2014年4月15日更新

巣立っていった子どもたちの保護者の方々からのお便り集

私の指導が功を奏したと思われるご家庭の保護者の方に、是非後輩たちにも役立つアドバイスをくださいとお願いしましたら、何人かの保護者の方からお便りを頂くことが出来ました。


Cさんのお父様からのお便り

久保田先生には長女のときもお世話になっており、二女もお願いすることにしました。

二女は、おっとりした性格で、受験を乗り越えていけるのか心配でした。

小4の時から受験を意識して勉強を始めましたが、最初は個別指導の塾に1年間通いました。
小5からワセアカに入塾できたので入塾し、同時に久保田先生に算数の指導をお願いしました。
最初のうちは、塾ではボーっとしていたようですが、久保田先生の授業ではボーっとできないで、塾のおさらいをすることになるので、少しずつ理解が進み、同時に聞き流すのではなくて理解するために授業を聞く、という習慣がついてきたように思います。

成績はなかなか伸びませんでしたが、やる気やガッツはだんだん高まってきたのが見ていてわかりました。
6年生の夏休みは、学校の修学旅行と家族の旅行などで塾の講習の半分は欠席しましたが、久保田先生にキャッチアップしていただきました。

点数にはつながらないものの、一応わかってはいる、という状態が長く続きました。
とくに算数はある一定以上の難しさになると全滅に近い状態になってしまうという状況が長く続き、合不合では相当に苦戦しました。
勉強しても点数が上がらないので、本人にもストレスだったと思いますが、わかっている、ということをちゃんと理解してくださる先生がついていて下さったので、乗り越えられたのだと思います。

1月の前半の時点では過去問をやっても合格点に全然届かなかったのですが、直前の2週間ぐらいはほとんど学校に行かず、過去問をみっちりやりました。
その時ですら合格点に届かず、苦しい思いをし、第一志望校は1回目は失敗しました。
2回目の受験でも問題を見たときに、これは娘にはきついな、と感じたのですが、合格をつかみ取ることができました。思ったよりも力が付いていたようです。

何かと受け身な娘が、やる気が出てくると先生がお帰りになった後に、「久保田先生も私も『俺の話を聞け〜♪』といっているから、話が平行線だ」などとエアギターを弾きながら歌ってました。信頼感があったのだろうと思います。

また、塾の先生と久保田先生の解法が違うというのも愚痴のようにいっていましたが、いろいろな解法を学べたのは力につながったのだろうと思います。

算数は苦手でしたが、塩水の計算は久保田先生に教えていただいたから得意だ、とも言っていましたし、長女と話す時も、「魔法の時計」などという言葉が出てくるので、なんだかんだ言ってしっかり身についたのだろうと思います。

いろいろやきもきした受験でしたが、本人にとっては第一志望で、親にとっても納得のいく学校に合格することができました。
塾に任せきりでは合格はおぼつかなかっただろうと思います。
やるからには合格はもちろん大事ですし、同時に受験を通して、がんばることを学び、たくましさや自己肯定感が高まったのはかけがいのないことだと感じております。


B君のお母様からのお便り

受験の準備を始めたのは、小学校三年に上がる前の2月でした。

当初、日能研とSAPIXとを見ましたが、SAPIXの教材の良さに心を打たれ、「良い教材があれば、子供は楽しく続けられる」と安易に考え、SAPIXにしました。
今思えば、もしSAPIXは超難関校向けの塾で、低学年のうちは時間が短いけれど、高学年になってからは楽しく勉強する余裕がなくなると知っていれば、選ばなかったかもしれません。
なぜなら、我が家の中学受験の目的は「○○中学校に入れたい!」ではなく、子供に合う学校に入れてあげたいということでしたから。
なので、塾を選ぶときに、もっと子供の性格や受験の目的などに合わせ、入れたい中学校を絞ってから、そこに合う塾を選んだほうが良かったかもしれないと反省しています。

