『ランニング登山』の先生 逝く

 1999年8月19日(木)付けの朝刊に、あの『ランニング登山』で有名な下嶋 浩 氏がマッターホルンで転落死したというニュースが載っていた。
 私が初めて『ランニング登山』の本を読んだのは、今から7年前になるだろうか。

 同じ職場にいた山好きの上司から借りて読んだのだが、とにかくその時は「すごい!」「信じられない!」と単純に驚いてしまった。それまでも「カモシカ登山」なんていうものもあるにはあったが、それはせいぜい早歩きのレベルであって、ここまで徹底して山を走るなんて考えを世間にアピールしたのは初めてではなかったと思う。その時は 単純にすごい!と感心してしまったのだが、正直な話、ここまでマゾヒスティクに山に登らなくてもいいんじゃないかと思ったりもしたほどである。

 しかしその後、山へ行く時間が自由にならないことから、少しでも行動範囲を広げようと、自分なりにランニング登山の真似事を始め、いくつかの登山競走に参加したりしたのだが、自分の限界に挑戦し、可能性を伸ばすという意味で大いに魅力と共感を感じてしまった。

 「ランニング登山」はそれまでの登山のセオリーからはずれた異色の形態であり、頭の固い旧来の登山者なら、本来ゆっくり安全に楽しむべき登山をランパン、ジョギングシューズで走るなんて狂気の沙汰、ふざけていると思うかもしれない。
 しかし、普通の尾根歩きだってガイドブックのコースタイムを下回れば何となく気分的に嬉しいのだから、これが半分ほどのタイムでこなせれば、達成感・充実感はそれなりに大きい。八ヶ岳や鳳凰三山、そして地元の丹沢を走ってみてわかったことだが、慣れてくれば、それまで二日間は必要だったコースが悠々日帰り可能であり、山へ出かけるたびに女房に小言を言われているような時間の無い週末登山者はトライする価値があると思う。

 実は93年秋、奥多摩で行われた「第1回日本山岳耐久レース」の時、一度だけ下嶋氏を見かけたことがある。すでにその世界ではお馴染みの氏の回りには、まるで教祖を囲む信者たちのように多くの山岳ランナーたちが集まって挨拶していた。見た目は東工大の教授とは思えず、その辺にいるジョギング好きの真面目でおとなしいお父さんといった印象であった。
 その時のレースでは、とりあえず下嶋氏に付いていくことを目標にし、結果として私はまずまずの成果をおさめたのだが、下嶋氏のスピード、耐久力は数段上で、ゴールまでついにその背中を捉えることはできなかった。

 52歳という若さはまだまだこれから山を楽しめる時期であり非常に残念だが、マッターホルンを最後に数々の山を走り抜けた生き様は、私にはとても真似のできないことであり、憧憬の気持ちすら感じてしまう。もしかしたら、近いうちにどこかの山で「下嶋記念登山レース」なんていうものが開催されるかもしれない。その時は追悼の意味を込めて、ぜひ出場したいと考えている。

1999.8.21〉

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