたしは10年来脳裏に焼き付いたまま消えていない通帳のマイナスの記号をはっきりと意識していた。ほぼ1年弱の交際で夫との結婚を決めたのは彼がほどほどに良い人間であったからだ。無茶な遊びはしない。頭も悪い方ではない。仕事には誠実だ。裕福ではないけれど今のところお金の苦労はさほどしなくてよさそうだった。ギャンブル的なことだけが未知数で、ボーリングでもトランプでも何かがかかっているといやに勝負強いという一面が少し気にはかかったが賭け事が好きとかいったことは周囲から一度も聞いたことがなかった。堅実で自立していて小金もためているらしいというのが周囲の彼にたいする平均的な評価だった。形ばかりのハネムーンを終えて帰ってきた自宅のテーブルに夫が黙って差し出した預金通帳。開いたわたしは一瞬「そこそこあるんだ」と小さく安堵し、次の瞬間数字の左横に連なる「−」の記号に目が釘付けになった。まだ銀行が大金を貸すほど社会的信用のないわたしたちには「−」の記号といっても見合うだけの定期預金が無ければ「−」にはならない。単純に借金というわけではないのだがその預金額を差し引きしても「+」には転じない。あくまでも負の数字だった。そして数日後黙って渡された給料袋にはきっかり家賃分の金額しか入っていなかった。家賃と同じだけの額が社内預金として引かれてはいたがその数倍の額が「貸付金返済」の項目名で差し引かれていた。とどのつまりわたしは夫の経済状況をいっさい知らされないままうかつにも結婚というサイを振ってしまったのだった。「これは何?」と絶句するわたしに夫は口を閉ざしいっさい自分から説明することはしなかった。結局、家中ひっくり返して「先物取引」に関する書類と、弁護士の作成した示談の書類を見つけだし、やっと彼の身に起こったのだろう事柄が推測できたにすぎなかった。思わぬあさはかな一面を見たと同時にいっさいを伏せたままただ察してくれと言わんばかりに押し黙るパートナーにわたしは愕然とした。それならそれで式だってなんだって違ったやり方ができたのに夫はといえば舅に言われるがままに多数の親戚を呼び集めそれなりの宴を催しその費用のいっさいを自分が持ち、わたしとの新生活に向けてはさらなる借金を膨らませてしまっていた。結婚がとてつもなく大きなギャンブルだとしたらわたしは最初からぼろぼろに負けていた。パートナーの「誠実さ」という札がわたしの手元にはなかった。たとえ手持ちの駒が「−」でしかなかったとしてもそのときの二人の関わり方や精神的絆がオールマイティなカードになる。わたしの結婚観は今も昔もそんな風だ。もちろんその埋められない不信感と距離感が「生きていく」上でのレースでは逆に大きな肥やしにはなったかもしれない。最初から「食わしてもらう」幻想というものは見なくてよかったし、裏を返せばそこには仕事を続けるためのゆるぎない大義名分と自分の足で地面を踏みつけている心地よさがたえず横たわっていた。それでもそれは私自身の生き方のある一面だけを見た場合の見え方であって、それがそのまま「人生」という双六には決してあてはまりはしない。二人を基盤に築いていくはずの家庭観が私の中でまっとうに育ってこなかったのはそういうことなのかも知れない。どんな形態であっても、外側からどんな風に見えようともこうであれば良しという答えなどない『家族』というもの、それでもわたしが思い描き大事にしていこうと考えていたものとは最初から大きくずれてしまっていたことだけは間違いなかった。そのとき夫がわたしにはいっさい見せなかった『誠実に向き合って二人でこれから先を切り開いていこうとする真摯な気持ち』をかいま見たようでわたしはひそかにこの低い声の主にエールを送った。
「かおちゃん、あんたいい人選んだよ。がんばれ。」

 ふと顔を上げたわたしは目の前の男を見た。男は和洋折衷な具材が乱雑にのったピザに手をつけ始めたところだった。彼がクロスの上に汚らしくソースにまみれた肉片を落としたのを指摘して、傍らを通り抜けようとしたボーイにモスコミュールを追加した。ふいに衝立越しの席からグラスに氷のぶつかる音がして、「かおちゃん」と呼ばれた女のたよりない声が小さく話しを始めた。
「なにもかわらへんのやったらええんよ。まあくんを信じてるし、まあくんの問題やから、わたしには何にも言えへん。」また、沈黙・・・。一瞬すすり泣く声が聞こえたような気がして息を殺しているとかおちゃんは先ほどよりいくぶん大きく明るい声で話し始めた。
「それでね、さっきの続き、お色直しのドレスのことなんやけど・・・。」すすり泣きに聞こえたのはまったくの気のせいだったか。お色直しのドレスの話しはブーケや新郎の胸にさす生花の話しへとうつり、かおちゃんの友人らしき数人が二人の馴れ初めをからめてスピーチすること、ブーケはそのうちの一人に渡す約束であること等々・・・まるで転職の話しなど聞かなかったかのようにかおちゃんは徐々に高揚してきた明るい声で一人しゃべりつづけた。もう低い声の主は一言も発しなかった。時折食器のぶつかる音やグラスを置く音がしていたがそれもいつしか静かになって、かおちゃんのきらきらした声だけがくるくると螺旋を描くように響いていた。
 
