制作者:KrK (Knuth for Kludge)
自分はプログラマを仕事としている。SEではない。しかし、いつまでプログラマとしてやっていけるのが疑問だ。プログラマ35歳定年説なんてのもあり、SEにも足を踏み入れなくてはいけないのかと考えている。
モノや行動に対する価値判断には大きく3つの基準がある。
自分は理屈馬鹿である。基本的に物事を真で判断してしまう。何度か「理屈ではそうだけど、」という切り替えしをされたことがある。
モノを作る仕事全般で大切なのは善と美である。いくら機能が良くても使用者が「使いたくない」と思ったら意味がない。また組織として使う場合には、当然法律や会社規則が第一となる。
しかし自分は善も美も省いた論理思考をしているときが一番心地よい。それが誰かの役に立つのか、今後の自分の人生に役に立つのか、なんてことはかなりどうでも良く感じる。
頑張ってバグが取れたとき、「便利な機能ができた」ことよりも、「ちゃんと動いた」ことそのものに喜びを感じる。
学部時にはそのノリで理論物理を学んだが、一回休学して離れることで、やっと間違えに気付いた。もちろん研究結果が世のために役立つとの信念で理論物理を研究している人も多いと思う。しかし、少なくとも自分の行った、単純に「面白い」という理由で公立大学にて理論物理を学ぶ行為には疑問が残る。
そこで一回反省して社会科学系の大学院で学んだ筈なのに、いまだに人に興味がもてない。他人どころか自分にも興味がもてない。興味がもてるのは対象物が正しいか否かだけだ。
自分はプログラマはともかくSEには向かない気がする。
「世界は事実の総体であって、事物の総体ではない。」Ludwig Wittgenstein『論理哲学論考』