SAPIXのスタートは一番上のクラスからでした。この結果は予想外でしたが、喜ぶ余裕はなかったです。
入塾後、すぐに次のテストがやってきます。最初の授業プリントを、私も解いてみましたが「難しいな」と感じました。 「こんな難しい問題をうちの子はちゃんと理解しているのかな」と心配になってしまいました。
子供がやり終えた宿題を見てみたら、案の定、パターンにあてはめて解いているだけのようで、焦りました。
なんとか理解させなくてはと思い、テストの日程に合わせ、計画を立て、配られたテキストや、その解説を熟読させたり、授業で習ったプリントの問題をもう一回解かせたりして、定着するまで、しっかり理解させました。
これは良かったと思います。4000人の塾でも300位前後をキープできました。

しかし、この方法には限度があるということを知ったのは、4年の夏休み明けでした。 親子とも息切れになり、「こんなはずじゃなかった。楽しく勉強させたいから塾に行かせているはずなのに・・・」と理想と現実のギャプに悩まされました。
「塾を辞めたい」と言い出すのではないかとか、「私がこのまま子どもと一緒に勉強して難関中学校に入ったとしても、そのあとがまた大変なのではないか」とか、私の心には焦りが増してきました。
揺れている気持ちは子供にも悪い影響を与えました。
子供は目標を失い、勉強に身が入らなくなりました。 勉強を嫌がるようになり、ついに「塾に行きたくない」と言い出すようになってしまいました。一番なってほしくない状態になってしまったのです。

続けるか、やめるか、転塾か、悩んでいるうちに5年夏休みになりました。
成績はαとEのあたりを行ったり来たりで不安定でした。
私が頑張ればαになり、私が手を抜くとEに落ちている状態でした。
「大変だから、行きたくないと言い出したのだろう」と当初深く考えませんでしたが、理由は別にも有ると6年になってから、知りました。

息子は算数が苦手で、今まで他の教科のお陰で、αをキープできていたのです。 5年になってから、αの算数の進度が早まり、授業中、基本の問題は殆ど触れなくなりました。
だんだん子供は授業の内容が分からなくなり、授業についていけなくなったのが、本当の原因でした。

しかし当初私は「なんで授業を受けているのに、宿題をやるとき、初めて見る問題を解くような感じで、時間がすごく掛かるのだろう」と疑問に思っていました。塾での様子を、しっかりと塾の先生に確認しないで、子供に「ついていけてるの?」と軽く聞いただけで、しつこく聞きませんでした。 これが失敗でした。
その為に、子供は今なにが一番必要なのかを深く考えずに、算数の点数をなんとかしなくちゃと思っただけでした。

家庭教師を探し始めたのはこの時期でした。
久保田先生に依頼する前はSAPIXのプリバートと家庭教師三人ほど、お世話になりました。どれも悪くはないのですが、何かが違うと思いました。

ネットで調べていたら、久保田塾を見つけました。「これだ。こういう先生を探していたのだ。」とモヤモヤの気持ちがようやく晴れました。
しかし仲介業者なしで、家庭教師を探すのは、リスクが高いと分かってますので、体験授業を受けてから、判断しようと思いました。

久保田先生と会った日は、今でも覚えています。教師ではなく、昔から知っている親戚のおじさんに教えてもらっているような感じでした。
「とにかく、この人なら、安心して任せられる」と、母の直感でしょうか、久保田先生にお願いすることにしました。
以前の三人の先生ですと、ちゃんと経歴書を提出してもらったのに、久保田先生のときは、なぜかそれを求めませんでした。慎重派の私にはめったにない行動です。

先生は決めたものの、息子は乗り気ではなかったのです。
先生が来るのも嫌で嫌でしょうがありませんでした。先生が来る直前まで大げんか、という日は度々でした。
しかしだんだん先生とやっているうちに「この先生は良いやり方を教えてくれる、宿題はひとりでやるより楽だし、いつも怒っているママとやるよりずっと良い」と気づいたのか、それともただ観念したのか、だんだん先生が来るのが当たり前になって、精神が安定し始め、私との喧嘩はぐんと減りました。

