最終更新日:2005年10月19日  公開日:2000年2月1日

このサイトに収録している文章・写真の著作権はクマのものです。無断転載などもってのほかであります。

□ 更新情報 □

□ 働きぶり □

問答有用
政治や歴史認識を論じる掲示板。「投稿する方々へ」

→ 長年、ありがとうございました。サービス提供会社が掲示板運営を放棄してしまいましたので、閉鎖のやむなきにいたりました。

田中荘101号室
歓談の場です。投稿規程
現在閉鎖中。

旅写真

言葉蔵
印象的な言葉を収める倉庫。

書呆子日記 

随想録

電網動物園

初代門番

シロテナガザル
(ハワイ動物園)


『原発のない世界のつくりかた』(短文を寄稿)

合同出版(2012.01)

『私たちが戦後の責任を受けとめる30の視点』(編著)

合同出版(09.10)

『「反日」とは何か ― 中国人活動家は語る』

中公新書ラクレ(06.08)

『金子さんの戦争 ― 中国戦線の現実』

リトルモア(05.08)

『なぜ加害を語るのか―中国帰還者連絡会の戦後史』

岩波ブックレット(05.08)


 

 

 

 

 玄関 → 言葉蔵 → 壱之蔵

言葉蔵

 言葉蔵 壱之蔵

A・ハックスレー 『科学・自由・平和』

過去においては、個人的自由、政治的自由が許されていたが、それは政府の無能に負うところが多かった。

「過去においては、個人的自由、政治的自由が許されていたが、それは政府の無能に負うところが多かった。機会があれば暴虐政治に走ろうとする気運は、つねに存在していたのではあるが、政府の機構と物的装備が、総じて弱体であったために、実現しなかっただけのことである。」
A・ハックスレー 『科学・自由・平和』(河出書房)1956年刊 P.5 より

 
ペンと声は、少なくとも、剣に勝るとも劣らぬほどに強力である。剣は、話された言葉や、書かれた言葉の命ずるところに従って振り回されるからである。

A・ハックスレー 『科学・自由・平和』(河出書房)1956年刊 P.12 より

 

笛吹きに金を払う者が、常に曲を注文する。

「報道の自由が認められている国では、新聞は主として広告主から、(中略)報道の自由が認められていない国においては、新聞は中央政府の資金援助を受けている。そして、笛吹きに金を払う者が、常に曲を注文する、ということになるわけである。」
A・ハックスレー 『科学・自由・平和』(河出書房)1956年刊 P.13 より。「要するにそういうこと」としかコメントのつけようがない、名言。

 

自治こそ民主的自由の本質であるが、これはほとんど完全にといってよい位、労働大衆の職業生活から姿を消してしまっている。

「無産階級は、みずからの利益を促進し、上からの抑圧を阻止するために、労働組合を組織する。労働組合は、資本家たちの野心や欲望を抑え、また、労働条件を改善するという面では、多くのことを成し遂げた。しかしながら、労働組合も、それが属している産業と同様に、拡大主義や中央集権化に陥りやすい。当然の結果として、組合を結成した労働者たちは、二つの少数支配者 ―― ボスたちの支配と、組合の幹部支配 ―― に依存し、従属するという現象が、非常にしばしば起こる。(中略)自治こそ民主的自由の本質であるが、これはほとんど完全にといってよい位、労働大衆の職業生活から姿を消してしまっている。」
A・ハックスレー 『科学・自由・平和』(河出書房)1956年刊 P.20-21 より

 

近代産業社会においては、夥しい数の人々が、都会という恐ろしい場所で全生涯を送り、生計については、資本家あるいは政府という形で現れるボスたちに全く依存し、反復的・機械的であって本質的には全く無意味な作業や、事務的な仕事を遂行しなければならず、頼るべき基盤もなく、財産もなく、自然界からは全然切り離されている。

A・ハックスレー 『科学・自由・平和』(河出書房)1956年刊 P.32 より

 

