私の高山病体験

 高山病は、国内の三千m級の山ではそれほど深刻に悩むことはない。しかし、これは各個人の体質やその時の体調、あるいは気象条件等によって起こるものであり、私も今まで何度かそれらしいものを経験している。

 

 日本の山で一番酷い目に遭ったのは、20歳の頃、社会人山岳会での冬合宿の時だった。西穂から奥穂まで縦走する計画で、三日目に奥穂の頂上で幕営した。ところが翌日から猛吹雪。その後二日間テントの中に閉じ込められてしまった。こういった事態は冬山ではよくあることで特に不安は感じなかったが、学生である私と違って社会人の先輩たちは仕事の関係もあり、そうそう停滞してもいられない。奥穂に着いてから三日目に吹雪の中を涸沢岳方面へ脱出することとなった。

 しかし、予期せぬことが起こった。この数日間のうちにやはり近くに陣取っていた関西パーティーの一人が肺炎らしき症状に陥り、それに感染したのか、我々のパーティーも何人か風邪をひいてしまったのである。

 私も咳が止まらず、歩いている途中で何度も心臓が止まりそうな苦しさを覚えた。雪の上に痰を吐くと仄かに赤い色が混ざっている。思わず関西パーティーの病人と共に救助ヘリをお願いしようかと思った。だが、ヘリを1回飛ばすだけで150万円かかると聞き、とてもじゃないがそんな大金を払えない私は這いずるようにして冬季小屋へ移動した。何とか小屋に辿り着いたが、その夜は食事も採る気になれず、シュラフの中で死んだように眠った。翌日もまだ吹雪は続いていたが、これ以上日程は延ばせないため、涸沢岳西尾根を下山することにした。

 その日も相変わらず苦しく頭も朦朧としていた。ところが、やがて稜線から樹林帯に入り高度が下げていくと不思議なことにどんどん具合が良くなっていったのである。

 これには自分でも驚いた。あれほど苦しかった肺が下界に下りたとたん、ケロッと治ってしまったのである。途中で薬を飲んだわけでもなく、後から考えると、やはりあれは高山病の一種だったのかなと思う。

 

 その4ケ月後。初めてのヒマラヤでは、私も本格的な高山病というものを経験した。

 まず最初は4千m辺りでガーンと来た。症状としては風邪をひいて高熱が出た時、あるいはひどい二日酔いのような状態に似ていた。全身が倦怠感に襲われ、やる気がまったく失せてしまう。よほどひどい場合はその場で寝込んでしまうことになるが、そこまでいくと急いで高度を下げるしか回復の方法はない。身体は多少だるくても気力が残っているようなら、むしろちょっと無理して高度を上げる逆療法が効果的であり、私も富士山の頂上と同じ高さのテントサイトからさらに200mほど裏のガレ山を駆け登って高度順化したりした。

 

 それからは荷上げの繰り返しで何とかうまくいっていたが、6千m付近で再びガーン!ときた。

 遠征中は毎日、ノートに行動記録をつけていたが、このあたりになると身体のキレがなくなり、思考能力もぼやけてくる。字を書いていても難しい漢字が次第に書けなくなり、自然とひらがな主体になっていく。しまいには「め」と「ぬ」と「ね」の違いがわからなくなってきた。

 酸欠になると数百万とか億単位で脳細胞が破壊されていくという話を聞いたことがあるが、その時はこのまま自分は本当の馬鹿になってしまうのではないかと怖ろしかった。(笑)

 また初めて上がった上部キャンプでは夜の恐怖があった。昼間,起きている時は意識的に速い呼吸や深呼吸ができるが、眠っている時は無意識である。狭い密閉されたテントの中で二人で寝ているとただでさえ酸欠気味になるため、初めのうちは落ち着いて眠れなかったのを覚えている。

 

幸い、今では私も普通の生活をしているので脳細胞の方は何とか大丈夫(?)だったようであるが、それにしても、世の中には8千m峰を何度も無酸素で登ったり、とんでもなく深い海の底まで素潜りしてしまう人間がいるのだから恐れ入ってしまう。

2000.12.27〉

Essay Index