そして受験の意味についても、子供と一週間話し合い、合格するために、もう一度頑張ろうと親子で決めました。
まず何より、第一志望校を決めようということになりました。

色々検討しましたが、偏差値や進学率だけではなく、子供の性格なども考慮しようと思いました。 綜合的に判断していくうちに、子供自身が、「自分は『芝中学校』が合っている」と言い出したので、第一志望校は「芝中学校」に決めました。

事態はいい方向に向くようになりました。しかし、成績は下がり続けました。内容の進度や深度はどんどんエスカレートしていき、家庭での学習時間が減った分、今までやっていたような、テストに合わせて過去のプリントを振り返るという余裕がなくなってしまったのです。子供には、学習した内容が定着しないまま、時だけが流れました。
算数に時間がたくさん取られるようになって、次の授業の小テストで点数が下がってクラスを落ちないようにと、それだけしか考えなくなってしまいました。
久保田先生のお陰で、その分、カバーが出来ました。一人では復習しきれないような難問を久保田先生のアドバイスをもらいながら解き進めました。

しかし、組み分けやマンスリーになると、どうしても、過去の内容が関わるので、いくら良い家庭教師が付いていても、復習せずに、テストを受ければ、できないのが当たり前かもしれません。

家での学習スタイルも良くなかったのです。やっと子供がやる気が出始めたので、子供に時間管理を任せたのです。もちろん子供ですので、のんびりやっていました。テレビも塾に行っていない子と同じ量で見ていました。
今振り返れば、当初、もう少し私が時間管理に協力し、過去の苦手単元をやらせばよかったかもしれないと思います。

5年から6年の夏休みまでがいちばん肝心だと思います。

意識にも問題がありました。6年にはいった時点で、偏差値57ぐらいありましたので、「芝中学校なら、受かるだろう」と親子とも安易に考えました。  これは見事な落とし穴でした。

6年の夏休みあけ、過去問演習に入りました。しかし12月になっても、芝中だけではなく、他校の算数でも100点中、いつも30点代前後でした。  そのときやっと「このままではだめだ」と気づきました。
ちょうど芝中学校の説明会があり、個別相談コーナーで、相談に乗っていただきました。

「うちの学校は基本がきちんとできれば大丈夫なので、入試問題の一番〜六番の問題が解けるようにしてください。塾で習った6年からのプリントは難しいのが多いから、おおまかに6年までの学習内容を復習した方がいいですよ」とアドバイスを頂きました。
「中学校入学後にどうなるかより、まず目の前の合格を考えなきゃ」と焦りました。時間もないので、3年からうまく行った時期のやり方を思い出し、2月1日をめどに復習プランを立てました。
塾の先生のアドバイスもあり、算数は6年からの基礎トレーニングを基に私は毎日15分のプリントを作りました。子供がやったことがある問題なので、あまり負担になりませんでした。図形は特訓プリントを使いました。理科は苦手単元の過去授業プリントとコアプラス、社会はコアプラス、国語は漢字の要のみで勝負に出ました。

12月末、効果は現れました。最終年度の過去問で他教科はもちろん、算数も30点代から脱出し、54点でした。それが自信となり、1月校が見事突破出来ました。

その後も地味な作業が続きましたが、SS特訓の算数もいい成績が取れたことで、子供が高いモチベーションのままで最後まで居られました。

しかし受験前日、またちょっと失敗をしてしまいました。 まだ基礎トレーニングなど復習の内容が残っていたので、無理やり、全部終わらせようとしたら、それが大失敗でした。
量がいつもの3〜4倍になったため、ミス連発です。子どもをかえって不安にさせてしまいました。
子どもの不安な様子を強く感じ取ったので、思い切って、残った分を打ち切りました
その後、私から子どもに前向きな内容の手紙を送りました。
「きっと大丈夫だ」と子どもに心からのメッセージを送りました。 それで楽になったのか、また、いつもと変わらない気持ちになれました。

