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トライアスロン あなたもいかが?

トライアスロンのレースに出るようになって9年になります。

トライアスロンは、水泳、自転車、マラソンを1人の選手が続けて行う競技です。日本では1981年鳥取県皆生温泉で初めてのトライアスロンレースが行われて以来、全国各地で多くのレースが行われています。今日はすこし私の話におつきあいいただいて、トライアスロンに興味をもっていただけたらと思います。

3.8kmの水泳、ゴールを目指す選手たち。(1998Ironman Hawaii)
トライアスロンは別名「鉄人レース」といいます。レースを完走した人は「アイアンマン」とか「鉄人」と呼ばれます。世界で初めてトライアスロンができたのは今から21年前の1978年、ハワイでのこと。あるマラソン大会の後、「水泳、マラソン、その他いろいろなスポーツの選手の中で、だれが一番すぐれた運動選手か」という話題が盛り上がりました。そのとき海軍司令官であったキャプテン・ジョン・コリンズが「ハワイにはワイキキ遠泳大会(2.4マイル)、オアフ島一周自転車レース(112マイル)、ホノルルマラソン(26.2マイル)がある。この3つを続けてやって、最初にゴールした人をアイアンマンと呼ぼうじゃないか。」と提案したのがはじまりです。この年の2月、15人の男性がアイアンマン・レースに挑戦し、12人が完走しました。
水泳を終え自転車でスタートする選手たち
その後、ハワイ・アイアンマンは舞台をオアフ島からハワイ島に移し、また世界中でもレースが行われるようになりました。今ではもっと距離の短いタイプのレースもでき、多くの人がトライアスロンを楽んでいます。オリジナルのアイアンマン・ディスタンスを4分の1にした距離タイプはシドニーオリンピックから正式種目として採用されオリンピック・ディスタンスとも呼ばれます。初心者でも気軽に参加できますし、スピードとテクニックを要する種目としてアイアンマンとは違ったおもしろさがあるようです。一方で本家ハワイ・アイアンマンは、世界各国のレースで優秀な成績を上げた選手が集まるアイアンマンの頂点のレースとして、オリンピックとは別の位置づけにあります。またトライアスロン発祥のレースとしてトライアスリートあこがれの大会となっています。

アイアンマン・スピリット

 私は、このハワイ・アイアンマン20回記念大会に夫と二人で参加しました。

 空も海も青く、花が咲き乱れ、木々に鳥が歌う楽園のようなハワイ島コナの町が、レースのある1週間はお祭りのようなにぎわいになります。そしてレース中、とくに大きな喝采を受けるのは、手足の不自由な選手や高齢の選手です。日本では身体障害者や60歳以上の参加者を認めない大会が多いのですが、ハワイではPhysically challenged people(肉体的挑戦者)や、70years young (英語で年齢を言うとき正しくはyears oldですが)などと言ってたたえます。実際、彼らはほかの選手とまったく同じ土俵でレースをしています。トライアスロンは、年齢も性別も何の区別もなく、全員が同じ舞台、同じ距離を走り抜きます。

 表彰式では、5歳刻みの年齢別部門、足が不自由で自転車のかわりのハンドサイクルとランニングのかわりの車椅子で出場する人の部門、片手がなかったり盲目であっても普通の自転車を使いマラソンを走る人の部門、そしてプロ選手の部門で表彰が行われます。私は日本国内のレースではたいてい女子の10位以内に入賞できるのですが、ハワイでは女性の50歳代の入賞者に勝てません。片足を失った女性の水泳やハンドサイクルの男性のタイムにも及びもしませんでした。日本人はとかく「障害」ということを言いますが、アイアンマンになるために必要なのはアイアンマン・スピリットだけ。目標に向かって日々、体と精神を鍛え、そしてレースを楽しむ人、全員がアイアンマンです。

人生を変え、人生をかけるトライアスロン

 過去2回、アイアンマンで年代別表彰を受けられた大阪の62歳のNさんは、私が「ハワイ・アイアンマンで表彰されるなんてとてもわたしには無理です」と言いますと、「これからいくらでもチャンスはありますよ。私の年代まで、あと30年もトレーニングできるじゃないですか」とおっしゃいます。

 トライアスロンは、体力的にも精神的にも超人的な強さがなければできないものと思われがちです。でも本当の魅力は、だれでも自分に挑戦し、完走することによってアイアンマンの称号が得られることです。そして、完走するためには付け焼き刃のトレーニングではなく、毎日の生活で体を動かし、病気に気をつけ、食事の内容に配慮し、心身が健康でいられるよう自分でコントロールすることを日々続けることが必要なのです。トライアスロンとは、ひとつのレースを完走すれば終わるものではなく、自分の生き方として、ずっと続けていけるものなのです。

 友禅の染め物業をしている友人のHさんは、トライアスロンで人生が変わったとおっしゃいます。仕事一筋だった30代のころの写真を、Hさんはほとんど持っていません。持病の心臓が心配で40代で自転車を始めてから、週末ごとに京都の山々を走りに行ったり、自転車のレースに出るようになり、仲間と一緒に写した写真が増えました。私たち夫婦も含めてその自転車のメンバーにはトライアスロンをする人が何人かいたので、やがてHさんもトライアスロンに挑戦してみたくなりました。まずは仕事が終わったあと二条城の周りをジョギングすることからはじめ、スポーツクラブでのウエイトトレーニングや水泳、さらには食事指導を受けてウエイトコントロールもしっかりしました。そしてついに95年5月、鹿児島県指宿市で行われたオリンピックディスタンスのレースでデビューしました。その後、トライアスリートのためのスイミングスクールにも通い、いまではシーズンともなれば毎週のように各地のレースに参戦しています。実はトライアスロンを始めて以来、仕事の面でもなぜかうまく行くことが多くなったそうです。バイタリティあふれる生き方が、仕事にもよいはたらきをしたのでしょうか。

満月に一番近い10月の土曜日。コナ・ウインドに吹かれて

アイアンマンの20回記念大会には、あのアイアンマン創始者、62歳のキャプテン・ジョン・コリンズも妻や息子とともに参加しました。彼がゴール前の花道にさしかかったとき、アメリカ合衆国国歌が奏でられ大勢の観客や選手の喝采が起こりました。彼がいなければ、このすばらしいスポーツは生まれなかったのです。 

 毎年、ハワイ・アイアンマンは、満月に一番近い10月の土曜日に行われます。この時期、有名なコナ・ウインドは容赦なくトライアスリートの行く手を阻もうと吹き荒れますが、夜になればやさしい月影がランの足もとを明るく照らしてくれます。選手は皆、この日までの努力を思いながら、アイアンマンになるためゴールまでひた走ります。

ゴールは深夜まで盛り上がる

きっと、この思いはトライアスロンばかりでなく、自分の毎日を目標に向かって大切に生きている誰にとっても共有できるものではないかと思います。わたしは大学院にいる立場を利用して、運動による疲労についてや食事について勉強してきました。その知識を自分と家族のために生かすだけでなく、健康な生活を目指す方に役立てたいとライターの仕事をしています。これを読んでくださったあなたも、ごいっしょにいかがですか。自分の体とこころの健康を自分でコントロールすることのすばらしさを味わってください。 

 近畿では、琵琶湖周辺や舞鶴で中・短距離のレースがいくつもあります。長距離のレースとしては、皆生温泉、宮古島、佐渡、北海道などで行われています。

きっと皆さんのお近くでもトライアスロンが行われていると思います。ぜひ一度ご覧になってください

目指すゴールはスポットライトに照らされている。