真夜中の足音

 何年か前、9月の終わりに北アルプス・後立山連峰を一人で縦走した時のことである。
 その日、私は八方尾根を登り、唐松・五竜を経て行ける所まで行くつもりでいた。天候は下り坂で、夕方にはキレット小屋に着いたが、その辺りでは幕営できないことがわかり、今夜どこにテントを張ろうかアセっていた。結局、八ツ峰キレットの手前で暗くなってしまい、急いで縦走路の脇のほんのわずかなスペースに一人用のモンベル・ムーンライトテントを張ることにした。
 すでに辺りは真っ暗で冷たい雨がシンシンと降っている。簡単にインスタント・ラーメンの夕食を終え、後はすることもなくシュラフにくるまって、持ってきたバーボンなどを飲みながらウトウトしていたのであった。
 一日歩いた疲れで、いつの間にか眠ってしまったらしい。ハッと気がつき、ヘッドランプで腕時計を見ると、すでに午後10時半。外は相変わらず雨が降り続き、明日の扇沢までの道のりを考えるとちょっと憂鬱だった。しばらく眠れないままにシュラフの中であれこれつまらないことを考えていたその時

「ズン、ズン、ズン、ズン……。」
外から登山者の足音らしき音が近づいてきた。
こんな夜遅くに?しかも雨の中を?
まさか遭難事故じゃないだろうな

薄気味悪く思いながらも耳を澄ませていると、その足音は次第にこちらの方へ近づいてくる。そして、あろうことか私のテントのすぐそばでピタッと止まったのである。
 雨の中、しかもこんな夜遅い時刻に八ツ峰キレットを通るなんて、どう考えても普通じゃない。得体の知れない誰かが私のテントをジッと見つめて佇んでいる姿を想像すると、思わず全身が恐怖に包まれた。
 登山者?それにしてはヘッドランプも点けていないようだ。それじゃあ熊

 シュラフの中でじっとしていたが、すでに恐怖で目は冴え、心臓はドキドキと高鳴っている。息をこらして、しばらく眠った振りをしているとまた「ズン、ズン、ズン、ズン
。」と辺りを歩き回っている気配
 「
誰か、いますかっ!」
 恐怖に怯えながら、思わず外に向かって呼びかける。すると、なぜか足音はピタッと止まってしまう。
 気持ちを落ち着かせ、ヘッドランプを点け、勢い良くテントの入り口を開けてみた。しかし、そこに照らされたのは雨に濡れた岩とブッシュでしかなかった。辺りをくまなく照らしても人や動物の気配はまったくなく、ライトの明かりの中をただ雨が降っているだけであった。
 いったい、あの足音は何だったのだろう?単なる空耳だったのだろうか。

 翌朝、目を覚ますと雨は小降りになっていた。私はテントの外に出て辺りを見渡してみたが、昨夜の足音の原因となるようなものは何も見つからなかった。
 単独行は気楽でいいが、時には思いもよらない恐怖を味わうこともある。

1999.12.12〉

Essay Index