次第に子どもの緊張した様子がなくなり、「絶対合格して、2月4日に友達と遊びに行く」と、自分自身に言い聞かせていました。頼もしかったです。

そして、2月1日を迎えました。無事この日を迎えられたのが何よりの喜びでした。

お陰様で、芝中学校の第1回目の試験に合格を頂きました。 2日に受けた学校も、試しに受けた都立中学校も、全て受かりました。

我が家の長い長い受験生活が終わりました。  この受験を思い返すと反省点がたくさん思い浮かびます。  でも、「何事諦めず、頑張れば願いが叶う」と、子どもから学びました。 これがわかったことが、どの学校に合格するよりも、我が家にとっての大きな収穫であり喜びです。

一回りたくましくなった息子を誇りに思います。
そして、母親として、新たな役目に努めなければと責任感を感じます。
と同時に、一緒に努力した時間が終わってしまったという寂しさも感じます。

最後になりますが、久保田先生、本当に、本当に二年近く親子ともに支えてくださり、有難う御座いました。   心より感謝を申し上げます。

  追伸:   受験当日些細なトラブルが、子供に精神的なダメージを与える事になります。それに備えるように、私は、完璧な準備をしました。そのことを最後に書いておきます。
 当日のルート確認や持ち物の準備をしっかりやりました。
 中でも特に良かったのが、 持ち物の中に5cm×3cm程のダンボール2枚を入れたことでした。まさかそれが役立つとは思ってもいませんでした。
 子供の話によると、2月1日の受験当日、教室の自分と後ろの子の机が不安定で、答案を書ける状態ではなかったのだそうです。
 うちの子は私が用意したダンボールを隙間にはさみ、机を固定させたそうです。
  後ろの子は鉛筆などを使い、直そうとしたらしいのですが、鉛筆が折れ、かなり不安になったようでした。
  これと關係が有るかどうか分かりませんが、合格掲示板には、息子の番号はありましたが、後ろのお子さんの番号はありませんでした。
  今でも母として、このことで息子の役に立ったことがとても嬉しいです。 来年受験される時には是非この話しを思い出してください。


A君のお母様からのお便り

久保田先生、お陰様で息子の第一志望であった武蔵中学に合格することができました。

ほんとに先生のご指導のおかげであったと感謝しています。

ちょうど新5年になる2月から先生にお世話になって、ずっと算数を見ていただきました。基本はN塾に通い、その足りないところ解からないところを先生のところに持っていって教えていただくというのを継続してきたかと思います。

当初は、毎週末の塾内のテストの解き直しを先生のところで行うということをお願いしておりました。
ところが、先生が、それはもったいないから、自分で間違え直しをやったあとで、解説などを読んでもわからないところがあったら、それを持ってきなさいとおっしゃったと思います。
自分で考えて学習する、その手助けをします、というのが先生の方針であったのだと理解しました。
また、そのお考えが志望校の武蔵中学のモットーにも近いものであったと思います。
親としては全く賛同するところで、だからこそ先生にみていただくことをお願いした次第ではありましたが、まだまだ本人が幼く、なかなか自ら考えて学習するという姿勢にならなかったのは、先生もお気づきでしたでしょうし、親から見てもいつになったらという気持ちでいっぱいでした。

(久保田からの補足)
自力で読んで考えるということの大切さを知って欲しいということもありましたが、テストの解き直しの解説が少なくなれば、その分、その回についての指導時間が増えて、次のテストでより高得点が上げられると考えたからということもあります。

ありがたかったのは、時には厳しく、また時には優しく息子の考えていることを聞き出していただいたことです。
受験のための勉強のプレッシャーに息子が何度もめげそうになって受験をやめたいという状況に陥った際に、ずっと1対1で見ていただいていた先生の言葉は息子にとっても、またどうしていいかわからなくなっていた親の私にとても助かりました。
いろいろ途中であったものの、息子もなんとか当初より志望していた学校を第一志望として受験するところまで至り、また最後にやっと受験生としての心構えのもてた息子も1日の試験に全力を出し切れたようです。
テストでできたなどと言ったことのない子が、今日はできたという言葉を口にしました。

今後は中学生としてさらには高校生として、自分で調べて自分で考えて行動するということを身に着けていかないといけないと思いますが、先生が指導の中でおっしゃっていったことが思い出されると思います。

ほんとにありがとうございました。そして、またお世話になると思いますので、よろしくお願いします。

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