「自分の立っている地面が、更に深い世界によって支えられているのを感じ、私は驚嘆する。
そこへ行くには数字の鎖をたどるより他に方法がなく、言葉は無意味で、やがて自分が深みに向かおうとしているのか、高みを目指そうとしているのか、区別がつかなくなってくる。
ただ一つはっきりしているのは、鎖の先が真実につながっているということだけだ。」

小川洋子
「博士の愛した数式」(新潮社刊)からの言葉

小川洋子は前から気になっていた。
異型の人が登場するところが私の学生時代のアイドルだった、カーソン・マッカラーズとダブってしまう。
外れの時もあるが、この話題作の主役ともいえる「博士」は私にも理解可能な異型の人物だった。
引用した箇所は、この博士に心引かれる家政婦が、 博士の昔のノートを整理しつつ、その中身の数式の羅列をみながら持つ感慨。
「偉い人のやってることに間違いはない」と言って、地元の有力保守候補に無分別に投票し続けるオバちゃんと重ならなくもないが、
私は美しい場面と感じた。
この一節を読んだとき
「先生、何で勉強しなくちゃいけないの?」と質問されたとき、
「自分の立っている場所のことを更に深く知りたくなったときの為さ」と答えたらどうだろうと思った。

ドストエフスキーの「白痴」の主人公も一種の知的障害者で、それゆえに魅力的な味を出していたが、
この博士も物理的に脳に障害を受けたことに由来して、ある独特の世界を醸し出している。
素人の私には「これ見よがし」と思えるような場面展開や細かなエピソードもあるが
読み終わって、やはり良い読書体験が出来たと素直に思えた。
重松清の「疾走」などは、職人的な仕事だなとは思っても、感動は何もなかった。

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