 「ふぅー、食った、食った。もう当分外食はお預けやな。」3杯目のモスコミュールを飲み終えたわたしに目の前の男は満足げに言った。わたしはうんざりした顔で食べ散らかされたテーブルの上を一瞥して伝票を男の前に差し出し、「じゃぁね、ごちそうさま」と言って席を立った。立ったついでに衝立の上から隣のテーブルをそれとなく流し見た。そこには丸顔で柔らかそうな長い髪をポニーテールにしたかおちゃんと、わたしより十は年を食っていそうな新郎とはいささか言い難いおじさんのまあくんが困ったような顔をして座っていた。

        「熊鷹」のこと

熊鷹へと足を向けたのは5年ぶりだった。
学生の頃は毎週といっていいくらい通っていたのに。京都に住んでいるとはいえ結婚して乳幼児のいる身になってみると酒場もコンサート会場もなにもかもどこか遠い世界の出来事になってしまっていた。久しぶりに参加したOB会の懐かしい顔ぶれとは別れ難くみなで熊鷹を覗いてみることになったのはそんな時期だった。
 熊鷹は千本中立売の商店街の並びにある。千本中立売は京都ではダウンタウン的風情の繁華街。少し通りを外れるとストリップ劇場や間口半間で中に入っても四畳半ほどといった立ち飲み屋まがいの居酒屋が軒を連ねていた。居酒屋に正統派というスタイルがあるとしたなら熊鷹は正統派だった。入り口には大きな一枚板にしっかりとした墨跡で「熊鷹」と書かれており、縄のれんをくぐって中へはいると四人座るには少し苦しい小さな座敷席が二枠と年季の入った一枚板のぶあついカウンターの周りに二〇名ほど座れるカウンター席、カウンターの奥の厨房は小窓付きの壁で仕切られており、いつもいつも「はいっあがった!」と朗らかなおばちゃんの声が響いていた。 主であるおっちゃんはにこやかで不二家のポコちゃんをそのまんま年とらせたような容姿。 実に聞き上手な人でカウンター内側に立ち働きながら時々すいっと会話に入ってくる。その入り具合がいいあんばいなのだ。話題が煮詰まっているとき、キャッチボールがうまくいかなくて気まずくなったとき、両サイドで盛り上がり一人とり残されたとき、たのんであったつまみとともにすいっと助け船が出てくる。小窓から覗く厨房のおばちゃんの声との絡みが巧い具合の合いの手となり、この店の雰囲気の大方をつくっていた。
 熊鷹はおっちゃんが泡の具合に拘り抜いて 一杯、一杯、さも大事そうに注ぐ生ビールと、飛騨高山の久壽玉という酒が売りものだった。もちろんおばちゃんの工夫を凝らしたつまみやおでんの味にも定評があったのだが・・・。丸干し、鳥皮の唐揚げ、芥子豆腐・・・わたし自身この店のおかげで食べれるようになったものも少なくはなかった。