各国民の集団心理は、14歳の不良少年の心理である。

「各国民の集団心理 ―― 国際政治という分野において重大な決定を行なう場合に、理性ある成人が持たねばならない心理 ―― は、狡猾であると同時に子供っぽく、悪意に充ちており同時に愚劣で、狂熱的に自己本位で、怒りっぽく利欲的で、同時に馬鹿馬鹿しく高慢ちきで虚栄心の強い、14歳の不良少年の心理である。当面の問題が重大問題でない場合には、国政を支配している成人たちも、かれらが行ないつつある(政治という)奇妙なゲームのルールによって、どうやら成人らしい行動をすることができる。しかし、経済上の利益とか国家の威信とかいう重大問題に直面するや否や、この成人したジキルは引き退いて、思春期のハイドがその地位を奪う。」
A・ハックスレー 『科学・自由・平和』(河出書房)1956年刊 P.54 より


東京・大手町にも米国防総省日本出張所が開設されたことを読者はご存知だろうか。日本での通称は読売新聞論説委員会という。

「イラクに対する米英軍侵攻は、ブッシュ政権の目論見どおり三週間で決着がついたが、国際法を無視したこの武力行使を通じて、東京・大手町にも米国防総省日本出張所が開設されたことを読者はご存知だろうか。日本での通称は読売新聞論説委員会という。」
→深津真澄 週刊『金曜日』03.04.18 より


彼らは知っていたのだ。選ばれなかった人物が大統領官邸を占拠するときには、民主主義者は路上を占拠しなければならないことを。

「投票権が盗まれたと言えるような大統領選挙が2000年には(アメリカの他に・・・クマ注)他にも二つあった。ペルーとユーゴスラビアの選挙だ。皮肉なことにこの二国では、アメリカと違って有権者の意思が最終的には尊重された。(中略)彼らは知っていたのだ。選ばれなかった人物が大統領官邸を占拠するときには、民主主義者は路上を占拠しなければならないことを。」
→グレッグ・パラスト 『金で買えるアメリカ民主主義』(角川書店)P.109より


彼らは住民を殺し、何もなかったかのように笑顔で手を振るのです。私は復讐の日が来るのを待ちます。

エマド・アルドゥーリ週刊『金曜日』2003.7.4より。バグダッドに住むエマドさんはアメリカ軍の爆撃により家族が死亡、息子も重症を負った。


超法規的な暗殺を続けていることについても、イスラエルは何のとがめも受けていない。ジャーナリストが「〜といわれている」とか「当局の発表では」という文句によってみずからの報道責任のなさを隠しているためだ。なかでも『ニューヨーク・タイムズ』の中東報道(イラクを含む)はいまやこの種の文句であふれ返っており、いっそ『当局の発表』と紙名を改めてはどうかと思うほどだ。

エドワード・サイード →『裏切られた民主主義』、P22より。

 えー、これはアレですね、日本の大新聞のほとんどについていえることであります。『当局の発表(朝日)』とか『今日の当局(毎日)』とか、読売なんかは『当局の意向』という感じで。はい。


 秦郁彦という学者が私たちのことを「極悪人」だと言っています。そうです。極悪人でした。でも、誰が私たちを極悪人にしたんですか。私は中国で様々な罪悪を犯してきましたが、うちの親父もおふくろも私を極悪人にするために産んだんじゃないわけです。軍隊で人を殺すことを学んだんです。

→金子安次 都内の大学で行なわれた証言集会での発言から。秦は千葉大の教官。中帰連に属する人々などによる加害行為の証言について、その内容は事実であるとしても、それは“一部の極悪人”によるものだと発言している。これは侵略の戦場における加害という問題を末端兵士個人の責任に矮小化する議論でしかない。言うまでもなく、日本軍に属した全員が戦争犯罪を犯したわけではない。それは中帰連に属する元兵士でも同じであり、弾を一発も撃ったことのない人もいる。問題はフツーの青年だった人びとが侵略の戦場で「極悪人」となっていく過程と背景であり、そこにクニや天皇や軍隊機構その他の責任がないと秦は考えるのであろうか。だとすれば、秦は学者という文字のまえに「御用」と太字ゴシックで加えるべきであろう。


