でも笑いに限らず、どの仕事も一所懸命やる限り楽なことはないんですよ(笑)

志村けん
R25(2009年11月5日配布分)よりの言葉

お笑いとか音楽はダイレクトに人を喜ばせる仕事のせいか、道を究めたように感じさせる人が少なくない。
志村けんもその道のプロというにふさわしい芸人の一人だと思う。
ドリフのピンチランナーとして登場しただけの人がアッと言う間に中心的な存在になってしまった。
私も子どもの頃からたっぷりと笑わせてもらった。
今でもバカ殿キャラでの優香との絡みなどはどんなネタでも笑ってしまう。

その彼が、最近の舞台での着替えの大変さについて語った後に出てきた言葉。
なぜか素直に頷いてしまった。
受験も、やはり楽だと思ったまま合格に至った生徒はいないと思う。
特に子どもにとって人生初の本格的試練と言える中学受験については殊更だろう。
中学で開成に受かり、ストレートで東大に行った生徒の一人が
「開成の受験が一番怖かった。前の晩はゆっくり寝られなかった。東大は落ちると思わなかった。落ちてたら抗議に行こうと思ってた。」
と真顔で語ってくれたことがあった。
彼は立体図形が苦手だった。その苦手を克服するために親子で奮闘していた。
小学生時代はマイペースでポーカーフェイスの感じだったが、内心では葛藤していたのだろう。
その苦しみの大きさ、そしてそれを乗り越える力の大きさ
それが結果に跳ね返ってくるのだと思う。

志村けんは3回胃潰瘍になったそうだ。
私事だが、私の姪っ子が一度偶然志村けんさんと飲みに行く機会があって
その時の様子を聞いたことがある。
自分はあまりお酒を飲まないで一所懸命に場を盛り上げようとしてくれていたそうだ。
姪の友達が志村さんとつながりがあったようで、そのお友達に誘われておまけに行っただけの
しかも単なる一般人の一人であるにもかかわらず、初対面の芸能人に対する気後れを感じさせないようにと気遣ってくれていたそうだ。
その敏感な気配りが当意即妙のリアクションを生み、絶妙な笑いを産み続けるのだろう。
胃潰瘍になってしまうのも分かる気がする。
自分はほとんど飲み食いはせず、ただ皆のワイワイやるのを見ているのが楽しいのだとも言っていたらしい。
色々なメンツでかなりの人数がいたらしいが、支払いは勿論彼が一人で。

ドリフの付き人の時代からコントのネタを書いたりもしていたそうだ。
表舞台にも偶々出てきただけではないのだろう。
色々と楽ではないことをし続けてきたから今日の志村けんがあるのだろう。
「一所懸命」とか「楽ではない」とか、私が言っても生徒にどれほどの説得力があるかは分からない(笑)
だが、志村けんが言っているとなると、分かる子には分かるのではなかろうか。

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