 ひっそりかんと熊鷹に灯りはともっていなかった。縄のれんはかかっておらず閉じられた格子戸の奥は真っ暗だった。
「あくで。」引き戸を引いてみたU先輩が取り囲んでるみなのほうを向いて嬉しそうに声をあげた。
「すみませーん。」「誰か居ませんか?」「おばちゃーん、おっちゃんー」口々に声をかけると奥から物音がして小さな灯りがついた。
「誰やー、何の用やー。」
 ぬぅっと出てきたのはいくらか痩せてはいたがまぎれもなくおっちゃんだった。
「どうしたんや、なんで店やってへんのんや。」わいわいとしゃべり出すみなを制してU先輩がゆっくりおっちゃんに向かって話し出した。
「俺らひさしぶりにいろんな顔ぶれがそろたんがうれしゅうて熊鷹いこ!ってことになってここまで来たんです。閉まっていたんがなんか意外でつい声かけてしまいました。俺らのこと覚えてはりますか?」
「忘れるかいな。よう来てくれたなぁ。2年前に身体壊してもて家内一人できりもりさせるわけにもいかへんで、残念やったけど店は閉めたんや。未練がましいけど、借家やあらへんから店はそのまんまや。そやけどやられたんが肝臓やさかいにもうカウンターに立つわけにはいかへんからなぁ。時々あんたらみたいにひょいと訪ねてくれる人らもおるんやで。ありがたいなー思うてる。なんもつまみも酒もあらへんけどあがってや、ちょっとそこの通りの酒屋まで走って久壽玉買ってきてんか。」
 わたしたちはおばちゃんが焼いてくれた丸干しと自分たちが買いに走った久壽玉で明け方までおっちゃんを囲んで話した。たった一度わたしが立ち上がれないほど酩酊したとき、おっちゃんは傍らにいたU先輩をきつく叱って数ヶ月の間出入り差し止めにした。そういえばKちゃんは天神さんの出店で食べたおでんのジャガイモの芽にあたって、みんなにベンチでお医者まで運ばれたっけ。あれからしばらくおっちゃんのおでんさえよう食べんかったやんか。なつかしいなぁ。なぁ、おっちゃん。いっつもいっつもにこにこ笑ってみんなの話しよお聞いてくれはったなぁ。水沢アキみたいに美人なわたしの親友をほめながら「こっちのあんたはわたしと一緒。なぁに、女も男も愛嬌やで、ほれ一緒にのもや。」って・・・。おっちゃんは尽きない話しに明け方まで麦茶でつきあった。 かつてわたしたちのうきうきした夜を見ていたカウンターの一枚板は、毎日毎日磨き込まれてぴかぴかと健在だった。
 始発のバスがそろそろ出るだろうという頃、店をお暇したわたしたちは千本通りまで出て別れた。
 千本通りまでの閑散とした商店街をただ黙々と歩きながらみなが泣いている気がしてわたしは誰の顔も見ることができなかった。うれしくてさびしくてせつなくて決して酔えない、そんな一夜だった。

 『 川 』

初夏とはいえ、まだ梅雨開けやらぬ7月の初旬である。僕が立っている思久呂橋の下には両岸を往き来できる飛び石が埋め込まれておりさっきまで傍らにいた倫子さんは「渡ってくるから..」と言い残して降りていった。河原の子供らに一言、二言、声をかけながら彼女は川へと入る。長めのマーメイドラインのスカートを膝までたくし上げひょいと飛び石に乗る。軽やかなステップで水面を跳ねる。着地するたび肩までのストレートな髪が揺れ倫子さんの表情を曖昧にしてしまう。七夕の日に47歳になるという彼女はその細い腕に、20歳の娘と2匹の猫を抱えて、いましがた独身に戻った。25年間の結婚生活を送った家とは1キロほども離れていない所に二間きりの小さな部屋を借りてままごとのような暮らしを始めるのだという。

 藤井倫子という女性とは二年前、妻の方が先に知り合いになった。妻は地域活動にご執心だ。小さな消費者のグループから母親たちの集まり、近隣のゴルフ場建設反対の住民運動にまで出入りしている。それらのあらゆる場面で「倫子さん」に出くわすらしく、彼女の話は当時からよく聞かされた。 時には「何処いっても顔ぶれがあまり変わらないって言うのはなんだかなぁ。」と口を尖らせる。しかしそう言いつつもまんざらではなさそうで、そのうち「あんな風になりたい。」と言いだした。「ご主人は大学の先生で、けっこう自由にさせてくださるみたいよ。だから苦労知らずでいつまでもお嬢さんみたいなのかしら。」
 その頃の妻の彼女に関する話はほとんど興味が沸かなかったのだが羨望のいくらか混じったような「自由にさせてくださる..。」という言葉は無責任に思えた。思えたが、妻の脳天気なもの言いはさておき、これはよほど目に余る女なのかと、どこかでうっすらさげすんでも居た。「つまりは、いいご身分なのだな」と。妻には「今以上に自由にさせろって言うことか、僕は十分不自由だ。」と背中で嘯いてもいた。

 ところが実際に倫子さん本人に出会ってみると僕の先入観はひとたまりもなかった。地域で企画したフリーマーケットにかり出され妻と二人で店番をしていた時のこと。妻が「あれ、藤井さんよ。」と前方からゆっくりと歩いてくるジーンズの女性を指しながら耳打ちした。倫子さんは僕達のまえでゆっくり会釈し、北側に用意された小さな舞台へとあがっていった。彼女は客寄せに企画されていた地元バンドや素人マジシャンによるアトラクションの短い司会をまかされていたようだった。僕は店の客足がとだえる度にせわしなく舞台に目をやり、彼女が舞台袖に引っ込んでいると彼女が見える位置にそっと移動した。そんなにも一人の
女性を盗み見たのははじめてのコトだった。女性というよりはなにか今までに出会ったことのない人種に惹きつけられている、そんな気持ちを持て余しながら僕はいつまでも彼女に見とれていた。