信じてください。世界というものは、弱い立場の人々の声を聞かないものなのです。

アブシャノブ(パレスチナの抵抗勢力であるハマスの幹部)
→『自然と人間』2003.8月号、森沢典子さんのインタビューより。森沢さんが「自爆テロをやめて」と言いにいったとき、アブシャノブ氏が「目に涙をためて」語ったという言葉。アブシャノブ氏の語った言葉は、悲しいが、事実だ。アメリカの「テロ撲滅」の掛け声に乗っかる形で、イスラエルのシャロンはパレスチナの人々への弾圧と虐殺を強めたが、これまでと同様、世界はそのことを看過してしまっている。それはすでに紹介したサイ―ドの言葉にもあるとおりだ。一方で、主にフリーのジャーナリストやカメラマン、たとえば広河隆一などによる勇気と良心にあふれた報道もなされている。最近はイギリスの公営放送のBBCも良識的な報道を行なっているようだ。現在の中東の混乱の原因の、大きな原因をイギリスが作ったことを考えれば当然のことかもしれないが、それでも一筋の希望ともいえる。


日本の報道には、為政者の言説を執拗に追う厳しさがない。「国債発行30兆円以下」の公約が反故にされても、「まっ、しかたがないか」と許してしまう。自衛隊派遣は非戦闘地域に、としながら「どこが非戦闘地域か、わかるわけない」と無責任な発言をしても、「それもそうだな」と物わかりよくなってしまう。そして「どこそこの派閥がどうしたこうした」というゴシップ的内輪話で紙面を埋める。さぞかしブレア首相もブッシュ大統領も、日本の報道ぶりを羨ましく思っていることだろう。

鈴木健二(成蹊大学教授) 
→『週刊金曜日』2003.9月12日号より。まったく同感。取材をしはじめたころ、新聞記者の人々の働きぶりに目を見張った。フリー(に近い)の人間にとっては、いわゆる「大物政治家」のコメントなんて、どうやったらとれるんだろうか、見当もつかなかった。まして、その汚職や腐敗を追及するなんて、自分にはまだまだ遠い話だと嘆息した。しかし、そういう彼らの取材で出されてくる記事のうち、控えめにいっても7割は権力側の発表記事にすぎないことに気がついた。残りの3割の大部分も鈴木氏の言う「ゴシップ的内輪話」に思える。はっきりいって賞味期限1日未満のどうでもいい話。取材力ウンヌンという問題ではなく、「なんのための報道?」という前提部分で大きな欠落があるように思えてならない。


ある人から言われました。不正なことは一度うまくいくと何度も繰り返されることになり、やがては大変な事になってしまうと。真実が明るみに出る時が遅れれば遅れるほど、不正な養成施設を卒業して資格を得た者が多くなると。不正な資格をもらった学生も被害者であり、不正が明るみに出たとき、それらの学生は大変な不利をこうむることになると。……この真実の報告で私が職を失うことになりましたら何とぞ、新しい職を紹介して下さるようにお願いします。どうかよろしくお願いします。

ある内部告発の手紙。島本慈子『ルポ・解雇』(岩波新書)より。

→島本は、この手紙には「勤め人が良心を貫くことの難しさが余すところなく現れている」と言う。告発者は、ある学園につとめる教員だった。通産省(当時)に提出する書類の改ざんを命じられた彼は悩みに悩んだすえに、この手紙を通産大臣宛てに書く。「この真実の報告で職を失いことになりましたら何とぞ、新しい職を紹介してくださるようにお願いします」という言葉に、告発者の苦悩と実直さが浮かび上がる。私は、この文章を涙なしに読むことができない。この告発を通産官僚はどのように処理したか。詳しくは本書をお読みいただきたい。
#この本に関する書評を『自然と人間』2003年12月号に書いた。


ぼくらが、あるいは日本共産党が敗戦直後に占領軍の前に行って「万歳」をやった、実にみっともない、という人がある。けれども、そういうことをいう人は、このあいだのファシズムに対する民主主義の戦いに参加していなかったのだ。占領軍の前で「万歳」を唱えるのはみっともない、といっている人たちがわれわれを獄中から出してくれたのではない、早くいえば占領軍が出してくれたのだ。これは事実なのだ。そういう批判をしたいのなら、そういうまえに、われわれを自分たちの手で牢屋から出したらよかったのではないか。そうしたら、われわれは占領軍の前で「万歳」を叫んだりはしない、彼らの前で「万歳」を叫ぶ。

