オカルトものの存在意義 ~卵とベッドのだましあい~

制作者:KrK (Knuth for Kludge)

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オカルトものの本が好きだ。文庫やコンビニ本程度の軽いものだが、数十冊と読んでる。超古代とかオーパーツとか大好きだ。

前に「ああいうのはゲラゲラ笑いながら見る(読む)のが正しい」というのを読んだ。なんて心が小さいのだろうと思った。確かにオカルトよりカルトに近く、理論に飛躍がある場合もある。しかし、魅力のある理論であることも多い。現実と違うという些細な問題はあるものの、大したことではない。読んで単純に面白がっている。

複数の理論の間に論理的矛盾があると冷めるが、そうでなければ単純に楽しい。現実とまったく合っていないという意味で「リアリティのない」漫画でも、読めば面白いものが多い。『ドラゴンボール』を読んで、「人が空を飛べるか」とゲラゲラ笑う人はいないと思う。それと同じだと思っている。更にオカルトものは現実にかすっているだけに、一層面白い。

ただし、それを世間に広めることが善いことがどうかは疑問が残る。特に歴史的被害や偉業をなかったと言うことはしてはならないだろう。

しかし、そのことと理論自体の魅力は別である。前に「日本は宗教の教義教育と布教が一緒くたになっているために、三大宗教の教義すら知らない人が多い」という論を読んだ。宗教の内容を教える=教義を信じ込ませる=宗教的行為とみなされるということだ。つまり「真:正しいかどうか」と「善:世間的に善いことかどうか」が混雑していると思われる。

善さえ踏みにじらなければ、現実はほっぽいといて真と(一時的に)思い込むのが、自分にとっての美である。

「思考はそれ自体が目的である。音楽の如き。」Albert Einstein


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