 倫子さんとの距離はひょんなことからぐっと縮まった。それは正月気分のまだ抜けない1月の半ば。ずっと緊張を保ったままになっていたゴルフ場建設問題に大きな動きがあった。しびれを切らした観光会社が強硬手段に出たのだ。1月16日の午前5時、緊急を知らせる電話がリビングに鳴り響いた。なにごとかと飛び起きて電話に出てみると、住民運動に携わっている者たちの連絡網だった。「トラックが続々と山にに向かっている。フェンスが張り巡らされ施錠されるらしい。」受話器の向こうでは数人があわただしく動いている気配
と犬の吠える声。街道沿いの家の犬たちがただならぬ気配に騒然となったことで事態は発覚したらしい。なんの前触れもなく建設のための資材を運び込み予定地周辺を大きくフェンスで囲んでしまうという企みだったのだ。寝ぼけたままの妻を置いて僕は車を現地へと走らせた。話には聞いていたものの現地へ行くのは初めてだった。ゴルフ場のために建設されたというバイパスを抜けて車を道端に止め、そのままで山道を登った。同じように止められた車を数台見かけた。この台数では駆けつけることができたのはそう多くはないかもしれない。うっすらと雪の残る里山は雑木林の風情を残し、傾斜の緩い道ではあるが枯れ枝や背の高い草が行く手を阻む。ふと、先を見上げると薄手の上着にかかとのあるきゃしゃな靴を履いた女が草をかき分けながら先を急いでいた。その人は出で立ちのわりには軽やかに登っていく。その後ろ姿はまるで冬野を舞う羽衣のように見えた。
 ふいに、「藤井さんでしょ。」と思いがけない名前が僕の口をついて出た。振り返ったその人は紛れもなく「倫子さん」だった。初対面に近い間柄であるのに彼女はまっすぐに僕にま向かった。「えっと..道が違うらしいの。」と彼女は僕に手をさしのべる。僕が手をとると眼差しをほころばせて「みんなの声はするんだけれど..」と左の頂を見上げる。確かに耳を澄ませばざわざわと人の気配が山肌をつたって降りてくる。「大丈夫ですよ」と彼女の手を引いて比較的背の低い草の合間を選びながら歩いて上へと上った。黙々と歩く倫子さんに僕はいくらか声を高ぶらせながら聞いた。「どうなると思う?」彼女はやわらかく僕を見返しながらこう言った。「だめよ、もう。ゴルフ場はできてしまうわ。」「じゃぁ僕たちはどうしてあそこへ向かっているんだろう。山を守ることはもうできないのなら..。」一瞬の沈黙の後彼女は僕を強く見据えた。そしてにっこり笑いながら答えた。「ねぇ、山は覚えていてくれるのよ。こうして守りたいって思いながら登ってきた人たちのことを一人残らず覚えていてくれる。」
そう言い切って彼女はもう一度僕を強く見た。「いいこと? 一人残らず・・・なのよ。」

 その日は結局相手方の建設会社がプレハブにすっこんだまま出てこなかった。集まった150人程の住民側と支援する人々は理不尽なやり方を口々に批判するだけに終わった。施錠された高いフェンスの前に立ちはだかる目に見えない何かにひどく憤りを感じながらも僕は倫子さんの言った言葉を反芻していた。
 
「山は覚えていてくれる。守りたいって思いながら登ってきてくれた人たちのことを...。」

 環境と名の付く問題は突き詰めてしまえば「人間」であることがイヤになる。あるいは「自然を守る」と言う大儀名文がどうにもおこがましく思えてくる。それならばあっさり傍観者を決め込む方が良いに決まっている。そう決めてかかっていた。そんな僕が「山は覚えていてくれる。」という倫子さんの言葉には強く強く憧れた。そして自分の生きる時間の幾ばくかをそんな思いに浸って過ごしたいと、あれから2年を経ていまはそう思いはじめている。

 僕と倫子さんは山に駆けつけたあの日以来、度々言葉を交わすようになった。 「自由にさせてくださる..」は、まさに傍目で社会生活に適応していかないご主人を持つ彼女は実際にはひどく多くの束縛と闘っていた。そして、その暮らしの実状を知る者はほとんどいなかった。ゆるやかなほほえみの奥には凛とした強さがあってそれが人を引きつけている、引きつけておいてなお立ち入ることを許さないのだろう。 時には妻を交え、時には知らない誰かを交え、僕は二年間倫子さんを見つめてきた。谷間の澤の流れのようにか弱く、ある時は下流の淀みのように重苦しく、うねりながらぶつかりながら自然に海へと注ぐ川。彼女はそんな人だ。人が手を加えていない自然なままの川。その川が今一度、源流に立ち返りたいと言う。その細い腕には理不尽に見えるモノを抱えたまま、もう一度海までの道をたどるのだと言う。 僕はじっと見ていよう、この橋の上で。滴りから豊かな流れへと変わりゆく様を、ひたすらに自然で豊かなその生き様を。

                                       <’96.7>


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