羽仁五郎『自伝的戦後史』から。

 共産党の党大会が開かれている。綱領が変わり、共産党も天皇制と自衛隊を認めたと報道された。マスコミがなぜ共産党が軟化したと報道したがるのか、よく分からない。どこか、ずっと以前に転向した者が新たな転向者を揶揄するような寒々しさを私は感じる。「ほらみろ、綺麗ごとばかりは言ってられないんだ」と。それはともかく、最近の共産党が「軟化」しているのは事実だと私は思う。皇太子夫妻に子どもが生まれたとき、「国民等しく」お祝い申し上げるとの祝辞に共産党も賛成したのには驚いた。「国民等しくお祝いする」という言葉は、すぐに「祝わない者は国民にあらず」という言葉に化ける。そのために凄まじいばかりの弾圧を受けたのが戦前の共産党ではなかったか。強いられたわけでもないのに、天皇制の前で「万歳」する姿を、獄中で疥癬に苦しみながら、あるいは拷問や地下活動のなかで命を失った共産党員たちはどう思うだろうか。
 共産党の戦前のたたかいに、私は素直に脱帽する。だから、丸山真男の議論を私は好かない。宮本顕治が傍観者の論理だと強く反発し丸山を批判したことには、その論理の当否を別にしたとしても、獄中非転向を貫いた者として当然の資格があると思う。
 だが、戦争を止められなかった共産党にも責任はあるのだという丸山の議論を、私は今の共産党に対して投げかけたくなる。柔軟路線。おおいにけっこうだ。ただ、柔軟にすべきものを間違えてはいけない。少なくとも、それは決して政策ではないはずだ。


エリートの立場、支配する立場の人間が、そうでない立場の人間を見下した視線をとる。そのことに世の中に反発を感じなくなるとき、僕は戦争が起こると思っています。建前にせよ、みんな平等だという気持ちが世の中にあふれているときは簡単には戦争は起こらない。

斎藤貴男 『自然と人間』2004年2月号のインタビュー「エリートから社会を取り戻せ!」より。


あなたは日本に連れて行かれてからどれほど苦労をしたことでしょう。

→牛秀連 長崎放送「忘れられた死者たち」(92年8月9日放映)より

 戦時中、日本軍に強制連行された牛秀連さんの夫は、戦争が終わってからも帰ってこなかった。牛秀連さんは、それでもどこかで夫は生きているかもしれないと信じていた。夫が長崎県の鹿町炭鉱で強制労働に従事させられていたことを知ったのは、この長崎放送の取材の過程であった。夫は長崎で原爆によって死亡していた。夫の遺骨は中国に送還され、天津に無縁仏として保管されていた。その遺骨とはじめて対面したとき、牛秀連さんが泣き崩れながら言った言葉。


八月が来ると、戦後の繁栄は、戦没者によって築かれた、という決まり文句が、記念式典で述べられる。うそうそしい。戦後の繁栄は、生き残って営々と働き、知恵を出し、新しい平和の秩序を作ってきた者たちの努力の結果だ。戦没者たちは、自分たちも生きて、その仕事に加われなかったことを、どれほど残念に思っているか。その無念のために、鎮魂の祈りを捧げよう、と挨拶してくれる人が出てこないものか。

→なだ いなだ 筑摩書房のPR誌『ちくま』2003年11月号より。

 論理的に、事実に基づいて考えるならば、戦後の繁栄を戦没者が築いたということはありえない。なだ氏が言うように、それは生き残った者たちの努力による。それなのに為政者が戦没者を云々するのは、端的に言って誰が彼らを死に至らしめたのかを覆い隠すためであろう。戦没者は政府の行為によって死んだのである。


近代社会は、長い時間をかけ、国家の権限をしだいに限定する方向に進んできたはずだが、「安全への脅威」を梃子にその方向は一挙に逆転される。人びとの「安全」への不安が、統治をきわめて容易にする。だからこそ、どこの国でも権力者たちは「テロの脅威」を活用するのである。

→西谷修 『UP』2004年11月号より。

 西谷は現在の状況を、端的に、「安全が平和を駆逐する」と表現している。まったく同感である。そして実際には安全への脅威を強調して平和を破り、結果として安全も崩されている。いまや東北の誰も人が来ないような工事現場でも「テロ警戒中」などと看板が出ている。ばかばかしいことである。

 言葉蔵 弐之蔵

 言葉蔵 参之蔵


  玄関 → 言葉蔵 → 壱之蔵


 


※「熊之巣」はリンクフリーです。ご自由にリンクしてください。
※このサイトに含まれるすべての文章・画像の著作権は、断りのないかぎりクマこと熊谷伸一郎に帰属します。